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江戸時代の武家の女性の装束ですが、庶民とはTVなどで異なるようです。ネットで画像を検索しているのですが中々、ヒットしません。
髪型や衣などについて詳しく解説されているサイトがあったら教えてください。髪形も武家は違うのですね。

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A 回答 (3件)

こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

>>江戸時代の武家の女性の装束

まず、髪型ですが、武家の女性は「島田髷(まげ)」でした。
しかし、島田髷といっても時代とともに数十種類にも及び、いつの時代でも女性の流行に余念がなかったようですね。
次のサイトの一番左上(島田髷の由来は)が、武家の女性の一般的な髪形です。
http://images.google.co.jp/images?sourceid=navcl …
島田髷の由来は、東海道島田宿の遊女が結ったのが名の起こりです。

衣服について。
武家も大商人たちもそうでしたが、女の元服19歳までは「振袖」で、結婚したり、元服を過ぎると「留袖」を着ました。
現代は、「留袖」と言うと「冠婚葬祭用」を言いますが、昔は、「振袖」に対して、袖が短い・・・という意味でした。
http://www.weblio.jp/content/%E7%95%99%E8%A2%96

また、一般的には「小袖(こそで)」といって、「留袖」よりは気軽な服装でした。
http://images.google.co.jp/images?sourceid=navcl …

また、高貴な武家の奥方になると、その上に「打掛」を着ていました。
http://wedding-gyao.usen.com/glossary/word/00604 …

この「打掛」も今では、結婚式の花嫁の衣装と思われがちですが、江戸時代は、身分の高い武家などでは一般的に羽織っていました。

写真を添付します。
解説には、
上流の女の装い
中央の武家の奥方は「打掛」(小袖の上に着る小袖)姿。
左右にいる祐筆と御側女中は半模様の小袖。
とあります。
「江戸時代の武家の女性装束について」の回答画像3
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この回答へのお礼

大変に詳しい解説ありがとうございました。島田髷ですね。
画像も参考になります。
リンク先を詳細に勉強してみたいと思います。

お礼日時:2009/11/12 12:11

サイトよりも本の方が絶対おすすめです!


理由は、本の方が詳しいし、正確なものが多いから。
といいつつ・・
服飾関係ならこんなサイトもありますよ
(詳細は元ねたの本の方が詳しいですけど)
風俗博物館HP
http://www.iz2.or.jp/
http://www.iz2.or.jp/fukushoku/f_disp.php?page_n …

江戸時代の女性の衣服は
江戸時代前半・中期・後半 とおおざっぱに分かれるようです。
さらに後半には皇室公家・武家(上流中流下流)・町人(上流中流下流と分かれます)・その他 と身分によって衣服が違い、さらに関東風と関西風etc地域によっても雰囲気は異なりました。

髪型は、時代は江戸時代前半・中期・後半 とおおざっぱに
わかれます。
そして皇室公家・大名・武家・町人・遊女・芸者・その他 という
ふうに身分によって結う髪型が違います。
さらに年齢や未婚・既婚でも髪型は違いますし
とくに町方・村方では
愛知県の三河地方を境に
京・大坂風をベースにした西日本風 と
江戸風をベースにした東日本風 の髪の結い方が
ありました。今の時代劇ですべてを再現するのは
難しいでしょうね・・・

おすすめ本
(こちらも参考に・・)
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5149943.html

ビジュアル中心

日本の髪型―伝統の美 櫛まつり作品集 (文庫)
京都美容文化クラブ (編)
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81 …

日本の女性風俗史 (紫紅社文庫) (文庫)
切畑 健 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81 …

黒髪の文化史 (単行本)
大原 梨恵子 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E9%BB%92%E9%AB%AA%E3%81 …

花洛(みやこ)のモード―きものの時代 (大型本)
京都国立博物館 (編集)
http://www.amazon.co.jp/%E8%8A%B1%E6%B4%9B-%E3%8 …

文章中心

服装の歴史 (中公文庫) (文庫)
高田 倭男 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%8D%E8%A3%85%E3%81 …

日本女性服飾史 (大型本)
井筒 雅風
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A5 …

あとは丸山伸彦さんの本などいかがでしょうか・・・

意外と武家の装いについてビジュアルで一発にわかる、というのが
ありません。
詳細に調べるほどまとめるのが難しいのかもしれませんし、まだわかっていない
部分(特に大奥の服制など)も多いらしいです。
参考までに。
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この回答へのお礼

詳しい解説ありがとうございます。書籍を図書館などで購入してみたいと思います。参考になりました。また、よろしくお願いいたします。

お礼日時:2009/11/12 10:05

>庶民とはTVなどで異なるようです。



というかテレビの時代劇は、髪型や着物を本物よりもかなり省略しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E4%BB%A3% …

本当は江戸時代でも時期により、流行った髪形や着物が異なったようです。
また、江戸と上方(関西方面)でも髷の形が違ったらしい。
庶民と武家では身分が違いますから、そういう部分でも格好が違ってきます。
身分、年齢(未婚/既婚)、地域などによるんでしょう。

髪型について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …
http://www.cosmo.ne.jp/~barber/kamigat2.html
http://blogs.yahoo.co.jp/seizoh529/38877180.html

たぶん帯の結び方も違いますが、詳しくは存じません。
未婚の娘さんが結ぶ形とか、いろいろと。


本で探したほうが写真を見つけやすいと思います。
図書館が近くにおありなら借りてみるとか、、、無ければ買うしかありませんが(^^;
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81 …
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    • 1
この回答へのお礼

回答頂きありがとうございました。
地域や階級・・などによって髪型も着物も変わってきますね。
大変に参考になりました。
図書館でも行って本を探してきたいと思います。

お礼日時:2009/11/12 12:13

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戦国時代~安土桃山時代の服飾に触れている資料を探しています。武士だけでなく、女性、庶民や僧侶などまで網羅しているものはないでしょうか

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やっぱり、このサイトじゃないでしょうか・・・
有名なので、もうご存知かも知れませんが・・・

http://www.iz2.or.jp/fukushoku/f_disp.php?page_no=0000100

Q江戸時代の公家の女性

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ちなみに↓のようなサイトも見つけました。
http://www.iz2.or.jp/fukusyoku/kosode/21.htm
若い公家の女性の服装は、大名の姫君とあまり変わらなかったのでしょうかね?

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> 時代劇などで農民の女性が結髪しているのは間違いなんですね。
うーん。
「間違い」と言われてしまうと悩んでしまうのですが…。
自分が書いた回答を後から読み直して、「『農民』とひとくちに言っても、名字帯刀を許された大名主や庄屋みたいな農民もいれば、水呑百姓のような農民もいるなぁ。」と考えました。
裕福な、農民といっても小作人に農作業をさせて、自ら農作業をしない(現代の)経営者のような農民の奥方ならば、髪を結う余裕もあっただろうし、その日の食べ物にも困るような百姓ならば、髪を結うような余裕は、時間的にもなかったのではないかな-と。

いろいろ調べているうちに、
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maddy-kz23さんがおっしゃっている「結髪」が、特に『江戸時代の中期から後期に一種の芸術の域にまで達した結髪』のことではなくて、『働く時に邪魔な髪の毛を束ねておくという自然な形での結髪(この中には束髪も含まれる)』のことを言われているのでしたら、確かに「結髪が普通」ということになりますが、これは江戸時代に始まったことではないし…。

調べれば調べるほど、資料の少なさに驚かされます。
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「絵」などは、特定の地域の特定の階層の人間しか描かれていませんし。

> 公家の女性はやはり江戸時代を通じて下げ髪だったんでしょうか。
> つぶいち頭などは特別な例だったのでしょうかね。

こちらも、普段は下げ髪にしていて、行事ごとの時に「つぶいち(葵髱島田)」に結った-という可能性もありますし…。
京でも町方ですと、若い女性は島田髷を結っていたようですしね。
私自身、次から次へと疑問が沸いてきてしまいました(今度まとめて質問を出してみようかしら)。

いろいろ調べている間に、またまた、こんなサイトも見つけましたので、ご参考までに。
http://kouseimir.s97.xrea.com/yokocho/mc358/mc358.html
http://hana.merseine.nu/j/kamigata/kami_frame.htm
http://www.geocities.co.jp/Playtown/6757/edokesyou03.html
http://www.geocities.co.jp/Playtown/6757/nendaikesyou.html

お礼をありがとうございます。

> 時代劇などで農民の女性が結髪しているのは間違いなんですね。
うーん。
「間違い」と言われてしまうと悩んでしまうのですが…。
自分が書いた回答を後から読み直して、「『農民』とひとくちに言っても、名字帯刀を許された大名主や庄屋みたいな農民もいれば、水呑百姓のような農民もいるなぁ。」と考えました。
裕福な、農民といっても小作人に農作業をさせて、自ら農作業をしない(現代の)経営者のような農民の奥方ならば、髪を結う余裕もあっただろうし、その日の食べ物...続きを読む

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 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
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(6)家族そろって朝食。
(7)食器などを洗います。油の着いた食器を洗うのは大変です。ママレモンはありませんのでギトギトがなかなか取れません。水道の水でジャージャーやるわけのもいきません。
(8)井戸端で盥で洗濯します。これも大変です。

・・・女性は大変でしょう。田舎の明治生まれの女は、以上のようなことをやっていました。江戸時代とそんなに変わりません。電気(裸電球)とマッチだけが江戸時代よりマシなだけです。

>「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?
・・・夏場の暑いときに一ヶ月滞在すれば、参るでしょう。
・網戸がないので蚊に食われる。
・ハエがブンブン飛び回る。食卓の食べ物にハエがたかる。
・冷房や扇風機がないので暑い。雨の日は雨戸を閉めるのでこれも暑い。
・便所が臭く、人の体も臭い。
 夏場でいいことは、行水などで女性の裸を見る機会が多いことくらいかな。

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキ...続きを読む

Q日本史上の武家の妻たちの役割とは?

NHKの大河ドラマなどをみていて思うのですが、いわゆる戦国武将や武家の妻達についてふと思いました。

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後継ぎを産み、側室を管理することだけだったのでしょうか?
教えて下さい。

Aベストアンサー

 私は、下級武士の女房であれば、現代のサラリーマンの専業主婦よりは、はるかに大変という印象を持っていますが、お話が戦国武将や大名の妻ということですので、現代の奥さん方との比較はなかなか難しいですね。でも大名の奥さんも、それなりに大変だったんじゃないでしょうか。
 皆さんがおっしゃっていますように、大名の妻達はほとんど100%政略結婚により、無理やり嫁に行かされました。亭主になる男がどんな人間であるか全くわからないわけですから、大変な不安と心労を胸に抱えて嫁入りしたのだと思います。
 戦国大名の妻ですと、両家の同盟の証として嫁入りしました。嫁としてはその同盟を崩れないようにするために、ない知恵と力を出していろいろ気配りをしたんではないでしょうか。
 人質ですから両家が離反すれば、自分の命はもちろん、子供や夫、または実家の父母や兄弟の命が危うくなるわけですから、その気苦労は相当なものであっただろうと想像できます。
 それから江戸時代になって世の中が落ち着いても、政略結婚は続いていました。嫁ぎ先と実家との戦争ということはなくなりましたが、今度は参勤交代の制度ができ、正妻はと家族は江戸住まいとなり、これも幕府への人質といえるでしょう。
 大名の妻がテレビドラマの山内一豊の妻のような性格の人ばかりとは限りません。多くは乳母や女中にかしづかれていた深窓のお姫様です。対人コミュニケーションは上手であったとは思えません。お千代さんのような前裁きが上手な人はむしろ少なかったと思いますね。
 嫁入りのときは乳母や少数の家来が実家から付けられていたとはいえ、大名家の裏方を統率していくことにはそれなりの気苦労があったと思います。また当時は当たり前であったとはいえ、側室の問題から発生する嫉妬心の処理にも困ったことでしょう。
 そういうことで、大名の妻は現代サラリーマンの専業主婦よりは大変であったと思います。
 今のサラリーマンの専業主婦なんて楽なもんです。
 一昔前の主婦は大変でした。朝早く起きて、井戸から水を汲んで水がめに水を入れ、竈に薪をくべて飯を炊き、汁を作り、井戸端で盥と洗濯板で衣類を洗い・・・。こういうイヤミなことをしょっちゅういうもんだから、家内に嫌がられていますが(笑)。

 私は、下級武士の女房であれば、現代のサラリーマンの専業主婦よりは、はるかに大変という印象を持っていますが、お話が戦国武将や大名の妻ということですので、現代の奥さん方との比較はなかなか難しいですね。でも大名の奥さんも、それなりに大変だったんじゃないでしょうか。
 皆さんがおっしゃっていますように、大名の妻達はほとんど100%政略結婚により、無理やり嫁に行かされました。亭主になる男がどんな人間であるか全くわからないわけですから、大変な不安と心労を胸に抱えて嫁入りしたのだと思...続きを読む

Q江戸時代の日本髪の写真を載せている本、知りませんか

江戸時代の女性の日本髪について写真(または絵)で詳しく説明されている本を探しています。
何度か図書館にいってそれ系統の本を読んだり、サイトを見たりしましたが大抵一枚限りの写真なので物足りないです。
絵を描きたいので最低でも前、後ろ、(できれば横も)のアングルを乗せてある本が欲しいです。
そしてできれば関東寄りがいいです。
おすすめがあったら、ぜひ教えてください。

Aベストアンサー

QuLaさんのあげられた条件
※江戸時代の女性の日本髪が写真か絵で詳しく解説されているもの
※色々なアングルで写されたもの
※できれば関東寄り(これは江戸風の髪型ってことですよね?)

それなら条件にあっているのでは?という本がありますよ
『結うこころ―日本髪の美しさとその型』 村田孝子著 ポーラ文化研究所

こちらは江戸中心の髪型ですし、少なくとも2方向、髪型によっては
3方向のアングルで日本髪の髪型写真(鬘の状態です)が掲載されて
いたように思います。
ただ残念なことに現在は絶版です。CD-Rなら手に入るみたいですが・・
図書館でご覧になっては。

同内容にお化粧のお話もついた(ているらしいです・・)
『江戸300年の女性美 化粧と髪型』(未見ですが・・)
著者同じ 青幻舎 
の方は、まだ出版されてるみたいですね。
http://www.amazon.co.jp/%E6%B1%9F%E6%88%B8300%E5%B9%B4%E3%81%AE%E5%A5%B3%E6%80%A7%E7%BE%8E-%E5%8C%96%E7%B2%A7%E3%81%A8%E9%AB%AA%E5%9E%8B-%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E6%88%B8%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E6%9D%91%E7%94%B0%E5%AD%9D%E5%AD%90/dp/4861521262/ref=pd_cp_b_2

関東寄り という条件をのぞけば
京都美容文化クラブ編 の本や
石原哲男さんのご著書もありますが・・・。

参考までに。

参考URL:http://www.po-holdings.co.jp/csr/culture/bunken/

QuLaさんのあげられた条件
※江戸時代の女性の日本髪が写真か絵で詳しく解説されているもの
※色々なアングルで写されたもの
※できれば関東寄り(これは江戸風の髪型ってことですよね?)

それなら条件にあっているのでは?という本がありますよ
『結うこころ―日本髪の美しさとその型』 村田孝子著 ポーラ文化研究所

こちらは江戸中心の髪型ですし、少なくとも2方向、髪型によっては
3方向のアングルで日本髪の髪型写真(鬘の状態です)が掲載されて
いたように思います。
ただ残念なことに現在は...続きを読む

Q江戸時代の庶民の恋 町娘の立場

江戸時代について記した本を読んでみると、男性は岡場所や遊郭にせっせと通ってる姿がまちまち見られます。
世の男性は遊女ばかりで町娘にあまり魅力を感じなかったものなのでしょうか?
そのために町娘は男性以上に十分に恋愛できなかったりしたのでしょうか?
庶民の恋について教えてほしいです。特に町娘について。お願いします。

Aベストアンサー

こんばんわ。
私の解説をお読みいただきありがとうございます。

>>ふと思ったのですが、男女の人口比も江戸後期になるにつれて男子とほとんど変わらなくなったと本で読んだことがあります。
その時期でも、町娘の待遇や庶民の恋愛事情は変わらなかったものなのでしょうか。

まず、男女比率ですが、極端に女性だけが増えるはずはありません。
江戸では女の子だけしか生まれなかったのでしょうか???
また、周辺の田舎から出てくるとしても、男の仕事は山ほどありましたが、女性の仕事はほとんどありません。
女性の仕事としては、廓や飯盛り女(江戸四宿で許可された娼婦)、あとは、料亭などの仲居、お茶や生け花の師匠。三味線や唄の師匠、通いの家政婦等々と限られていましたので、周辺の田舎から江戸へ出てきても仕事はありませんから、田舎は田舎で嫁に行くしかありませんでした。
また、田舎を捨てて江戸へ流れ込んだとしても、人別帳に載らない「無宿者」でしたので、長屋を借りるにも身元保証人が必要でしたし、仕事をするにも保証人が必要でしたので、住むところもなければ、仕事にも就けませんでした。
従って、江戸時代後期に男女比率が同じに(近くに)なることはありませんでした。
これは、明治4年に戸籍(壬申戸籍)が作られましたが、それでも3:1で男が圧倒的でした。

また、再三言うようですが、「儒教の精神」でしたので、
「男女七歳にして席を同じゅうせず」
の精神です。金持ちや武家では「厳格」に守られました。
当事者同士が合意すれば結婚できたのは現代の話で、江戸時代は、両家の家柄や財産の釣り合いがとれていて、さらには、父親の許可が必要でした。

仲人を商売とする人も居ました。
「分一(ぶいち)」と呼ばれ、結納金の十分の一がもらえることからきています。
適齢期の息子や娘を物色して、縁談を持ち込む。年齢としては、男は40歳まで、女は20歳まででした。
「十分一(じゅうぶいち)取るにおろかな舌はなし」
と、狂歌にうたわれ、口先三寸のやり手でした。
お見合いは、主に、水茶屋や芝居見物などが利用されました。
しかも、これも商家がほとんどで、町人は相手にされませんでした。

では、町人は・・・と言うと、まあまあ、好き同士が一緒になることはありましたが、女性の数が少ないので、妻帯することは中々骨が折れました。
まあまあの性格で仕事振りも安定しているような男には、長屋の大家が仲人をしてくれるような場合もありましたが、それでも大変でした。

こんばんわ。
私の解説をお読みいただきありがとうございます。

>>ふと思ったのですが、男女の人口比も江戸後期になるにつれて男子とほとんど変わらなくなったと本で読んだことがあります。
その時期でも、町娘の待遇や庶民の恋愛事情は変わらなかったものなのでしょうか。

まず、男女比率ですが、極端に女性だけが増えるはずはありません。
江戸では女の子だけしか生まれなかったのでしょうか???
また、周辺の田舎から出てくるとしても、男の仕事は山ほどありましたが、女性の仕事はほとんどあり...続きを読む

Q夜着に使っていた白い着物の名称

時代劇の大奥のシーンなどで、夜寝る時に着ている白い着物は、着物なのでしょうか、長襦袢なのでしょうか、それとも夜着とした全く別ものなのでしょうか?
以前から気に入っていたのですが、その着物の名称も分からず、調べようも無いまま今まで来てしまいました。
知っている方がいらしたら、是非教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>時代劇の大奥のシーンなどで、夜寝る時に着ている白い着物は、着物なのでしょうか、長襦袢なのでしょうか、それとも夜着とした全く別ものなのでしょうか?

普通に「寝巻き」で良いのですよ。
また、「寝衣(しんい)」とも呼びます。

なお、良く菱形のような白い透けた柄がありますが、
「工事繋ぎ(こうじつなぎ)」や「紗綾形(さやがた)」多く用いられました。

紗綾形:
http://haruusagi.gozaru.jp/NewFiles/photoshop-pattern.html

Q江戸時代の旅の手荷物や衣類・食事などは?

お世話になります。

時代劇を見ると、江戸時代の旅装束・手荷物・衣類・食事は、かなり少ない様子です。即ち、

●笠、合羽程度を振り分け荷物で着たきりスズメ

で、手ぶらのようです。その他には、せいぜい杖くらいです。泊りは宿場なので問題なしとしても、こんな軽装で旅が続けられたのでしょうか?

よって、質問です。

Q1.着物の洗濯はしない?(乾かすひまがない・・・)
Q2.朝晩は宿屋で準備された?(食料事情は問題なし・・・)
Q3.昼ごはんはあった?(平安時代は、朝夕の2回だそうですが・・・)

特に、食料事情は重要で飢饉があるくらいですから、食料が不足している可能性がありますが、お金があれば食べるには困らない状況だったのでしょうか。また、荷物が少ないし、着の身着のままみたいで、不思議です。お遍路くらい荷物が限定されたのでしょうか?

ご回答をよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

東海道を例にとりましょう。
東海道では、男足で15日位。
女足では20日位。
これを念頭において・・・

>>Q1.着物の洗濯はしない?(乾かすひまがない・・・)

着物は1着。下着は2~3着・・・洗濯は道中の小川や池で行いました。そして、良く絞って油紙に包み持ち歩きました。


>>Q2.朝晩は宿屋で準備された?(食料事情は問題なし・・・)

大概は、旅篭での朝夕の食事でしたが、途中の茶屋などで団子や饅頭などで代用しました。


>>Q3.昼ごはんはあった?(平安時代は、朝夕の2回だそうですが・・・)

昼飯はヌキが多かった。しかし、前述のように茶屋などで団子を食べたり饅頭を食べたり煎餅を食べたりしました。


>>特に、食料事情は重要で飢饉があるくらいですから、食料が不足している可能性がありますが、お金があれば食べるには困らない状況だったのでしょうか。

やはり、「銭」が一番でした。
農村部では飢饉などで困ったことでしょうが、旅篭などでは、米の流通を銭の力で優先的に差し押さえていましたので、旅人にはあまり不自由なく往来できました。


>>また、荷物が少ないし、着の身着のままみたいで、不思議です。お遍路くらい荷物が限定されたのでしょうか?

江戸時代書かれた「道中案内記」によると・・・

着替えの衣類(着物1着・下着2~3着)、脇差(道中差、女は懐剣)、頭巾(または笠、女は市目笠)、三尺手拭、扇子、矢立(筆記用具)、鼻紙、草履(草鞋)、財布、道中記・・・などを小物篭に入れて包み、肩から振り分けにして持参すると良いと書かれてあります。

(よもやま話)
江戸時代中期(文化・文政の頃)になると江戸も繁盛するようになり、小旅行がもてはやされました。
箱根の関所手前までなら、「通行手形」もいらなかったので、自由に往来できました。
日帰りまたは1泊2日くらいの旅としては、
箱根七湯、江ノ島詣、鎌倉見物、金沢八景、大山詣、成田山新勝寺詣、秩父三十三箇所詣、日光東照宮参り、
などが人気でした。

また、関所でも「○○講中」と書かれた白い上着を着て、それらしき旅姿であれば、通行手形は不要でした。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

東海道を例にとりましょう。
東海道では、男足で15日位。
女足では20日位。
これを念頭において・・・

>>Q1.着物の洗濯はしない?(乾かすひまがない・・・)

着物は1着。下着は2~3着・・・洗濯は道中の小川や池で行いました。そして、良く絞って油紙に包み持ち歩きました。


>>Q2.朝晩は宿屋で準備された?(食料事情は問題なし・・・)

大概は、旅篭での朝夕の食事でしたが、途中の茶屋などで団子や饅頭などで代用しました。


>>Q3.昼ごはんはあった...続きを読む

Q明治時代の服装について

明治時代の服装についてなのですが、私のイメージでは江戸時代までは男性も女性も和服(男性=袴、女性=着物)なのですが、明治時代に入ると西洋化も進んで、男性はズボン、女性は袴?みたいな感じでして。
このイメージは合っているのでしょうか?
この場合、男性で袴を穿いていたり、女性で着物を着ているというものはなかったのでしょうか。
あと、男女の学生の服装も教えていただけると嬉しいです。
お願いします。

Aベストアンサー

今の「着物」のイメージは、明治から昭和初期にかけての物です。
女性は、江戸時代には、今の着物で一般的な太鼓結びもしていませんし、帯締めもしていません。訪問着と呼ばれるものができたのが明治時代、つけ下げや名古屋帯など、現在主流の着物のほとんどは、もっと後です。
男性も「着流し」と言って袴をつけない着方がほとんどです。本当のフォーマル、大名が江戸城にご機嫌伺いなどの場合は、裾を引きずる長い袴ですしね。

明治時代には、庶民は着物。
軍人や華族の一部エリートが洋服。しかし、この時代の洋服はいわばフォーマルであって、日常の衣服は着物だったようです。
女性の袴姿というのは、明治30年頃に、女学校から始まったそうです。着物でいすに座ると、どうしても裾が乱れます。裾を乱さないために袴を使う。つまり、この時代には女学校に行くような特権階級のお嬢様でも、日常は着物だったわけです。この時代の女性の洋服というのは、すなわちドレスのことだったんですね。

大正になって、庶民にも洋服を着る人が出てきます。モボとかモガとか言われる人たちですね。大正末期から昭和初期です。
もっとも、この時代でもまだまだ着物が主流です。特に女性は。今「アンティーク着物」と呼ばれている物は、大正から昭和の物ですから。
男性は、外では背広、家では着物、になっていたようです。
大正12年に関東大震災が起こり、東京では、これをきっかけに洋装化が進みます。というのも、この後、建てられたアパート類に、洋室が取り入れられはじめたためです。明治の女学生同様、着物で椅子は、裾さばきが面倒ですから、必然的に洋装化が進みます。
と言っても、まだまだ着物も残っていますけれど。

昭和初期も、まだまだ着物が主流ですが、戦争が度重なり、絹や木綿を確保することが難しくなっていきます。必然的に布が少なくて済む洋服へシフトしていきます。
もちろん、動きやすいというのもあったでしょう。

明治から昭和初期の服装を、イメージしたければ、マンガがお勧めです。もちろん、本当に研究されるなら、その元になった専門書にあたるべきですが。
「着物」とか「洋服」と言っても、その時代のスタイルが今の物とはかなり違います。あまり、ご存じでない方が具体的なイメージを持つには、文章だけでは難しいでしょう。
一番よく言われるのは、「サザエさん」昭和初期の庶民の服装です。20台前半のサザエさんや子どもたちは洋服、お母さんのフネさんは家でも外出でも着物、お父さんは家では着物で外出は洋服。
私がお勧めなのは、市川ジュン氏の「陽の末裔」「天の黒 地の紅 海の青」「新編懐古的洋食事情」ですね。特に最後の作品はイメージがしやすいです。

今の「着物」のイメージは、明治から昭和初期にかけての物です。
女性は、江戸時代には、今の着物で一般的な太鼓結びもしていませんし、帯締めもしていません。訪問着と呼ばれるものができたのが明治時代、つけ下げや名古屋帯など、現在主流の着物のほとんどは、もっと後です。
男性も「着流し」と言って袴をつけない着方がほとんどです。本当のフォーマル、大名が江戸城にご機嫌伺いなどの場合は、裾を引きずる長い袴ですしね。

明治時代には、庶民は着物。
軍人や華族の一部エリートが洋服。しかし、この時代の...続きを読む


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