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男女同権主義には、一方でセクハラパワハラという「女性は保護されるべきもの」という認識があるため、矛盾があります。
ですので、今後一切、セクハラ理論は認めないということで主張すればいいのでしょうか?
また、セクハラ理論を大々的に掲げるならば、男女不平等主義を同時に唱えればいいのでしょうか?

現状:男女同権を唱えるのと同時に、セクハラ理論(保護されるべき女性)を唱えるダブルスタンダードである

改善策:男女同権を唱え、かつセクハラ理論を破棄する
    男女同権を破棄し、セクハラ理論は大々的にする

A 回答 (6件)

>男女同権を唱えるのと同時に、セクハラ理論(保護されるべき女性)を唱えるダブルスタンダードである



#3の phj さんと同意見です。

「男女同権」の定義の問題です。
権利と義務は表裏一体です。
物理的、道義的に義務を果たせないものについてまで同権を主張できません。
従って、全てにおいて「男女同権」はあり得ません。

セクハラ理論(保護されるべき女性)は、女性が物理的に男性と同じくらい強くなったときに始めて同権を云々できることであって、現状ではほとんどの女性が物理的に弱い立場にあるので保護は当然の話として出てきてもおかしくはありません。 つまりダブルスタンダードの問題ではないと考えるのが妥当です。

過去、仕事においても「男女同権」が言われて来ていましたが、女性の社会進出(仕事ができるようになってきた、または仕事ができる場が多くなってきた)が目覚ましくなる、つまり社会全体が女性も仕事ができると社会の多くが認めてきたため、「男女同権」が正当化されているのが現状ではないでしょうか。

私は、すべてについて男女同権が言えるのではなく、社会という背景によって男女同権がうたえる項目が増減すると考えています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

おっしゃること最もだとです。
ただ、そういう論理だと、女性は庇護されるべきだし、かつ、権利が同等なべきだと言うあまりにも傲慢なことがまかり通ることになり、人心の荒廃につながっていきませんかね。もちろん、より公正に考えれば、おっしゃることはより合理性が与えられますけど。

お礼日時:2009/11/12 21:02

認知度が低いのか、日本人男性が我慢強いのか知りませんが、女性から男性への、セクハラ・パワハラもありますよ。


「セクハラ」「女性上司」などで、検索してみてください。

男女平等とは、同じ力配分で仕事をするとか、同じ仕事をするとかではなく、性差による弱点や個人差も認めつつ、「仕事仲間に敬意と気遣いを持って仕事をする」という考えであればいいと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。女性から男性ももちろんありますね。ただ、件数的には問題になるほどでもないでしょう。

お礼日時:2009/11/12 21:03

くだらんカタカナ言葉に翻弄されてるだけで、単なる「いじめ」だよ。


「いじめ」に男も女もないよ。
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持論で申し訳ないのですが、私はかねてから、男女同権ではなく「男女同権・同義務」と表記すべきだ、と考えています。



権利論でいうと、男性並みに権利が付与されたと少々大げさで、権利を振りかざす人もでてくるのですが、その裏に「義務」がついて回っていることには案外気づいている人が少ないようです。

たとえば他の方の回答にあるような「生理休暇」は女性のみの認められた権利であると共に、社会に対して「子供を生む」という義務も生じさせているといえます。
また極端な例ですが、男女同権で女性が良いポストにつけば落ちこぼれる男性も増えるという現実がある以上、女性も「自分より収入の少ない男性と結婚することを考える」べきであるといえるかもしれません。

セクハラは別の問題であるといえるところもあります。これはコミュニケーションの問題であり、最近では男性への「ハゲ・肥満」などもセクハラ(逆セクハラではない)と認定されるようになり男女のコミュニケーション(つまり女性から男性へのアプローチも)がより平等に判断されるようになってきています。
またセクハラと同様に男性に不利になりやすいドメスティックバイオレンス(DV)についても、男性に対して「能無し!」とか「給料泥棒」のような男性の人格(女性と違い、男性の人格は仕事と一体になりやすい)を否定するような言葉は、DVと判断されるようになってきています。

男女同権もセクハラ理論も破棄する必要は無いと思いますが、権利の裏には義務があり、女性も男性に対して(つまり異性に対して)同様の義務があるのだということを、もうすこし理解するようにしたほうがいいと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
権利論と義務論は同時進行でなければなりませんね。
ただ、件数的には、男性から女性への問題行動が圧倒していることは確かでしょう。その点から、庇護されるのは正当だが、権利を振りかざすのはあまりに虫がいいということになります。

お礼日時:2009/11/12 20:59

セクハラやパワハラについてはその対象が女性に限ったものではないので男女同権とセクハラ・パワハラが並立できないってことは無いと思いますよ。


同姓間のセクハラやパワハラもあるわけですからね。

その一方で女性に過大な保護って思われるものも多々ありますけどね・・・

ただ、生理等女性特有の事象についてまで同権なんだから認めないなんて変なおじさんがいたりするのもねぇ・・・
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございあます。

もちろん、そうなのですが、男性から女性へのセクハラに比べると著しく小数ですね。同列には議論できません。

お礼日時:2009/11/12 20:57

>セクハラパワハラという「女性は保護されるべきもの」という認識があるため、矛盾があります



おっしゃる通り、これは認識の問題です。
セクハラもパワハラも女性が男性から受ける被害、という認識が間違っているわけです。
女性による男性へのセクハラ、また同性間で行われるセクハラも十分ありうる、いや既にある解決すべき問題だ、という認識にかわれば良いわけです。

社会の認識が変われば男女同権と同時にセクハラ・パワハラの解決も行えるので誰も損をしません。
私はこの方向で世の中が運ぶことを望みます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
女性から男性、女性~女性という例もあるわけですが、問題になるほどの件数ではないでしょうね。

お礼日時:2009/11/12 20:55

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