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お世話になります。
数年前六本木ヒルズの回転ドアで子供が挟まれ死亡した事故がありました。また線路に子供が進入して列車にはねられる事故も毎年多く見かけます。
共通することは「親が目を離したスキに」という毎度お馴染みのフレーズです。一体その時親は何をしていたのでしょう?

事故未満の状態ではありますが、電車内でも子供が座席上や吊革で遊んでいるのに目もくれずおしゃべりに夢中の親もよく見受けられますので、「目を離した」親連中も同じ人種なのかなと推測しています。実際どうなのでしょう?

またそのように子供の行動監督を放棄した親は、保護責任遺棄とか児童虐待の罪には問えないのでしょうか?それとも子供が亡くなったり負傷した時点で一定の制裁が加えられたと見なされているのでしょうか?
新聞等でも死亡や負傷した児童の親は被害者扱いして同情的な記事が多いので不思議に思います。

A 回答 (8件)

乳児期には肌を離さず、幼児期には手を離さず、学童期には目を離さず、思春期には心を離さずとよく聞きますが


なかなか実践は大変ですね。。。

4歳の息子がいます。じっとしていません。手も繋ぎたがらなくなりましたが、スーパーの駐車場などはお約束で必ず手をつながせます。

上の娘は小中学時代は 友達関係で悩むこともあるので
手を貸すことはできないけど 危険にならないようにハラハラしながら
見守ったような・・・それもそろそろ卒業かな
上の娘も来年大学生(行けるか謎)、下は高校生

次は孫を大事育ててれるお母さんになってもらいたい。
子供は本当に神様からの預かりものだもんね。幸せになる権利があり
幸せにしなくっちゃなんだよね。

子供は小さい時からお母さん、お父さんを見ています。
どんなお母さんやお父さんになってもらいたいかを自分が示していかなければそうはならないんちゃうかなぁ~とまだまだ半人前母ですが

こういうことはおばあちゃんになってから書くべきでしょうが
失礼いたします。
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私もひとくくりにして非難するのはあまりにも乱暴な意見だと思います。

子供なんて何するか予想つかないのです。だから親は、一生懸命に注意をはらっているのです。私がむしろ問題だと思うことは、「目を離したスキに」、他の誰かが見て見ぬふりをしていることが問題だと思います。私だったら、他人にどんなに自分がダメな親だとたしなめられてもいいから危ないと思ったら手や口を出してもらえたらありがたいです。「目を離したスキに」をしって見て見ぬふりをしていた人も同罪です。
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 質問者さまがおっしゃるような場面、わたしもよく見かけます。


 わたしは、一人で遊び回る子どもに親御さんのところに戻るよう声をかけてあげますが、たまに親から「うちの子に何をしたんですか!!」などと逆ギレされることがあって、いやはや暮らしにくい世の中になったなあ、としょぼくれる毎日です(笑)。

 まず法律的な質問についてお答えすると、殺人罪に問うためには殺意がなければならないように、保護責任者遺棄罪のような罪に問うためには、子どもの親が遺棄罪の故意をもっていなければなりません。具体的には、子どもを放置することで、子どもがこのまま置き去りになって命や身体に危険が迫っても構わない、というような意思(故意)が必要となります。
 単に「目を離した」という程度では、子どもが置き去りになってもかまわない、というような意思があったとはちょっと言えないと思います。
 「目を離した」では、なかなか保護責任者遺棄罪に問うのは無理がある、と考えるべきでしょう。

 しかし、質問者さまがおっしゃるように、「目を離す」といっても、到底許し難いようなものもあります。たとえば、夏場はよく見かけるニュースだとおもいますが、親が子どもを車の中に放置して、パチンコに行ってしまったところ、子どもは暑い車内から出られずにそのまま熱中症になって死亡してしまった、というケースが悪質なものとして挙げることができるでしょう。
 実は、このようなケースでは、実際に保護責任者遺棄(致死)罪に問われた例があります。親は子どもを車の中に放置すれば、熱中症になって死亡することが十中八九分かっていたので、故意があると認められるからです。

 ですから、「目を離した」ということがすべて罪にならない、といえばウソになります。悪質なケースでは、罪に問われることがあります。

 しかし、それでも、質問者さまが「同情的な記事が多い」とお感じになられるのは、もしかするとマスコミの報じ方の問題もあるかもしれませんね。
 目を離したために子どもが亡くなった、というところまでは報じるけれど、その後、警察が親を保護責任者遺棄罪などで逮捕している事実までは追っかけて報じていないからでしょう。

 悪質な親は最後には刑事罰が科されることもある、ということをマスコミはもう少し報じたほうがいいかもしれません。少し目を離しただけだ、と言い訳すれば、親はなんでも許されると思ったら、大間違いなのです。
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7歳と4歳の子供がいます。



「目を離す」ことをひとくくりにしてしまうのは抵抗があります。
細心の注意をしていても四六時中監視することは無理です。
特に兄弟、姉妹が多ければ多いほど。
家事をしていれば目を離すことも出てきます。
外で遊ぶ時も、兄弟を連れて一人の大人(親)が見ていたとしても、
下の子がいたずらしたり、転んだり、そちらに気を取られている間に上の子が道へ飛び出した、川に落ちた、ということも出てきます。

ですので、質問者さんがおっしゃるように

>一体その時親は何をしていたのでしょう?

「目を離していたとき何をしていたか」、ということが一番問題になってきます。
しかし、ニュースではそこまで細かく説明しませんよね。
だいたいが、「目を離したすきに」で報道されます。
子供を持つ親としては、「目を離した」こと全てが怠けていた、放棄していた、とひとくくりに考えてほしくないです。

>それとも子供が亡くなったり負傷した時点で一定の制裁が加えられたと見なされているのでしょうか?

先ほど申し上げた、目を離していた状況が明らかに親の不注意であればそれが一番の制裁でしょう。
そうなってからでは遅いですが、そうならなければ分からない親達が増えていることも事実です。
そのいい例としてこんなことがありました。
6歳の子に段差の激しい急な石の階段を、
開いたままの無人のベビーカー持って降りてきたが注意や手伝いをしない。

2歳になりたての子を川で一人で遊ばせ様子を見るわけでもなく離れた場所でおしゃべり。
(水の中は大きな石がゴロゴロしていて藻がついているので滑る。
少し下れば流れが速くなるような場所)
母親は子どもがどこにいるかさえも知らない。そこら辺にいるんじゃない?程度。

おしゃべりしている間にボールを追いかけて道路に飛び出しそうになった4歳の子供を他のお母さんが気付き追いかけ、戻ってきた子どもに笑って軽く怒る程度。
どのお母さんも「いつも自由にやらせてるの」「いつものことだから~」と放任主義をアピール。
このような放任を勘違いしている人たちは子供の身に何か起こらない限り気づかないでしょう。

>車内でも子供が座席上や吊革で遊んでいるのに目もくれずおしゃべりに夢中の親
>同じ人種なのかなと推測しています。

質問者さんがおっしゃるように子供の行動監督を放棄している部分に対しては同じ人種かもしれません。
ただ、この場合は躾の問題が重要なのでひとくくりにはできないと思いますよ。
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なかなか難しい問題というか、痛ましい事故や事件は後を絶ちませんね。

特に親の気まぐれや虐待による事件では、「この子は何のために生を得てきたのか」と問いかけたくなります。
帰省中に祖父の操作するコンバインに巻き込まれたりとか、今後も同様なことは起るんでしょう。

どんなに幼い子供でも意思が働く以上、良くも悪くも保護者の考えに反する行動は、予測も難しいし、止めようがない。保護する立場でも人間ですからね、「うっかり」などとした故意ではない行動は意識していてもどうしようもならない。
肌身離さず、カンガルーのようにしていないと回避できないかもしれません。
ですが、車中に寝かしっぱなしで脱水症状なんてのは、「うっかり」には到底あてはまらない「保護責任者」としての不保護罪に該当させてもいいかとも考えます。これは、事件でしょう。事故じゃあないですよね。

以前にあった事故で、知人に子供をあずけて出かけたが、その子が用水路で溺死したという事故があって、その子供の親が知人を告訴しました。
その件が報道されると、その親は世間からすごくバッシングを受けて、告訴を取り下げたといった話もありました。あずかった方も処罰の対象ではなかったんだと思います。事件性はないですからね。

この事からも、なかなか責任の所在を付けるのは難しいことではあると思います。

電車の中の風景で、これもTV番組で「イソノキリコ」の体験談で、知人の子供があまりにも騒ぐから、“注意してやめさせないの?”と聞くと、
「きりちゃんは、まだ子供がいないから、わからないのよ。子供ができればわかるから」と言われたそうです。
さすがにあの「きりこ」も それはちがうだろう と思ったそうです。
こういった子供たちは、授業中もフラフラと出歩いたり集中できないで騒いだりしている子になっていくんでしょう。
これは、親の「しつけ」に該当する部類と思います。その親もね。

>児童の親は被害者扱いで同情的な・・・
こればっかりは、望んじゃいない不幸なことですからね。
明日は我が身として、子供には毎日のように言い聞かせています。
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 そう言いたくなるときも確かに・・ありますが、やはり親や子供にも色々あるように、色んなケースもありますから・・・。

事故に遭ったこどもの親がみんなグータラ・放任だと思われたら悲しむ人もあるでしょう、みんな親の言うことをよくきく、おりこうちゃんばかりではないですからね(笑)。毎日毎日言ってても、やっぱり今日も飛び出した挙句、事故に・・・なんてこともあるでしょう。親がどれだけ日々心を砕いても、遭遇してしまうことはあるんじゃないかしら・・。ウチなんてまさにそうでしたよ。ええ、ついには紐。付けてましたから。犬みたいと笑われても、死ぬよりはずっとマシ。と心を強く持って紐を引いてました。

実際、日本は目を離すことに対しては、非常に甘い国だと思います。
米国でしたら、厳しい基準があり、夜に、寝ている子供を残して夜バイトに出てたら、通報されますよ。子供は国に保護され、親は逮捕ものです。そして、日本のように、やすやすとは返してもらえません。

そういう米国でさえ、親が台所に立っているうちに、赤ちゃんじゃない、3歳くらいの子供がオモチャを喉に詰まらせて亡くなる、という事故も起こりますから、本当に子供って目が離せません。

本当に親のグータラが原因の場合は、親が罪に問われてもいいんじゃないか、とは思います。だけど、子供を守るための法律でしょ、それって。
母親が逮捕されて刑務所などに入ったとして、前科持ちになってしまって、・・とフツーに今の日本を考えると、その後の子供は余計に不幸になってしまいかねないのでは・・・・と。

社会や国が、国家の財産『子供』を守る、という考えや、そのためのシステムが甘い日本です、まずはそこから整えないと、そこまでの法整備はできないと思います。米国はそこまでのシステムが整っているからこそ、できるのです。
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 残念ながら子供にひもをつけることが出来ません。

家事をする場合もありますし、ずっと監視し続ければ過保護と言われますしね。

 私は危険な箇所などは出来るだけ監視したり、手をつないで行かないようにするのですが、トイレとかになると難しいですよ。

 周囲の大人が危ない事をしていても注意をしない事もありますからね。親だけに責任を持たせすぎです。

 ただ、故意に車に放置とかでしたら、犯罪としてみてもいいかもしれませんが、実際には難しい事も多いですよ。子供を持って、外に出たときに対処できないことも多いですから。
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お世話になります。


数年前六本木ヒルズの回転ドアで子供が挟まれ死亡した事故がありました。また線路に子供が進入して列車にはねられる事故も毎年多く見かけます。
共通することは「親が目を離したスキに」という毎度お馴染みのフレーズです。一体その時親は何をしていたのでしょう?

 家に居るときは、揚げ物を揚げていたり、洗濯物を干しているときではないでしょうか?これは、TVの見過ぎかもしれませんが、よくあるシチュエーションです。外に居るときは、財布を落とした、あるいは道を聞かれたなどがあります。

事故未満の状態ではありますが、電車内でも子供が座席上や吊革で遊んでいるのに目もくれずおしゃべりに夢中の親もよく見受けられますので、「目を離した」親連中も同じ人種なのかなと推測しています。実際どうなのでしょう?
 一つにくくるのはよくないと思います
だって、いろいろな場合がありますから、しかし電車ないのは注意するのがぎむだと思います
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