ルイス・キャロル ロリコン説は否定される傾向にあるようですが。
ロリコン説でアリス・リデル以外にキャロルが愛していたとされる少女の名前を知りませんか?
本でちらっと読んだ記憶があるのですが名前はすっかり忘れてしまいました。
ルイス・キャロルがどうこうというのではなく自作小説のキャラクターで「アリス」という名前を考えているんですが予備のキャラにはもう一人の少女の名前をもらいたいと思っているんです。

A 回答 (3件)

写真のモデルとしてお気に入りだった、エクシー(クシー)・キッチンのことでしょう。

(エクシー/クシーは愛称で、本名はアレクサンドラです。)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
作家はなんと書いていたのかさっぱり覚えていませんが
覚えておきます。キッチンって面白い名字ですね。
私が読んだ本は小説で確か
「(ヒロイン)は~~のような少女だと思った。ルイス・キャロルというとアリス・リドルが有名だが、~~という少女もお気に入りだった。」という感じの文だったと思いますが、今考えると「分かるかぁ!!!!」と作者に突っ込みを入れたくなりました。

お礼日時:2009/11/19 17:42

アイザ・ボウマン(Isa Bowman)ではないでしょうか。


舞台版の『不思議の国のアリス』でアリス役を演じたことがある少女で、後に『ルイス・キャロルの想い出』という本を書いています。
ルイス・キャロルも、彼女の名前を折り込んだ詩を書くなどしています。
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この回答へのお礼

なるほどルイス・キャロルを直接知ってた上に、良くイラストでみるアリスのモデルなんですね。
それにしてもルイス・キャロルは独身男のわりに周辺に未成年の女の子多かったんだ。

お礼日時:2009/11/19 17:47

ルイス・キャロルが「愛した」少女というのでは、ありませんが・・・


何か名前が欲しいのでしたら・・・

彼が『不思議の国のアリス』の話を聞かせた三姉妹というのは
アリス・プリーザンス・リデル(Alice Pleasance Liddell)と
ロリーナ・シャーロット・リデル(Lorina Charlotte Liddell)、
イーディス・メアリー・リデル(Edith Mary Liddell)
です。
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この回答へのお礼

三姉妹の名前を知りたいのではなくまったく別の女の子です。

お礼日時:2009/11/11 10:53

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Qアリスの姉はなぜ制止しなかつたのか

『不思議の国のアリス』について質問です。

アリスはお姉さんと一緒にゐました。しかし、アリスが兎の穴に飛びこむといふ危険な行為に及んだ際、お姉さんはなぜ制止しようとしなかつたのですか。

夢だつた、といふ夢のない答ではなく、ルイス・キャロルなみの回答を期待してゐます。

Aベストアンサー

まず、ご存じかも知れませんが、『不思議の国のアリス』の日本語訳は
http://www.genpaku.org/alice01/alice01j.html
で読めます。これに基づいて話を進めます。

確かに、物語の最後で、アリスは「川辺によこになって、
おねえさんのひざに頭をのせてい」ますから、
すべては夢だったとも解釈できますが、
仮に夢であったとしても、
夢の中でどういう出来事が展開されたかを考えるのは
無駄ではないと思います。

まず、アリスがおねえさんと一緒にいた場所と、
アリスが兎の穴に飛びこんだ場所とは、
野原を隔てた別の場所です。

おねえさんは「絵も会話もない」本を読んでいます。
アリスはうさぎを追って「野原をよこぎ」りますが、
その時のお姉さんの行動については記述がありません。

したがって、おねえさんの行動は
想像してみるしかないのですが、
読書をしていた彼女は、そばにいた妹が
急に「とびあが」って「うさぎのあとを追っかけ」始めたとき、
たとえば、妹の腕をつかんで引き留めるとか、
間を置かずに妹の後を追うとかすることは
できなかったのではないでしょうか。

そして、仮に、ですが、
一瞬後に妹の後を追いかけ始めたとしても、
結局、妹がうさぎの穴に飛び込むまで、
追いつくことは出来なかったのでしょう。
(もちろん、おねえさんはうさぎの穴の存在を
 前もって感知してはいなかったはずです。)

そして、お姉さんは、追いかける途中で
「急にどこへ行くの。止まりなさい」などと
声を掛けた可能性はありますが、
アリスはうさぎを追うのにに夢中になっていますから、
姉の声は耳には届かなかったか、
あるいは、届いていたとしても、
どのみち、止まるはずはなかったと思われます。

先に述べたように、すべては想像でしかありませんが、
ともかく、アリスが穴に飛び込まないことには、
物語は先に進みませんから、
アリスがうさぎを追い始めて以降のおねえさんの行動は
追っかけて止めようが、止めまいが、
それは枝葉末節であって、わざわざ描くほどのことはないと
ルイス・キャロルは考えたのではないでしょうか。

参考URL:http://www.genpaku.org/alice01/alice01j.html

まず、ご存じかも知れませんが、『不思議の国のアリス』の日本語訳は
http://www.genpaku.org/alice01/alice01j.html
で読めます。これに基づいて話を進めます。

確かに、物語の最後で、アリスは「川辺によこになって、
おねえさんのひざに頭をのせてい」ますから、
すべては夢だったとも解釈できますが、
仮に夢であったとしても、
夢の中でどういう出来事が展開されたかを考えるのは
無駄ではないと思います。

まず、アリスがおねえさんと一緒にいた場所と、
アリスが兎の穴に飛びこんだ場所とは、
野原を隔て...続きを読む

Q荒野の少女

50年ほど前に読んだ本です。西条八十氏の作ではないでしょうか。金沢、石川、氷見、羽咋などの地名委が出てきて、哀れな少女が転々と移動するようなものではなかったかと思います。子供心にとても悲しく思い、最近になって確認したくて探していますが、見つかりません。ご存知の方、教えていただけますか?

Aベストアンサー

西條八十氏の著作を調べてみました。
「荒野(あれの)の少女」という少女向け文学があるそうです。
少女倶楽部の昭和14年1月号~15年5月号に連載。
脚注を読むと「西條八十全集 第十二巻 少女小説」に収録されている可能性も。
http://sinsin2006.web.fc2.com/content12.html#S007

古い本ですが、昭和30年代にもポプラ社から再版されているそうです。
ご覧になったのはこの年代の本かもしれません。

また、石川県近辺の地名が出て来るかどうかはネット上では確かめられませんでしたので
まったく違う作品のことについて回答しているかも…。参考程度にどうぞ。

Q「罪と罰」の登場人物の名前について・ロシア人名

ドストエフスキー「罪と罰」を読みました。内容はともかくとして、文学としての一つの「特徴」が気になったので、架空人物の名付け方・ロシア人の姓名についてお尋ねします。罪と罰を読んだことない方でもけっこうです。

全体的に「堅苦しい言い回し」が多いという印象を受けました。ただ、それはロシア文学に限らず日本文学でも明治のものは難解ですし、「筆者がわざと難しい言い回しをして、読者の知的好奇心をくすぐっているのかな」
「ひょっとして、19世紀当時~20世紀初頭は、大衆文学とは言っても文芸誌・雑誌を買う人は限られていて、『くだけた言葉で書かれたものは価値がない。荘厳な言い回し・読解を必要とするブンガクテキ表現をする著作の方が、読者に対して読む価値のアルモノとしてのハクを示せる』と思っていた作家が多いのかな」
とすら思ってしまいます。

それにしても罪と罰を読む上でつらかったのは、私に全くなじみのない姓名が多かったことです。ロジオン、ロージャ、この2つが同じ人物を指すことまでは受け容れられますが(英語圏でもリチャードがディックになったりしますものね)、場面ごとどころか、同じ場面の中でさえ、ロージャ、ラスコーリニコフ、ロジオン・ロマーノヴィチ、ところころ呼び名が変わるのには四苦八苦しました。
私は本作が初めて触れたロシア文学ですが、
          ロマーノヴィチ  ・ラスコーリニコフ と
          アレクサンドロヴナ・ラスコーリニコワ と
アヴドーチャ   ・ロマーノヴナ
が親子兄妹の血縁関係だ、ということに慣れるにも時間かかりました。

本作を読むに当たり、インターネットで補助検索をして、
イワン(A)  ・イワノヴィッチ(B)・イワノフ(C)
というルールは見付けましたので、
ゴルバチョフ、フルシチョフ、カラシニコフ、カラマーゾフ、
ロシア人名の語尾がみんな似通っていることには納得した次第です。
女性の場合はたぶん
エカテリン(A)  ・イワノヴナ(B’)・イワノワ(C’)
となりますよね?

■まず、
アヴドーチャ   ・ロマーノヴナ
には 「・ラスコーリニコワ」(C)がないのは、未婚女性だからですか?

■ドゥーニャ、ドゥーネチカは アヴドーチャ の愛称(英語でいうニックネーム)ですか?
でも英語の場合は人によってなんていう愛称で呼んでもらうか一つに決まっている、と聞いたことがあります。
例えばエリザベスという本名の登場人物を、呼ぶ人によって エリー、エリザ、リサ、ベス、ベティ とばらばらに読んでいる文学作品に、僕は出会ったことがありません。大将、兄さん、あのバカ、といった役柄によって呼び名が変わることはあったとしても、ニックネームを2つも持っているのは、「ロシア特有なんだろうか」と素朴に疑問に思いました。中国における 阿備 や 美美 のように、未成年や特に女の子の場合には、
  気分によって よし子ちゃん、よっちゃん、と呼び分け
たりするものなのでしょうか。
さっきまで ソーニャ、と呼んでいた人が、急にソーネチカ、と呼んだりすると、
ソーニャとソーネチカのどちらがより親しい言い方なのかわからない私としては、とまどい続けるばかりです。ソフィア、と呼びかけるのは、たいへん距離感のある言い方でしょうか(ドゥーニャ、ドゥーネチカも同様)。

■医師や弁護士が登場しますが、(少なくとも19世紀ロシアにおいては)英語でいうDr.のような尊称はあまり一般的でなかったのでしょうか。
ピョートル・ペトローヴィチ・ルージンのことを「ピョートル・ペトローヴィチ、」と呼び捨てにして話しかけている人物の多いことが気になります。
「ピョートル・ペトローヴィチさん、」
「ピョートル・ペトローヴィチ先生、」
という呼びかけをしていないのは、訳者の癖でしょうか。

■また逆に、ルージンと結婚しようとしているドゥーニャでさえ、「ピョートル・ペトローヴィチ、」とほぼフルネームで呼んでいるのが気になります。ピョートルの愛称って一度も出てきていませんよね? ルームメイトでさえ。

■ドゥーニャはスヴィドリガイロフのことは、
「スヴィドリガイロフはなんて言ったの?」
「スヴィドリガイロフさんの話はおやめになってください」
と、さんを付けたり付けなかったりしています。これは原文にミスターやムッシュやヘルみたいなのがあったりなかったり、ということなのか、訳者の癖ということなのか、どちらなのでしょうか。この「さん」を付けるかどうかやフルネームで呼ぶかどうかで心理的距離感がわかったりしますか?


ここから一番聞きたいことです。
■なぜ一つの作品で、ペトローヴィチやイヴァーノヴナという、同じ姓の登場人物が3人も4人も登場するのですか?
三国志でも夏侯淵・夏候惇とか孫権・孫堅・孫権みたいな、読んでて嫌になりそうなややこしい名前が存在しますが、あれは歴史小説として捉えれば、罪と罰とは少し違う気がします。架空小説ならばなるべく「個性が生きるように」人物設定するのが自然であって、一つの作品に
X・ペトローヴィチ
Y・ペトローヴィチ
Z・ペトローヴィチ
を登場させるのは、ダメな作家のやることだと思うのですが(血縁でない限り)。前述の通り「ヴィチ」が息子を意味することまでは理解しました。日本でいえば「佐藤さん」のようにありふれた名前、ということでしょうか。しかし、
伊藤
佐藤
近藤
という架空の名前を人物相関図に当てはめていくときに、「もう少し違う名前にしよう」と思いませんか? ましてペトローヴィチは「一字一句違わない」ですし。
ダ・ヴィンチ、デカプリオ みたいに、AとB をセットで呼ぶことに慣れてしまっているのでしょうか。ゾシーモフはずっと「ゾシーモフだけ」で呼ばれているから気の毒ですが。

洗礼名という日本にはない慣習のことを考えると、欧米人の個人名(ファーストネーム)が日本ほどバリエーションに富んでいないことは理解できます。特に ペトロ はありふれた名前なんでしょうね。
ペトロ(ピーター)やイワン(ジョン)がありふれているからペトローヴィチやイヴァーノヴナがありふれている、
ということまでは理解ができます。

でも架空小説なら、「田中」という登場人物は一人だけに抑えることができるでしょう?
アメリカの映画でも、ジョンが3人も4人も出てくる作品を、見たことありません。まして、血縁関係もない「ジョンソン氏」が3人も出てくるなんて、狂ってると感じます。

■やたらめったら、相手をフルネーム(ファースト+ミドル)で呼ぼうとすることについて、これは当時のロシアで一般的だったのですか? 今のロシアでもそうですか?
つまり、池上さん、や、あなた、や先生、と呼びかけるよりは、池上アキラ、と呼びかける方が、より相手に敬意を込めた表現なのでしょうか? 一連の会話の中で何度も何度もフルネームで呼ぶのが気になります。
それとも、これは「文学特有の」わざと堅苦しい言い方をして、読者に印象付けようという、ドストエフスキーの「テクニック」ですか?
それも、よくあったテクですか、それとも彼固有ですか?

以上、長くて恐縮ですが一つずつでも良いので、よろしくお願いします。

ドストエフスキー「罪と罰」を読みました。内容はともかくとして、文学としての一つの「特徴」が気になったので、架空人物の名付け方・ロシア人の姓名についてお尋ねします。罪と罰を読んだことない方でもけっこうです。

全体的に「堅苦しい言い回し」が多いという印象を受けました。ただ、それはロシア文学に限らず日本文学でも明治のものは難解ですし、「筆者がわざと難しい言い回しをして、読者の知的好奇心をくすぐっているのかな」
「ひょっとして、19世紀当時~20世紀初頭は、大衆文学とは言っても文芸...続きを読む

Aベストアンサー

どうやら24時間以上たっても回答が付いていないようですのでお答えいたします。
たぶん外国語カテゴリーのほうがより多くの回答を望めたかもしれません。
かく言う私も決してロシア文化に明るいわけではありませんので、回答は部分的なものになります。ご了承願います。

まず、
〔男性〕 イワン(A)  ・イワノヴィッチ(B)・イワノフ(C)
〔女性〕 エカテリン(A)  ・イワノヴナ(B’)・イワノワ(C’)
のうちで
Aが「個人名(その名前の持ち主本人に与えられた名前)」、
BおよびB’が「父称(ふしょう、その名前の持ち主の父親の名前に由来する呼び名)」
CおよびC’が「姓(いわゆる苗字に相当)」
であることを理解してください。
父称は東アジア(日本含む)や西欧の多くの国では馴染みのない習慣ですが、「○○の息子(娘)」を意味する呼び方であり、
古くは、実の親子関係であることや、家系を示すために使われたといわれます。
(アイスランド語では現在でもこの利用法に基づき父称が用いられていて、何世代にもわたって使われる「苗字」は使われません。)
ロシア語などスラブ語圏ではもともと「姓」はなく、父称が姓の役割を果たしていたそうですが
(つまり古くは、上記例でいえば「A・B」だけの形だった)、
近代になって、この「父称」の使用を保ったまま新たに「姓」を使用するようになりました(「A・B・C」の形になった)。
ここ、ロシア人の人名を理解するうえで、大事なポイントです。

>アヴドーチャ   ・ロマーノヴナ
>には 「・ラスコーリニコワ」(C)がないのは、未婚女性だからですか?
これは当方には分からないので割愛させてください。

>ドゥーニャ、ドゥーネチカは アヴドーチャ の愛称(英語でいうニックネーム)ですか?
はい、そうです。
ただ、英語でいうニックネームは正式な名前として用いられることがあるのに対し、
ロシア語の愛称形はあくまで愛称であり、正式な個人名としては用いられません。
使い方ですが、
>気分によって よし子ちゃん、よっちゃん、と呼び分けたりするものなのでしょうか。
そのとおりです。但し、日本語でも「よし子さん」のことをそんなに軽々しく「よっちゃん」と呼んだりしないのと同様、
よほど親密な相手でないと「ソフィア」のことを「ソーネチカ」と呼んだりはしないようです。
(「ソフィア」の愛称形のひとつが「ソーニャ」ですが、「ソ-ネチカ」はその更にずっと砕けた呼び方です。「親称」ともいいます)
ちなみに「ソフィア」とだけ呼ぶと、まるで親が子供に向かってお説教でも始めるかのような雰囲気になってしまいます。

>ピョートル・ペトローヴィチ・ルージンのことを「ピョートル・ペトローヴィチ、」と呼び捨てにして話しかけている人物の多いことが気になります。
これは呼び捨てではなく、当時のロシアの習慣としてはこのように「個人名+父称」で呼ぶのがいちばん正式で、礼儀にかなった呼び方だったのです。
日本人の感覚だとどうしても呼び捨てに思えてしまうのは致し方ないのですが、「○○さんの息子(娘)の△△さん」というふうに呼んでいるわけであり、日本語の「山田太郎さん」「鈴木花子さん」といった「苗字+名前+敬称」の感覚にいちばん近いともいえるでしょう。
『罪と罰』の主人公を「ロディオン・ロマーノヴィチ」と呼んだのなら、それは「ロマンさんの息子のロディオンさん」と呼んでいるわけですね。

>やたらめったら、相手をフルネーム(ファースト+ミドル)で呼ぼうとすることについて、これは当時のロシアで一般的だったのですか? 今のロシアでもそうですか?
さすがに現代ではやや堅苦しい呼び方になってきているようですが、公式な場や公的書類などでは今でも用いますし、年配の人や社会的立場の高い人に対する呼びかけにも用いられているようです。礼儀を重んずる人なら当然のように父称を付けて相手を呼ぶでしょうね。
ですからテクニックでもなんでもなく、ちゃんとした礼儀正しい表現です。ゴーゴリもトルストイも、それどころかショーロホフやソルジェニーツィンだって用いていますよ。
ちなみに「名前+父称」はフルネームではありません。これに姓が加わってはじめてフルネームになります。


>なぜ一つの作品で、ペトローヴィチやイヴァーノヴナという、同じ姓の登場人物が3人も4人も登場するのですか?
上記のように、ペトローヴィチやイヴァーノヴナは姓ではなく「父称」です。
つまり父親の名前がピョートルであったりイヴァンであったりしたために(いずれもありふれた名前だという点はご指摘の通りです)
ペトローヴィチなりイヴァーノヴナなりの父称が息子や娘についているわけです。
これらの父称が、『罪と罰』の中で、一見、登場人物たちの姓のように見える理由ですが、当方もよく理解していません。
作者(ドストイェーフスキー)が作中人物たちのうち重要度が低いものにたいしてはわざわざ姓を設定しなかったのか、
それとも身分がそれほど高くない人物はこの時代(19世紀半ば)「姓」を持っていなかったのか。
いずれかだとは思うのですが、当方もあいにく存じません。
『罪と罰』にペトローヴィチが何人か登場するのは、作者がその「ペトローヴィチさんたち」の個性をあえて目立たないようにしたとも考えられます。ラスコーリニコフやソーニャの印象が高まりますから。
(どうでもいい話ですが、作中でいちばん私の印象に残っている人物は、ロージャ君を除けば、飲んだくれのマルメラードフおじさんです。)


ロシア人の名前に関する資料として分かりやすく説明しているサイトを貼っておきます。
http://rossia.web.fc2.com/sp/fio/index.html
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1386887598

どうやら24時間以上たっても回答が付いていないようですのでお答えいたします。
たぶん外国語カテゴリーのほうがより多くの回答を望めたかもしれません。
かく言う私も決してロシア文化に明るいわけではありませんので、回答は部分的なものになります。ご了承願います。

まず、
〔男性〕 イワン(A)  ・イワノヴィッチ(B)・イワノフ(C)
〔女性〕 エカテリン(A)  ・イワノヴナ(B’)・イワノワ(C’)
のうちで
Aが「個人名(その名前の持ち主本人に与えられた名前)」、
BおよびB’が「父称...続きを読む


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