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 まづこのイエスの言葉の出典は マタイ22:15-22 / マルコ2:13-17 / ルカ20:20-26です。
 ただし 解釈を《ゆがめ》て 哲学の視点から問います。次のように解釈しますが それについて自由なご見解をおしえてください。

 (ω) 《まつりごと(政治・宗教)》は社会の経験行為としてのまつりごとであり 《信仰》はあくまで内面の問題である。

 (ω‐1) まつりごとが 人びとの信仰ないし内面にかかわる《まつり》に介入してはならない。

 (ω‐2) ただしそのように言うときには 《まつり》が 個人と内と外との両面に分かれるかと思います。家族のにしろ社会全般のにしろ生活の奥や底に湧き起こったよろこびや祝いにかかわる個人の内面における《まつり》と ムラのまつりとです。
 (初穂を神にまつる祭りは 共同体としての生活において 個人とムラとが一体であったでしょうか)。

 (ω‐3) ですから 内面から外に出たムラのまつりを 内面の信仰ないしその《まつり》から自由なかたちでおこなうことが出来るか。これも問いのひとつです。《まつりごと》から自由であるのは 当然とします。
 
 (ω‐4) 《まつり》は 神〔ないしけっきょくは同じ意味で神々〕との共食だととると分かりやすいようです。《まつりごと》は そのムラムラのまつりを二階から知ろしめし 収穫のいくらかの部分を吸い上げる仕組みであったようです。

 (ω‐5) 現代にあっては 社会が国家としてありその家の第二階も存続していますので その《カエサルのまつりごとのものはカエサルに納めるべし》という見解が残っていましょうか?

 ☆ 信仰と宗教とのちがいが ここでいちばんの問題であり問いの発端です。おわかりのように次の質問を継いでいます。そこでの質疑応答をも承けて 問い求めを自由に発展させてください。
 【Q:信仰の組織教義化は 犯罪ではないのか】 
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5364088.html
 
 日本人の哲学はここにありという言論を魅せてください。

A 回答 (91件中1~10件)

 こんばんは、Hidocchiです。

何かのご参考になればと思い、筆を取らせていただきました。

> (ω‐1) まつりごとが 人びとの信仰ないし内面にかかわる《まつり》に介入してはならない。

 まず、現在我が国の憲法には、「信教の自由」が保障されています。またその憲法自体も、 「為政者に対して、国民が縛りをかけるもの」という点からしますと、介入はあってはならないと解しております。

> (ω‐2) ただしそのように言うときには 《まつり》が 個人と内と外との両面に分かれるかと思います。家族のにしろ 社会全般のにしろ 生活の奥や底に湧き起こったよろこびや祝いにかかわる個人の内面における《まつり》と ムラのまつりとです。
 (初穂を神にまつる祭りは 共同体としての生活において 個人とムラとが一体であったでしょうか)。

 愚生は、自由にも、
・「内面の自由権(“信教の自由”、“思想・良心の自由”等です。つまり、内面にのみ、存在し続ける自由です)」と
・「外面の自由権(“集会の自由”、“結社の自由”等、内面にとどまらず、社会との関わりの面で持つ上での自由です。)」
との2つに分類可能と考えておりますし、そうあるべきだとも考えております。
 つまり、「両面に分かれた」と解しております。

 しかし、例外もあったろうかと推察しております。それは、生存(生命としての極限状態)にかかることでございます。つまり、天候の不具合が長期的に続き、大飢饉の中、かろうじて生き残った人たちにとりましては、一体感があったものと推察しております。このような状況下では、“感謝”という感情的部分が優先してしまい、理性的判断はなされなかったであろうとの推察からでございます。
 また、いわゆる“感謝祭”なるものも、実情からは離れ、経験(歴史)の積み重ねから形式化してしまったものもあろうかと存じます。

> (ω‐3) ですから 内面から外に出たムラのまつりを 内面の信仰ないしその《まつり》から自由なかたちでおこなうことが出来るか。

 厳密には、不可能と解しております。上記理由からでございます。

> (ω‐5) 現代にあっては 社会が国家としてありその家の第二階も存続していますので その《カエサルのまつりごとのものはカエサルに納めるべし》という見解が残っていましょうか?

「マタイ22:15-22、/ マルコ2:13-17 / ルカ20:20-26」
 共通点としまして、税金に関わる問題かと思われます。つきましては、単純に“納税”のことと割り切るならば、その義務を国民が自らに課しているため(憲30条)、各自の社会的役目を果たそうという責任間・使命感だけの問題なろうかと思われます。

 ただ、懸念事項もございます。以下は郷原氏の著作からでございますが、

・この国に深く根付いている“お上”意識は、今だに続いているとのことです。たとえば、市民と弁護士とを結ぼうとする企画を種々しているのだそうですが(市民の法律意識を高めるのが目的だそうです)、実際のところは、利用例は限られているようです。例えば、司法試験の改正により、多くの弁護士が輩出されているとのことですが、市民はあまり利用していない状況にあるそうです。
http://secondlife.yahoo.co.jp/supporter/article/ … 
 つまり、これらのシステムも“誰にも望まれていない制度”になってしまった観がございます。そもそも、今までが、“お上”志向でしたので、弁護士との付き合い方自体すら知らないのかもしれません(こちらは愚見でございます)。
・無批判に盲信する現在の社会では、お上、メディアからの発言に、水戸黄門の印籠なるものを渡してしまっていること。
 司法、メディアとの歴史的、風土的関係の結果からだと推察しております(愚見でございます)。
・国民裁判員制度(4章 「官」「民」の裁判員制度推進の理由の違い からです)についての制度理由からです
 この裁判員制度がどのような理由からできたのかの説明を郷原氏は説明しております。2つの内1つは、日弁連(「民」)の意向です。つまり、日本の刑事裁判は、すべての案件のうち99%が有罪になっているため、市民参加によりその是正を図ろうというものです。
 もう一方は、国の意向です。この理由に関しましては、郷原氏(元検事)も詳細はわからないと述べています。ただ、推測として「司法に対する国民の理解と信頼につながる」とのべ、「司法」を理解・信頼してくれない現状を改善させるのが狙いだろうとのことです。極論を申しますと、「国民から選ばれた裁判員がこう判断した」という大義名分があれば,たとえそれが、後ほど、冤罪であったと判明しても、国民が選んだのだという言い訳が立つということでございます。

郷原 信郎著「思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本」講談社

 ご参考になるところがあれば、幸甚に存じます。

この回答への補足

 Hidocchi さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 そうですね。
 (ω‐1~3)については 補強して確認していただきました。
 (ω‐5)については 実情や実態について――やや心理的な側面であるようにも思いましたが――人びとの現実を指摘し分析したものをおしえていただきました。
 強いて言えばこの(ω‐5)の現代日本人の現状について それは(ω‐4)の問題がからんでいるか――また(ω‐4)の分析じたいの正否の吟味を含めてですが―― これをうけたまわれればよかったかなとは思います。
 そしてそれとともに歴史的な展望でしょうか。そういった方面にも伸びるのではないかとは思っております。
 現代日本人の現状は おおまかに言って わたくしも
 ★ この国に深く根付いている“お上”意識は、今だに続いているとのことです。
 ☆ と見方を同じくします。そしてすべてを端折って言ってしまうなら いづれどこかで 何らかのきっかけを得て この《お二階さんコンプレックス》は どんでん返しという事態を迎えるかも知れない。こうも思っております。特にその根拠はありません。予感です。

 (ω‐3) ですから 内面から外に出たムラのまつりを 内面の信仰ないしその《まつり》から自由なかたちでおこなうことが出来るか。
 ☆ について
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 愚生は、自由にも、
 ・「内面の自由権(“信教の自由”、“思想・良心の自由”等です。つまり、内面にのみ、存在し続ける自由です)」と
 ・「外面の自由権(“集会の自由”、“結社の自由”等、内面にとどまらず、社会との関わりの面で持つ上での自由です。)」
との2つに分類可能と考えておりますし、そうあるべきだとも考えております。
 つまり、「両面に分かれた」と解しております。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ということが明確に確認できたならば ムラのまつりにおける神社とのかかわりも 問題になるかも知れません。ただ――と言うのもおかしな言い草ですが―― 日本人のあいだでは 神社であっても 内面の信仰には誰も触れないという暗黙の前提があるのかも分かりません。きちんと分かれていて 問題無しとなるのかも分かりません。

 ★ 裁判員制
 ☆ につきましては いちど《朝まで生テレビ》で取り上げていて聞いていました。意外とあまり意味や効果がないという意見も多かったようでした。いろんな事件を取り上げるのがよいなどの意見でした。そして殺人事件にかんしては やはり法律についての素人は素人すぎるのではないかでした。
 うけたまわるだけで 議論を伸ばせられなくて残念です。
 ★ 納税
 ☆ にかんしましては その使い道について一般市民納税者がどこまで関与することができるか。これがさしあたっての課題でしょうか。あるいは政治家を介しての間接的な関与ということになるでしょうか。

 (ω‐1) まつりごとが 人びとの信仰ないし内面にかかわる《まつり》に介入してはならない。
 ☆ について
 ★ まず、現在我が国の憲法には、「信教の自由」が保障されています。またその憲法自体も、 「為政者に対して、国民が縛りをかけるもの」という点からしますと、介入はあってはならないと解しております。
 ☆ と回答していただいたわけですが この為政者を介してかどうかを別として 《宗教団体に対して国民が縛りをかける》という側面については どうなんでしょうか。一たん自由意志において入会したなら 退会するのでない限り その組織内でのやり取りは 信仰内面の論議であっても 自由であるということになるでしょうか? これは前質問を受けての課題です。

 ありがとうございました。

 * それにしても 郷原さんのタイトルは 《思考停止社会》ですか。言いますねぇ。

補足日時:2009/10/23 22:06
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こんばんは、bragelonneさん。




ふぅー きょう あした と 休みだー!


●こういうぶっきらぼうな参照サイトの羅列…云々


へぇーい、しかと承りました。

ココロ伝わらないかぁ…心の哲学…むつかし

心身二元論…


●閻魔王の罪って?


ん? あぁ、織田信長をふとおもいうかべてた。

【歴史と経営】
http://www.rekishi-keiei.com/oda/oda_keizai.html

【QNo.未来は、存在していると証明できますか】ANo.72
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4409643.html

【国会から見た経済協力・ODA(10)】
http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/r …

【国会から見た経済協力・ODA】
http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/r …

【投下倭人】
http://www53.tok2.com/home/nasubi/history/wako/i …

「三島の倭寇」
三島というのは、対馬、壱岐、肥前(佐賀県)松浦地方のことでここにすむ農民や漁民、さらに中小の武士たちが倭寇の構成員であった。この土地は、土地がせまく、しかも地味がやせていて農業がじゅうぶんにできず、住民の生活はまずしかった。人びとは、朝鮮や中国の人びとと私的な貿易をおこなって自活の道をもとめていたが、交易を拒絶されたばあい、海賊的行動をおこなったのである。朝鮮や中国の人びとは、これを日本の侵攻、すなわち倭寇とよび、その対策にいそがしかった。倭寇のなかには、高麗人もふくまれていた。かれらは、禾尺とか才人とよばれた最下層の民衆で、倭寇に味方するだけでなく、倭寇となって高麗王朝に反抗し、身分解放をもとめていた。


李氏朝鮮誕生
倭寇は年とともに大規模になり、回数も増加した。1392年倭寇討伐で頭角をあらわした李桂成が、高麗王朝をたおし、李氏朝鮮を建国した。李桂成は、倭寇に対抗するために強力な海軍をつくり、倭寇を弾圧するいっぽうで倭寇へ降伏するようによびかけ、これに応じた者には田地や家財をあたえ妻をめとらせるなどして、あつくもてなした。1396年には、数百人の倭寇が降伏したといわれている。かれらは、投下倭人とよばれた。

【上・下】
http://blhrri.org/info/book_guide/kiyou/ronbun/k …
http://blhrri.org/info/book_guide/kiyou/ronbun/k …


土地は、土地がせまく、しかも地味がやせていて農業がじゅうぶんにできず、住民の生活はまずしかった。人びとは、―――――の人びとと私的な貿易をおこなって自活の道をもとめていたが、交易を拒絶されたばあい、海賊的行動をおこなったのである。

生存本能

食べるものがなくなると
人は人里から離れ山へ分け入る
食を求めて…

人に限ったことではなく

食べるものがなくなると
動物も山を降り人里へ足を踏み入れる
生の欲求につき動かされる
食を求めて…


[第94条]
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7956/dai8/ …
http://www.bunken.nga.gr.jp/siryousitu/eturansit …

FTA(自由貿易協定)なんではかどらんのやろか?二重課税の問題?
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2008/ …

【過去問】
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaisunao/gyoseika/sa …
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この回答へのお礼

 こんばんは。

 ★ 徐 知 延:朝鮮「白丁」身分の起源に関する一考察(上)(下)
 ☆ まぁ しかし どこからでも何でも探し出しますねぇ。いまはこんなに資料があるのですね。
 以前 沖浦 和光の研究書で日本やアジアの被差別民のことについてひととおり学んだと思ったけれど もう記憶が定かではありません。特にこの朝鮮についての情報も忘れてしまっています。情けなや。

 ★ 【投下倭人】
 ☆ 検索の手をゆるめませんねぇ。
 ▲ 「三島の倭寇」:三島というのは、対馬、壱岐、肥前(佐賀県)松浦地方
 ☆ 対馬のことしか言っていませんでしたね。テレビでは。
 ▲ 倭寇のなかには、高麗人もふくまれていた。かれらは、禾尺とか才人とよばれた最下層の民衆で、倭寇に味方するだけでなく、倭寇となって高麗王朝に反抗し、身分解放をもとめていた。
 ☆ これも聞いていなかったのですが ただし倭寇には 済州島のモンゴル人が加わったとは見られているそうです。元寇のときに 済州島は 騎馬のための馬を放牧する場所としてえらばれ そこに飼育係たちが元寇が終わったあとも残ったそうです。対馬人と手を携えて貿易もしくは海賊になったとか。

 ★ FTA(自由貿易協定)なんではかどらんのやろか?二重課税の問題?
 ☆ これは 相手国に比べて こちらの同じ産業が競争力が弱いと 壊滅的な打撃を受けます。価格競争力だけによっても 農業は困ります。たぶん よほど友好と信頼の関係を築かないと 食糧などは自給率を下げることは出来ないですよね。→インタナショナルなインタムライスムが要請されます。へへっ。

 お忙しいようで。でしたら 検索の手は一つひとつじっくりとこなして行ったほうが ええのとちがう? 広く手を出し過ぎなんとちがう? 一度にひとつの主題でじゅうぶん。と思うけどねぇ。要らぬお世話?


 ★ 心身二元論…
 ☆ っちゃうよ。二元論はあかんよ。ふたつの項目が対立する関係にあるというならまだしもですが 根元がふたつというのはあり得ません。と思います。

 * ここでの質疑応答全般と言いますか 哲学カテゴリ全般での哲学の学習と言いますか すすんでいますよ。そのようですよ。日本の夜明け。

お礼日時:2009/11/07 22:23

こんばんは、bragelonneさん。



【会社法施行に伴う税制改正により、事務的ミス】
http://news.livedoor.com/article/detail/2916740/

【事務代行手数料は30円】
http://www.sankei.co.jp/yuyulife/sonota/200803/s …

【不誠実な年金代行業者に注意を 不透明な手続き条件】
http://www.spshimbun.com.br/content.cfm?DA_N_ID= …

【第159回国会 厚生労働委員会 第16号】
平成十六年四月二十三日(金曜日)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/159/0097 …



【太宗】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%AE%97_ …

http://www.kampoo.com/jp/history/1392-ChoSeonOpe …

【人物相関図】
http://www.cinemart.co.jp/sejong/diagram/index.h …

【太宗李芳遠】
http://www.kampoo.com/jp/history/1392-ChoSeonOpe …






閻魔王の罪

この回答への補足

 ★ 【会社法施行に伴う税制改正により、事務的ミス】
 ☆ 《事務的ミス》ということで。

 ★ 【事務代行手数料は30円】
 ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 2008年4月から、国民年金の学生納付特例の申請を、大学が代行できる。・・・
 国が学校に支払う手数料の額:1件30円。

 しかも、この手数料。すべての学校がもらえるわけではない。社会保険庁によると、国と地方公共団体が設置した学校には、公務の一環なので、手数料は出ないというのだ。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ そうなんですか。基本的にそういうことになるでしょうね。

 ★ 【不誠実な年金代行業者に注意を 不透明な手続き条件】
 ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 通常、こうした年金の代行申請の場合、成功報酬ではなく、年金受給が可能か不可能に限らず、最初に手数料の金額を決めて行うはずなのだが、今回の場合、業者は、最初からどの程度の金額が最初に振り込まれるのか予想がついており、手数料を取らず、成功報酬という形で契約したものと見られる。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ どこにも悪貨と良貨はあるみたいで。外国人などの場合 標的にされやすいのでしょうね。ではいけませんが。

 ★ 【第159回国会 厚生労働委員会 第16号】
 ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 本日の会議に付した案件
 会計検査院当局者出頭要求に関する件
 政府参考人出頭要求に関する件
 国民年金法等の一部を改正する法律案(内閣提出第三〇号)
 年金積立金管理運用独立行政法人法案(内閣提出第三一号)
 高年齢者等の雇用の安定等に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出第三二号)
 高齢期等において国民が安心して暮らすことのできる社会を実現するための公的年金制度の抜本的改革を推進する法律案(古川元久君外五名提出、衆法第二七号)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ★ 太宗(1367-1422)
 ▲ 太宗は王権の強化と中央集権の確立のために幾多の功臣と外戚を取り除いた。
 ☆ その三男が つぎの世宗なのですね。
 ▲ (ヰキぺ:世宗)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ハングル(訓民正音)の制定を行ったことで知られ、朝鮮王朝時代の歴代君主中もっとも優れた君主とされる。儒教の理想とする王道政治を展開したとされ、後年「海東の尭舜」と称された。しかし一方で女真族への侵略戦争や強制同化策をとり、仏教を弾圧するなど、強硬策も行った。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ★ 李成桂(朝鮮1代目の王、1335~1408)
 ☆ が高麗を倒したのでしたね。これは 倭寇の話とつながった。その征伐でした。
 高句麗(紀元前37年頃 - 668年)の都は 平壌でしたね。その後 高麗(918年 - 1392年)が興った。都は開城。ソウルではなかった。ごめん。

 ★ 閻魔王の罪
 ☆ って? 

補足日時:2009/11/04 11:38
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この回答へのお礼

 littlekiss さん。第一印象としての反応は
 ○ だめ。
 ☆ 自分のことばがない。結論も大事だが それに到る過程も大事。推論をじぶんでみちびいていくことをいやというほど練習しないと 相手に通じない。
 はじめのあなたのご投稿が 坂道でよっぱらって寝転んでいるひとに声をかけたという内容だったので その後 こういうぶっきらぼうな参照サイトの羅列でもわたしは対応してきたけれど 一般には だめです。こころが伝わらない。だめです。
 と思います。

お礼日時:2009/11/04 09:01

 ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。

Hidocchiです。 

> ▲ しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。
 ☆ この聖句につきましては 異見を持ちました。

 申し訳ございません。愚生の勘違いでございました。

> ▲ “官製不況”
 ☆ これは残念ながら同じ水準でお話できるまでには丹念に新聞記事や詳細な解説をたどって来ていません。新聞記事の全部を読むことをやめてからもう十年以上経っています。

 愚生も、約15年ばかし、新聞はとってもいませんし、読んでもおりません。別段必要に迫られたということもなかったものですから。
 ですが、グリーンスパン氏の件などよくご承知でいらっしゃいますね!

> わたしの勉強とそこからの発信が 手応えがないので 意欲が薄れた結果です。そういうかなしい経過をたどっています。

 全く恐れ入ります。愚生などは何も申し上げられることはございません。

> これも全体観がないまま考えたことならあります。
 また電気製品や自動車が商品として飽和状態になるといった事態も 需要の量が限度を超えて増えない。つまり 経済のパイを大きくすると言っても 限度があるのではないか。これは 勝手に思っています。

 全く仰るとおりかと存じます。人口減少社会になってしまったこと、また一昔前のようにローンを組んで高額のものを購入しなくなったこと(できなくなってしまったこと)が主な原因かと考えております(国民の給与所得等の統計概略を以下に記載させてもらっております)。自動車もキャッシュで購入したひとも、知人(20代)の中におりました(職業の安定性で問題があったからとのことでした。もちろん、高級車等は買っていないそうです)。つい先ほどまでの日本の景気(特に、自動車産業等)はアメリカ人に依存していたようでございます。ですが、今やアメリカ人も不動産が差し押さえられるかどうかという状況ですから.....

「日本では、小泉政権の新自由主義的政策でもある労働者派遣法の規制緩和により、企業側は派遣社員を急増させたこともあり、国税庁の民間給与実態統計調査によれば、1997年の労働者の平均給与は467万3000円、年収200万円以下の労働者は814万1000人、労働者全体の17.9%であったが、2007年には平均給与は437万2000円に減少、年収200万円以下の労働者は1032万3000人、労働者全体の22.8%へと増加した。2008年には世界金融危機の影響もあり、小泉内閣以降急速に増加した大量の派遣社員や非正規社員が解雇され、給与だけでなく住居も奪われる(寮から追い出されるため)という事態に発展した。」
ソース:http://ja.wikipedia.org/wiki/新自由主義
 
> ですから バブルがはじけるのは ふつうの出来事なのだと考えます。

 オランダのチューリップバブルはじめ、”バブル発生ーバブル崩壊” の繰り返しの歴史だったように思われます。そして今も新たなバブルを作り出しているようでございますが.....

 ご一読いただきまして、どうもありがとうございました。以降は、愚生の方も新たに立てられたスレッド<洗礼>の方にお邪魔させていただきたいと思っております。

 今後とも、よろしくお願い申し上げます。

この回答への補足

 こちらこそよろしくお願い申し上げます。
 Hidocchi さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。
 
 経営学を専攻した割りには もっともっと経済学をまなんでおけばよかったとくやむ今日この頃です。

 新聞をとっていらっしゃらないのですか。インターネットなどで情報を得ておられるのですね。いちどそうしようかと思ったこともありましたが まだなんとなく紙のほうになじみがあります。

 ★ 新自由主義
 ☆ けっきょくのところ 所得の最低限を保障しようとする《ベーシック・インカム》という考え方が出て来ているようですが もしそのようなセーフティネットが敷かれれば いろんな主義の経済政策が情況とその流れに応じて現われて来ても いいかとさえ思ったりします。
 でもそうはならない仕組みのようですね。
 ▲ (ヰキぺ:新自由主義)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 新自由主義では、方法論的な人間類型が規範化され、すべての個人が整えられた舞台の上で競争しうる原理的な市場主体となるよう、現実の人間を、利己的かつ合理的に行動して自己利益の極大化を図り、自己責任を受け入れる原子的個人に作りかえられようとする。これにより各人は、新古典派経済学が前提する人間類型を受容することが求められるようになる。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 ☆ でもゆくゆくは資本主義も 行き着くべきところに辿り着いて うまくいけば落ち着きを持つのではないかとも思うのですが どうなりますか。
 ふつうの経済生活としての勤勉資本主義とそして この勤勉を目的化してしまうガリ勉資本主義とに分けて捉え 後者からのわるい影響を前者が最小限にくいとめることの出来るような社会経済制度を夢見たこともあったかなというところです。ところが
 ▲ (同ヰキぺ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 新自由主義は、『聖書』や『コーラン』にも似て、新古典派経済学の教科書にある教義に対する信仰を深めて原理的に実践すれば、その経典に優雅な数式で描かれている経済成長と均衡という至福の救いが地上に訪れると唱えているのであり、その点で新自由主義は宗教的な様相をも帯びている、という見方もある 。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ なんですね。竹中平蔵の発言ぶりは そのようですね。

 またあらたなスタートですね。

補足日時:2009/11/03 23:39
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こんばんは、bragelonneさん。



 ☆ これは たぶん《選挙や投票》とは関係ないんとちがう?
 わたしが言ったのは けっきょくふるさとに寄付してそのぶん納税額を分けるとしても 全国としてみれば総額は同じだから 地方交付税などをうまく割り振れば いちいち所得税の申告のときに手続きをしなくても 同じ効果が出せるのではないか。これですよ。
 と言っても その申し出をまとめるのに事務手続きが要るから同じような手間がかかると言えばかかりますね。考えてみれば。


ねぇ、これって民営化の一環?

≪申告分離課税の見直し≫
http://www.findai.com/yogo/0322.htm
http://www.lotus21.co.jp/data/news/0408/news0408 …

証券会社が代行するのは国税の源泉徴収だけで、地方税は対象外

こと証券代行の話だけれども…

対象外の地方税も民間委託しちゃうと…

その事務仕事をこれまで受け持っていたお役所の人の仕事が一つ減る

で、こうくると民間は代行手数料がはいると喜ぶか?

うーん、どうだろう???

なんで、うーん、どうだろう???っておもうのかって?

これまで会社が社会保険の手続きを代行してやってきていたのが

ある時期から、代行返上する会社続出;)))))

―――――― なんでだろうね?

『これまでの「年金加入履歴」について』
http://www.sia.go.jp/top/kaikaku/kiroku/teikibin …

代行手数料はいったんは民間の懐におちてそこから所得税が差っぴかれ
差っぴかれたものは国の懐へとかえる

たとえば所得税と住民税(国税と地方税)って元にする年収の計算方法がちがう

こうなったらどうなる?

タイムラグが起きる…ややこしい、ウサギとカメ


★ 何を?→「韓国ドラマ 大王世宗」
 ☆ あぁ 韓流俳優はイケメンが多いからね。

それがそうでもないらしい
まだみてないからなんともいえんねんけど
うちのお姉ちゃんが言うには、
王位をめぐって兄弟で仲たがいする話が常なところ
このお話はどうもそういうのとはちょとちがうとか

意に背く者あらば死あるのみとばかりに服従を強いる
忠臣はいらないだだ王の意に従うものであればいい
王は忠臣にかかわらずことごとく粛清をおこない王位を誇示
親(王)が絶対者として君臨
王は後に王になる息子(三男)にこれでもかこれでもかと
理不尽な要求をつきつける
仲むつましく暮らす三男夫婦の仲を裂くかのように
王は三男の妻の父にあらぬ罪をかぶせ死に追いやる
8人の側室を持てと三男に迫る
その意に従わねば愛する妻が廃位に…

理不尽なことになぜ理不尽だとものいえぬのか
ものいえば死あるのみ
親(年長者)に盾突くことは親不孝者
子が親を罰することは道徳に反す…
自己の思いと親の意の間で苦悩する三男

三男はやむなくその意をのむ
ただし、妻を廃妃にしないという交換条件のもとに…
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この回答へのお礼

 littlekiss さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 ★ 証券会社が代行するのは国税の源泉徴収だけで、地方税は対象外
 ☆ どうもそうではなく 地方税も同じく証券会社が代行すると思います。(なぜか自信がない)。
 ▲ (県民税株式等譲渡所得割の特別徴収制度)~~~~~~~~~
 http://www.pref.nagano.jp/soumu/zeimu/kenzei20.htm
 (株式等の譲渡益等を支払う証券会社が、その支払いの際に税金を徴収し、源泉徴収口座内の年間の損益を通算し、年間分を一括して県に納めます。)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ★ で、こうくると民間は代行手数料がはいると喜ぶか?
 ☆ 手数料は入らないですよ。たとえば年末調整は 税務当局のために会社が代行していますが いっさい入りません。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 たとえば所得税と住民税(国税と地方税)って元にする年収の計算方法がちがう

 こうなったらどうなる?

 タイムラグが起きる…ややこしい、ウサギとカメ
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 住民税では 所得控除(生命保険料控除や基礎控除など)の額が所得税のときの計算とは違うようです。
 それと住民税額は 前年の所得に課されるので 実際にその税額が徴収されるのは 一年遅れるというぐあいですね。死亡した年の翌年にも課税され徴収されることになる。

 ★ 年金の代行手数料
 ☆ ってあるのかな。どうなんですか?

 ★ 親(年長者)に盾突くことは親不孝者
 ☆ あぁ 儒教社会だそうですね。自分の親に向かっても・またその親のことを第三者に話すときにも 敬語を使うようですね。日本では 内と外を使い分けるので 外の人と話しているとき 内の親や上司について敬語を使わない。
 ★ 大王世宗 / 王は忠臣にかかわらずことごとく粛清をおこない王位を誇示
 ☆ そうなんですか。たしかこの王は 例のハングル文字を制定したりして 名君の誉れ高いと聞いたと思っていたけれど もう昔の情報ゆえ あいまいになっています。
 まだ見ていないのにあらすじを知ってしまったのですね。
 長男と二男はどうなったんですか?

お礼日時:2009/11/03 22:56

ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。

Hidocchiです。

> 【Q:運命と自由 キリスト教】
 ご一読させていただきました。
カール バルト:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC% …

 につきましては、今回初めて知りました。文面にもございますが、カルヴァン(予定論)の影響を受けたと言われていますが、異なる点もあるようでございます(上記サイトからの引用でございます)。

「バルトが主著『教会教義学』等のなかでカルヴァンやウェストミンスター信仰告白の二重予定説を強く批判したのを受けて、それまでは保守的陣営にとどまっていた改革派神学者たち自身が、二重予定説の立論そのものについての抜本的な再検討へと動き始めた。」

 また、以下のような意見もございました(他の宗派のブログからですが.....)。
「バルトもまたカルバンと同じく二重予定論を説くわけですが、カルバンのように神が人間の中に滅びる人と救われる人の二通りを予め定めておいたというのではありません。バルトは、神がキリストにおいて自らを滅びに定め、その代わりとして人間全体を救いに定めたと説くのです。よって神が自分自身を裁きの場に引き渡すとは、人間全体に、唯一キリストにあった救いの選びを贈与することを意味します。逆言すれば、神が人間全体の滅びその身の内に引き取っているのです。つまり“引渡し”の場面においては、キリストの救いと人間全体の滅びが「交換」されているということです。」
http://www7a.biglobe.ne.jp/~tokyochristtetudo/te … 


 本題に移りたいと思いますが、実を申しますと、愚生の理解の範囲を超えております。とりあえずは、交換性がある との前提で話を進めさせていただきます。

ルカ伝 15章11節からの“放蕩息子”の話を思い出しましたが、確かに“神”の前では、(少なくとも、各人が思っているほど)「“ひと”-“ひと”間」の違いは さほどはないのかもしれません。また、

マタイ伝 19章30節から20章14節
しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。
<中略>
それで、受け取ると、主人に不平を言った。『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。

 最後に来たひと:弟子たち; 一方、最初からいるひと:パリサイびとたち というのが、一般的な解釈かと思われますが、
「“神”には、絶対的な判断の自由があり、また、その前ではひとは、大した差異はないのかもしれない」 とも感じました(ひとは 神はそう考えている(に違いない) と勝手に思っている、もしくは好きなように解釈しているだけなのかもしれません)。


> ☆というような《思考停止社会》であれば そこでは すべてが《右へならえ》です。 わづかに対立があるとすれば あるとしても その野生の自然児で異端児のスサノヲは 外へ追いやられます。干されます。

 意見を等しく致します。確かにこの国にも住み難さを感じていらっしゃる方も多いかとおもっております。ですが、愚生のような非力な身は.....

> 全体主義もいいところでしょう。すべては大政翼賛会の体制です。現代でもそうなのでしょうか?

 考えること を放棄してしまいますと、たまたまその場にある雰囲気・空気(もしくは、勢い)により、判断が下されると思います(かのインパール作戦もその1つかと考えております)。以下のサイトは“官製不況”とのタイトルでございますが、愚生の記憶では、特に“2006年から2008年 建設基準法の改正”はメディアによる影響が強かったと思っております。その後、サブプライムローンに端を発する不動産バブルの崩壊により、建築業界(投資・投機先は主に外資でしたので)は惨劇を極めたかと思われます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%98%E8%A3%BD% … 

>  《洗礼=秘蹟》論をもうけました。

 勝手ながら、拝読させてもらっております。もう少し、他の人たちの“回答”を伺ってみたいと思っております。

 それでは、どうもありがとうございました。厚くお礼申し上げます。

この回答への補足

 Hidocchi さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 バルトは わたしの勇み足の部分が出ましたね。
 ▲ バルト神学の正体
 ☆ が言うように 《対極》の関係をバルトは言っているのかも知れません。つまりは このブログ氏は 神と人間との関係についてですが 《へだたり》のほかに《対峙と対立関係》があると言っています。このとき 《対極》関係をおもに見るバルトは 両者に絡みがないと見ているのかも知れません。ゆえに互いに交換性が出てくるのだと。
 さすがにわたしは 《対立や絡み》を無くそうとは思わなかったのですが それでもこの《対立関係》を超えて神から見れば 両者が同じように見えるかも知れないとは思ったのでした。
 これは けっきょく人間は互いにどんぐりの背比べであるという意味を思っていたのですが そのような相対的な対極の関係では たしかに両者の絡みが見えなくなるのかも知れません。
 これは反省です。
 それにじっさい全体像が見えていず 
 ▲ 二重予定説
 ☆ についても把握しておりませんでした。わたしは アウグスティヌスに従って 《神の予知》説をとっています。ひとの自由意志のおもむくところを神は予知し得ているとなりましょうか。でも神を簡単に出すというのは けっきょくは《無根拠》のことを物語りにしているのであり すべては《なぞ》です。

 ▲ しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。
 ☆ この聖句につきましては 異見を持ちました。率直に言って このようにあと先をたがえるようになるのは そうなったとしても 同じように光の子らになっていることに違いはない。というように思うのですが どうでしょう? 


 ▲ “官製不況”
 ☆ これは残念ながら同じ水準でお話できるまでには丹念に新聞記事や詳細な解説をたどって来ていません。新聞記事の全部を読むことをやめてからもう十年以上経っています。(これは ひとことで言いますと わたしの勉強とそこからの発信が 手応えがないので 意欲が薄れた結果です。そういうかなしい経過をたどっています。情けないと言えばそうなのです)。
 これも全体観がないまま考えたことならあります。
 どうも有効需要と言うのでしょうか これは決まっているのではないかというものです。決まっているというのは 新しい製品や商品やサービスが出てくればそれらに応じて増加するという変化を含めて 人口に応じて需要の額は決まっているのではないかという空想を描いています。
 また電気製品や自動車が商品として飽和状態になるといった事態も 需要の量が限度を超えて増えない。つまり 経済のパイを大きくすると言っても 限度があるのではないか。これは 勝手に思っています。
 ですから バブルがはじけるのは ふつうの出来事なのだと考えます。そのつてで言いますと 例のグリーンスパンは バブルのおそれが見とおせたと思われるにもかかわらず まだだいじょうぶだというようなことを示唆したのではなかったでしょうか。つまりそういう余計なバブル状態がつけ加わるかどうかを別として 需要に限度があって成長も自由自在であるとは言えないのではないか。というものです。
 お聞き流しくださいませ。

 今回はこういったお応えに終始しそうです。自分の中でくすぶるものを かろうじて言葉にして表わしたといった程度のお応えです。残念ながら。

補足日時:2009/11/02 22:35
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こんばんは、bragelonneさん。



うへー、今日は当番で朝から出勤。

帰ってきたベ。ただいまー

☆ 朝鮮の古代史に関心がおありなのですか? 古代の科学にですか? 朝鮮との交流の歴史にですか? このような文化遺産を民間人が保存につとめているということでしょうか? 寄付の問題につながるのでしょうか? この慶州に行ったことがあるとか?

うんにゃ、まだみてないんだけどいまちょっとみてみたいなと

何を?→「韓国ドラマ 大王世宗」

社会科の時間で、高句麗・新羅・百済…云々という名はきいたことはあるけど

いま地図をみて名をあてはめるとなると、どこがどこだかさっぱり???

うーん、国の成り立ちは…これまたさっぱり???ハテナが飛ぶ

知らんこといっぱい。

主旨と趣旨←これもそう、ようわからん。


●ふるさと納税をしたいという希望(つまり申し出)を聞いて その総額に応じて地方自治体に割り振れば 同じ効果が出るように思いました。(身も蓋もないことを言いましたが)。


そやろか?

あくまでも私見やで、ただ納税を意図してるだけじゃないんちがうかな?
ちょっと見方変えれば、投票スルという行動に慣れてもらう訓練の機会にもおもえんねんけど。選挙になればどのチャンネルつけても選挙放送一色。マスコミ各社おまつりの雰囲気づくりに躍起になる。これだけやったら、投票所へ足を向ける人の数も増すかとおもいきや、そうでもない。考えるんちがう、何があかんねん!と、嘆きにも似た声がどこぞからきこえてきそう。選挙アレルギーを起こしてる人たちにことを変えてちょっとでも馴染んでもらえたらっておもいもあんのんちゃうかな?
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この回答へのお礼

 littlekiss さん こんばんは。おかえり。おそいんですな。ご回答をありがとうございます。
 
 No.88補足欄も見てくれましたか? その儒教はもういいのですか?

 ★ ふるさと納税・・・ / そやろか?
 ☆ これは たぶん《選挙や投票》とは関係ないんとちがう?
 わたしが言ったのは けっきょくふるさとに寄付してそのぶん納税額を分けるとしても 全国としてみれば総額は同じだから 地方交付税などをうまく割り振れば いちいち所得税の申告のときに手続きをしなくても 同じ効果が出せるのではないか。これですよ。
 と言っても その申し出をまとめるのに事務手続きが要るから同じような手間がかかると言えばかかりますね。考えてみれば。

 ★ 何を?→「韓国ドラマ 大王世宗」
 ☆ あぁ 韓流俳優はイケメンが多いからね。
 冬のソナタをいくらか見ましたよ。あまりにも交通事故に遭い過ぎだと思った。
 ★ 高句麗:こうくり;コグリョ
  ・新羅:しんら / しらぎ; sinla > silla シルラ
   * しらぎのギは キ=城らしい。
  ・百済:くだら;ペクチェ(=ヒャクサイ)
   * くだら=クン‐ナラ(クン:大きい ナラ:国)

 ☆ 新羅は 日本海側。慶州が都。百済は東シナ海側。扶余が都。高句麗は中国東北地方から半島に降りて来た。ソウル。
 このあいだNHKで 倭寇の話をやっていた。朝鮮半島や中国に 貿易をも兼ねて 出向いていったらしい。中世のころ。
 ことばも似てるしね。
 サムスンは発展したようですねぇ。
 キリスト教の教会での祈る様子を見たら すごい光景ですよ。神がかり見たい。その点は 国民性がちがうよう。

お礼日時:2009/11/01 23:04

オコリザルです。


無神論的精神世界を持って日常を送ると、信仰を志す者、信仰心を表ざたにする者全般が、無神論にとっては、神への裏切り者、神に取りすがる弱者、世界の神聖さを理解する知性を失った廃人、などと写ります。
本来は他者に信仰に無関心ではなくて人間としての尊厳を尊重しようとする礼節は有りますが、何処かしら上記の様な軽蔑を持ってしまうモンです。
コレには神の話題なのか、人間性の話題なのかがはっきりと区別できない場合には無神論的神の冒涜という愛情表現が、なぜか人間様のほうに思い当たる節があってご機嫌を損ねたりさせてしまう場合につながります。
話題が仏の話だったりすると、彼は人間なのかそれとも神なのかで論議が割れるのに似ています。

今回のyy8・・・さんの場合もそのような勇み足でしょう。
無神論者は生活に係わることで神の名で謝罪の言葉を述べるという芸当が出来ません。
したがって権現様の場合も同様に謝れません。
私の哲学バトルでの心情も「負けました」は言いますが「ごめんなさい」は言いません。もし、ごめんなさいを言うとしたら「あっかんべー」の意味です。
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この回答へのお礼

 オコリザルさん ご回答をありがとうございます。
 そうですかねぇ。わたしはほとんど同じ趣旨だと思うのですがどうですかねぇ。

 ★★ (No.11) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 私は宗教に深くかかわらない平凡な日本人として生きていますが、このように生きると、自らの信仰を表ざたにしない事となります。
 無神論者で居られるのは信じることあるが故とも実感しています。
 この日本流無神論をどう説明していいか、とっかかりは有りませんか
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ◆◆ (No.12) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 オコリザルさんの今回の意見に近い感想を、私も持っています。

 ( a ) 無神論者といえども、全く神、仏を信じていないわけではないでしょう。

 神仏を全く信じないという人が、居ないわけではないと思いますが、そういう人でも、潜在意識の中には必ずあるはずです。本人が気づかないだけで。

 ( b ) また、信仰を“している”人より、無心論者の“信心”のほうが偏りがないのでは、と日ごろ思っているのですが。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ ( a )を言いかえればいいのですよ。
 ◆◆ ( a ) 無神論者といえども、神、仏を信じていないわけではないでしょう。
 ⇒ ○ 無神論者といえども、≫《無神》と呼ぶところの≪ 神、仏を信じていないわけではないでしょう。
 ☆ その根拠は ( b )の判断にあると思います。
 まったく趣旨は同じだと言っていいかも知れません。
 念のため それも言いかえておきましょうか。
 ◆◆ ( b ) また、信仰を“している”人より、無心論者の“信心”のほうが偏りがないのでは、と日ごろ思っているのですが。
 ⇒ ○ また、信仰を“している”人より、無神論者の“信心” ≫いやちがった 非思考のこころ≪ のほうが偏りがないのでは、と日ごろ思っているのですが。
 ☆ ね? どうでしょう?

お礼日時:2009/11/01 19:58

こんばんは、bragelonneさん。



●この主題を課題として取り上げたいというのであれば 指摘してください。ませ。


m(_ _)mども、おことばにあまえ


これからお願いします→“ Q:儒教は宗教か? ”


【総務省 ふるさと納税研究会報告書】
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/kenkyu/furusa …


【新羅歴史科学館】
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/06/0706 …

この回答への補足

 ★ 【総務省 ふるさと納税研究会報告書】
 ☆ 寄付金をつうじてということなんですね。
 この理念や考え方にまったく同感するのですが 手続きとして見るならば けっきょく国からの地方交付税として交付される金額を調整すれば済むかに思われました。どうなんですかね。
 ふるさと納税をしたいという希望(つまり申し出)を聞いて その総額に応じて地方自治体に割り振れば 同じ効果が出るように思いました。(身も蓋もないことを言いましたが)。

 ★ 【新羅歴史科学館】
 ☆ 朝鮮の古代史に関心がおありなのですか? 古代の科学にですか? 朝鮮との交流の歴史にですか? このような文化遺産を民間人が保存につとめているということでしょうか? 寄付の問題につながるのでしょうか? この慶州に行ったことがあるとか?

補足日時:2009/10/31 23:04
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この回答へのお礼

 littlekiss さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 しかしこの平安は どうですか。パレスチナに平和がおとづれたみたい。と早く言いたいところですね。
 今回は どうもわが天使さんは じっと見守っていましたね。忘れたころにやって来る。
 それで何ですか。
 ★ “ Q:儒教は宗教か? ”
 ☆ ですって? こんなん苦手やがな。だれか詳しいひとおらんかな。
 かつて 加地信行『儒教とは何か』(中公新書 1990)を読んで或る種の衝撃を受けた記憶があるのですが 今ではその衝撃がどんなものだったか これをもう忘れているという体たらくです。その本も探しましたが どこへ行ったか見つかりません。

 孔子は 道徳・倫理思想を説いたと思います。宗教ではなくです。でもその死後にその思想がどう人びとに受けとめられたかは どうなんでしょう? 非思考つまり信仰をもとにした宗教教義へと変わってしまったのでしょうか? どうでしょうか?
 わたしは イスラームもけっこう勉強しました。文献がおもですが量は多いです。でもけっきょくのところ ムスリムたちの生活がどういとなまれているのか これが――テレビの報告などで見てはいますが――よく分かりません。クルアーン(コーラン)に書いてあることとそれが生活においてどう受け止められているのかと そのつながりがどうもさっぱりピンと来ていません。よく分かりません。
 道徳の実践として受けとめているのか。あるいは倫理規範を倫理規範として受けとめるけれども それと生活日常とは別だという捉え方が あたまとこころの片隅にあるのか。よく分かりません。
 儒教も 言わば盛んですよね。生活に入っているのでしょうね。

 けっきょくのところ わたしとしましては――これは 仏教にも言えることですが―― 非思考つまり信仰の領域とそして経験思考で捉える倫理思想の部分とを きちんと区別して欲しいということです。
 ブッダは神か? 孔子は神か?
 (阿弥陀仏は 類型的に 神だと思います。そのほかの仏教は たぶん信仰ではないのでしょう。儒教はいったいどうなっているのでしょう?)

 ごめんなさい。こんなところです。つまり分かりませんになります。おしえてください。

 例によって参考資料はあらためてあとで。

お礼日時:2009/10/31 22:14

 ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。

Hidocchiです。

 閉めてしまわれたと 勘違いをしてしまい、誠に申し訳ございませんでした。

>  むろんここでさらに突っ込んでいただいてもいいですし Hidocchi さんご自身が質問を立ちあげられてもよいでしょうし まったく自由だと思います。

 もう少しだけ、お話させていただければと、思い筆をとらせていただきました。もちろん、ご質問者様の了解を得られればでございますが......

> やはり小沢一郎の存在は やや疑問の方向に傾きます わたしは。すでに過去の政治家だと思って来ましたから いまさらどうなのかというところですが 考えてみますと どうも感覚的な嫌悪感によるというあやふやな見方であるようです。

 愚生も好む人物ではございません。経世会(旧田中派の後身)の名残があるのかもしれませんが、「影で操る」という先入観がどうしてもございます。あのときの政治もわかりにくかったのですが(自民党が選挙で勝っても、誰が首相になるのかは、経世会次第という状況だったかと記憶しております。実際海外のメディアが、日本の政治を理解するのにはとても苦労したそうです)、あの人の存在が見え隠れしますと、何を考えているのか? といつも思ってしまいました。はっきり申しまして、「もし本当になるのだったら、途中で辞任・頓挫するようなことをせず、長期を覚悟で首相なりをおやりなさい」と思っていました。


「社会」というものに対しまして-----------「“空気”による支配?」

マタイ伝 27章 22から24節
・ピラトは言った、「それではキリストといわれるイエスは、どうしたらよいか」。彼らはいっせいに、「十字架につけよ」と言った。(22節)
・しかし、ピラトは言った、「あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか」。すると彼らはいっそう激しく叫んで、「十字架につけよ」と言った。(23節)
・ピラトは手のつけようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の前で手を洗って言った、「この人の血についてわたしには責任がない。おまえたちが自分で始末するがよい。」(24節)

 上記、23節からもお分かりのように、極刑にする、という理由はどこにも存在しないという状況です。
 しかも、ピラトすら、その任を放り投げてしまいます。

 つまり、“空気”による支配(ここでは、私刑:リンチ)の凄まじさを述べているかと考えております。かような“空気”により支配された社会(集団)とは、最後には、イエスが述べた ルカ伝 23章28節の文言に繋がったような気がするのですが、いかがでしょうか?
 とかく、日本人は論理的判断というのはあまり得意ではないかと思うのです。確かに情緒的な面は、文化を形成する上で、必要にして十分なものを持ち合わせているとは思うのですが、論理的な議論が苦手なのか、精神論、もしくは上記のような“空気”による判断・決断をしてしまうことがあると思われるのですが、どういうご印象・お考えをお持ちでいらっしゃいますでしょうか?

 ご一読いただきまして、どうもありがとうございました。

 末尾ながら、愚生による、勘違いのため、ご返答が遅くなってしまった非礼 深くお詫び申し上げます。

この回答への補足

 Hidocchi さん まだつづいていました。こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 昨日 次の質問に投稿しました。
 【Q:運命と自由 キリスト教】
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5408439.html
 ☆ K.バルトの『ローマ書講解』から引いたのですが そこでは 或る意味でおもしろい解釈に出会いました。
 そもそもは
 ▲  「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」(マラキ書1:2-3)
 ☆ ここから出発します。双子のうち兄をしりぞけ弟におぼえが芽出度いというのは いかなるわけか? です。
 ひとつの結論は あたかも二つの事項が対立するかのようなふたりの存在について 神からみれば 同じようなものだという感じがそれです。(西田幾多郎の言う《絶対手矛盾的自己同一》になるのかどうか。ニコラウス・クザーヌスの coincidentia oppositorum でしょうか)。
 ヤコブとエサウ。そしてモーセとファラオも同じようだと言います。(=ローマ書9:11-18です)。

 もし――もしです もし――この考え方に従うなら
 ○ イエスとピラト / イエスとサンヘドリン / イエスと民衆 / あるいは〔ここでは出ていませんが〕イエスとユダ
 ☆ といった対立する〔と見た場合のことですが〕二者についても 神からみれば対立はほとんどないと言えるかも知れない。とは思いました。
 それもこれも 何を隠そう つい先立ってまでここでわたしも繰り広げてしまった対立するやり取りがあたまに鮮やかなまま残っていたからです。
 モーセがあれほど わが民を去らせよと迫ってもファラオは聞く耳を持ちませんでした。きわめてかたくなな態度をつらぬきました。映画『十戒』でも知られていますから 広く人びとは思うところがあるのではないでしょうか。

 ただしバルトは この対立する両者が つまりたとえばエサウとヤコブとがけっきょく互いに同じではないかとまで言っています。互換性があるというまでに見ていて さすがにこれはおかしいのではないかとは思いました。一人ひとりは 人格が別だと思います。

 ただし
 ★ 「社会」というものに対しまして-----------「“空気”による支配?」
 ☆ というような《思考停止社会》であれば そこでは すべてが《右へならえ》です。わづかに対立があるとすれば あるとしても その野生の自然児で異端児のスサノヲは 外へ追いやられます。干されます。全体主義もいいところでしょう。すべては大政翼賛会の体制です。現代でもそうなのでしょうか?
 オザワイチロウにそのケがありやなしや?

 * Hidocchi さん わたしのほうとしましては 《洗礼=秘蹟》論をもうけました。

補足日時:2009/10/31 21:37
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