こんにちは。
フランス20世紀の小説家であり思想家でもあり劇作家でもあったサルトルについて質問です。
質問内容が哲学なのか文学なのか分からなかったのですが、一応哲学で。
彼が『嘔吐』という文学作品を通して実存主義を人々に伝えるために何故文学を選んだのか、という命題を置きました。
そして今、『文学とは何か』を読み始めているのですがそこに彼の文学に対する『何』を見出すことができるか、簡単に教えていただけると今後読み進めていく上で少し章立てがしやすいかなと踏んでいます。

現時点で私が読んだ関連作
カミュ『異邦人』『ペスト』
ボヴォワール『他人の血』『娘時代』
サルトル『嘔吐』『実存主義とは何か』『汚れた手』『蝿』
ベルクソン『テスト氏』
読み途中『カミュ=サルトル論争ー革命か反抗かー』

私的な意見でも構いません。
よろしくお願いします。

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A 回答 (3件)

まず、『嘔吐』が執筆されたのは1938年であり、『存在と無』が1943年、『実存主義はヒューマニズムか』の公演が1945年、『文学とは何か』は1948年です。

重要なのは『嘔吐』と『存在と無』の間にサルトルが戦争捕虜となっている点です。サルトルの『戦中日記』や後の対談等から読み取れるのは、サルトルが政治の問題に目覚めたのは捕虜体験からということです。『嘔吐』執筆時点ではサルトルは個人主義者であり、偉大な作家の人生が送れればそれでよいと単純に考えていた節があります。

「そうしてできあがるはずの人生も、私の頭の中ですでにあらかじめ描かれていた。それは、書物をとおして姿を現わすような、偉大な作家の人生だった」戦中日記p87

それが捕虜体験を経ることで、この世界で起こること、それは政治であったり諸々の社会問題であったり、とにかくすべてのことにわれわれは責任があり、それを引き受けなければならないというアンガージュマンの考え方が芽生えたと考えてよいでしょう。これは明らかに『嘔吐』ではなく、『存在と無』以降の思想です。
また、サルトルが実存主義という言葉を使いだすのは『実存主義とは何か』以降です。これもマスコミが実存主義という言葉をサルトルに対して使いはじめたのを受け、否定するのではなく、むしろ積極的に引き受けた、その結果なのでした。『存在と無』の中では実存という言葉すらほとんどまったく出てきていません。

よって、
>『嘔吐』という文学作品を通して実存主義を人々に伝える
というのは正確ではありません。前述の通り、もともと実存主義という言葉すらサルトルが使い始めたものではありませんでした。さらに言えば『嘔吐』の出版が決まる前にはサルトルはノイローゼ気味であり、思想を広めるどころの騒ぎではなかったのです。

「そして、ちょうどこの時期、最低の状態で――あまりにもみじめで、何度も平然と死を思ったほどだった」戦中日記p94

『嘔吐』にサルトルの哲学的直観が多数含まれているのはほんとうです。ただ、『嘔吐』をもってイコール実存主義というのは問題を単純化しすぎではないでしょうか。

ともあれここまで来れば『文学とは何か』の位置づけが理解できます。すなわち、『存在と無』以降のアンガージュマンの思想が色濃く反映された文学論です。人はみな今いる社会の中で、歴史の中で生きている、すなわち状況の中にいる。であれば文学の目的はただひとつ。状況の文学であることです。全体的な歴史と状況を書くことで、それを読者に発見させること。ひとたび文学の目標がこう設定されれば、書くこととはすなわち読者に向けて書くことであり、読者に呼び掛けることです。
そして現代社会の抑圧が文学において発見されるべき状況となってくれば、文学が呼び掛ける読者も必然的に抑圧されている人々とならざるをえません。こうしたきわめて政治的・倫理的な色合いを帯びた読者中心の文学論が、『文学とは何か』におけるサルトルの立場ではないでしょうか。
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>彼が『嘔吐』という文学作品を通して実存主義を人々に伝えるために何故文学を選んだのか、という命題を置きました。



まず、古来、優れた哲学者は同時に優れた文学者の理解者であり、讃美者でもあり、かつみずから文学者たらんとしていたと思います。
『嘔吐」では、ロカンタンが、彼を取り巻く現実社会、彼を支配している諸制度と自分の感覚との間のズレ、齟齬が感知されると同時に、吐き気に襲われるという寓喩によって、より体感的、生理的、つまりより具体的に人間の自由の基本性格を描こうとしたのではないでしょうか。

>そして今、『文学とは何か』を読み始めているのですがそこに彼の文学に対する『何』を見出すことができるか、簡単に教えていただけると今後読み進めていく上で少し章立てがしやすいかなと踏んでいます。

私は、『文学とは何か』のフロベールを援用しての、前進的方法、遡行的方法の章を興味深く読みましたが、彼のライフワーク、未完の大作、L'idiot de la familleはその実践例ではないでしょうか。

本当の文学というのは、言葉を自己(の観念等)表現の手段や媒介と考えるあらゆる非文学的思考とは異なり、人間である限り、言葉の限界を超えて考えることができないことを弁えた者によってなされる思考の痕跡、軌跡にほかならないと思います。

その意味で、サルトルが文学の方法で彼の哲学を実践しようとしたのは、あくまでも彼の内的必然性及びその哲学的要請に従ったまでのことではないでしょうか。
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FWマルト



http://note.masm.jp/%A5%B5%A5%EB%A5%C8%A5%EB/
サルトルが言うには、「実存主義とはヒューマニズムである」そうです。
実存主義が生まれた原因をサルトルの言葉を借りて言えば、科学の発展によって神の絶対的価値観が否定され「人間は自由という刑に処せられている」からです。
実存主義を描くために、その「刑」に処せられた人間の苦悩を描くには文学が適していたのではないでしょうか。
哲学というのは論理の連鎖ですから感情的なものを書くのはあまりよいジャンルではないのかもしれませんね
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Q「契約結婚」の最終回

「契約結婚」の最終回をご覧になられた方、
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宜しくお願い致します!!

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万砂子が慎太郎を式中に奪いに行きます。
「私と一緒に生きて!!」みたいなことを言います。
慎太郎は祥子に「選ぶのはあなただ」と言われ、万砂子を選ぼうとすると、恵子がナイフで「殺してやる」とおそいかかってきます。
まわりが止めます。

二人は走り去り、恵子は暴れまくり、「殺してやる」といいながら酒を飲みます。
雨の中ドレスもどろどろになり、呆然としながら若林の所へ行き「前みたいになぐさめて」といいながら、ねむってしまい朝になると、若林が息を吹き返し「世界で一番愛してる」と言います。
この二人の話しはここで終わりです。

主役の二人の話に戻ります。
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エンディングが流れながら砂浜を三人で仲良さげに笑いあいながら、歩いています。

個人的に見なくてよかったと思いますよ。^-^;

万砂子が慎太郎を式中に奪いに行きます。
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Q1966年にサルトルとフーコーが論争したことはポストモダン思想の歴史上

1966年にサルトルとフーコーが論争したことはポストモダン思想の歴史上重要なポイントだった、

みたいなことが本に書かれていたのですが、どういう内容の論争だったのでしょうか?

論争のことが書かれた本などはないですか?

Aベストアンサー

内容は知りません。
未見ですが、『ミシェル・フーコー思考集成 3 』
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480790231/
の「フーコー、サルトルに答える」が該当するのではないでしょうか。

目次を見ると、「プルースト宛書簡」なんかもあって、ずいぶんおもしろそうですね。読んでみよう。

参考URL:http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480790231/

Q文学研究科 大学院 修士論文のペース

こんどからMC1年になります。
文学・歴史・哲学の大学院の修士論文の2年を通したペース配分について教えてください。
とくに経験者の方。

厳しい倍率でDCに進もうとしているので、かなり優良な論文を書かないといけません。

Aベストアンサー

 こんにちは。私は法学系の修士を修了した者です。分野が違いますが、参考にでもなればと思い書かせていただきます。

 まず、MCの2年間はあっという間に終わります。特に2年目は、理解不足、知識不足、文章の校正(書き直し含む)などでもたもたしていると、論文提出期限に間に合わなくなります。そのため、留年する人もいますのでスムーズにステップアップしようとするには、要領よく研究を進める必要があります。
 ではどうすればよいのかですが、matekiさんは具体的な研究テーマを決めておられるのでしょうか?まずはこれが決まらなければ、話になりません。遅くとも、M1の前期終了時もしくは後期開始後すぐの頃までには、暫定的でも決めている必要があります(大学院によっては研究計画書の提出期限がありますので、その期限日の中間日くらいまでには決めておいた方がよいと思います)。その際、必ず指導教授と何度も相談をして、分野やテーマを絞ってゆくことになると思います。
 指導教授にはDCに進むこともきちんと伝えて、テーマ選択の助言をしてもらわないといい評価には結びつかないと思います。
 
 テーマが決まったら、資料集めと読み込みに入ります。これも一応1,2ヶ月の間に要領よく集めて文献カードにしておきます。かなりの量の資料に目を通すことになると思いますので、これも最初はざっと目を通すぐらいにして、とにかく必要な資料を把握することに努めた方がいいです。
 そして、精読して自分が立てた項目や問題意識が誤っていないかどうかを検討する作業に入ります。最初に考えた問題から変わっていくこともありますので、これを早めに終えておくと、その次の修正が楽です。
 ざっと、読み込みを終えたらもう一度項目立てをやり直します。これが大体M2になってすぐくらいの時期です。それから本格的に論文作成に入ってゆくのですが、少なくとも3,4回は書き直すことになると思います(論文構成や、文章表現の上手でも2回くらい)ので、理想的には夏休み前くらいには初稿(下書き)を書き上げて教授に見てもらいましょう。どういう文章をどのくらいの分量書けばよいのかについては、諸先輩方の論文や他校の論文を参考にされるといいですよ。
 秋口になったら本格的に論文作成に取り組み、2稿目3稿目を書くことになります。同時に資料の再読がありますので、並行してこなします。ただし、外国語文献をこの時期に訳し始めているようだと、下手をすれば間に合わなくなるので特に外国語文献の資料は夏休み中には整理しておくことが必要です。
 こうして、M2の暮れまでにできあがるように計画を組んだ方がよいです。提出期限が年内の場合には当然ですが、年明けの場合でも必ず修正点が出るので前倒しの計画を立てて研究を進めた方がいいです。
 ちなみに私は、年が明けても死ぬほど書いていました。しかも、焦って書いた論文がいいものであるはずがありません。ひどい評価でした。

 大学院でも論文の研究だけでなく、講義などもあろうかと思います。また、外国語が非常に得意であれば問題ないですが、DC入試には外国語のテストもあると思います(資料の読み込みでも必要ですが)ので並行してそれらをこなさなければなりません。文章の練習もしなければならず、やることいっぱいで大変ですが頑張ってください。
 

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Q【哲学】ニーチェ→サルトル→?ニーチェ→サルトル→の次は誰ですか?ニーチェ→サルトル→の源流

【哲学】ニーチェ→サルトル→?

ニーチェ→サルトル→の次は誰ですか?

ニーチェ→サルトル→の源流を組むサルトルの次の哲学者の名前と○○主義を教えてください。


ニーチェ→サルトル→以外の源流を組む哲学もあるんですか?

Aベストアンサー

私は、西洋哲学の歴史的な流れを語るほどに、いろいろと著作を読んでゐるわけではありませんので、直接の回答はできません。OKWaveでは同じ質問にいくつかの回答がついてゐますから、そちらを御覧ください。

そもそも
ニーチェ→サルトル→?
といふ図式が出てくるのが不可解です。アホの私の頭では、ニーチェとサルトルは単純にはつながりません。ニーチェはキリスト教の腐敗を批判しましたが、聖書の世界を否定したとは思へません。強大な力の必要性を説きました。人間の世界ではどうしても神が必要になる、その神を追ひもとめてゐたのではないでせうか。宗教をふくめた人間そのものを肯定したのがニーチェです。当時のドイツの尊大な学者についてかう書いてゐます。
「学者はこうして自信をもって、その本能によって、宗教的な人間は、自分よりも価値が低い劣った人種だとみなすのである。」
(ニーチェ『善悪の彼岸』第3篇58 中山元訳 光文社文庫 140,141ページ)

先日別の質問にも回答いたしましたが、ネット情報ですませてゐたのでは、プラトン、アリストテレスなどの名前だけでありがたがつて、表面的に高尚な哲学だと信じこむだけです。私なら
プルタルコス→エラスムス→ニーチェ
です。哲学カテゴリのみなさんの見解もさまざまです。マキアベリやモンテーニュの名をお出しになる方もいらつしやいますし、タレスはアルケーだ、アウグスティヌスを崇めるのだ、マッハ以前の哲学はゴミだ、ウィトゲンシュタインの前で沈黙すべきだ、などなど諸説あります。ナナミさんも御自身でお決めになるのがいちばんよろしいかと存じます。

私は、西洋哲学の歴史的な流れを語るほどに、いろいろと著作を読んでゐるわけではありませんので、直接の回答はできません。OKWaveでは同じ質問にいくつかの回答がついてゐますから、そちらを御覧ください。

そもそも
ニーチェ→サルトル→?
といふ図式が出てくるのが不可解です。アホの私の頭では、ニーチェとサルトルは単純にはつながりません。ニーチェはキリスト教の腐敗を批判しましたが、聖書の世界を否定したとは思へません。強大な力の必要性を説きました。人間の世界ではどうしても神が必要になる、その...続きを読む

Q本を借りるのは無料。ビデオを借りるのは有料。 なぜ?

本を借りるときは、図書館から無料で借りる。
ビデオを借りるときは、レンタルショップから有料で借りる。

これが9割以上の人にとって普通になってますよね。
法律がどうこうというよりは、なぜ、どういう背景で、そういう世の中になっているかが、わかりません。

例えば、
文学作品や伝記を読むのはタダ。
文学作品や伝記を映画化したビデオを見るのは有料。

不可解です。
なぜ、これが普通な世の中なのでしょうか。
本の貸し出しが有料になったり、ビデオの貸し出しが無料になったり、色々な場合があったほうが、かえって、不自然でないような気さえします。
説明していただける方、いらっしゃいませんか。

Aベストアンサー

個人的な意見です。

ビデオやDVDなどの映像媒体の歴史が浅いからではないでしょうか?
例えば、昔は、文化に触れるには紙媒体しかありませんでした。
また娯楽に関しても、本が最も大きいものでした。

しかし、本は一般庶民からすれば高いものでした。
また、今のように印刷技術・物流が発展していない時代では手に入れることも難しかったのではないでしょうか。

そのことから、公共の福祉や文化水準の向上を考えると、
国や地方自治体がそういった場を用意したほうがよくなります。

そのことから図書館がうまれたのではないかと。
また本については、学術的な面もありますし。
(昔は識字率の向上などの面もあったのかもしれません)

逆に映像媒体は本に比べて歴史が浅いですよね。
また、本は歴史的経緯から、価値観など商業的・娯楽的側面が低いようにおもいます。
本と映像媒体の扱いの差といってもよいかと。

それらのことから、公共の観点から映像媒体の図書館といった位置付けのものがないので、
質問者さんの意図する、有料と無料といったケースがないのではないでしょうか。

著作権の概念が希薄だった時代に図書館制度ができているという経緯も大きいかとおもいますが。

個人的には今のままの図書館制度なら廃止してしまえと思っています。
著作権者に対する報酬というか保護がないシステムですので。
この辺は近年問題になっていますけどね。

個人的な意見です。

ビデオやDVDなどの映像媒体の歴史が浅いからではないでしょうか?
例えば、昔は、文化に触れるには紙媒体しかありませんでした。
また娯楽に関しても、本が最も大きいものでした。

しかし、本は一般庶民からすれば高いものでした。
また、今のように印刷技術・物流が発展していない時代では手に入れることも難しかったのではないでしょうか。

そのことから、公共の福祉や文化水準の向上を考えると、
国や地方自治体がそういった場を用意したほうがよくなります。

そのことから...続きを読む

Qサルトルの思想について教えてください

サルトルについてレポートを書くことになりました。
哲学は初心者で相談したところ間違った解釈でもかまわない。高度なものは望んでない、どう感じたのか知りたい。と言われました。
彼の生涯や著作(時間がないので読んではないのですが)を調べてみたのですが感じたことだけ書くとただの感想文になってしまい、レポートもあまり書いたことがないのでなかなか手につきません。

彼の思想について、何でもいいので教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

残念ですが、彼の著作を全く読んでいないのにアドバイスを
するのは結構難しいのです。
参考に、サルトルについて簡単にまとめた方のページ
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/8951/sartre1.html,http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0505/sin_k232.html 

2005年に岩波新書で出たサルトルの解説本(200ページぐらいですので最低限これぐらい読んでおけばただの感想文にはならないはずです)
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0505/sin_k232.html
を紹介しておきます。

参考ページにも書いてありますが、一時期日本の青年たちに大変
大きな影響を与えたいわゆる「実存主義」の哲学者ですが、
ハイデッガーとはちょっと違いますかね。

あとは、質問者さんのセンスしだいだと思います。
サルトルという哲学者の生きた時代がどのような時代だったか、
そしてマルクスやハイデッガーの後に生きる哲学者としての
彼の思想についてかければ内容はどんなものでも
レポートとしては問題ないと思いますよ。

残念ですが、彼の著作を全く読んでいないのにアドバイスを
するのは結構難しいのです。
参考に、サルトルについて簡単にまとめた方のページ
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/8951/sartre1.html,http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0505/sin_k232.html 

2005年に岩波新書で出たサルトルの解説本(200ページぐらいですので最低限これぐらい読んでおけばただの感想文にはならないはずです)
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0505/sin_k232.html
を紹介しておき...続きを読む

QFireFoxのアドオン「bbs2chreader」について

firefoxにbbs2chreaderを入れてるのですが、firefoxを起動するたびに「2chビューアにログイン失敗した」というような表示がでます(英語ですが)確かにbbs2chreaderを入れて設定は特にいじってないので「2chビューアを利用する」という所のIDもPASSも入ってません。というより2chビューアが何なのか、何が出来るのか知りません(汗)bbs2chreaderを入れたのは2chが見やすいとどこかで目にしたからです。ですが2chを頻繁に使うわけでもないので・・・やっぱりIDとかあった方がいいでしょうか?どこで登録するんでしょう・・・

Aベストアンサー

bbs2chreaderを開いてツール→オプション→全般タブ→2chビューア→設定
で2chビューアを利用するのチェックを外したら直りませんか?

Firefoxのツール→アドオン→拡張機能タブ→bbs2chreader→設定でも同じ操作が行なえます。

Qニーチェ~ハイデガー~サルトルの思想的つながりは?

19世紀末にニイチェは、このプラトンのEssentia(本質存在)がExistentia(現実存在)に優位するという「プラトン主義」と「形而上学」をひっくり返し、西欧の2500年の「形而上学」の歴史に終止符を打ちました。

これを受け継いだのがハイデガーで、ハイデガーはデカルト以来の意識中心の、自我を出発点に取る近代哲学を放棄し、人間の事実存在(実存)に出発点にとる「実存哲学」を始めることになりますが、後期になるとサルトルの「実存主義」と区別するために、今度は人間を中心とする「実存哲学」から「転回」し、「存在」を中心とする「存在論」を展開しました。



という哲学の解説を読んで興味が湧きましたが、ところどころ分かりませんでした。

前半の、ニーチェが「プラトン主義」と「形而上学」をひっくり返した、とはどういうことでしょうか?

後半で、ハイデガーは自我を出発点に取る近代哲学を放棄し、人間の事実存在(実存)に出発点を取る「実存哲学」を始めた、とありますが、自我を出発点に取るのと実存に出発点を取るのとではどう違うのでしょうか?

サルトルと区別するために~とありますが、結局やってることがサルトルと似てきちゃった、ということですか?

ハイデガーは結局サルトルを超えるような仕事をしたんでしょうか?それともサルトルとは全然別の種類の分野に進んだ、ということですかね?

19世紀末にニイチェは、このプラトンのEssentia(本質存在)がExistentia(現実存在)に優位するという「プラトン主義」と「形而上学」をひっくり返し、西欧の2500年の「形而上学」の歴史に終止符を打ちました。

これを受け継いだのがハイデガーで、ハイデガーはデカルト以来の意識中心の、自我を出発点に取る近代哲学を放棄し、人間の事実存在(実存)に出発点にとる「実存哲学」を始めることになりますが、後期になるとサルトルの「実存主義」と区別するために、今度は人間を中心とする「実存哲学」から「転回」し...続きを読む

Aベストアンサー

 こんばんは。まず基本的な「データ」の誤りから修正していきます。
サルトルが『存在と無』を発表したのは1943年であり、ハイデガーが『存在と時間』を発表したのは1927年です。この部分で質問者の質問には基本的な誤解があります。
 齋藤信治や川原栄峰そして木田元、滝浦静雄等の説明によれば、ハイデガーはサルトルの著作を目にして烈火の如く怒ったとのエピソードも伝わっています。それは『存在と時間』のどこをどう読めば、あのような妙な焼き直しの文章になるのかとの理由があったとされています。
 ハイデガーは思索家であると同時に優れた哲学史家でもあり、それはニーチェの言葉を『ニーチェ-美と永劫回帰』『ニーチェ-ヨーロッパのあらゆる価値観の顚倒』に見られる、デカルト以前とデカルト以後の対比を通して見た「『存在』への問い」に表れています。
 サルトルが実存主義であるかとの問いには疑問視される見解もしばしばあり、必ずしも彼が実存主義者であるとはいいかねます。
 ご参考にすべきは、フッサールとハイデガーでありここにサルトルなどがつけいる余地は寸分などもありません。
 なお参考文献として、齋藤信治の『哲学初歩』あたりをお読みになることをお勧めします。

 こんばんは。まず基本的な「データ」の誤りから修正していきます。
サルトルが『存在と無』を発表したのは1943年であり、ハイデガーが『存在と時間』を発表したのは1927年です。この部分で質問者の質問には基本的な誤解があります。
 齋藤信治や川原栄峰そして木田元、滝浦静雄等の説明によれば、ハイデガーはサルトルの著作を目にして烈火の如く怒ったとのエピソードも伝わっています。それは『存在と時間』のどこをどう読めば、あのような妙な焼き直しの文章になるのかとの理由があったとされていま...続きを読む

Q文学少女を『月が綺麗だ』を引用し口説く方法

大昔(近代文学)の日本のドロドロな恋愛小説を彼女が褒めて語っていて
僕は文学は好きですがドロドロ恋愛小説に興味がないんです。

でも僕はかの有名な『月が綺麗だ(Iloveyou)』を引用して口説きたい、
ちょっとレトロで、昔の恋愛小説の歯の浮くような言い回しで文学彼女
にときめいて貰いたいたいのですが、なかなか思いつきません。

宜しければ『月が綺麗だ』を使用した口説き文句を教えて頂きたいです。

Aベストアンサー

 自給自足でOKだった文学少女が、にわか知識での
言葉引用を良しとしないのは想像つくんですが、、、?
自分の中から出て来ないものでは、人を動かせませんね。
 なので、
「月が綺麗だ、人が見つけた言葉を君にだから、言う。
いつか自ら紡ぎ出した言葉で、君の心を震わせてみたい。
それまで、一緒に居ておくれ。今夜は、本当に月が綺麗だ」
目を見てニッコリ... という感じですね。

Q西洋思想と東洋思想との比較思想について学ぶにはどうすればいいでしょうか

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そこで次の2点について質問します。
1比較思想を行っている有名な学者さんはどのような方がいらっしゃるでしょうか?
2また比較思想の学科を置いている大学はどのようなところがあるでしょうか
何卒、ご回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

参考意見です。
 最初に注意しておきたいのは、安易に比較研究をしようとすると多くは薄っぺらな結果しか出てきません。これを行えるのは、実力のある学者か、天才だけです。
 とはいえ、普通の東洋思想の研究者は、西洋思想の中の自らの研究領域に似ている分野に関する知識は最低限もっています。現代は西洋人の研究者と交流することが多いので、東洋思想だけやって、西洋思想は知らないでは済まされない時代になっているからであり、なにより比較によってその思想が鮮明になるからです。
 例えば、唯識を学ぶのであればカント哲学のあたりは当然勉強していますし、道教を研究するならばキリスト教の知識は必須です(そして道教とキリスト教は驚くほど似ていることがわかる)。
 日本では何故か西洋思想研究が人気で、東洋思想研究は閑古鳥状態なので良質な学者が少なく、世間で売っている東洋思想に関する書物の大半は嘘つきだと思ってください。故に私は東洋思想を主軸にして研究を進めてゆくことを勧めます。
 
 比較思想研究を試みている人は多く、仏教学者では中村元、三枝充悳の名が挙がりますが、やはり井筒俊彦の著作は必読です。

 比較思想といったら京都学派の名が挙がりますが、問題も多いです。ハイデガーを禅の用語を使って訳してますが(『時と有』・・・。
 研究は基本的に原典の読み込みから出発しますので、文献学をしっかりと学べる大学が宜しいと思われます(以外に文献を読めない人が多く、特に仏教関係の読みはデタラメで、まともに読めている人はほんの一握りしかいません)。
 

参考意見です。
 最初に注意しておきたいのは、安易に比較研究をしようとすると多くは薄っぺらな結果しか出てきません。これを行えるのは、実力のある学者か、天才だけです。
 とはいえ、普通の東洋思想の研究者は、西洋思想の中の自らの研究領域に似ている分野に関する知識は最低限もっています。現代は西洋人の研究者と交流することが多いので、東洋思想だけやって、西洋思想は知らないでは済まされない時代になっているからであり、なにより比較によってその思想が鮮明になるからです。
 例えば、唯識を...続きを読む


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