マンガでよめる痔のこと・薬のこと

前世という言葉を誰しも一度は聞いた事があると思いますが、
あるないかは別として、仮にあるとして
例えば300年前くらいに私が日本で生まれたとします。
そこで自分の子孫を残し、人生を全うしたとします。
その子孫が次の子孫を途切れることなく生み、途中で途切れることなく現在まで子孫が残っていたとしたら
この現在の世界に、自分の前世で育てた子供の子孫が存在しているって
いう事になりますよね?という事は何処かで偶然に出会う事もなくあるといえばある訳ですよね?という事は、自分の前世で育てた子孫のその子孫の子孫の子孫と出会って結婚するなんて事も
確率的にはかな~り低いですが数字的に全くない訳ではないという事になるのでしょうか?物凄い考えですが、なくはないという事ですよね?

また話は変わるのですが、守護霊というものについて、
守護霊は自分の前世の霊魂であると目にしました。
私が考えるに、これは親の遺伝子をついで今自分が存在しているのだからそれをたどって行けばご先祖さんの遺伝子をついでいる訳で、
結果的にはその先祖さんからついできた私の親の分身が
自分だから、守護霊とは自分のDNAの遺伝子の中に祖先の生きてきた
魂のDNAがあるから、前世の霊魂である・・と言い方を変えてるだけのように思うのですがどうでしょうか?
しかし、私はある霊能者の人に見てもらった所、ある人ともう一人
遠いご先祖の守護霊さんがいるといわれました。
どちらの話を信じていいのか良く分かりません。

またこの守護霊様というのも、見守っている他に修行しにきているという事を耳にしますが、人間界の言葉で言えば言い方は悪いですがポイントをためる為に人間界に来ているという事ですよね?綺麗事抜きで、この世で
全く人の為に善をしない人や悪いことばかりたくらみ、悪質な事ばかり
している人にはポイントがたまらないという事になりますよね?
となるとその人間についている守護霊さんは向上出来ない訳ですよね?
修行=徳を積めば積むほどより人間自身も守護霊本人も魂が向上するとの事ですが、その人間を指導していると向上し、より神に近い立場になるという事でしょうか?それならば徳を積んでいるモノ程高級という言葉で表すのもあれですが、立場が高く、高級霊という
事になるのでしょうか?また人間はカルマを背負っている為に生まれてくると目にしたのですが、カルマがなくなったらもう人間には生まれる事はないという事でしょうか?

私のこれらの知識が偏見なのか偏っているのかは分からないのですが、
無知な所もあると思い、質問させて頂きました。失礼な所がありましたら申し訳ございません。ただ、この事柄に関しては、正直信じるも信じないも人次第なので、ネットで見た事や何処かの本に書いてあった二番煎じ的な知識は何処まで本当なのか分かりません。
実際にこれらの守護霊や霊界に対するもの(アストラル界?その他もろもろ)
霊能者が霊に直接聞いて得た知識が今本やネットで出ているものなのでしょうか?それとも先人や宗教の教えや悟りなるものが作り出したものなのでしょうか?私はそういった代々霊能者の方で信じきれる
霊から直接聞いたという事でないと信じ
きれないのですが、そういった話はあまり見かけません。(まあ人前や人に話す事でないためかもしれませんが)
詳しい方ご意見頂ければと思います。
なお、これらの事は詳しい方、分かる人以外には分からない事柄なので
分かる方のみご回答お願い致します(初めからこれらのものがないと
言われたら話にもならないので)

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A 回答 (8件)

専門ではあるがこれだけで生活している訳ではありません。

手が開いた時に信者さんを救っています。毎月1日、15日には信者さんがお参りに参ります。また臨時で受け付ける事もあります。
災いが起こるのは前世、先祖、お稲荷さん(きつね)、死霊、生霊、など複雑に関係しています。昨年、大阪の船場吉兆が廃業しましたが、街頭インタビューで「お稲荷さんを粗末にしていたから潰れたんだよ」と言ってた人がいました。世間は結構見抜いている人がいます。
またあえて障害をあたえると言う事が書かれていましたが、それは無いです。この世に生まれるという事は、この世で前世の償いをするのです。この世と言うのはあの世からすれば修行の場です。つまり来世の為にこの世で好い行いをするのです。生老病死と言う言葉を知っていますか。生まれて年を取って病気で死ぬと言う事です。つまり途中で死ぬのは天国には行けません。また病気も老衰が最高の死に方です。
良い行いとは人を救う事ではなく、先祖や前世を救う事です。
先祖があって自分がいるのです。七五三や初節句などで神社仏閣にお参りに行く人はいますが、先祖のお墓にお参りする人は少ないのが現状です。
また昔は結婚したら嫁ぎ先のお墓に結婚の報告をするのが当たり前でしたが今はないがしろにされています。人によっては他人が自分の先祖のお墓参りをするのを嫌う人がいます。病人に見舞うのと同じだと思いますがね!お墓参りは親兄弟だけではなく、本家にお参りするのが本筋で、本家があって自分がいるのですから。
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この回答へのお礼

カルマという物でしょうか、確かにこの世は修行の場であるという所は
分かります。途中でというのは自殺ではなくて他殺等による物です、
自殺ではやはり天国にはいけないものでしょうね。
老衰での逝き方が一番だと思います。
ご先祖ありきというのは大変よく分かります。
色々と考えて行こうと思いました、ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/09 17:14

釈尊は最初の経本毒矢経で霊や神の話をしないのが仏法と示されました。



ですので供養回向と霊や神は別のものです。神や霊を信じれば回向になりません。釈迦がそうしたようにするのが仏法者だからです。

正しい回向供養はまず釈尊と同じようにすることです。仏と同じことせずして成仏はないでしょう。
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守護霊と言う特定な霊はいません。

あなたの言っている霊はご先祖様です。それに前世は一度きりではなく、何度も生まれ変わっています。それも良い事をしていた前世だけではなく悪い事をした前世、殺された前世、動物だった前世などです。生まれつき身体障害者の人は前世悪人だったころが今生報いとして現れているのです。同じ兄弟でも魂が違うから運命が違うのです。
人に騙される人は、前世騙していたからであり、前世行いが良ければ裕福な家庭に生まれるのです。
あの世の苦しみは、この世の苦しみであり、この世で悩んでいるのであれば、あの世も悩んでいるのです。
もし神仏、前世が無いのなら新年の初詣に行く必要が無いという事です。
神仏がいて願いを叶えてもらえると言うから行くのであって、いないと思うのであるなら行かなければ良いのです。
また親兄弟が死んでも生まれ変わりが無いのなら葬式もせずそこら辺に転がしておけば良いのです。しかしそれをしないのは霊はいると信じるからです。あなたは親兄弟が死んだら粗末に出来ますか?

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
専門家さんとの事なのですが、このお仕事を専門にされていらっしゃる方なのでしょうか?
今障害を持って生まれてきた方は前世の行いが悪くてそのような状態で生まれてきたのでしょうか?
ちらりと耳にした話ではその様な事もあるが、魂の経験を積ませるためにあえて前世の行い関係なくそのように障害を持って生まれてくる人も
いると聞きました。途中で障害を持つ人も悪人だと思いますか?
もちろん日々の行いが悪くて因果応報でそうならしょうがないと思いますが、私は生まれてくる赤ん坊に罪はないと思うので、そこまで
全てがそうだとは思えません。家系の因縁だとかそういったものは
あるとは思いますが・・
あと私的には初詣には神仏は確かにいらっしゃるとは思いますが、
願いを叶えてもらうために行くのではなく、
日々毎日生かされている事に感謝しに行くのだと思うのですが
違うのでしょうか?願いを適えてもらうなんて傲慢な事言っていたら
神様仏様はどう思うのでしょうか、ここらへんは価値観によって違うので各自が判断するしかないのですが・・
生まれ変わりがあるかないかは死んでからでなければ今の世界では判断しようがありません。少なくとも日本では、安らかに眠って下さいという事で、お葬式をしているように伝統が来ていると思いますが、そこらへんも宗教によって曖昧なので、どれが正しいかなんてものはないのかもしれません。ただ粗末にするという事は私が人である限りしたくはないので、今出来る精一杯の供養ということで、それぞれの葬式等を
するのではないでしょうか・・ありがとうございました。

補足日時:2009/11/09 00:15
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究極の悟りは言葉にできません「  」ですがあえて言葉にすると、「法」であり、法とは法則性ですので言い換えるとそれは完全であり完璧であり絶対でもあります。

ほかにも永遠とか「全て」といえます。

なかなか理解できない、悟れないから悟りなのです。東大を出たとしてもわからない人はわかりません。固定観念、西洋思想に洗脳教育された我々には到底理解しがたいものだからです。

ビッグバンという西洋思想がありますがビッグバン以前は何も無いというのは科学的ではありません。無から有は生まれないので必ずしも科学者全部がビッグバンを支持しないのはその理由からです。

「究極」は何か固定したものではありません。答えは「   」で言葉にすれば「法=法則」で、理解できなくても「法」は存在します。
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科学的に述べます。

意識は脳が作り出すものです。
すなわち、脳が死滅すれば意識は無くなります。
人間の脳は個々に違いはありますが、基本的には同じ構造なので、同じ意識を持っています。
脳は進化しますが、意識は生命が終了するごとにリセットされるので、つながりはありません。
ところが、それを作り出しているのは人間の思考なので、意識につながりがあるのはその為です。
教育や情報が進み、人間の脳が進化を続ける限り、意識の考え方も進化します。ある意味、霊的な考えや、生まれ変わりの理論などは進化途上の産物といえるのです。
実はこの宇宙はビックバンによって増大していることを考えると、知的生命体は最初はゼロで、その後、増加をはじめ、現在もその量は増え続けていることに注目してください。
すなわち、生まれ変わりなど存在しません。常に生命は増え続けているのです。悟りなどは人間が考え出したものですが、この宇宙も実は進化を続けているので、まだまだ悟りも進化をしていくのです。
現時点では、生まれ変わりや霊的存在は否定できるというのが、結論です。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
回答者様はアメリカに住んでいるジェームス レイニンガーという
前世の記憶を持っていると言われる少年の話は知っておられますか?

補足日時:2009/11/07 06:06
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創価学会の者です。

質問者様の質問趣旨からはやや外れますが、私なりの意見を述べさせてもらいます。

仏法では、人間の生命は始めもなければ終わりもなく、生死を繰り返しつつ三世にわたって永遠に続く、と説きます。三世とは、過去世・現在世・未来世のことを言います。過去世がいわゆる「前世」にあたり、仏法においては、当然「前世」はあるということになります。人間は死を迎えるとその生命は大宇宙に溶け込みます。それが何らかの縁に触れることにより、再び目に見える具体的な形で、この世に生じます。この永遠の生命において、人間は善悪様々な行いをしてきたわけです。

今の世を見回すと、恵まれた人、金持ちの人、貧乏な人、苦悩の人、容姿端麗な人とそうでない人、健康な人、不具合の人など、その境遇には様々な相違があります。同じ努力をしても、ある人は50パーセントの努力で100パーセント以上の成功を収めるかと思えば、ある人は200パーセントの努力をしたのに、マイナスの結果しかもたらせない、こういう矛盾も社会には数多くあります。これは善悪様々な行いの結果、因果の理法で生じた業(カルマ)による差異です。前世の生き様が今世の人生に大きく響く。これは、生命の永遠を示すものといえます。

「前世のことなのだからもう終っているではないか。どうして今世に責任を負わねばならないのか」。そう言いたいのは人情ですが、そうはいかない。前世で自分のやったことは容赦なく、今世に責任を負わねばならないのです。前世の生命も今世の生命も、死を挟んで連続している同一の生命だからです。死によって、行いが帳消しになることはないのです。例えば、Aという人物が泥棒をしました。泥棒した後、眠りにつきました。そして翌日起きましたが、泥棒の罪により警察に捕まりました。これと同じなんです。眠りによって、泥棒の罪が消えるわけではないのです。生→死→生……は、就寝→起床→就寝……のようなものなのです。

また、守護霊などというのも、仏法では是認しません。自分の幸不幸を決定するのは、あくまでも自分自身の行い(業)によるのです。守護霊が護るとか、祟るとか、そんなのは迷信です。「死んでから霊魂となってフワフワさまよい続ける」などというのは「常見」という考えで、仏法では否定します。ちなみに「人間は死ねばそれでおしまい。生命は永遠に続くことはない」という考えは「断見」といい、これも仏法が退けるのは言うまでもありません。

要はすべて自分で決まるということです。人間の幸・不幸に、霊魂とか先祖とか神とかを持ち出すのはたいてい、因果の理法を弁えない邪宗教のすることです。自分の三世にわたる行いによって、幸・不幸は決まるのです。

積んでしまった業(悪業)は、力ある宗教(日蓮仏法の南無妙法蓮華経)によってのみ、転換することができます。しかしこれはここでの質問テーマではないので、軽く触れるに留めます。
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輪廻の専門家です。



最初の話はありえます。数字的な確立はともかく、子孫に縁したい気持があれば家族として身近に生まれてくる場合もあります。

ただし、人間として徳を積まないと無理ですので、今世界に徳を積んでいる人はいません。
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肉体の家系と魂のグループは関係ありません。


例えば織田信成くんと織田信長は家系は繋がっているかも知れませんが魂のレベルでは全然別の人です。
その家系に生まれることでその家系に関する経験をしようとしているあかの他人です。
家族でもそれは学校のクラスメートと同じ存在なのであって魂のレベルでは他人です。だから摩擦があります。

守護霊はポイントを貯めに来てはいません。指導する事によって学ぼうとしているだけです。守護霊にとって勉強になればいいのであって点数とかは存在しません。

自分の直感を信じて探究してください。それしかありません。
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