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えと(干支)は十干と十二支の組み合わせで年を表すものです(ちなみに今年は辛巳)が今は「えと」で十二支のことをいうと辞書にも出ていますが、いつ頃から「えと」が十二支を表すようになったのか、干が言われなくなったいきさつも知りたいのですが。
また、丙午のように特別に縁起が良くない年、良い年と言われている年はあるのでしょうか。

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A 回答 (4件)

 こんにちは^^


 質問がどんどん深くなって行く中、歯ごたえの塊を感じつつまた掘り下げる喜びを感じつつあります^^
 混乱してきたので、いったんここで「えと」の歴史を整理してみました。
 十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)と十二支(子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)を組み合わせた60干支で、年月日を数える方法です。十干十二支でした。中国で生まれ殷代に日を、春秋戦国時代に年を表していたそうです。漢代に五行説(木火土金水)と結びついた、とあります。
 といったことから、ご指摘の通り「十干十二支=えと」というのが本当の形なのでしょう。以前の回答に五行も含むといった誤りを訂正致します。すいませんでした。
 
 ならば、五行はどういった役割なのかと言うと、易(えき)すなわち占いに用いる為に結びつけられたのだと思います。現在も用いられる占いとして次の方法があります。一日一干支として、60日60干支とします。例えば「甲子」(きのえね)の日に生まれたとします。生まれた時刻と照らし合わせて、この者はこれこれこうゆう人生を送るだろう、と占うわけです。実際に書籍もあります。
 
 あと、行を含めるとすると・・(以下略、すいません。)の質問ですが、五行・十干・十二支表が私の手元にありますが、

                         十二支
                  子(鼠)   丑(牛)   寅(虎)
五行・十干
木(き)  兄(え) 甲(きのえ)  (1)甲子        (51)甲寅
     弟(と) 乙(きのと)         (2)乙丑          
火(ひ)  兄   丙(ひのえ)  (13)丙子        (3)丙寅
     弟   丁(ひのと)         (14)丁丑          
  となっています。五行が結びついているからといって、呼び方が変わるというのはまだ聞いたことがありません。もし木甲子、木乙子・・・というものがあれば120干支になってしまいますので、行は先述した通り、占いとして材料?(という言い方でいいのかな?)なのでは。

  いよいよややこしくなってきました。とりあえず、ここで終わります。お返事お待ちしております^^
 
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 呼ばれてまた来ました^^


 お気づきかと思いますが、本来のえと(干支)は五行(木・火・土・金・水)、十干、十二支をあわせたものです。お手元の資料に書かれていればよろしいのですが・・・。
 ご質問にあった丙午(ひのえうま)は、五行で表すと「火」の性質を持っており、特に気性が強いことを表すと言われて続けています。
 近年まで女性がこの年に生まれると、男性の身を滅ぼすとして忌み嫌われていました。なぜそうなったかといいますと、江戸時代に起きたある事件によってです。
 「八百屋お七」という人物をご存知でしょうか?彼女は、天和二年の大火で焼け出され駒込正仙寺に非難した際、寺小姓の生田庄之助に恋をしました・・・・・。
そののちも彼に対する恋心が募り、火事になればまた会えるはず、と思い余って自分で町に火を放ってしまったのです。その時の彼女の生まれ年が、「丙午」だった為、人々は丙午生まれの女性を避け続けてきたのです。
 ということが、ご質問に対する自分なりの^^答えです。
 余談ですが、この時お七の放った火によって起きた火事を「振袖火事」と言ったと記憶しています。(間違いでしたら申し訳無いです)古典にこの事を物語として扱っている本があります。題名は忘れましたが、ご覧になってはいかがでしょう。私は見ました。
 但し、いくらか脚色されていたと思いますので、私が今書いた内容もごちゃまぜになって、事実とずれているかもしれません。
 だらだらとした雑文でしたが、お聞きくだされば幸いです。それではお元気で。
 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
振袖火事の八百屋お七が丙午であった話は聞いたことがありました、思い出すことができました。
火には丙と丁がありますね。丙が、お七の火事と結びつきそれ以来お七の誕生年の丙午の迷信が始まったのですね。納得しました。
五行には木に甲乙、火に丙丁のように兄(え)弟(と)があり十干とするとあります。
えとはやはり十干と十二支の組み合わせをさすのではないでしょうか。
行を含めるとすると、木甲子、木乙子、火丙子、火丁子という年になるということになりますがそのような言い方があるのでしょうか。

お礼日時:2001/04/04 06:21

 こんばんは。


 日本史辞典を紐解いて見ますと、干支(えと)→干支(かんし)というのが本来の読み方みたいです。
 江戸時代には十二支だけで「えと」として、年を表したと記述してあります。理由はかいてませんでした^^
 あとは、縁起が良い年、良くない年は?とのご質問でしたが、歴史を見ますと
「戊辰戦争」・・・戊(つちのえ)辰(たつ)
「壬申の乱」・・・壬(みずのえ)申(さる)
といったものがあったので、当時の人々はこれらの年を畏れていたのではないでしょうか?
 実は今日この質問を見て、はっと思い、調べました。間違っていましたら申し訳ありません。が、良い勉強をさせていただきました。それではお元気で。 
 
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この回答へのお礼

江戸時代からすでに干支を表すはずの「えと」が支のみを表すようになったのですね。ありがとうございました。
「壬申の乱」は壬申の年に起こったから言うのだと思います。
たまたま60年毎の壬申の年に良くないことが続いたりすると不吉な年になるのでしょうね。
丙午はどうしてあのような迷信が流布されたのでしょうね。馬と関係あるのでしょうか。また質問になりました。

お礼日時:2001/04/03 22:55

干支は本来「兄(エ)弟(オト)」の意で用いられていました。


年の場合は同一の組み合わせは六十年毎に再現されているんです。
その理由は十干に対し、十二支の方が二項多いので、順次組み合わせが
ずれて行き、両者の末尾が再び揃い、最初の組み合わせに戻るのに六十年かかる事によるからです。
本卦還(ほんけがえ)り・還暦・華甲など

時代は旧暦(月の満ち欠けを基準として作った暦)の頃です。
良くない年や良い年というのは一般的にはありませんが、
神や鬼の存在が信仰されていた時代や仏教などではあったようです。
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この回答へのお礼

知りたいのは十二支のみを「えと」と言うようになった歴史ですが。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/03/22 06:15

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