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批判は有りがたいものとして受け取り、己の非を探り改善に努めたいという姿勢の宗教団体。

批判は虚偽・蒙昧・巨悪と受け止めて、断固として戦うという姿勢の宗教団体。

両者を比較して感じることを教えて下さい。

A 回答 (4件)

大学の宗教学の授業で先生が、



「健全な宗教は疑問を抑圧しない」

と言ってました。
なんで?って思ったことをそこの宗教指導者や団体に訊いたとき、ちゃんと説明してくれたり、一緒に考えてくれたりするのは“いい宗教”、
「それは元からそう決まっている」「疑問を持つ前に修行しろ」とか言うのは“わるい宗教”
だそうです。
(“いい”“わるい”っていうのは語弊があるかもしれませんが…)

批判というのも、相手に投げかけられた疑問であると思うので、上の理屈にあてはまるのではないでしょうか?
人間のこととして考えると、もし批判をまるっきり受け入れない人がいたら、みんなから嫌われると思いますし、傲慢ですよね^^;。
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私のの宗教観でです。


現代の宗教団体は宗教の本質を脱ぎ捨てたものが多すぎる
こんな社会の中から生まれてくる宗教団体の疑問でしょう、ご質問の両者とも健全な宗教とは縁遠いものと思います。
宗教の基本に教義というものがある、宗教団体という非課税組織の認可を受けるためには、その宗教団体の教義の内容が認可の条件になります。
日本では都道府県知事の認可です。表向きは闘争性や暴利性などあるべきないのですが、事件になるケース多い、
宗教と戦闘団体を一体化すると人類の損失だけを創りだすものになったことが現在の宗教政治の国に内乱が絶えない理由ではないでしょうか、結果において宗教の名を借りて戦闘軍団の宗教的な教育の結果が自爆テロを創出している。
第二次大戦の日本も宗教が兵士を創出したことは事実である。
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こんにちは。

maruru01です。

前者は、宗教団体ではなく、自己啓発団体。
個々の信者はともかく宗教団体としては、前者のような団体は存在しません。
宗教団体がその教義を変更するのは、一般大衆に認知され、広めるためで、己(教義)の非を認めたからではありあません。

宗教団体の本質は後者であり、信じる者しか救わない・認めないものです。
宗教団体(宗教そのものではない)の存在自体は、人類にとって害悪になる可能性が大きいと言えます。
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全然違うなー、と感じます。

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