心について科学哲学の立場で勉強していますが、壁にぶつかってしまいました。
それは、心について、哲学の立場で説明することと、科学の立場で説明することの違いが判らなくなってきたのです。

 哲学では、心に関する「概念」を論理分析していくことだ。科学では、「仮定」と「実験」で理論を実証していくことだ。との説明がありました。しかしながら、哲学での「概念」は当然のこととして科学理論をも踏まえたものであります。

 そうすると、哲学の概念の中にも科学理論が内包されているわけで、そのような概念とは、科学理論とどのような違いがあるのだろうか、という疑問に突き当たってしまったわけです。

 これは、哲学するとはどのように思考展開していくのかという疑問にも通じることです。アドバイスと参考文献の紹介をお願いします。

A 回答 (83件中1~10件)

 けっこう固まってきました。

「内部観測」に関して、自分の理解にまだまだ修正の余地があることを自覚していますが、自分が知る領域に引き付けてある程度把握できた気がします。
 ここでも回答されているmotsuanさんの質問「人間にとって物語とは何なのでしょう?」(下記URL参照)への私の回答No.8で書いたのですが、「ガダマーの解釈学」。これで途中までは行けそうです。それをここに再掲(コピペ)するのはいくら何でも暴虐ですので、そちらはそちらで軽く目を通していただくとして、ここでは簡単にかいつまんで書きます。

 ガダマーは、ある文章(特に古典)が内包している「意味」を客観的に読み取ることは不可能だと断じています。というのは、文中のある単語の意味はそれが置かれた文脈に規定され、その文脈もまた文章全体の中で位置付けられて意味を持ち、さらにはその文章そのものが、それが書かれた社会や時代背景という大きな「文脈」の中で意味を持つものだからです。「客観的に」読み取ろうというのであれば、それらすべてが「客観的に」把握されていなければなりません。ところが、逆に見ると、文脈は単語から形成され、文章全体は文脈から形成され、社会や時代背景はその文章を含む雑多な文物から形成されています。つまりここには「どうどう巡り」が生じてしまう。単語と文脈、文脈と文章、文章と社会は、互いに他方に依拠して支えあっている。…どちらか一方が「客観的に」固定されていれば、他方も客観的に固定できる見込みも立つのですが、それは事実上不可能です。したがって、ガダマーは「文章の客観的読解は不可能だ」とするのです。
 このあたりの問題の枠組みは、内部観測論の「内部観察者」と「観察対象」との関係にきわめて近いものがあると感じました。完結した系を外部から観察する「外部観察者」とちがって、内部観察者は完結していない(開放系の)系の中で、対象を同定する「文脈」、その文脈を規定する文脈、その文脈を…という無限遡行を強いられるのです。ここでも「客観性」というものは、素朴な自然科学が前提する「カルテジアン・カット」のように簡単には得られません。

 さてしかし、ここでガダマー先生には「脱臼」していただかなくてはなりません。百歳を越える御高齢なのですが…。
 というのは、やはり問題が「人の心」となりますと、ガダマーがテクストを相手に構想した解釈学とはまた別の問題が生じるからです。
 ガダマーが相手にしたのは、あくまでも「古典」でした。現代のわれわれと、過去との間の「文脈」の差異、これがあるがゆえに「問いと答えの弁証法」が生じ、テクストと読者の双方を巻き込んだ運動となり、その中で「地平」が融合していきます。その運動全体こそが「真理」であると彼は述べています。そこでの「真理」は、それが掴まれてしまえば運動が終結するというような「客観的な」ゴールではありません。無限の、開放系の弁証法です。
 前の書き込みでも述べましたように、人間および社会を相手とした知は「開放系の知」であらざるをえません。ガダマー解釈学も開放系の知にはちがいないのですが、それでも既に完結した「テクスト」、および既に完結した「過去」を相手にしています。これに対し、私たちが考えようとしている「心」は、現在のものを当然含みます。したがってなおのこと「完結していないもの」と言えましょう。テクスト以上に。
 この点に注目しますと、例えば「人間とは何か」という設問は次のように分解できます。すなわち、
   「人間は何であったか」(過去への視線)
   「人間は何でありうるか」(未来への視線)
です。
 前者については、一定の時間の区切りさえつければ、何とか答えが得られる可能性があります。ところが後者に関しては、やはり未来というものの本質的原理的予測不可能性ゆえに決して解答は得られません。また、過去は常に「現在」が積み重なっていくことで膨大に膨れ上がっていきます。そのことを考えると「過去」を片付けるのも容易ではありません。
 同様のことが「心とは何か」という問いに関しても言えるでしょう。この問いもまた、
   「心とは何であったか」
   「心とは何でありうるか」
という二つの問いに分けられます。以前予告申し上げていた「文学っぽいアプローチ」というのは、実はこの前者の問いに関わるものでした。「心の真実の姿を覆い隠しているかもしれない《近代の神話》」を剥ぎ落とすために、過去のさまざまな時代、さまざまな地域との間に「問いと答えの弁証法」を経験することを通じて「心」というものを見ていく…そういうようなことでした。
 でもやはり、それだけでは話は済まない。…と、こう来ますと、satonohukurouさんの問題意識である「幻影肢」からはガンガン話が飛びまくるわけですが、本質的に予測不可能が未来が絡む以上は、少なくとも「心の可能態」に関して説明するところまでは行っていないと「心の哲学」として充分なものにはならないのではないかと考えます。これ、ものすごいことですので、もちろんsatonohukurouさん独りでやれってことじゃないです。関連学界全体でそっちもやんなきゃいけないのではないかと。
 「心の可能的なあり方」だと、まずは「脳」。心を担う物質的基盤として。心的内容を納める器として。
 そして「心理学」。…以前の書き込みをお読みいただいてお分かりと思いますが、私は過去、および現行の心理学にはあまり厚い信頼は寄せていません。一定の有効性はあるでしょうが、いつでも「エセ科学」に堕しうる。少なくとも思索の素材を提供する学、そしてできれば、素朴実在論的実証主義を乗り越えた学となってくれれば…と願います。
 でもって「哲学」。人間および世界を捉えようと試みる知としての。
 要するに物質的基盤から観念に至るまでの多層的なレベルのどこかに還元するのではない、その全体が絡み合った複雑系として「心」を眺めてみる必要があるのではないかと思うのです。それができるのは「科」に分化した「学」たる「科学」ではなく、哲学でしょう。

 幸いなことに、前の書き込みでも紹介しましたように、カオス論などへの注目あたりから、科学の側から人文諸学への歩み寄りが始まっております。「カオス」というのは、解釈の対象たる「自然」の側から人間に突きつけられた「否」であろうと思うのです。「問いと答えの弁証法」を稼動させるところの「否」。それに科学はようやく耳を傾け始めた。ですが哲学を初めとする人文諸科学は、太古の昔から一意に還元できない人間的諸現象を宿命的に、当たり前に相手にしてまいりました。この点からして、「歩み寄り」は「科学の側からの」歩み寄りです。人文諸学の側からではなく。
 ここから、「哲学の見方」と「科学の見方」という両者の区別には神経質になりすぎることもないかな、とも思えたりするわけです(哲学と科学を截然と区別すると、哲学もまた仕切りの中に囲われた「科-学」の一つに成り下がることにもなりますし)。ただ、「科学」が示すことどもを盲目的・無批判に受け容れるのではなく、その知の成立基盤を問い、疑い、検証しつつ取り込む…そういうことでよいのではないかと考えます。

 何やら話が拡散して、ご研究には直接役立つ範囲を逸脱しているのではないかと恐れますが…いかがでしょう。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=39578
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この回答へのお礼

ご回答の皆さまへ

 No50 の回答にお礼をし書いている現在も、議論ははるかに先を行っております。お礼が遅く申し訳ございません。serpent-owl さんから結論をいただきましたので、少しコメントさせていただきます。

serpent-owl さまへ

 長い間、本当にありがとうございました。また返礼が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。serpent-owl さんにゼイゼイと息を切って、振り落とされまいと、付いて行くのがやっとという状況です。
 多岐にわたるご回答をいただきましたが、お礼としてまして、私の最大の関心事に限定し理解できたことと、私の本質問から得た私の考えを述べたいと思います。

 「心」に関する「知」が有する性質=「開放系の知」であり「完結していないもの」である。このパースペクティブからは「過去への視線」と「未来への視線」が得られる。
 過去は現在の累積でありその無限性から説明が困難である。未来は本質的原理的に予測不可能である。予測不可能性から少なくとも「心の可能態」に関する説明が必要ではないか。すなわち、「脳」、「心理学」、「哲学」など、いわゆる物から観念までの各階層のいずれかに還元するのではない『その全体が絡み合った複雑系としての「心」を眺めてみる必要』がある。

 科学は、自らの拠り所であった実証主義から現象(世界)を説明することに限界があることの自覚から人文諸学への歩み寄りが始まっている。このような現況からすると、「哲学の見方」と「科学の見方」の区分に神経質になることもないのではないか。要は、真理を追究する態度で重要なことは、「その知の成立基盤を問い、疑い、検証しつつ取り込む」ことではないのか。

 大変貴重なそして重い回答でした。心という事象をいかに説明するのか、ということを勉強していくうちに、哲学での分野での説明と、科学での分野での説明の態度に疑問を持つようになりました。それは、哲学で使用している心に関する知識は科学的知識をも根拠としてしているのではないか、それなのに科学において心は学の対象足りうる資格を有するのかという問題を有するのではないのか、この2つの疑問のために、一体「心を説明する」と言うことはどういうことなのだろうか、という問に突き当たる羽目に陥ってしまったのでした。

 serpent-owl さんの回答から私が学んだものは、

「心の性質(本質)を理解せよ、そしてそこから出発せよ。既存の論理に還元するな。」

でした。

 serpen-owl さんは、心の本質を「カオス」ととられておられました。「開放系の知」としての本質です。先に引用しました「心の科学は可能か」(土屋 俊、認知科学選書)で、土屋は結言に代えて心の説明の困難性について、心の「文脈依存性」を指摘しています。すなわち「私」と「社会」を内容に含む概念は形式的処理が困難である、としています。serpent-owl さんの回答にも通じるものがあると感じました。

 そこで、心の概念を説明していくうえで問題とすべきは、「複雑系」、「文脈依存」で性格づけられる心を説明するに相応しい「論理」を見出していくことだと思います。心の概念を説明する論理として「カオス」、「量子論」、「進化論」・・・(たぶん他にもあるはずですが、これから勉強していきます。)が議論されているのだと思います。
 
 「心の可能態」に思いをいたすと、なんだか「心」がますます果てしなく遠くのものになるように感じますが、とりあえず、第一歩を踏み出すために、私に何ができるかを考えてみたいと思います。

本当に貴重なご意見ありがとうございました。多くの方に参加していたできましたので、その方々にお礼をしなければいけません。もう少しオープンにしておきます。そして、少しずつ終末態勢とさせていただきたいと思います。

お礼日時:2001/04/08 17:26

 これ以上質問者を煩わせるつもりはありません。

「的外れ」との趣旨は充分に立証されたと思いますので、私は満足です。

 予定通りに質問をお締めください。>satonohukurouさま
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よく考えてみたが、やはり、私は私自身の「学への誠実」を


serpent-owl氏に対して見せつける必要があると感じた。

だから全知全霊を込めて彼の「内発神話」がいかに矛盾しているかを示そう。

>センサーを与えたとして、そこに受けた刺激を「痛い」という
>ネガティブな意味を持つものと判断すること。これをプログラムして
>外部から「教える」のではなしに、機械自身が内発的に判断できる
>ようになるにはどうせねばならないか…。
> これは、その刺激と「機械自身の破壊」とを、機械自身が自発的に
>結び付けるように判断できて初めて実現されましょう

ここで、serpent-owl氏は
「痛みという刺激がネガティブであると
 機械自身が内発的に判断できるようになるには
 どうせねばならないか…。」
と問い
「その刺激と「機械自身の破壊」とを、
 機械自身が自発的に結び付けるように
 判断できて初めて実現されましょう」
と答えている。

比べてみれば分かるが、違いは
ネガティブの意味が機械自身の破壊という
具体的な事象に置き換わっただけで、
内発的=自発的と同語反復的な説明に
終始している。

>さらに「機械自身の破壊」という事柄が、機械自身にとって
>ネガティブな意味を持つということ。これもプログラムとして
>外部から「教える」のではなしに、機械自身が内発的に
>判断できるようになるには…?

> これも可能かどうかは別として、機械が「死の観念」を
>自発的に持つことが要件となりましょう。そのためには
>「存在しつづけることの意義」を機械が内発的に持つ必要があり、
>それは次世代の再生産であってもよいかもしれませんし、
>果たすべき何らかの使命であってもよいかもしれません。

ここでも、結局、破壊から死という陳腐な連想を行うに留まっている。
しかしながら、彼は本質的な問題を見逃している。
痛みを不快と感じるために、破壊とか死とかいうより高度な知的観念を
必要とせねばならないとしたら、赤ん坊はなぜ痛みに対して泣くのか?(笑)
赤ん坊が、破壊とか死とかいうことを意識した上で痛みに反応しているとは
とても思えない。我々にしたところで、痛みに対する不快感はわざわざこの
ようなことを意識した上で感じているわけではない。

>しかるに、fwappyさんは、「痛いのがイヤだというのに、
>いちいち「自分の破壊につながる」と意識するんだとよ」
>と述べておられます。…順番が、逆なのです。
>「自分の破壊につながる」ことが判断可能という前提があって、
>初めて「痛いのがイヤだ」という判断に至りうる、
>これが、上記に示しましたように、私の見解です。

逆じゃないでしょう。貴方、文章を読めないんですか?

「自分の破壊につながる」と意識したから
「痛いのがイヤだ」というのか?と私が問い
それに対して
>「自分の破壊につながる」ことが判断可能という前提があって、
>初めて「痛いのがイヤだ」という判断に至りうる、
と答えるならば、まさに同じことを言っていると
いうわけです。35にならなくたって分かること。(笑)

私が思うに「痛み」も「不快」も我々が感じるような意味では
絶対にプログラミングできない。そんなことは分かり様がない
からです。

しかしながら、それはプログラムが痛みや不快の感覚をもたらさない
という意味ではない。結局のところ、我々は何かを表す場合に、他者の
視点でしかそれを記述できないことが問題なのです。

すなわち我々が「痛みを不快と感じる」ことに対して、その現象を
外から解釈すれば、serpent-owl氏のような解釈も出来るだろうが
そのことは、我々が感じていることのリアルな表現足り得ないという
ことです。

serpent-owl氏の問題点は、「内発的」といいながら、
相変わらずシミュレーションの実行者の視点でモノを
見ていることにあります。しかしながらシミュレーション
の実行者は、シミュレーションに対して他者なのですから
そこからの説明に内発もヘッタクレもないのです。
結局彼はホムンクルスを中に抱えこんでしまったわけで
その時点で袋小路に入りこんでしまったのです。
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serpent-owl氏のNo.83へ



それが「学への誠実さ」かね?

ああ、彼に20点という「エサ」を与えてやってくれ(笑)
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 fwappyさんのNo.82につき。



 再反論の必要はないようです。
 予定通り、質問をお締め下さい。>satonohukurouさま
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serpent-owl様


>まず、#77「中国語の部屋」の話、「ある意味で反論」というのは、
>もちろんfwappyさんへ向けたものです。同時に、認知科学における
>「心の問題」に関する議論についての、質問者に対する情報提供の
>性格もありますので、「回答」としました。

「中国語の部屋」から
「心のシミュレーションが、もとの心それ自身と同じ現象を再現しない」
という結論を引き出すのはよい。しかしながら
「心のシミュレーションは、心ではない」
というなら、それは誤りだと言わざるを得ない。

> 二点目。「ぶたれると痛いぞセンサー」について。
>「揚げ足取り」に近いですが、これは有効なご批判として受け止めましょう。
>が、この点は当方の立論の主要な骨子には何ら影響はありません。

まあ、せいぜい虚勢を張られるが宜しいでしょう。

> 三点目。
>>貴方の見解は単に貴方がプログラムに心を感じられないことと
>>心がないことを混同しています。
>について。
> 私は混同していません。
>「プログラムで心を再現できても、それが心の創造であるとは言えない」
>としているだけです。「心ではない」と断定していません。

「「ある」とは言えない」だけをいうのが不適切だとは
一度もお考えになりませんでしたか。

私なら「あるともないとも言えない」といいます。
すなわち、そうかもしれないしそうでないかも知れない
ということです。

>「中国語の部屋」の話を何のために紹介したと思っているのですか。

では「中国語の部屋」はなんだと思っているのですか?

>あの話は、
>「部屋の中にいる人が本当に中国語がわかっているのかどうか、
>部屋の外の人間には決定不可能である」ことを示しています。
>プログラムで心を再現した場合についても同様です。
>これを外部から観察している人間には、それが心であるかどうかは
>決定できません。私はこのことを主張しました。

そうは聞こえなかったな。

貴方は「中国語を分かったとはいえない」とだけいった。
「中国語を分かってないとはいえない」とはいわなかった。

>したがって、
>>私が言いたいのは、人という「プログラム」が明らかに心を
>>持っていると感じているのに、それを外から見た限りでは
>>その心がいかにして存在しているのか解き明かせない
>>だろうということです。
>とのご見解は、まさに「私serpent-owlの主張したところのもの」であって、>>fwappyさんの主張したところのものではありません。

ほほう。私がいったのではウソで、貴方がいったのなら本当か?
それが貴方の誠実か?独善といいなおしたほうが宜しいのではないかな。

もし同じだというなら「結構ケッコウ」といえば宜しいのではないかな?

>#77にて、「哲学の根本問題の一つである他我問題」に絡めて
>「隣に座っている人に「本当に心があるのか」確証できない」と、
>私はすでに述べております。この論点は私が主張したもので
>あることはここからも明らかでしょう。

だからどうだというのかな?

まさか、本気で
「オレがいうのはいいが、キサマがいうのはけしからん」
と3歳のコドモのようなことをいうのではあるまいね。

> 念のため、fwappyさんの#73を再び引用しましょう。
>>「ほほう、コイツおもしれえぜ。痛いのがイヤだというのに、
>> いちいち「自分の破壊につながる」と意識するんだとよ。
>> だいたい、センサをつければ何かを感じるだろうが、
>> そいつが痛いのか痒いのかどうやってプログラミングすんだよ?
>> そんなことできねえだろ。結局感じた後の振る舞いまで面倒
>> みなくちゃなんねえんじゃねえのかい?」
> #72の私の書き込みに関し、fwappyさんが提示した批判はこれだけです。
>たったこれだけです。

ああ、ところで、これの意味がまだ分からないのかね?

要するに君がいう内発的の意味が
「「自分の破壊につながる」と意識すること」
だというならこれほど馬鹿げたウソはないと
いうことだ。

誰に聞いても痛みがこのような意識から
生まれるとはいうまい。痛いものは痛い。
そこにはなんの意識される理由もない。
だからこそ痛みがどこからくるのかは謎に
満ちているのだ。後付けの説明で納得できる
なら苦労はない。

>やはり「学への誠実さ」は大切ですよ。

自尊心の誤りでは(笑)

>これを持たず依怙地に固執すれば、今度のように
>かかなくてもよい恥をかくことになります。

ああ、それは自戒の言葉ですか?
私は別に恥ずかしいことなどないですよ(笑)

我々の心は我々自身によって生み出されたものではない。
気がついたときには何故だか知らないが意識があった。
この「不条理」こそが重要なのだ。そうは思わないか?
serpent-owl氏よ。
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 はあ…お気の毒に…。

的外れな批判の次は詭弁ですか。困ったお人だ。おっと、もちろんこれはfwappyさま宛てですよ。
 じゃ、#80につき少しずつ見ていきましょう。

 まず、#77「中国語の部屋」の話、「ある意味で反論」というのは、もちろんfwappyさんへ向けたものです。同時に、認知科学における「心の問題」に関する議論についての、質問者に対する情報提供の性格もありますので、「回答」としました。
 fwappyさんに対しては「ヒント」というつもりだったのですが…。

 二点目。「ぶたれると痛いぞセンサー」について。
 「揚げ足取り」に近いですが、これは有効なご批判として受け止めましょう。たしかに言葉の用い方が不適切でした。単に「物理的な刺激を感知するセンサー」とでもしておけばよかったのですね。ではお詫びした上、そのように訂正いたしましょう。
 が、この点は当方の立論の主要な骨子には何ら影響はありません。

 三点目。
>貴方の見解は単に貴方がプログラムに心を感じられないことと
>心がないことを混同しています。
について。
 私は混同していません。「プログラムで心を再現できても、それが心の創造であるとは言えない」としているだけです。「心ではない」と断定していません。
「中国語の部屋」の話を何のために紹介したと思っているのですか。あの話は、「部屋の中にいる人が本当に中国語がわかっているのかどうか、部屋の外の人間には決定不可能である」ことを示しています。プログラムで心を再現した場合についても同様です。これを外部から観察している人間には、それが心であるかどうかは決定できません。私はこのことを主張しました。したがって、
>私が言いたいのは、人という「プログラム」が明らかに心を
>持っていると感じているのに、それを外から見た限りでは
>その心がいかにして存在しているのか解き明かせない
>だろうということです。
とのご見解は、まさに「私serpent-owlの主張したところのもの」であって、fwappyさんの主張したところのものではありません。#77にて、「哲学の根本問題の一つである他我問題」に絡めて「隣に座っている人に「本当に心があるのか」確証できない」と、私はすでに述べております。この論点は私が主張したものであることはここからも明らかでしょう。

 念のため、fwappyさんの#73を再び引用しましょう。
>「ほほう、コイツおもしれえぜ。痛いのがイヤだというのに、
> いちいち「自分の破壊につながる」と意識するんだとよ。
> だいたい、センサをつければ何かを感じるだろうが、
> そいつが痛いのか痒いのかどうやってプログラミングすんだよ?
> そんなことできねえだろ。結局感じた後の振る舞いまで面倒
> みなくちゃなんねえんじゃねえのかい?」
 #72の私の書き込みに関し、fwappyさんが提示した批判はこれだけです。たったこれだけです。これのどこをどう読めば、「私が言いたいのは、人という「プログラム」が明らかに心を持っていると感じているのに、それを外から見た限りではその心がいかにして存在しているのか解き明かせないだろうということです」という内容を表現していることになるのか。さらにはまた、「私は貴方が掲げている的が本当に重要なものかどうかについて、別の的を掲げることで、異議を呈しているのですよ」とありますような「別の的を掲げる」箇所がどこに見出されるのか。…fwappyさん、答えられますか? 読者の皆さん、読み取れますか?
 #80におけるfwapppyさんの上記発言は、私の#79を「読んだあとで新たに考え出した論点」です。「心がないことと混同している」という点は、またしてもfwappyさんの誤読ですし、「心があるかどうか決定不能」という点は私の主張する論点を剽窃するものであり、「別の的を掲げる」という点は、仄めかしすらしていない論点の後付けであり捏造です。
 相手の見解を不当に歪曲し、剽窃し、勝手に論点を捏造する…これらはすべて、まことに恥ずべき詭弁であると申し上げざるをえません。総じて「見苦しい言い逃れ」の典型となっております。

 やはり「学への誠実さ」は大切ですよ。これを持たず依怙地に固執すれば、今度のようにかかなくてもよい恥をかくことになります。これは忠告です。

   *

 さて、時間切れが迫っております。フェアプレイの精神から、fwappyさんに反論を用意する充分な時間を差し上げたく、少々急いで書きました。表現上、至らぬ点もあったかもしれません。
 また、私の方からの反論は、とりあえずもう必要ないと思います(というか、そう思いたいです)。この議論に関する裁定はsatonohukurouさんにお任せします。
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serpent-owl様


>fwappyさま、前回の回答#77「中国語の部屋」の話が、
>ある意味で「反論」になっていたのに気付かれませんでしたか?

誰に反論しているのですか?(にやにや)

No.72で

>では「ぶたれると痛いぞセンサー」を機械に与えましょう。

と書いたのは、貴方ですよ。私ではありません。

要するに「ぶたれると反応するぞセンサー」は作れるが、
そいつが「痛いぞ」センサーだということは作った人には
いえないってことですよ。

>「プログラムして心を再現してもそれは心とは言えず、意味が無い」
>というのが私の見解であるのに対して
>「どうやってプログラムするのか、そんなことはできないだろう」
>と仰せになっている点が「的外れ」なのです。

貴方の見解は単に貴方がプログラムに心を感じられないことと
心がないことを混同しています。
私が言いたいのは、人という「プログラム」が明らかに心を
持っていると感じているのに、それを外から見た限りでは
その心がいかにして存在しているのか解き明かせない
だろうということです。私は貴方が掲げている的が本当に
重要なものかどうかについて、別の的を掲げることで、
異議を呈しているのですよ。

貴方が私の指摘をどううけとるか貴方の自由ですよ。

もちろん「混同」に固執するのは随意です。
それが貴方の言う「誠意」だというなら。

ただ私はそのような態度を「頑迷」と呼ぶし、
貴方の誠意を「自省の欠如」と呼ぶだけ
のことです。
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 ふくろうです。

へびくんは今、生卵を殻ごと丸呑みして「ちゅうとはんぱなつちのこごっこ」をやっており、口がきけませんので、私が代わって。
 fwappyさま、前回の回答#77「中国語の部屋」の話が、ある意味で「反論」になっていたのに気付かれませんでしたか? すぐ下にありますので繰り返しませんが、要は「人工知能による心の再現は心そのものの創造とは言えない」という立論です。
 #72のおしまいの方に書いた人工知能の話も同じ趣旨でした。「ハードウェア外部からプログラムされた反応系が、あたかも人の心のような反応を示すということと、機械そのものが内発的に「心」を獲得するということとは別のこと」とした上で、「前者はシミュレーションにすぎない」と申し上げております。またこの論点は、#29の「分けられるようで分けられない部分というところをクリアすれば、コンピュータやロボットにも、外部からプログラムされるのではない形で内発的に快と不快を感じたり、「心」を持ったりする可能性が開かれるのかも」しれないと述べたこととつながっております。(続く#30で、fwappyさんは「賛同」とまでは言わなくとも「興味深い」と仰せですね…)
 あらためてまとめますと、#72終盤での私の意見は「外部からプログラムするのではなしに機械に心を獲得させることは、不可能ではないだろうがきわめて困難である」というものです。

 ではここで、「コブラおにいちゃんのかぷっ!」を検討いたしましょう。#73より引用します。

>「ほほう、コイツおもしれえぜ。痛いのがイヤだというのに、
> いちいち「自分の破壊につながる」と意識するんだとよ。
> だいたい、センサをつければ何かを感じるだろうが、
> そいつが痛いのか痒いのかどうやってプログラミングすんだよ?
> そんなことできねえだろ。結局感じた後の振る舞いまで面倒
> みなくちゃなんねえんじゃねえのかい?」

 まず手短に申しますと、「プログラムして心を再現してもそれは心とは言えず、意味が無い」というのが私の見解であるのに対して「どうやってプログラムするのか、そんなことはできないだろう」と仰せになっている点が「的外れ」なのです。私は「プログラムしてもしょうがない」と言っております。「プログラムなどできない」という批判は、私の見解が「そうしたプログラムは可能だ」と主張するものである場合には有効です。が、私はそうした可能性に関しては「それが可能だとしても」と仮定しているにすぎません。
 fwappyさんのご批判は、「月の裏側に住めるとしても、さみしいからいやだ」というのに対して「ほほう、どうやって月の裏側に住めるっていうんだ? ほら、言ってみろ(にやにや)。言えないの? 見苦しいね」と突っ込んでいるのと同じことです。「空振り」であり、「自爆」とも申せましょう。

 もう少し細かい点も見ておきます。#72では、具体例として「ぶたれると痛い」という心的内容を「外部からプログラムすることなしに」、いいですか? 「外部からプログラムすることなしに」獲得させるにはどうすればよいか、を考えています(そうでないと「心の獲得」とは言えないだろうという意味で)。
 センサーを与えたとして、そこに受けた刺激を「痛い」というネガティブな意味を持つものと判断すること。これをプログラムして外部から「教える」のではなしに、機械自身が内発的に判断できるようになるにはどうせねばならないか…。
 これは、その刺激と「機械自身の破壊」とを、機械自身が自発的に結び付けるように判断できて初めて実現されましょう(これも、仮に可能だとしてです)。
 さらに「機械自身の破壊」という事柄が、機械自身にとってネガティブな意味を持つということ。これもプログラムとして外部から「教える」のではなしに、機械自身が内発的に判断できるようになるには…? (そうでないと、結局「痛いはイヤだ」につながりませんから。)
 これも可能かどうかは別として、機械が「死の観念」を自発的に持つことが要件となりましょう。そのためには「存在しつづけることの意義」を機械が内発的に持つ必要があり、それは次世代の再生産であってもよいかもしれませんし、果たすべき何らかの使命であってもよいかもしれません。すると、その認識はどうやって自発的に持てるようになるか…。
 …と、こうなりまして、結局「きわめて困難」ということになる。#72の具体例は、このことを示しております。
 しかるに、fwappyさんは、「痛いのがイヤだというのに、いちいち「自分の破壊につながる」と意識するんだとよ」と述べておられます。…順番が、逆なのです。「自分の破壊につながる」ことが判断可能という前提があって、初めて「痛いのがイヤだ」という判断に至りうる、これが、上記に示しましたように、私の見解です。この点を捉えそこなうことから、fwappyさんは「どうやって痛いのか痒いのかどうやってプログラムするのか、できっこないだろう」と続けておられます。
 したがって、「的外れ」です。(…たいていの読者には読み取れてると思うんですが…)

 #72における「的の所在」は、一つ「プログラムで心を再現しても、それは心とは言えない」、一つ「機械自身が内発的に心を獲得することは不可能ではないだろうが、きわめて困難である」、という、この二点にあります。「コブラおにいちゃんのかぷっ!」は、そのいずれに対しても有効な批判たりえておりません。

    *

 なお、蛇足ながら。
 どうもfwappyさんには「にやにや」とか「見苦しい」とか「言い訳できないから…」とか、相手の心情を不必要に刺激することを欲するがごとき文言が目立つように感じます。
 まず、これは私に対してはムダです。そのような挑発で冷静さを失うようなことはないという自信があります。自信がありますから、「今後は控えて欲しい」などということも申しません。どんどん、どんどん、おやりになってけっこうです。遠慮は要りません。私に対しては、いくらでも。
 ただ、それがfwappyさん御自身の人間たる品位の低劣さを自ら露呈することにもなっている点にはご注意を。自らの言葉で自らを汚すことが得なことか損なことか、その辺はお考えになった方がよいでしょう。

 それから、前にhalkaさんに申し上げたことですが、「学への誠実さ」について。
 憚りながら、私自身はこれを持っていると自認しております。ですから、私の限界ゆえに私が間違った見解を提示し、その間違いを判明明晰に指摘された場合、一瞬も躊躇することなく私は誤謬を認めます。その際には「恥」の感覚も生じましょうが(人間ですから)、私は自らにそれを感じることをも禁じようと考えております。見苦しい言い逃れなどはいたしません。
 fwappyさんは、かかる「学への誠実さ」をお持ちなのかどうか。
 …次の書き込みが楽しみです。
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>コブラおにいちゃん、まだ、わかんないのかなぁ?


>まとはずれの、いみ! わかんないかもねっ! うわ~い!

まだ、反論を思いつかないのかな。

この件に関してはただただ見苦しいね。

なぜ、自分のほうがまったくずれたところに
的を掲げていると思えないのか?
貴方が正しいのか?serpent-owlよ。
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  • ADHD(注意欠如多動性障害)|症状、診断基準、特徴、行動、接し方

    注意欠如多動性障害(ADHD)とはどんな病気か  注意欠如多動性障害(ADHD)は、多動性・衝動性(しょうどうせい)と注意力の障害を特徴とする行動の障害です。これは米国精神医学会の「精神疾患の診断・統計マニュアル第4版(DSM‐IV)」において採用された障害名で、WHO(世界保健機関)の「国際疾病分類第10版(ICD‐10)」では多動性障害という名称が用いられています。  学童期では出現率が3〜5%、男児...続きを読む

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Q足し算と引き算の順序入れ替えを小学生に説明

小学4年生の計算問題に次のようなものがありました。

3 - 1.25 + 3.25

これは、

3 - 1.25 + 3.25 = 3 + (3.25 - 1.25) = 3 + 2 = 5

と計算すれば簡単で間違いも少ないですが、下手に「後ろの計算を先に行う」と説明すると
「まず 1.25 + 3.25 を計算して、それを 2から引く」という間違いをしそうです。

中学生になってマイナスの概念を学べば簡単なのでしょうが、小学生に対して足し算と引き算の順序入れ替えについて教えるには、どう説明するのが良いでしょうか。

Aベストアンサー

小学4年生では、桁数の異なる数や小数の計算--特に加減算を徹底的に学びます。
そのために、
256 - 43 , 124 + 86 とかを行い、ついで小数も同じように計算できることを学びます。
3 - 1.25 + 3.25 =

 3.00
-)1.25
 1.75

 1.75
+)3.25
 5.00

これは、決して順番を変えて計算はさせないのです。学ぶ目的が違うのですから
ついで、五年生では、桁数の異なる数や小数の乗除算を学びます。
 六年生では
 ア 乗数や除数が整数や小数である場合の計算の考え方を基にして,乗数や除数が分数である場合の乗法及び除法の意味について理解すること。
 イ 分数の乗法及び除法の計算の仕方を考え,それらの計算ができること。
 ウ 分数の乗法及び除法についても,整数の場合と同じ関係や法則が成り立つことを理解すること。
になります。
 ⇒第2章 各教科 第3節 算数:文部科学省( http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syo/san.htm#4gakunen )

 数学を学ぶ上でもっとも大事なことは、計算や数に対してきちんと基礎から積み上げていくことです。確かに結果論からいえば、微積分も小学生に教えることができます。平方完成をすっ飛ばしてグラフの形を微分をつかってなど・・・
 しかし、それでは数学ではなく計算技術だけになってしまいます。

 ここは、順番どおり計算させるのが良いでしょう。
小学校で、
・小さい数から大きい数を引くことはできない
と習いますし、
・計算の順番は変えられない A-B ≠ B-A,A÷B ≠ B÷A
と習いますし、これは数学では真なのですよ。
 しかし、中学校で数の拡張 負数や逆数を学んではじめて計算としては
2 - 3 = -1・・意味は、2 + (-3) = -1
   = (-3) + 2 = -1
2÷3 = 2×(1/3) = (1/3)×2
ax + b x = (a + b)x,(a+b)x = ax + bx
を使えるようになるのです。

 小学校4年生では、(わざと)間違いやすい計算過程を経過させることで、小数を含む計算も桁数の異なる数の計算と同じように計算できることを学ぶのです。

>小学生に対して足し算と引き算の順序入れ替えについて教えるには、
 教えないのです。それじゃ、この順番で計算させる意味がなくなります。
 計算テクニックと、数の概念は異なるのです。

小学4年生では、桁数の異なる数や小数の計算--特に加減算を徹底的に学びます。
そのために、
256 - 43 , 124 + 86 とかを行い、ついで小数も同じように計算できることを学びます。
3 - 1.25 + 3.25 =

 3.00
-)1.25
 1.75

 1.75
+)3.25
 5.00

これは、決して順番を変えて計算はさせないのです。学ぶ目的が違うのですから
ついで、五年生では、桁数の異なる数や小数の乗除算を学びます。
 六年生では
 ア 乗数や除数が整数や小数である場合の計算の考え方を基にして,乗数や除数が分数である場合の乗法...続きを読む

Q筑波大学大学院ビジネス科学研究科経営システム科学専攻

こんにちは。
大手SIベンダーに勤務するシステムエンジニアです。在職して10年になります。
社会人で夜間&休日に通える、且つ東京近郊の大学院を探しており、筑波大学大学院ビジネス科学研究科経営システム科学専攻を候補として考えています。

同校に在学もしくは卒業された方がいらっしゃいましたら生の情報を頂けないでしょうか。

・数あるビジネススクールから同校を選んだ動機
・在学時の業種・職種
・入ってみて選んで良かったと思う点
・どのような事を研究テーマとされているか

私は以下のような動機で大学院で学ぶことを考えております。
・10年間さまざまな業種の業務系システムの開発に携わってきたが、これらの業務知識を経営の視点からまとめたい
・プロジェクトマネジメントや問題発見・解決の技術を体系的に学びたい
・起業のためのアイディアが幾つかあり、ビジネスに昇華できるかどうか確認したい

漠然とした質問ですが、どなたか該当される方がいらっしゃいましたら回答いただけますでしょうか。

Aベストアンサー

 再びお答えします。
 社会人としてある程度キャリアを積んできたものを、客観的かつ体型的に整理してみたいと考え入学しました。入学後多くの講義に出席し、そこで新たな知見を得たものもありますが、私にとっては論文を執筆するプロセスが修士課程の醍醐味であり、最大のトレーニングの場であるように思います。なお、私の研究テーマは戦略論・組織論にまたがるものでした。

Qガンプラの組立て順序について

ガンプラを組み立てる順序について、ちょっとした疑問を持ってしまいました。
ご意見いただければありがたいです。

年に数体程度ではありますが、ガンプラを購入いたします。
ほぼ素組みで、手を加えてもマーカーで墨入れくらい。
自分なりのメソッドを持っているわけでもないので、常に説明書に書かれている順番通りに組み立てております。
最近ふと、モノよって組み立てる順序が異なっていることに気がつきました。
あるものは足から。あるものは胴。頭からというものもあったでしょうか。

「ココを一番に見てもらいたい!」というメーカー側の思いなのでしょうか?
足→腰→胸→腕と順番にくっつけてゆき、最後に「パイルダーオン」するのが気持ちよかったりするのでしょうか?
キットの特徴と組立て順のデータを集計してみれば何か見えてくるのかもしれませんが、組み終わったキットの説明書を保存しておくたちではありませんので、手元に情報がないのです。

ガンプラ玄人の方などには自分なりポリシーやメソッドがあり、何らかの合理的な理由での組立て順序があるものと思いますが、あくまで説明書に記載された「公式の」組立て順序につきまして、メーカーによる何らかの意図があるものなのでしょうか?
どうおもいます?

ガンプラを組み立てる順序について、ちょっとした疑問を持ってしまいました。
ご意見いただければありがたいです。

年に数体程度ではありますが、ガンプラを購入いたします。
ほぼ素組みで、手を加えてもマーカーで墨入れくらい。
自分なりのメソッドを持っているわけでもないので、常に説明書に書かれている順番通りに組み立てております。
最近ふと、モノよって組み立てる順序が異なっていることに気がつきました。
あるものは足から。あるものは胴。頭からというものもあったでしょうか。

「ココを一番に見て...続きを読む

Aベストアンサー

>メーカーによる何らかの意図があるものなのでしょうか?
ある程度はあると思います。
RG等内部フレームが設定されている物等は、所謂ボトルシップ形式(正しい言い方かどうかは不明ですが)なので、
説明書通りに組み立てる事を前提にして順序が割り振られている筈ですし、
別な部分から組み立ててしまうと一旦詰んでしまい、組み直さなければならないケースもありえますので。
自分の体験としては実際説明書無視して組み立てていてある程度バラさないといけない事もありましたし、
組み立てレビュー等での経過報告やらのフィードバックを反映させやすい事もあります(ここそこが脆いとか)。
まあ中には「この部品から組み立てさせるなんて。」なんて風にある意味劇中の描写に沿った組み立て順序になっている物もあるのかも知れませんけどね。

Q科学が全く分かりません。 この前のテストでは100点中18点でした。 科学式は覚えればできるとして、

科学が全く分かりません。
この前のテストでは100点中18点でした。
科学式は覚えればできるとして、科学反応式を作る問題とかmol計算とか質量パーセント濃度の問題が意味わかりません。
例えば、
○塩化酸カリウムを加熱分解すると、塩化カリウムと酸素が生成した。
○メタン4.0g中に水素原子は何mol含まれているか
等の問題です
どんな勉強方法をすれば、科学が分かるようになりますか?
(先生にも聞いてみたのですが、いろんな人に聞いてみたくて...)
こんな未熟者の私に回答お願いします。

Aベストアンサー

先ずは元素記号かな?
>科学(化学)式は覚えればできるとして、←誤植には気づいているようだけど、なんか気持ち悪いから直しておくね!
化学式を覚えることができるなら、簡単だけど。
ちょっとしたアドバイスを
質問者さんは英語は得意?
元素の英語名を英単語を覚えるつもりで見てごらん!
元素記号と似てるから覚えやすいと思うよ。
途中で「あれっ?」と思うやつにも出くわすから、そちらの方が記憶に残るかもね。

>mol計算
molなんて単に個数を表した単位なんだよ。
ここで、「mol」や「モル」で検索してご覧。いっぱい先輩質問者への専門家の回答がでてくるから。
ここは本当に基礎の基礎だから、しっかり理解しておくこと。

>質量パーセント濃度
これも、検索するといっぱいあるよ!

>○塩化酸カリウムを加熱分解すると、塩化カリウムと酸素が生成した。
塩化酸カリウム(塩素酸カリウムね)はKClO3

塩化カリウム「KCl」と酸素「O2」になる。
小難しく考える必要ないよ。
まだ、数(係数)合わせのの段階じゃないか。

もう少し難しくなると、「酸化還元反応の半反応式」が出て来るけどそれまでは保留で?

>○メタン4.0g中に水素原子は何mol含まれているか
メタン1mol中ならわかるよね?
ほら、また「mol」が出てきた!

残念なお知らせだけど、やっぱり物質名は覚えないと、どうしようもないんだよね。
これは、問題の数をこないしていくうちに、いやでも頭に入ってくると思うよ。

それでは、御健闘を!

先ずは元素記号かな?
>科学(化学)式は覚えればできるとして、←誤植には気づいているようだけど、なんか気持ち悪いから直しておくね!
化学式を覚えることができるなら、簡単だけど。
ちょっとしたアドバイスを
質問者さんは英語は得意?
元素の英語名を英単語を覚えるつもりで見てごらん!
元素記号と似てるから覚えやすいと思うよ。
途中で「あれっ?」と思うやつにも出くわすから、そちらの方が記憶に残るかもね。

>mol計算
molなんて単に個数を表した単位なんだよ。
ここで、「mol」や「モル」で検索して...続きを読む

Q比例尺度、順序尺度について教えてください

かなり急ぎの質問ですので、迅速に答えていただけると幸いです。
比例尺度、順序尺度というものについて、『一般人でもわかるようなたとえ』で説明する際、どのようなものを出すのが適当でしょうか。
順序尺度においては「アンケートによってレストランメニューの人気投票結果を出す」、のような感じでできると思っているのですが、どうにもわかりません。
今日の7時10分までで締め切りたいと思います。結構困っているので、よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

マラソンや競馬のような競走種目の
タイム(比例尺度)と順位(順序尺度)ではいかがでしょう。
比例尺度から順序尺度への変換は可でも
その逆は不可であることが直観的に理解しやすいと思います。

一般の人には
比例尺度と間隔尺度の区別のほうが難しいような気もしますが。

Q経営工学と経営システム科学の違い

こんにちは。自分は大学受験するにあたって、経営に興味があります。
理系の学部だと理工あるいは工学部に経営工学があったりして、
文系の学部だと経営学部に経営システム科学科があったりしますよね?
その2つの違いがよく分からないので、なるべく詳しく説明していただけるとありがたいです。
ちなみに数学が得意という理由で、文理選択では理系を選択してますが、理科は得意ではありません。

Aベストアンサー

具体的な学校の名前がわからないので、断言はできませんが、違いはありません。経営工学科だと古臭いイメージがあるので、奇をてらって「経営システム科学科」というネーミングにしているようにしか思えません。

僕が学生の頃、経営工学科とか工業経営学科とか管理工学科とか、大学によって色々と名称がありましたが、どれも内容は全部同じでした。

ただし「経営システム科学科」には「システム」という言葉が入っていることから、経営工学と同じくらい情報工学に比重を置いている可能性もあります。

Q人とは順序が違うこと・・・

小学校の時、新たに担任になった先生が最初の授業で言いました。
 「皆さんはトイレから出て手を洗うと思いますが、私はトイレに行く前に手を洗います。」
汚れた手で大事なところを触る方がよくないという説明でしたが、この普通とは順序が違う話が、何十年経った今でも忘れられません。

あなたにも、人とは順序が違うことがあれば教えてください。もしかしたらそうかもしれない、と思っていることでも結構です。

因みに私は新聞は最後のベージから逆の順序で読んでいきますが、これはそうしている人もかなり多いようですが、みなさんはどうでしょうかね。

Aベストアンサー

こんばんは!
小説などの単行本。
解説から先に読んでしまいます。
その解説を書く方にもよりますが、小・中学生の作文のような解説もあれば、名前は書けませんが、各章ごとに、事細かく書かれている方もいらっしゃいます。
どちらのケースでも、自分は必ず『解説』を先に読みます。
読み終わった時に、その解説を書かれた方の意見に賛同できるかどうかです。
でも、結局誰が解説なさってても、好きな作家さんの作品は必ず買いますが・・・。

Q上智大理工or都立科学技術大

上智大理工学部数学科or都立科学技術大生産情報システム工学科で迷っています。といっても、上智は合格していますが、科学技術大は後期の発表待ちの段階です。科学技術大の結果が出てから上智の授業料納入までほんの数日しかないので、今のうちにアドヴァイスをいただきたいです。僕は将来システムエンジニアになることを希望していますが、大学で勉強するのは数学でも情報でもどちらでもいいと今は思っています。またできることなら大学院にも進学したいとも思っています。そのため将来の就職または大学院進学を考慮に入れるとどちらを選択したらよいか、どんなご意見でもお聞かせいただきたいです。また、都立科学技術大学は将来どのように統合されるのかという情報もいただきたいです。

Aベストアンサー

具体的にやりたいことが決まっていて,選択肢の大学でそれが出来るなら,
学部時代の大学は余り関係ないと思います.

でも大学院では,更に局所的に的を絞って選択する必要があります.
これは大学院でやりたいテーマの研究室があるかどうかが決め手です.
大学院入試のときに,変わりたければ変われば良いと思います.
私も博士後期課程から大学院を変わりました.

上智でもあるのかも知れませんが,カギダイや東京理科大の場合,学部時代の成績が良ければ,
大学院は推薦で入れる制度もあると,カギダイの学生から聞いたと記憶しております.
そういう意味では,大学院とリンクさせて大学を選んだ方が良いのかも知れません.

Q順序集合

自然数の順序集合(N,|)について A={1,2,3,4,5,6,7,8,9,10}に対し,n|m⇔∃k[m=nk](nはmの約数)の順序関係のもとでAの最大元,最小元,極大元,極小元,上限,下限を求めよ(存在しない場合は「存在しない」と解答)

最大元:存在しない,最小元:1,極大元:6,7,8,9,10,極小元:1,上限:2520,下限:1・・・参考書をいろいろ読んで考えたのですが、最大元~下限の各語句の意味があまり理解できず答えに自信がないので、なぜそれが答えなのかと聞かれた場合きちんと説明ができません。どなたか詳しく説明してもらえないでしょうか

Aベストアンサー

6がなぜ極大元か言うよ。
6の倍数はAの中には6自身しかないからです。
4の倍数は4,8と二つあるから4は極大元ではないです。

1がなぜ極小元か言うよ。
1の約数はAの中には1自身しかないからです。
1以外の数は全て1を約数に持つから極小元ではないんです。

Qシステム科学の問題です.

同日にほぼ同じ質問をしたのですが不測の事態でID,パスを紛失してしまいましたのでもう一回質問しました.誤字を訂正しました.
システムの故障率についての問題なんですけどこの問題の解を教えていただけないでしょうか.
できるだけ詳しいと嬉しいです.

・あるシステムの信頼度がR(t)が,次式であらわされている.
    R(t)=exp(-t^2)
(1)このシステムの故障率λ(t)はλ(t)=-d/dt(LnR(t))である.λ(t)を求めよ.
(2)このシステムは,初期故障期,偶発故障期,摩耗故障期のうち何の期間か.
(3)故障分布関数F(t)および故障密度関数f(t)を求めよ.
(4)このシステム平均故障間MTBFを小数第三位まで求めよ.

どうかよろしくお願いします.

Aベストアンサー

ANo.1


okormazd
(1)
λ(t)=-d ln(R(t))/dt=-d ln(exp(-t^2))/dt=d t^2/dt=2t
(ln(exp(-t^2))=-t^2だから。)
(2)
初期故障期では、時間とともに故障率が下がる傾向があり、
偶発故障期では故障率一定の傾向があり、摩耗故障期では故障率が時間とともに増加する傾向がある。
この場合、λ(t)= 2tだから、摩耗故障期でしょう。
(3)
F(t)=1-R(T)=1-exp(-t^2)
f(t)=dF(t)/dt=2t*exp(-t^2)
(4)
MTBF=∫_0^∞(tf(t)dt)= ∫_0^∞(t*2t*exp(-t^2)dt)
=[-t*exp(-t^2)] _0^∞-∫_0^∞(exp(-t^2) dt)
=√(π)/2=1.571

ということか。

確認してないので、計算間違いがあります。勘違いもあるかもしれないから、自分で調べること。


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