『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜこれほど人々を魅了するのか

アドマイヤボスは、セントライト記念を勝ったものの
4歳秋まで勝利が無かったために1600万下条件戦に
出場することが出来ました。

賞金制度上、上記は理解できるのですが、
ホウヨウボーイは5歳で日経賞を勝った後に、
1200万下条件のレースに出走しています。

現在(2006年の制度変更前であっても)なら、
未勝利の馬であったとしても、日経賞(収得賞金3200万円)を
勝った後は絶対に条件戦は出られません。

当時の制度をご存知の方は、
いらっしゃいませんでしょうか。

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A 回答 (2件)

(以下の年齢表記はすべて当時の基準)


6歳のホウヨウボーイが日経賞後に出走できた大沼Sは4歳1200万下の条件レース(準OP)でした。
同馬が日経賞勝ち後に条件戦に出られたのは制度の違いというよりも次の要素が重なっていたからです。

(その1)
#1の方がおっしゃっているように当時のOP以外の出走条件は4歳、5歳、6歳以上の年齢区分だったこと。
準OPは本賞金が、6歳以上3600万円下(=4歳1200万下)という条件でした。

(その2)
現在ではG2で行われている日経賞ですが、グレード制導入前のポジションは決して高くありませんでした。
同馬が勝った1980年日経賞の1着賞金は2100万円で、本賞金への加算額はその半額です。
(ちなみに同年のダービー1着賞金は5500万円、ローカル重賞・関屋記念の1着賞金でさえ1700万円)
日経賞を勝った直後の同馬の本賞金は7勝で3410万円です。

(その3)
3月の日経賞を勝った時点での準OPレースは5歳1200万、6歳2400万、7歳以上3600万以下となっていて、6歳で本賞金が3410万円の同馬には出走権利がありませんでした。
その後は休養を挟み、8月に行われた大沼S復帰しましたが、現在と同様に夏競馬から番組編成が替わり、5歳馬基準から4歳馬基準になり準OPは4歳1200万、5歳2400万、6歳以上3600万以下となって同馬にも出走資格が出来ました。

(その4)
その数年前あたりから条件レースの賞金があがって、年齢によって1勝の価値がバラバラになっていました。
これによって、条件戦を勝った時期によって加算される本賞金が微妙に違っていたため、高額条件の古馬混合戦では「本賞金」という基準だけで区切って条件戦を行うことに歪が生じていた時期でもありました。
ホウヨウボーイも、大沼Sでその恩恵を受けていると見ることもできます。
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この回答へのお礼

丁寧な解説ありがとうございます。

よくわかりました。
競馬の世界も格差社会が広がっていますね。

ダービーの賞金が1/4しかない当時において、
現在のオープンクラスの賞金を稼いでいる馬が
条件戦に出られたなんて…。

お礼日時:2009/11/11 01:41

1980/08/24函館 大沼ステークスのことかな?


ホウヨウボーイの具体的なことはわかりませんが、私が競馬を始めたころの話を。

今みたいに、歳をとると賞金額を半額換算して一律1600万円にあてはめるのではなく、
各年齢ごとに条件設定されていました。

当時はレース条件の年齢区分は3区分でした。夏~秋競馬だと、
4歳(現3歳)1勝クラス(現500万):4歳400万円/5歳800万円/6歳以上1200万円以下
4歳(現3歳)2勝クラス(現1000万):4歳800万円/5歳1600万円/6歳以上2400万円以下
4歳(現3歳)3勝クラス(現1600万):4歳1200万円/5歳2400万円/6歳以上3600万円以下
って感じです。

一方、各馬の条件付け賞金(「本賞金」て言ったっけ)への算入は、
賞金500万円(400万円かも?)以下のレースは全額、それ以上のレースは半額だったかと。
重賞だと1、2着賞金の半額です。

ホウヨウボーイの日経賞勝ちって6歳(現5歳)春で7勝目みたいですね。
ざっくりだと新馬~条件戦の1勝あたりの算入額って300~400万円だろうから、
6勝(300~400万円×6)+日経賞(優勝賞金の半額)
だと4歳3勝クラス(6歳以上3600万円以下)に出られそうな気がします。
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