廣済堂文庫の、世界の妖怪事典によれば、かぐや姫は「罪人(つみびと)」とか書かれてあったぐらいでしたが。
より詳しく知りたいので教えて下さい。
何故、落ちて来て竹の中で輝いていたのでしょうか?

続きについてはどうなのでしょうか。
あのままかぐや姫は、おじゃる丸みたいにまた帰って来たり、
帰ってもまた爺や婆やの元へ顔を出しに偶に戻って来たりとかはしているのでしょうか?

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A 回答 (4件)

先ほど、書き忘れました。



>地球に落とされた理由
一般的に言われているのは、契りに関わる罪です。
月の住人ではないと思っているので、すっかり忘れていました…。
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>何故、落ちて来て竹の中で輝いていたのでしょうか?


以前読んだ本が見つからなかったので、以下をお勧めします。
http://take-tanabe.hp.infoseek.co.jp/take-sono2. …
最近読んだ本では、こちらをお勧めします。
http://www5.tokyo-shoseki-ptg.co.jp/tosho_new/bo …

かぐや姫も、ある意図を持って創られた書物だそうです。
語り継がれる中で変わっている、元は二つの話であったのではないかとも言う人もいますし…。多くの物語には真実が形が変えられ秘められているものです。
また、七夕伝説も合わせて調べると更に見えてくると思います。
鉄分のある温泉で笹濁りって言葉が使われるのをご存じですか?これを竹取物語と重ねたらどうでしょうか?竹=笹として。当時、鉄は貴重なものだったと思います。その鉄を巡る戦いではないかと私は思っています。
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もう20年も前のことでしたか、かぐや姫に関する本を読んだことがあります。


かぐや姫の文章の構成について語り、竹の中から生まれた「異常出生説話」、求婚者が次々に難題をふっかけられる「求婚難題説話」、そしてかぐや姫が天に還る「羽衣説話」の3つの部分に分け、それぞれについて類似の伝説が残っていないかアジアの伝承伝説との対比をしつつ、竹取物語のルーツを中国やインドネシア、チベットの方まで探ってみるという内容でした。

その中では、かぐや姫の出生前の罪について語られている部分はありませんでしたので、今回のご質問を興味深く感じ、いくつか検索してみたところ、折口信夫の「竹取物語」に類似するくだりが出てくるようです。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/18412 …
この文章の、「かぐや姫」に関する言及のところにも
  姫がどうして、竹のよの中に這入つたかなどゝ言ふことも
  言はれてはない。天で失敗があつて下界に降り、或期間を地上に居て
  また天へ還つたといふ風に、きれいに作られてゐる。
とあるようですが、天にいて神につかえていたような神秘の女性が地上に降りて来る過程には何らかの事情(天女の羽衣のように水遊びばかりでもなく)を求めるくだりがあったということでしょう。

私は、折口信夫氏の竹取物語を直接読んではいないのですが、検索したところ、日本語ジェンダー学会第6号に載せられていた「竹取物語から見たジェンダー  高木香世子」という文章にも関連する記述がありました。
大本のサイトが見つからないので、グーグルのキャッシュのURLをあげておきます。
これからも、かぐや姫の天上での罪、に関する詳細はどうもありません。
地上に降りてきて物語を展開するための一つの必然的な要素だったかと思います。

http://74.125.153.132/search?q=cache:FA2RSBcvCZc …

かぐや姫のルーツや解読にかかる解説書も色々と出ていると思います。ご自身の研究のきっかけになればいいと思います。頑張ってくださいね。
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衣を通して光輝いた、衣通姫とも言われます。


歴史的観点からでしょうか?
竹取物語は、大和朝廷と地方豪族の戦いだと言いたいところですが、果たしてどこまで書きましょうか。
ロマンを壊しそうなので、取り敢えずここで失礼しておきます。
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この回答へのお礼

有難うと言わなくてはなりませんが、何でも良いので御願いしたかったですね。

お礼日時:2009/10/29 22:08

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Qかぐや姫はなぜ地上に降りてきたのですか?

すごくくだらない質問ですみません…。

さっき「まんが日本むかしばなし」を見ていて思ったのですが、かぐや姫はどうして地上に降りてきたのでしょうか?

古典の授業で読んだ限りではどうして降りてきたか、という部分がなかった気がするんですよね。結婚相手を探しにきたわけでもなさそうですし、何のために来たのかなぁ…と思っています。

作り話ですし、作者も不詳なので分からないのかもしれませんが、何かご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。

Aベストアンサー

月から迎えの使者がやってきたところに載っています。

本文は、

「いささかなる功徳を、翁作りけるによりて、汝が助けにとて、片時のほどとて下ししを、そこらの年ごろ、そこらの黄金賜ひて、身を変へたるがごとなりにたり。かぐや姫は罪を作りたまへりければ、かく賤しきおのれがもとに、しばしおはしつるなり。罪の限り果てぬれば、かく迎ふる」

こうなっています。これを現代語訳すると、

「わずかばかりの善行を翁が成したことによって、おまえの助けにしようと、ほんのしばらくの間ということで下したのだが、長い年月の間に、多くの黄金を賜って、生まれ変わったようになってしまっている。
かぐや姫は、罪をお作りになったので、こんなに賤しいおまえのところに、しばらくいらっしゃったのだ。罪の償いのために下界に下った期間が終わったからこうして迎えるのだ」

ということですね。

ちなみに姫がどんな罪を犯したのかわからないし、翁がどんな善行をしたのかもわからない。また、なぜ翁だけが恩恵を受けるのかもわからない。天人にそれを与える資格があるのか、そもそも天人とは何者なのか、ということも書かれてないので、謎は多いですね。

月から迎えの使者がやってきたところに載っています。

本文は、

「いささかなる功徳を、翁作りけるによりて、汝が助けにとて、片時のほどとて下ししを、そこらの年ごろ、そこらの黄金賜ひて、身を変へたるがごとなりにたり。かぐや姫は罪を作りたまへりければ、かく賤しきおのれがもとに、しばしおはしつるなり。罪の限り果てぬれば、かく迎ふる」

こうなっています。これを現代語訳すると、

「わずかばかりの善行を翁が成したことによって、おまえの助けにしようと、ほんのしばらくの間ということで...続きを読む

Q竹取物語の話教えてください!

訳などを読んで勉強はしたのですが、なかなか話がつかめなくて、疑問に思うことがたくさんあり非常に困ってます。明後日テストがあるのですが、未だにどんな内容なのかぱっとしません。どなたか竹取物語の話についてよく理解している方、すごく簡単でいいので、物語の内容教えてください。。お願いします。。

Aベストアンサー

あらすじですが・・

竹を切って来ていろいろな製品を作って暮らしていた、竹取の翁とその妻の嫗がいた。ある日、竹取の翁が竹林に出かけていくと、根元が光り輝いている竹があった。なんだろうと思って切ってみると、中から9センチほどの美しい人が出てきたので、自分たちの子供として育てることにした。その日から竹の中に金を見つける日が続き、竹取の翁の夫婦は豊かになっていった。翁がみつけた子供はどんどん大きくなり、三ヶ月ほどで年頃の娘になった。この世のものとは思えないほど美しくなった娘に、人を呼んで名前をつけることになった。呼ばれてきた人は、「なよ竹のかぐや姫」と名づけた。この時、男女を問わず人を集め、3日にわたって様々な遊びをした。

世間の男たちは、高貴な人も下層の人も皆なんとかしてかぐや姫と結婚したいと思った。その甲斐もないのに、竹取の翁の家の周りをうろうろする公達は後を絶たなかった。彼らははまるでホームレスの様に竹取の翁の家の周りですごしていた。そうこうするうちに、熱意のないものはこなくなっていった。最後に残ったのは、好色といわれる五人の公達で、彼らはあきらめず、夜昼となく通ってきた。彼らの名は石作皇子、車持皇子、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂といった。

彼らがあきらめそうにないのを見て、翁がかぐや姫に「女は男と結婚するものだ。お前も彼らの中から選びなさい。」というと、かぐや姫は「『私の言うものを持ってくることができた人と結婚したいと思います』と彼らに伝えてください」と言った。夜になると、例の五人が集まった来た。翁は五人の公達を集め、かぐや姫の意思を伝えた。

その意思とは石作皇子には仏の御石の鉢、車持皇子には蓬莱の玉の枝、右大臣阿倍御主人には火鼠の裘、大納言大伴御行には龍の首の珠、中納言石上麻呂には燕の子安貝を持ってこさせると言うものだった。

しかし、石作は只の鉢を持っていってばれ、車持は偽物をわざわざ作ったが職人がやってきてばれ、阿倍はそれは燃えない物とされていたのに燃えて別物、大伴は嵐に遭って諦め、石上は取ろうとして腰を打ち、断命。結局誰一人として成功しなかった。

そんな様が御門に伝わり、御門が会いたがった。翁が取り持ったが、彼女は拒否し、一度は姿を見られたものの、あれこれ使って結局御門も諦めさせた。しかし、彼と歌の交換はするようになった。

そうしているうち、ある旧暦も8月、姫は夜に泣くようになった。はじめは話さなかったが、(旧暦の、以下略)15日が近づくにつれ、泣き方が激しくなり、翁が問うと、「自分は別世界のものであり、15日に帰らねばならぬ」という。それを御門が知り、勇ましい軍勢も送った。

そして当日、子の刻(2時)頃、空から人が降りてきて、彼女を連れ去った。そのとき、姫は御門に不死の薬を送った。しかし御門はそれを駿河の日本で一番高い山で焼くように命じた。それからあの山は「不死の山」(後の富士山)と言う。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%8F%96%E7%89%A9%E8%AA%9E

あらすじですが・・

竹を切って来ていろいろな製品を作って暮らしていた、竹取の翁とその妻の嫗がいた。ある日、竹取の翁が竹林に出かけていくと、根元が光り輝いている竹があった。なんだろうと思って切ってみると、中から9センチほどの美しい人が出てきたので、自分たちの子供として育てることにした。その日から竹の中に金を見つける日が続き、竹取の翁の夫婦は豊かになっていった。翁がみつけた子供はどんどん大きくなり、三ヶ月ほどで年頃の娘になった。この世のものとは思えないほど美しくなった娘に、人...続きを読む

Qかぐや姫が犯した罪とは

 竹取物語のかぐや姫は、犯した罪が消える日まで地上に落とされていたそうですが、彼女の犯した罪って何だったのでしょうか。

Aベストアンサー

補足に対する回答です。

>>「罪」論については国文学界とかでは、よく議論されるので参照されては。
>国文学には、まったく知識がなく、何を参照したら良いかすらわかりません。参考になる書物を教えてください。

 ここで私が言った「罪」論とは、スサノオノミコト・源氏物語など貴種流離譚との関係といった、一般的な物語論についてですが、普通の図書館や本屋にはなかなか良い参考図書は無いのですが、竹取物語にも関連するものとしては、
  語られざるかぐやひめ : 昔話と竹取物語 / 高橋宣勝著. - 東京 : 大修館書店 , 1996.3.
あたりが、手に入りやすいかもしれません。最後のほうの章の「『竹取物語』と天人流謫譚」などが多少関係します。ただ、一般的な物語論の発想に慣れてないと意味不明かもしれません。

>共同体の性的タブー違反
>>どんなことが考えられるのでしょうか。教えてください。

 ekuboさんの想像で正しいと思います。
 そもそも何故、性的な罪と想像されるかというと、美女の罪として話になるのはそれくらい、という俗人的発想なのですが、それを学問的に精緻に論考されたのが、曽根誠一さんの「かぐや姫の贖罪の構造と方法」(『論集源氏物語とその前後1』新典社)で、これを参考にすると、
  (1)天界でかぐや姫が罪を犯したのは20代前半である。
   *まず、昇天する時、かぐや姫は「廿余年」である。
   *そして、かぐや姫が地上にいたのは、天界の時間で「かた時のほど」である。
  (2)かぐや姫は天界で高貴な地位にある。
   *天人が敬語を使っている。
  (2)かぐや姫の贖罪は、「不犯」によってなされる。
   *かぐや姫は求婚者を、自分は天界の人間だからと言って退ける。 →不犯が昇天の条件?
   *物語の後半に進むにつれ、かぐや姫は求婚者に心を動かし始める →この苦悩が贖罪?
   *難題を果たした求婚者や天皇に対しては絶体絶命の状況である  →それを克服するのが課題?
   (ただし、翁との別れなど非性的な「苦悩」も含めて贖罪である可能性はある。)
ということになります。
 だとすると、20代前半の高貴な女性が、苦悩しながら不犯を貫く、という贖罪に値するような罪を行うとしたら・・・。ちなみに、氏の論考では藤壺・女三宮・浮舟の密通年齢(?)も20代前半であることが指摘されています。
   


   

補足に対する回答です。

>>「罪」論については国文学界とかでは、よく議論されるので参照されては。
>国文学には、まったく知識がなく、何を参照したら良いかすらわかりません。参考になる書物を教えてください。

 ここで私が言った「罪」論とは、スサノオノミコト・源氏物語など貴種流離譚との関係といった、一般的な物語論についてですが、普通の図書館や本屋にはなかなか良い参考図書は無いのですが、竹取物語にも関連するものとしては、
  語られざるかぐやひめ : 昔話と竹取物語 / 高橋宣勝著....続きを読む

Q桃太郎はなぜ鬼を退治しに行ったか

桃太郎という昔話は、ほとんどの日本人が子どものころに絵本で読んでいると思います。
桃から生まれた子どもが桃太郎と名づけられ、成長した後犬・猿・雉をつれて鬼退治に行く話です。
最後は鬼を倒し、宝を持ってお爺さんとお婆さんの家に帰ってめでたし、めでたしとなるわけです。
しかしこの話の中には、桃太郎が鬼を退治しに行った理由が書かれていません。
成長したら突然言い出しています。
確かに日本では、昔から鬼は悪いものとされています。
鬼が悪いことをする場面が出てくる話は多いです。
しかし、桃太郎の話にそのような場面は出てきません。
退治しに行く具体的な理由がないのです。
それとも、子供向けの絵本には書かれていないだけで、原作には書かれているのでしょうか?
もし鬼たちが悪事を働かず、鬼ヶ島でひっそりと暮らしていただけだったら、桃太郎はただの強盗です。
なぜ桃太郎は鬼を倒しに行ったのでしょうか?

Aベストアンサー

もともと、鬼というのは両義的な存在です。
つまり、人にとって一方で恐怖すべき存在であると同時に、またある面では福徳や恩寵をもたらすこともある、という相反する存在として信じられていたのです。このように両義的であって、世俗的な感覚で単純に“白黒つけがたい”存在であることこそが、その力の源泉であったと言えます。

この鬼というのも、後代には世俗化してきます。鬼という概念がいわば消費されてしまって、「単純な悪者」としてのイメージが固定化してしまうにつれて、その力があまり信じられなくなってくるわけです。
鬼がカリカチュアライズされ、具体的な「悪者」になったことで、必ずしも恐ろしい存在ではなくなった、と言えるでしょう。結果、本来は語義矛盾であるはずの「弱い鬼」、「人間に負けて退散する鬼」といったものがやがて人々の意識のなかで一般化するわけです。

しかし一方で、「福徳を授けてくれる」という鬼のもうひとつの側面の記憶も厳然と存在しています。この古い記憶が、昔話という空間ではやがて、「鬼は(どこか遠くの棲家に)財宝を持っている」という風に読み代えられていったのです。
つまり、もともと両義的な存在として信じられていた鬼は、「財宝」という善を持つ「悪者」として描かれることで、かろうじて物語のなかに昔の両義性の痕跡をとどめている、ということになるわけです。

例えばこの『桃太郎』や『一寸法師』もそうですが、鬼が財宝や打ち出の小槌、隠れ蓑といった宝物を持っているように描かれる物語は沢山あります。また、「節分」や「宝の槌」といった狂言でも、鬼が島には財宝がある、という筋書きになっています。さらに、宝物を鬼が島から引いてくる、という伝承の祭儀を行う地方は今でも割と存在しています。鬼と財宝とは、不可分なのです。
(あるいはもっと広く、鬼を「来訪神」や「マレビト」といった概念の中で見れば、『大歳の客』など、年末の異人の来訪で財産や幸福がもたらされる、というストーリーの色々な昔話も同様の射程で論じることができます)

『桃太郎』という話の成立は恐らく室町時代、広まったのは江戸初頭、とするのが一般的なようですが、要するにこの話の骨格は、民衆の中における本来の鬼の両義性というものが、「悪者」と「財宝」に明快に分離してしまって以降できあがったもので、他のいろいろな物語と素地を共通している、ということができます。

従って、ご質問に帰って「なぜ鬼を征伐するのか」といえば、「当時の鬼は悪者として想定された存在であったから」ということになると思います。説話のなかで悪事を働いていないので未だ悪ではない、という見方は一見論理的ですが、鬼という存在が仮想されたコンテキストを全く考慮していないので、少し軽率な見方とも言えるのではないでしょうか(失礼)。

この物語の時代の「鬼」は、先に書いた経緯で抽象的な悪が目に見える形になった存在ですから、既に存在そのものが悪であるべきなのです。
現代の物語や童話では、このような経緯そのものへの視点も既に失われています。ですから、浜田広介の『泣いた赤鬼』を嚆矢として、鬼に人間性を投影して共感する見方も増えてきましたが、ここまで意識が相対化されるには、相当な時間がかかっていることを考えるべきでしょう。何より、怖がる必要のなくなった鬼は、裏返しに財宝を持っているとも信じられていないわけで、呼び名こそ「鬼」ですが、実際には物語になりようがない存在です。

なぜ桃太郎が鬼を倒しに行ったか、というのは柳田国男初め、いろいろな人が分析を試みています。詳細ははしょりますが、柳田は、この桃太郎や瓜子姫、一寸法師などの話を「小子(ちいさこ)譚」と分類していて、わけても桃太郎そのものを「海神少童」として、これが「妻を求めた」という意味のことを書いています。これは象徴的に言っているのですが、(水に関係してこの世に登場する)神童が、苦難を乗り越えることでこの世に福をもたらす、という物語構造が存在することを指摘しているわけです。

つまり、この指摘に従うと、鬼を退治するというイベント(?)は、「小子」である桃太郎が成長して富をもたらすために乗り越えざるを得ない、必然的な苦難として物語上要請されたものである、ということになります。つまり大団円をもたらすための心理的仕掛、ビルドゥングスロマンにおける苦難の冒険と同じである、ということです。

ところで、『桃太郎』の出自を具体的な歴史にあてはめた回答が多いのですが、私は少しそういう解釈には疑問を持っています。昔話というのは具体性を必要としないもので、むしろ「あるところである者が」という抽象性こそが、言葉にしにくい民衆の集団的感情(エートス)を表現するために必要だから、です。つまり具体的な歴史事象と、骨格が似ているけれども具体性を欠いた物語である昔話の間の溝は、一見浅いようでいて、実はとても深いのです。

重なる所は少ないのですが、以前鬼に関する質問に回答しています。宜しければご参照ください。
http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=457436 「中国語で鬼の意味は」
(ちょっと頭が疲れていまして…読みにくい部分はご容赦下さい。補足があれば後ほど対応させて頂きます)

もともと、鬼というのは両義的な存在です。
つまり、人にとって一方で恐怖すべき存在であると同時に、またある面では福徳や恩寵をもたらすこともある、という相反する存在として信じられていたのです。このように両義的であって、世俗的な感覚で単純に“白黒つけがたい”存在であることこそが、その力の源泉であったと言えます。

この鬼というのも、後代には世俗化してきます。鬼という概念がいわば消費されてしまって、「単純な悪者」としてのイメージが固定化してしまうにつれて、その力があまり信じられなく...続きを読む


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