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ヨーロッパ文明はギリシア文明とキリスト教の混血???

ヨーロッパ文明に影響を与えたものは多くあると思いますが、
ヨーロッパ文明に決定的に大きな影響を与えたものは、
キリスト教とギリシア文明と考えてもいいのでしょうか。

上記二つ以上に、現代ヨーロッパの源泉となったものはあるでしょうか。

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A 回答 (5件)

そのような考え方があるのは事実です。


正確にはキリスト教、ユダヤ教をあわせてヘブライズムと呼び、ギリシア由来であるヘレニズムと対比されたりします。

例えば神への信仰に重きを置いた中世はヘブライズム。人間中心のルネサンスはへレニズム。
宗教改革はヘブライズム、というように、ヨーロッパの歴史はこの二つのせめぎあいの歴史ともいえます。

しかし、ルネサンスがアラブ文明を吸収したものでもあるように、この二つのみがヨーロッパ文明を構成すると考えるのは乱暴です。
なぜなら東洋(特にアラブ、イスラム)に対してのヨーロッパの優越意識によるバイアスがかかっているからです。
こういった考え方は、非常にヨーロッパ中心的ですので、どういう文脈で用いられているのかに注意しなければいけません。

日本で例えるなら、縄文(アニミズム由来の宗教的文化)と弥生(大陸由来の理性的文化)の対比のようなものだとお考えください。
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プラス、ルネサンス思想です。



これがないと、中世がおわらず、宗教改革もおきず、現代ドイツが成立しません。
また、グーデンベルグの印刷機械も、同様でしょう。

あとは、新大陸からジャガイモを移植することにより、デリケートな麦とコメ以外の栄養源が手に入り、現代の人口構成ができます。笑い事ではなく、ジャガイモがなかったら、歴史はちがっていたはずです。
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https://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/w …

文明というのを知的な認識論とすれば、イスラムの影響が一番大きい。
ギリシャ文明云々というのは、19世紀に文明史的に短い西欧人が、「ギリシャの後裔だ」と発見という名前の詐称をしているようなものです。
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現代ヨーロッパということで考えると


東洋(とくに中国と日本)の存在も
大きいのでは・・

紅茶(お茶を飲む習慣)の誕生は中国の存在が大きいですよね・・
日本は芸術的な意味でヨーロッパに影響を与えた、と私は思っています
(浮世絵とか着物はたしかにヨーロッパの風俗や美意識に影響を
与えた、といえると思う)。
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ギリシャ哲学、ギリシャ医学、高等数学などをヨーロッパに伝えたのは、中近東から北アフリカ、イベリア半島を支配したイスラムの人たちです。

中世のキリスト教では古代ギリシャ文明を継承してはいないと考えた方が良いと思います。
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Qギリシアとローマの関係について

高校レベルの世界史もよく把握していないのですが…
古代ギリシアとローマの関係がよくわからないのです。

・ギリシアとローマは戦争していたこともあり、別個の支配体制ですよね?
・それなのに同じ12神を信奉していますし、使用するアルファベットも似ています
・ローマは土木工事等の実学には長けていたが、ギリシアのような哲学や数学は発達しなかったと聞きます。文化面でもだいぶ隔たりがあるように見えます。

結局この2つはどんな関係で、お互いにどんな相手だと見ていたのでしょうか?

Aベストアンサー

 古代ギリシアは都市国家の集まりです。何度か、都市国家連合としての統一国家になろうとしましたが成功しませんでした。その理由は、おそらくは文明・文化の発達でしょう。自立と自由があって、初めて文明・文化が発達します。そして、それを手放してまで、国力だけのために統一国家となることは受け入れにくいのです。

 古代ローマは、文明・文化の発達が遅かったので、早くから統一国家、しかも都市国家連合という緩い結びつきの国ではなく、全域を中央政権が支配する領土国家にまりました。そして、文明・文化は近隣で発展していたギリシア(とりわけ学問先進国のアテネ)に学んだわけです。

 ギリシアの文明に学び、しかも全域が統一されているローマの国力は急速に伸びて行きました。やがて、国力としては劣り、しかも統一できていないギリシアの都市国家を次々と従わせ、ローマの地方都市として、やがてギリシア全域をローマの領土に組み入れることとなります。

 しかし、ローマはギリシアの文明・文化を超えるような独自なことはできませんでした。巨大な建築はできたけど、基本はギリシアのものです。それだけ、ギリシアの文明・文化は発達していたわけです。宗教も、ローマ独自のものはあったのでしょうが、ギリシアの神々と同じものだとしてしまいました。

 キリスト教が広まり、公認されるようになると、ようやくキリスト教由来を加えて、ローマ独自文明・文化が発達し始めました。ローマ帝国が東西に分裂し、西ローマ帝国が滅びても、東ローマ帝国は長く保ち、首都コンスタンティノープルではヨーロッパ有数の文明・文化先進地域であり続けました。

 そういう例は、古代中国にもありました。殷や周は都市国家連合です。一番国力があり、他の都市国家のリーダーととして取りまとめていたのが、殷や周という大きい都市国家でした。その地域を中原(ちゅうげん)と呼んでいて、そこでは早くから文明・文化が発達しました。

 その周の力が衰えていく一方、地方では楚といった文明・文化は遅れていて、中原の都市国家に学んだ国が、早くから領土的にも統一した国家として台頭して行きました。

 周が衰えて、他の国家が力を得て行った春秋時代は、中原ではまだ都市国家連合がひとまとまりとなった国家が多く、非常に多数の小国が乱立していました。小国とはいえ、文明・文化が発達しているので、その周辺地域の領土的に統一された国家から尊敬を受けていました。

 しかし、続く戦国時代となると、ほとんど国家が領土的に統一された国家となります。都市国家は単なる都市となりました。それでも、小国となっても周とその近辺の小国は、秦が中国全土を領土的に統一するまで、長く尊敬を受け続けていました。

 古代ギリシアは都市国家の集まりです。何度か、都市国家連合としての統一国家になろうとしましたが成功しませんでした。その理由は、おそらくは文明・文化の発達でしょう。自立と自由があって、初めて文明・文化が発達します。そして、それを手放してまで、国力だけのために統一国家となることは受け入れにくいのです。

 古代ローマは、文明・文化の発達が遅かったので、早くから統一国家、しかも都市国家連合という緩い結びつきの国ではなく、全域を中央政権が支配する領土国家にまりました。そして、文明・...続きを読む

Qなぜヨーロッパの歴史がギリシアやローマから始まったのか

なぜヨーロッパの歴史はギリシアやローマから始まり、発展したのでしょうか。是非教えてください。

Aベストアンサー

 
ここで「ヨーロッパ」と言っているのは、「西欧文明」のことだと理解します。何故なら、「ヨーロッパ」には、北欧、東欧、ロシアも入るのであり、北欧や東欧、ロシアの歴史は、ギリシアやローマから始まっていません。北欧、東欧などは、キリスト教の布教によって、キリスト教文化の流入と共に、ローマやギリシアの文明との関連が生まれますが、それは、8世紀とか9世紀とか、かなり時代的に後になります。また、ロシアは独自の歴史があり、西欧とはまた違った文明とされます。

西欧文明の場合、人種的あるいは部族的には、ケルト、ゲルマン、ラテン人(ローマ人)が西欧文明を築いたと言えますが、中心に来るのは、ゲルマン・ケルトで、更にゲルマン部族が、西欧の歴史の主人公だとも言えます。

ゲルマンやケルトの場合、過去の歴史を遡って行くと、紀元前には、現在のフランスを中心とした大森林のなかで狩猟生活をしていた小部族の集団ということになります。紀元頃だと、ケルトの部族も多数、現在のフランス・ドイツ・イギリスなどの領域に居ましたが、やがて、3世紀から4世紀にかけての「ゲルマン民族の大移動」と呼ばれるもので、ゲルマン族が、西欧を席巻し、ローマやイベリア半島や、果ては北アフリカにまで広がって、多数の部族王国を築きます。

西欧文明のコアであるゲルマン部族の人々の歴史は、紀元前になると、文書記録がほとんどなく、実態は、遺跡の発掘などで、考古学で検証されています。

イタリア人の歴史は、確かに、遡ると、ローマ帝国、ローマ共和制から始まります。またギリシアも、オットーマントルコの支配下に長い間あったとはいえ、遡ると、ローマ帝国の属州、更に遡れば、独立した古典ギリシア文明へと繋がります。

しかし、フランスやドイツやイギリスの歴史は、遡ると、大森林のなかの狩猟部族群となり、それも、遙か東の黒海あたりから移住してきた人々です。紀元前の西欧は、一面に大森林に覆われていて、当時のギリシア人やローマ人は、ゲルマン・ケルトの人々、つまり現在の西欧の人々の祖先を、森のなかの「蛮族」だと呼んでいました。

ローマは地中海全域を版図に収める大帝国を築きますが、その版図には、現在のフランスやドイツやイギリスは含まれていません。イギリスはブリタニアとして、比較的開けた領域は、ローマの植民地でしたが、島全体から見れば、ケルト族の土地でした。

現在の西欧の人々の直接の祖先の歴史になると、イタリアとギリシアは別ですが、「森のなかの蛮族」になってしまいます。

ギリシアとローマの文明は、西欧文明とは別のもので、西欧文明は、ギリシア・ローマを通じて、「文明」というものを学習したのですし、技術や知識や文化や思想を「模倣・継承」したのです。

西欧の歴史の最初が、「森のなかの蛮族」では、西欧の人々の自負心を満たさなかったので、古典ギリシアやローマ帝国の「継承者」を自認して、ローマやギリシアを、自分たちの歴史の最初に置いたというのが事実です。

なお、西欧が古典ギリシアを忘れていたなどというのは、どこから出てくるのか理解し難いです。12世紀13世紀のイスラム文化を通じての古典ギリシアのアリストテレスの思想の復興や、ルネッサンスの古典ギリシア復興のことを述べているのだとも思いますが、それは、キリスト教を文明の宗教としたことで、古典ギリシア哲学やローマ哲学を含む、「異教」の書物などを、すべて廃棄して残さなかったので、一見、忘却したように見えるだけで、ラテン語での記録などでは、ローマ帝国がかつてあり、古典ギリシア文化がかつて、ローマが崇拝した文化としてあったということは、忘却などされていません。

キリスト教にとっては、興味がなく、かつ有害と考えられたので、軽視され、また無視されていたので、キリスト教に都合の良い資料は、ローマ時代のものも、古典ギリシアのものも、西欧には残っていました。(ただし、哲学等のギリシア語原典は、意図的に廃棄し、抹消したので、名前だけ残り、実物が西欧からはなくなり、アラブ人を通じて、原典の写本が、12世紀頃再び、西欧に入って来たと言うことです)。

フランスの歴史、ドイツの歴史、イギリスの歴史などで調べると、最初がギリシアやローマにはなりません。イタリアの歴史の場合は、最初がローマやエトルリアになりますが、ギリシアはまた別です。

ローマや古典ギリシアが繁栄していた時代、イギリスやフランス、ドイツには、大森林があり、森林のあいだの小さな開拓地にケルトやゲルマンの人々が集落を作り細々と生活していたので、ギリシア人やローマ人は、彼らを、「森の蛮族」と呼び、フランス・ドイツ・イギリスなどを、「蛮族の土地」としていたのです。

(西欧は、上で述べたように、古典ギリシア文明や、ローマの文化資産を「学習・継承」して、みずからの文化を発展させて行ったのです。そのため、西欧の歴史の最初に、古典ギリシア文明やローマ帝国を置きます。特に、ローマ帝国は、キリスト教の成立と発展と密接に関係あるので、多数の資料がラテン語で西欧に継承されています)。 
 

 
ここで「ヨーロッパ」と言っているのは、「西欧文明」のことだと理解します。何故なら、「ヨーロッパ」には、北欧、東欧、ロシアも入るのであり、北欧や東欧、ロシアの歴史は、ギリシアやローマから始まっていません。北欧、東欧などは、キリスト教の布教によって、キリスト教文化の流入と共に、ローマやギリシアの文明との関連が生まれますが、それは、8世紀とか9世紀とか、かなり時代的に後になります。また、ロシアは独自の歴史があり、西欧とはまた違った文明とされます。

西欧文明の場合、人種的あ...続きを読む

Q古代ギリシアと古代ギリシア文明について

「古代ギリシア」と「古代ギリシア文明」って同じ意味ととらえてよいのでしょうか?調べると「古代ギリシア」が多くでてきて、違いがよくわかりません。違うのでしたら「古代ギリシア文明」について詳しく教えてください。お願いします。

Aベストアンサー

古代ギリシャと古代ギリシャ文明とは、厳密に言いますと別物です。
古代ギリシャは、アテネやスパルタなどといった都市国家の時代を指します。
一方古代ギリシャ文明と言った場合、主に先古代キリシャの時代を指します。
具体的には、ミノア文明(クレタ文明)やミケーネ文明といった青銅器文明の時代を指します。
ただし、古代ギリシャ文明に、古代ギリシャ時代(鉄器文明時代)を含める場合もあります。

古代ギリシャと言った場合、基本的にヘレニズム文明以前を主に指しますが、マケドニアがローマに滅ぼされるまでの間も古代ギリシャに含める場合もあります。

古代ギリシャに対し、あまり言いませんが、中世ギリシャとか現代ギリシャという言い方もあります。
中世ギリシャとは、ビザンツ帝国時代を指します。
ビザンツ帝国は、本来東ローマ帝国なのですが、完全にギリシャ化した国家です。
その中心は、現在トルコ領のイスタンブール(当時はコンスタンティノープル)です。


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