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死ぬ方法は数々あれど、大方は(飛び込みにしても、練炭や睡眠薬、首吊りにしても)痛みなどの苦痛にもだえながら亡くなっていくイメージはありません。
そこで、自殺者は、なぜ楽な方法で死ぬのでしょうか?
死を目前にして逡巡しているのでしょうか?
痛みがあると、我に返ってしまう(あるいは、思いとどまってしまう)ということを自覚しているからでしょうか?
それとも、死を覚悟するくらいの精神的苦痛を味わってきたので、せめて死ぬ時は安楽に行きたいという願いが具現化したものでしょうか?

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A 回答 (8件)

生きる目的は、人生を通算した精神的充足量の最大化であり、それは自殺者でも同じことです。


自殺が楽しいから死ぬのではなく、生きていくことが苦しいから死ぬのです(逃避)。
であれば、たとえ死を選ぶにしても、できるだけ苦しくない方法を選ぶのは当然です。
(逆にもし、自ら苦しい死に方を選ぶほどMなら、自殺するほど追い込まれる事もないでしょう)
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この回答へのお礼

苦しいことからの逃避であれば、わざわざ苦しい方向に向くことはないですね。死というのは人生的には苦しいのですが、肉体的苦痛がなければ苦とは思わないものなんですね。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/19 19:21

こんばんは†



数年前に顔見知りが2回の自殺未遂で、三回目に亡くなった実話なの。

一回目
<ガス漏れ爆発>を考え,周りを巻き込んで死のうとし,苦しいから諦めたなの。
考えたきっかけは<寂しいから,みんなと死にたい>と,これをやらかしたなの。


二回目
行きずりの人と,アルコールと,睡眠薬心中しようとし,量が足りなく,息吹き返したなの。
最期の記念に,性行為をしたかったらしいなの。


三回目
アルコールと,睡眠薬を混ぜたモノを飲んだ状態で,首吊りして亡くなったなの。


こういう経過を考えると,痛い・苦しい思いはしたくないから,楽な方法をするの。
一気にやれることをなの。
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この回答へのお礼

これをみると、1回目、2回目は未遂でしたが何の関係もない人が巻き添えにならなくてよかったです。
結局亡くなってしまったんですね。
1回目で「苦しいから諦めた」ということですが、やはり苦痛を伴ったらやらないものなのですね。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/19 19:54

 自殺するにおいて、これならたやすく、苦しまないで死ねる。


 という判断が働いている人や時は、自殺をしないのではないかと存じます。
 所詮どのような方法でも自殺は自殺です。
 確かに苦しくない自殺方法を考えておく方もおられるでしょう。
 覚醒意識としては考えることをしていなくてもサブの意識では考えているかも知れません。
 苦しくない方法をとりたいと思うのは誰しも同じだと存じます。
 苦しくて助けてくれ、と自殺を思いとどまる例もあります。
 即身仏はご存じかと存じます、苦しい、辛いというよりこの場合は恐怖で、弟子や関係者に掘り出してくれという合図をする人もいたという事です。
 武士道とは死ぬる事と見つけたい。
 座禅や瞑想はある種、この覚悟で行います。
 ここのサイトでもhttp://okwave.jp/qa5445957.htmlという質問がでていますが、ある意味では自分を死なないと自分に為りません。
 世に言う自殺ではないが、死にます。
 これは恐怖を克服する気持ちが必要です。
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この回答へのお礼

回答を頂き、ありがとうございます。

なるほど、まず「自分たるもの」を無にしないといけないわけですね。
自己催眠みたいな感じもしますが、実際に自殺する人は何かにとりつかれているような気がします。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/19 19:51

 扇子でもなく、介錯もないと切腹は大変だと存じますが。


 挙げられている死への門出も結構、大変ですね。
 衝動もあるんですよ、はずみとか。
 自殺は昔から研究され、著作もたくさんあります。
 計算や理性はそこにはないと存じます。ただ前に進んでいくだけですね。
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この回答へのお礼

そうなんですね、もし「自殺は切腹以外の方法を禁止する」というきまりができたら、どうなるんでしょうね。
痛さに耐えかねて断念する人が続出すると思いますが、そこにはかすかな理性が働くかも知れません。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/19 19:27

こんにちは。


死にたいレベル?程度?の問題でしょう。
本当に死にたい人はどんな方法でも死ねます。
本当に死にたければ飢え死にだって自殺できますよ。
昔、日本の仏教で「入定(にゅうじょう)」というのがありました。
これは、自ら餓死してミイラになるものですが、最高レベルの仏教の修行です。
入定した人は寺の過去帳に記され、「xx上人(しょうにん)」と呼ばれます。
入定の修行を始める時の願掛けを成就する為に沢山のえらい坊さんが入定してます。多くは飢饉や厄病を鎮めるためなどだったらしいです。
なので「飢え死に」という自殺方法は十分に可能なはずです。
そういう簡単な方法?があるのにやらないってことは、今の多発してる自殺は事故レベルの一時の気の迷い、あるいはうつ病など精神的な病気による発作的なものがほとんどなのでしょう。
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この回答へのお礼

回答を頂き、ありがとうございます。

>そういう簡単な方法?
確かに一番手っ取り早い方法と言えますが、今の衣食住ともに満ち足りた生活にドップリはまっている人にとっては、こういう荒行を自殺の手段として選ぶとしても、「生欲(生きようとする欲望)」に勝てないかも知れません。おっしゃるように、迷いが生じてしまうかも・・・
僧侶は俗世間から決別したところに心身ともに置いていますから、決断が出来ると思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/19 14:06

宗教が絡むので、自殺と言えるかどうかですが、


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B3%E8%BA%AB% …

上記の例も過去にはあります。

かなりな苦行だったと言われています。
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この回答へのお礼

これは即身仏ですね。
これはもう修行という感じがしますが、現世との離別なのか融合なのか・・・
現在では自殺ということで禁止しているみたいですね。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/19 10:28

これ以上生きたくないから死ぬのであって、


苦しみたいから死ぬのではないのです。

痛みがないのならそちらを選ぶでしょう。
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この回答へのお礼

要するに、苦痛からの解放の手段として死を選ぶということですね。
それだったら、死ぬ時ぐらい楽に死にたいと思うかも知れませんね。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/19 10:21

だれだって、単純に、痛い苦痛を伴いながら死ぬのって、いやでしょう。


一瞬に、ラクに死にたいのです。
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この回答へのお礼

例えば、死刑にしてもできるだけ苦痛を伴わない方法がとられます。
普通の人が病気で亡くなったとしても、「苦しまずに亡くなってよかったね」とも言います。
自ら死を選ぶ人が、死に安楽を求めるのは、果たして皆と同じ理由なのかな、と思いました。
ちょっと私の考えすぎでしょうかね・・

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/19 10:18

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