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こんばんは。
今、授業で「認知意味論」を学んでいます。私は「意味を研究する事に意味があるか」という質問に答える事になったのですが、意味が無いと言ってしまうと授業が成り立たないので意味があると答えるべきだと思いました。
しかし、その根拠となる事柄がなかなか思いつきません。「どんな語にも意味があり、言語活動は意味を伝達する事であるから」ということだけでは、意味を研究する意味の根拠としては乏しいと思うのです(語の持つ意味が重要だとしても、言語によって意味は違い、その全てを網羅するのは不可能に近く、また、ある一つの言語に限っても、類似した意味の区別をつけることは困難、つまり意味というものは曖昧なものだから。)
そのような訳で、意味を研究する事の意味はどこにあるのか、皆様の考えをお聞かせ願いたく、質問しました。
また、私は専門家ではないので難しいことは分かりません。もし上の私の考え方でおかしなところがあれば訂正頂ければ助かります。

A 回答 (4件)

意味論というのは定義が難しくて定義も様々ですが、共通して確認できる前提としては、意味というものは社会的な性質を持っているということです。

要するに、言葉の意味とは事物の中に隠れているものが発見され命名されるのではなく、人間がその言語を通して事物に意味を与えていくものだということです。

将棋をさす時にある駒が足りなければ、そこらの石でも牛乳瓶のふたでも、何でも代用することができますが、これは駒そのものが重要なのでなく、将棋というゲーム全体の関係性の中においてその駒に与えられた意味が重要だからです。逆にいえば、ある駒を見つめていてもその駒の持つ意味というものは決して理解できません。

これと同様に、意味というものは全体の関係性の中で言葉に付与されるものですから、孤立した単語を眺めていても決して浮かびあがってくるものではありません。言葉の持つ意味とは、他の単語との関係の中に捉えられる、ある体系内の価値である、という風に認識できるでしょう。言語とは網のようなもので、意味とはその中の流動的なひとつのマスに過ぎません。これが意味論の根本的なスタンスと言って良いでしょう。
そう考えると、ご質問にある「言葉の意味を考える」ことは、すなわち社会制度としての言語の意味のネットワークを考える、ということに直結するわけですから、文化・社会・歴史全般にわたる広がりを持つという意義もわかるでしょう。裾野が大変に広いわけです。

言葉がご指摘のように曖昧な意味を担っていて、周辺のぼやけというかある幅を有することも事実ですが、先の意味から考えればこれは逆に、意味が他律的に周囲との関係の中で定まるものであるがゆえに、意味の中心が存在せず、せいぜい最大公約数的なものしか認識できない、という風に言えるでしょう。

要するに、明快な意味が定義できないから駄目なのでなく、そこをスタートとして、それなのに曲がりなりにも意味が通じ合うのはどういうことなのか、という風に意味の意義を求めてみてはどうでしょうか。
「言葉はモノの名称リストではなく、我々の世界認識の結果である」というのが、現在の言語観の基本です。

また、意味というものは意外と動的なもので、単純なものではありません。意味論の初歩でデノテーションとコノテーションを学ばれることと思いますが、例えば『ユダヤ人は所詮ユダヤ人さ』というせいりふの意味を考えてみると、最初のユダヤ人は「ユダヤ民族に属する人」という外示的意味(デノテーション)を指すのに対し、あとの方のユダヤ人とは「狡猾でずるいやつ」という共示的意味(コノテーション)を担っています。

これはひとつの些細な例にすぎないのですが、コノテーションを深く知れば、表現を通じて人間の意識というものを知ることにもつながります。言葉の意味は一定しないもので、常に既成の意味体系に限定されていく人間の意識が、言語の表現作用を通じて解放されていく様がコノテーションには見られるからです。
意味というのは世界の分節化であり限定性を本質的にもつものですが、それに抗って新しい意味生産を行うこと、つまり、言語の網の目の改変、という点で言葉の意味をたどることは人間の意識や思考方法そのものを見つめることに直結します。無意識のレベルで言葉の音と意味がどのように関わりひとつの語として紡がれるのか、というプロセスを研究する人達もいます。

さらに、認知意味論というのは特に人間が意味を認識する過程を問題にするわけですから、意味を考えること、ひいてはどうやってその意味が認識されているのか、ということは人工知能や認知哲学など広い分野に活用されるべき知識です。
例えば、海に浮いているメッセージボトルを見たとき、我々はすぐにそこに何らかの意味があることがわかるのですが、これはなかなか容易なことではありません。内部情報(中の紙に書かれている意味)を理解する以前に、外部情報(例えば「この文章が日本語で書かれている」といったこと)、さらにフレーム情報(つまり「このボトルの中には意味のある情報が入っている」ということ)が適確に理解されなければなりません。
「これは意味のあるモノである」という情報それ自体もメタ情報として意味を担っているわけで、実は語やモノの意味を理解することはそれ以前に多くの意味の解釈を必要としているのです。我々にとっては無意識の作業ですが、そういった事柄が我々の頭の中でどのように認識し処理されているのか、大変興味深い研究テーマだと思います。その困難さは、人工知能にこれらの行為を代替させようとした時にどれほどの困難が伴うことかを想像してみればわかることでしょう。

※少しご質問の内容とはずれがあるかもしれませんが、あまり意味論を理解していない回答が多いようなので、敢えて考え方のヒントとして書いてみました。ご参考までに。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。
非常に詳しく、かつ分かり易く、教えて下さいまして、有難うございます。自分でも言語学関連の書籍や事典を調べてみたのですが、「語の意味」を考えただけでは十分ではない気がしていたところでした。

>明快な意味が定義できないから駄目なのでなく、そこをスタートとして、それなのに曲がりなりにも意味が通じ合うのはどういうことなのか、という風に意味の意義を求めてみてはどうでしょうか。

道が拓けた気が致します。本当に助かりました。

お礼日時:2003/05/08 02:37

参考程度に



意味を研究することに意味があるか。ですが論ずれば「四面楚歌」になりそうですね。
ここで「四面楚歌」の意味は端的にいえば、にっちもさっちもいかなくなった状態ですが、本当の意味は四方の面から楚の歌を歌ったということなんですね。じゃどうして楚の歌を歌うことが「どうしようもない状態を表すのか。」を知るには中国の古代史、関羽と劉邦の戦いの場所にタイムスリップすることになります。このようなことが例えば意味を研究することですね。だから意味の研究には深いものがありますね。
という論法なんです。参考までに
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この回答へのお礼

回答有難うございます。
分かりやすい譬を有難うございます。語源という気がしなくもないのですが、簡単に言うとそうなるのでしょうか。

>だから意味の研究には深いものがありますね。

この点が、認知意味論には上手くつながらないのですが…。

お礼日時:2003/05/08 02:44

この質問の根底に、回答する人に「意味とは何か?」ということを考えてほしいという意図があるのではないでしょうか?


意味論の本を見ると、「meaning/意味」についてまず大きく定義がなされていると思います。そこから、何か得るものがあるのではないかと思います。
私だったら、この質問に対して「○○のために、意味を研究することに意味がある」と補うことから始めると思います。人間の世界の認識の仕方を追求するため、とか。そこから中心的な回答を模索していくと思います。
こたえは、人それぞれにあるものだと思いますので、ブレインストーミングの感じでがんばってください。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。
なるほど。補うことから、回答を考えていくのは良いかもしれません。試してみたいと思います。
有難うございました。

お礼日時:2003/05/05 16:18

答えにはなってないかもしれませんが…



「意味を研究することに意味があるか」
という文、これを考えてみると、
前者の「意味」と、後者の「意味」では、「意味が違う」と思います。

前者の「意味」というのは、「意味」という語の中核の意味で、
「ある記号の指し示す事柄」ということでしょうか。

後者の「意味」というのは、価値観の入った「意味」です。
「価値」と言い換えてもほとんど同じ意味になります。

「意味を研究することに価値があるか」
と言い換えて考えると、わかりやすいのではないでしょうか。
私は価値があると思います。
たとえば、上記のように、文の「意味」を考えることによって、
情報伝達が正確になる(こともある)からです。

この回答への補足

お早い回答有難うございます。

仰るとおり、私も、前者の「意味」と後者の「意味」の定義は異なると思います。
ただ、研究するということで考えると、ここで前者と後者の意味の違いを考えることは理由付けとしては説得力に欠けるのではないか、とも思っています。

「意味を考える」のであればそうした理由で十分だろうと思うのですが、「意味を研究する」となると「語の意味について、そういう意味を持つ理由を述べていく」ことになります(私はそう捉えています)。
それをすることに対して意義があるのか否か、理由を考えねばならないので、私としてはどんな理由付けをしたら良いのか途方にくれているところです…。

補足日時:2003/05/05 00:31
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