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宇宙の姿をわかっても、精神の発生要件をわかっても、未来永劫「なぜ私は私なのか」という問に答えられないと思いますが、これはやはり、人間は馬鹿だからでしょうか?例えば、今質問しているこの私は、鎌倉時代の石職人でもよかったでしょうし、縄文時代の貝加工専門要員でもよかったし、猿人の野生で終始してもよかったわけです。それなのに、「なぜ、私は今の私なのか?」という説明がちっともなされない。どっかに説明あるでしょうか?

A 回答 (17件中1~10件)

>どっかに説明あるでしょうか?



お友達のネスちゃんに聞いてみてはどうでしょうか(お互いに紙一重の・・)
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おばあちゃんの話は、遺言なので伝えられません。
クリスチャンの母の話なら、伝えてもいいです。

母は言いました。
「なぜ、私は今の私なのか?」
「それを知ることは、宇宙を知ることに等しいの。」
「それを知ったら、人間は神を必要としなくなるの。」
「だから、神は、その答えを頑なに教えないの。」

遠いところを見るように、敬虔なクリスチャンの母は話してくれました。
胸のところで両手を握りしめながら・・・・・
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 回答No.13のVenusAureaさんは、あるいは感じているかもしれません。


 
 もしかしたら、と思えるような回答のように感じました。
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 いろんな回答を見ての感想です。



 garoonさん。
 皆さんのに回答に満足したでしょうか。

 私は満足していません。
 なぜなら、質問の、いやgaroonさんの「疑問」を正確に捉えていないと思うからです。

 前回の私の参考意見に、さらに考え方を付け加えて、質問の趣旨を理解してもらえるよう、表現を工夫してみました。

 世界に65億人ほどもいるという人間の中の、たった一つであるこの肉体に宿った精神に、なぜ「私」を、感じるのか。なぜ「私」が、感じるのか。

 宇宙のどこかにいる精神(理解をたすけようとの表現です)としての「私」が、なぜこの肉体を通して意識しているのだろうか。

 たまたま、偶然なのか。

 過去には「私」はいなかったし、未来にも「私」が現れるとは思えません。

 なぜ、たった一つのこの肉体に宿った精神に、「私」を感じるのか。

 なぜ「私」と思えるのか。

 「私」って誰、ではなく・・・「私」って、何(なに?)。

 いろんな表現をためしてみました。
 この気持ち“疑問”を言葉にするのは非常に難しいです。
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この回答へのお礼

残念ながら満足できていません。なにか、この不可知論に少しでも近づくヒントがあればいいのですが、結局人間には不可能な認識であると言うことで終わりですね。
お答えの文章は大変この不可知論に対しての憧れとか希求を表されていて、胸が熱くなりました。

お礼日時:2009/11/14 13:04

なぜ、あれではなく、これなのか。


考えたら、こういう疑問って尽きることがないですけど

「なぜ私は、この私なのか」
究極、恐らく永遠の哲学的問いですもの。

「人類全体の意識向上のため」など云々したって、それもまた、なぜ?の問いを免れないのではないですか。

>なぜなら「なぜ私は私なのか」という問にさえ答えられない

この私、と思う(思える)からこその問いなのですから、単なる、馬も鹿も、という意味でのバカ?でしたら、問うことすらありませんでしょうね。(笑)


「薔薇の木に薔薇の花咲く何事の不思議なけれど」(白秋)
                       
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この回答へのお礼

人間は、わかったつもりになるし、確かにいろいろ考えられるのだけれども、たいしたところまで行く力はないなぁとおもいますね。丁度、魚が網にかからないように伝承することができないように、おろかな面はおろかなままです。

お礼日時:2009/11/14 13:02

スコットランド常識学派の哲学者だったら、こう答えるんじゃないかと思います。


『「なぜ私は私なのか」という問いに対しては「私だから」という回答で十分だ』と。
これはトマス・リードの言うところの「神聖なる本能」なのでしょう。
それ以上の分析の対象にしてはならない、説明不可能なものだからです、多分。
これは『他我は存在するのか?』という独我論に対しても言えます。

以前、わたしは独我論のことで悩んでいたのですが、
スコットランド常識学派のことを知り、悩みが解決しました。

日本語版ウィキペディア: スコットランド常識学派
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%B3% …
日本語版ウィキペディア: トマス・リード
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E% …
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この回答へのお礼

そういうのは、仏教的な不可知論を忌避する思想にも似ていますね。確かに判断停止はすばらしいことですが、一方で頑なでつまらない人間への道だとも言えるのです。でも、結局人間は判らないままで行くしかない、というところに落ち着くんですけどね。

お礼日時:2009/11/14 13:00

この問題は子供に聞いてみた方が良いです。

子供には「疑い」そのものが無いからです。自分が何者かが良く分かっているからです。自分が何者かを分かっていたものが分からなくなった事を忘れてしまっただけです。

この疑問は分別が湧きあがらせた疑問です。分別を捨てた時には分かります。この疑問は貴方の中の「分っているもの」が貴方に投げかけた疑問です。貴方の心がその原点に立ち返る時に分かる筈です。

貴方の心が、貴方の心に、分別心が生じようとする時の事です。心が疑問を抱き始める前の状態、つまり貴方の心が二つになる前の事です。つまり貴方の心が疑問と一つの状態の事です。疑問と貴方が一つの状態の時に立ち返る事が貴方には「分った」と感じる筈です。

心が生じる前の状態の事です。心は「無」から生じている事が分かった時の事です。
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>>やはり、人間は馬鹿なのだろうか なぜなら「なぜ私は私なのか」という問にさえ答えられない。



これは明らかに文章の間違いであるか、もし間違いでないとすると傲慢、セルフィッシュなのでしょうね。

正しくは「やはり、私は馬鹿なのだろうか なぜなら「なぜ私は私なのか」という問にさえ答えられない。」でしょう。
人間を当てはめると、人間が全てそうだとなりますからね。私は私の存在理由をしっていますから質問の文だと私は神であなたは人間ということになってしまいます。間違いなく私は人間の認識ですし、存在理由を知らないあなたも人間ですよね。
わからないのはあなた自身の問題で人間一般の問題ではありませんね。
どうしてもわからなければまずは誰かの妥当と思える説を信じてみることですね。それが自身を知る第一歩、入門でしょう。
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宇宙の姿、精神の発生要件がわかっているかどうか、もう一度検討しなおしてみてください。

それから自分自身を理解しているかどうか についても。

 「人間以上のものがいない」と思う一方で、「人間は馬鹿なのだろうか?」と思うということは、人間の質、レベルの違いが考慮に入っていないからでしょう。

 なぜ私は私なのか という問いに答えられないということは、自分が解っていないという事です。
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あらゆる「なぜ?」に答える能力は人間にはないですから、馬鹿というよりか限界と呼ぶべきものではないかと思います。


「なぜ」の答えのかわりに、「いかにして」「どのように」という仕組みや機序の説明が、文明とともに発達してきました。
火の発生する過程も、宇宙の姿も、脳と精神のつながりも、これがこうなってああなって、ということがわかるようになり、
次に、たぶんこうすればああなるはずだ、ということがわかるようになりましたが、
これらと同様、
私がどのように私であるか、私と認識されるか、私自身から私と認識され他者からこの者と認識されるか、という過程が問題とされ、
自身の把握に障害のある精神症状に対して、なにがどのようにつまづいているかということと、治療の見込みが立てられるようになりました。

あらゆる事象や物象について、その存在要件はすべてなぞに包まれており、
魂が生得的にそのようにあるのかしら、とか不思議な随想の余地を残したまま、
アプリオリに納得しておくということで、世界は存在し、万事回っているのです。
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