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日本のメディア・マスコミに詳しい人に質問します。

『ジャーナリズム崩壊』(著:上杉 隆)を読んで衝撃を受けました。

(1)外国では、発生ものの事件などは通信社に依存し、新聞は分析や批評記事に特化するという役割分担がなされている。そのため、外国の新聞社は日本より少ない記者で毎日、約100ページの新聞を制作している。

(2)記者クラブと外国人記者クラブは日本にしかない。そのため、クラブに入れない人や外国のマスコミ・ジャーナリストは、自由に報道活動ができない。

どうして日本のメディア・マスコミはこんなにも外国と違うのですか?教えてください。

A 回答 (5件)

>1)外国では、発生ものの事件などは通信社に依存し、新聞は分析や批評記事に特化するという役割分担がなされている。

そのため、外国の新聞社は日本より少ない記者で毎日、約100ページの新聞を制作している。

これはちょっと誇張しすぎな気がします。
確かに、AP通信やロイター通信という巨大通信会社に依るところも小さくはありませんが、全てそれでまかなっているわけではありません。
むしろ、日本のメディアの方が、通信会社に依存している体制と言えます。
国内ニュースは時事通信と共同通信という二大通信会社に依存しています。
あたかも自分たちが取材した記事であるかのように書いてあっても、実は時事通信などの記事にちょこっと手を加えたモノとか、そのまんまの文章を載せているのに「典拠」を明らかにしていないなどなどは多々あります。
もう一つ、日本のメディアは海外情報のほとんどをAP通信やロイター通信などの通信会社に依存しています。
一方、海外メディアは自社の記者を派遣して情報収集に当たったりしています。
その為、欧米の新聞では、国際報道が盛んになされています。
特に欧米の動向とアジアやアフリカの紛争地に関する報道など、日本では比べものにならないくらいの情報を取ってきています。
こうした特派員と通信会社の情報が半々なのが欧米の報道メディアです。
さらにそこに「論説」が載るって感じですかね。

>(2)記者クラブと外国人記者クラブは日本にしかない。そのため、クラブに入れない人や外国のマスコミ・ジャーナリストは、自由に報道活動ができない

記者クラブの歴史は、明治23年「議会出入記者団」という名の国会記者クラブにまで遡ります。
このころは新聞黎明期でもあり、各社がそれぞれの思想・政治的立場・イデオロギーなどを主張し合い、それを元に議論がされていました。
大正デモクラシー時代には絶頂期を迎えます。
そうなると、当然、政府批判がなされるわけで、批判された政府側には煙たがられる存在となります。
そうした弾圧に対抗するために、新聞各社が共同戦線を張るようになっていき、記者クラブの意味合いも増していきます。
このころの記者クラブは、政治側の弾圧から逃れるために団結し、秘密主義的な政府から情報を何とか引き出そうとしました。
しかし、日中戦争~太平洋戦争と戦禍が拡大するなか、日本政府はより報道規制を厳しくしていきました。
さらに、記者クラブを逆手にとって情報統制の一手段として利用しました。
この頃に「一官庁一クラブ体制」が出来たとされています。
この時のイメージから、戦前・戦中の新聞は「大本営の発表機関云々」と批判されるわけです。

戦後、GHQなどのてこ入れで記者クラブを「報道各社の親睦団体」と改められました。
しかし、実際は「親睦」(表の顔)と「取材機関」(裏の顔)を併せ持つようになっていきます。
裏表の顔の中で綱引きをしつつ、1970年頃に結局「裏の顔」が定着してしまいます。
そんな中で、「一官庁一クラブ体制」の堅持、「黒板協定」など様々な「決まり事(法的根拠は無し)」が出来ていきました。
そして、1993年頃には海外メディアを閉め出すという暴挙にも出始めました。
その為、記者クラブに加入できないフリージャーナリストや海外メディアから記者クラブ廃止の声が高まっています。
上杉 隆氏は、廃止派の急先鋒ですかね。

まとめると、最初は政府からの弾圧を逃れるために共同戦線を張っていたのが、いつの間にか政府に利用されてしまい、その間に出来たなれ合い体制を戦後も連綿と続け、むしろより閉鎖的になっている。
その事を、最も閉め出されやすいフリージャーナリストや海外メディアが廃止を求めているといったところでしょうか。

ではでは、参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

詳しい回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/10/24 10:08

既得権益をもったマスコミがそれを手放そうとしないから。


出発点はお得意の「護送船団方式」です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/10/16 23:44

戦前の日本の社会は、意外と欧米直輸入方式でした。


自由民権運動の流れを汲み、立ち位置の違う各新聞社が、論説をメインに多数存在した。大新聞・小新聞の分類があり、発行部数が少ないながら論説を主にするのが「大新聞」で、現在の朝日や毎日、読売などは、論説がメインではない「小新聞」とされていました。
論説を主にする新聞に記事を配信していたのが、同盟通信社(本をたどれば、現在の電通と連合)
この新聞統制によって、全国の新聞は「小新聞」化したわけです。
※ 立ち位置の違う新聞同士で争う必要が無く、配信された記事を「広報」するスタンスです。
さらに、戦後、同盟通信社が分割されたために、全国規模の小新聞は、自ら記事を集める通信社機能を強化しました。
記事を集める通信社が弱体化するとともに、宅配システムが作られてきたために、それなりの部数を作らなければ、宅配会社も含めた新聞業というものが成立しなくなったからです。
これらが、あいまって、情報を漏らさないで中立的に流すという仕組みなっていったわけです。

※ 宅配率に関しては、個人の感想なので、どこまで信頼できるか分かりませんが
http://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage16-02.html
このようなデータがあります。
ほぼ宅配である日本と宅配もあるアメリカの違い。
規模の経済を目指した日本の新聞業界の特異性と言えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/10/15 21:34

第二次世界大戦中の新聞統制および、戦後の同盟通信社解体。


これを受けての新聞宅配システムの構築が原因です。

この回答への補足

なぜ「新聞宅配システム」が原因なのですか?新聞宅配はアメリカにもあるはずです。(よく映画で郵便受けにある新聞を犬が取ってくるシーンがたくさんあります。)

補足日時:2009/10/14 19:14
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(1) 分析・批評できるような専門知識・先端知識と思考能力とを十分に合わせ持った記者が居ないからです。

その背景には、日本の衆愚教育政策があります。マークシートを埋めていく教育では分析・批評記事は書けません。
また、芸能人の追っかけ記事で読者が満足しており、高度な分析・批評記事は忌避されてしまうようでは、そういう出版は市場原理によって放逐されてしまいます。新聞雑誌のみでなく、視聴率に左右されるテレビ報道も同じことです。分析・批評記事を読みこなすためには、それだけの前知識、判断力が必要です。残念ながら多くの日本人はそこまでの知力を持っていないことになります。

(2) 日本政府が「報道の自由」を実質として認めないからです。また、自主規制などという形で報道機関もそれに迎合する向きがあります。また、日本の最高裁は政府・行政側の裁判所で、憲法判断による政府・行政批判を避けますし、機能しておりません。これに対して、国民の総意が明確な反対表明をしないため、政治家・官僚が甘い汁を吸っているだけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/10/14 19:14

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