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『哲学』は『倫理』の延長だと聞きました。
これって本当ですか?

本当だとしたら、『倫理』を面白いとは思わない
人間は『哲学』の勉強をしようとは
考えない方がいいのでしょうか?

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A 回答 (7件)

逆じゃないすか?



「倫理学」は「哲学」の派生。
あるいは「倫理学」は「哲学」だけど、「哲学」は「倫理学」じゃない、という言い方も可能です。それにしても「倫理学」って面白いと思うけどなぁ…。鷲田清一さんや永井均さんの本、読んだことありません?

ん?

もしかしてStarloveさんは、高校生ですか? それとも大学生? 間違ってたらごめんなさい。でも念のため書いときますが、高校の教科の『倫理』の延長が単純に「哲学」というわけじゃないですよ。もちろん高校『倫理』が「倫理学」というわけでもないです。高校『倫理』には、哲学者の名前や顔、それからこんなことを言ったぞ、なんてことが、いっぱい書いてあって、そこから「哲学」に入門する人もいますが(そういう人が友達にひとりいます)、教科書や用語集一冊読んだからといって(哲学の学説や哲学史の整理には有効ですが)、それは哲学することと本質的に異なります。それにあんな短い説明読んで、プラトンやデカルトの言ってることがわかっちゃったら、プラトンが何冊も本を書いて考えたことが教科書の数行で理解されちゃうわけですから、職業哲学者やプラトン研究者は飯の食い上げですわ(笑)。「この一冊で哲学のすべてがわかっちゃう!」みたいな解説書も同様ですね。

別にStarloveさんが哲学をするかしないかは、自由ですが、とりあえず哲学的な思考をすることはとても大事だと思います。哲学は、中島義道さんなんかは「病気」みたいなものだとおっしゃってますが、そこまでいかなくても、ある事象に対して疑問を抱く力、その疑問を厳密に考え抜く(あるいは考え直す)力ですから、あらゆる学問の基礎には、必ず哲学的な問いが含まれているわけです。そしてそれらはその学問のアイデンティティに関わるとても重要な問いでありながら、たいていはそれらの学問のうちで考えているととてもその学問の主要な研究が先に進まないような問いで、結局、哲学にお鉢が回ってくるわけです。

さまざまな哲学者の本を読まなければ、哲学ができないと言われるのは、僕ら人間は、自分ひとりで何かを考えることはできないからです。人間は脳内だけでなく、身体を使って、あらゆる物や他者たちとの関係の中で考えることをしています。ですから、本を読むことは、哲学をする他者との出会いであり、哲学を始める第二歩目だと思うのです(一歩目は自分が抱く疑問です)。なので高校『倫理』や、もしかしたら「倫理学」が面白いと思えなくても、哲学しようと考えない方がいいなんてことはないと思うので、ひとまず、面白そうな哲学者の本(いきなり難しいのはダメですが)を図書館などで手に取って、読みはじめてみてはいかがでしょう? 

おすすめは上記の3人(永井均さん、中島義道さん、鷲田清一さん)と野矢茂樹さんです。野矢さんの『はじめて考えるときのように』は、植田真さんの描く絵も素敵です。それと講談社から出てる『事典 哲学の木』で野矢さんが執筆されている「考える」の項も平行して読まれるといいと思います(『哲学の木』では、永井、中島、鷲田の3氏もそれぞれ「私」「時間」「所有」などで執筆されています)。ん~でも中島さんは、ちょっとくせがありすぎるかな…。ま、でも気が向いたらこの辺からどうぞ。
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この回答へのお礼

丁寧なご回答ありがとうございます。
ご察しのとおり、私は高校生ですよ。
私の知っている勉学の上での倫理は、
授業で習ったものが全てです。
面白くない、というよりは
ほとんど理解できませんでした。

でも、これから頑張ってやり直してみようかな…。

お礼日時:2003/05/14 11:27

>『哲学』は『倫理』の延長だと聞きました。



 倫理ではなく、論理(ロジック)の聞き間違え
ではないでしょうか?
それなら、延長という表現がは正確では
ありませんが、そう言いたくなる理由は分かります。

 3段論法なんていうのを聞かれたことあるでしょうか?
この3段論法という論理的説明、ギリシャ哲学から
生まれたものです。

(帰納法)
 数学で数学的帰納法というのをやったご記憶は
ないでしょうか? これも哲学で使う論理的
手法の1つです。
1、2、・・・、Nのとき成り立つなら、
N+1のとき成り立つというもの。

 式でなく言葉の論理にこの帰納法を用いると
例えばこんな感じになります。
(鳥には羽があるという帰納法的説明)
 からすには羽がある、鳩には羽がある、・・・
よって一般的(Nの場合)に鳥には羽があるので、
鳥であるすずめ(N+1)には羽がある。


 余談ですが学問として、数学と哲学は別のように
分類されることもあるようですが、論理という
面で結びついています。
 17世紀の学者、ルネ・デカルトが哲学者として
有名であると共に、数学の世界では、デカルト
座標でお馴染みの数学者として有名なのは、
数学が論理を主に記号や数式で表すのに対して、
哲学が主に言葉を使うだけで、論理という
基本が変わらないからです。


>本当だとしたら、『倫理』を面白いとは思わない
人間は『哲学』の勉強をしようとは
考えない方がいいのでしょうか?

 もし私の考えたとおり、倫理ではなく論理
のことなら、確かに論理を面白い、論理的思考
にはこんなのがあって、・・みたいなところに
わくわく出来ない人は哲学を専門とするには
向いていないのかもしれません。

>考えない方がいいのでしょうか?

 考えることは重要ですし、論理的思考に
興味がなくても、論理というのは、数学は勿論、
文章で複雑なことを伝えるための基本で、高校までの
普通の授業で十分身に付くもののはずです。
 結論としては、考えてみたほうがいいでしょう
ということです。

 ただ高校までにやる論理的思考が身について
いないと、哲学はなんだかわけの分からない
言葉の羅列で、「われ思う、ゆえに、われあり」
みたいな、象徴的な言葉が頭に残るだけで、
時間の無駄になってしまうかもしれません。

 
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この回答へのお礼

丁寧なご回答ありがとうございます。
『論理』じゃありません。『倫理』です。
聞き間違いではないです。
お恥ずかしい話ですが、私は高校に入るまで
『倫理』という言葉を聞いた事がなかったので、
『倫理って何?論理でなく?』と人に聞いたら
はっきり『倫理だよ』と、言われたので…。

お礼日時:2003/05/14 11:36

このご質問に対して、私はお答えしようかどうか大変に迷いました。

なぜなら、「哲学とは何か」という類の問いに簡単に答えるのは大層難しいからです。例えばasterさんやmaris stellaさんのような方がこの質問を見て(まだ回答意欲があればのことですが)丁寧に答えてくださるかもしれません。

また、ご質問の様子から推測させていただくと、starloveさんは高校生であるように思えます。そして、学校でどのような「倫理」の授業を受けておられるかわかりませんから、その点からも答えにくいということも事実です。

さて、哲学とは説くものではありません。まして他人に教わるものでもありません。自分自身でなんらかの問いを持ち、その問いについて探求するものです。過去の、そして同時代のさまざまな人の考え方や意見を参考にすることはありますが、それはあくまでも自分が考えていく上での参考でしかないのです。

従来、哲学者といわれる人々の問いの方向は、アルケー(全てのものの根源)であったり、社会であったり、自然であったり、論理(あるいは言葉)であったり、そして人間そのものであったり、またそれらの相互関係であったりしました。こうした問いの一部として、人間の在り方が問われ、特に社会と人間との関係や社会の中で人間らしくあるとはどういうことか、と問われてきました。それが倫理と呼ばれる分野を形成しています。

ですから、「倫理」の延長上に「哲学」があるというのは正しくありません。「哲学」は「倫理」の枠内に収まりません。もう少し限定すれば、高校で習う「倫理」の延長上に「哲学」があるとはとても言えません。

>『倫理』を面白いとは思わない人間は『哲学』を
>勉強しようとは考えない方がいいのでしょうか?
この答えはstarloveさんが「倫理」をどのようなものと考えておられるかによります。一般的に言うと、面白いと思えないなら止めた方がよろしいかと思います。ただし、高校で習う「倫理」を念頭におかれてのご質問であるならば、答えは逆になって、是非「哲学」を勉強してみてください。そこでは、単なる暗記物ではなく、自分の頭で考えるという知的喜びが目の前に広がるはずです。

哲学は本来であれば万人に共通する喜びとなるはずのものですが、マニュアル人間の横行や「教えて君」の跋扈など残念なことに自分の頭で探求するということが廃れつつある現今ではこの喜びを感じることのできる人は少数派となってしまっております。その喜びを共に分かち合いたいものです。
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この回答へのお礼

丁寧なご回答ありがとうございます。
ご察しのとおり、私は高校生です。
授業で半年間だけ『倫理演習』なるものを
学習したのですが、面白くない、というよりは
まるで理解できませんでした。
これからは、少し考え方を改めてみようと
思います。

お礼日時:2003/05/14 11:19

哲学、つまりPhilosopiaeはギリシャ語で


知を愛するという意味で、何々とは
何だろうと思う気持ちのこと。
 ギリシャの哲学者アリストテレスによれば
これは、特定の賢者のみが持つようなものでは
なく、全ての人間が持ち合わせているものだとか。

>人間は『哲学』の勉強をしようとは

 哲学するこころは苦しんで学ぼうとするもの
ではなく、本来人間が持ち合わせているもの。

 過去の哲学者の名前とか覚えようとすると、
他の勉強と同じように努力が必要かもしれませんが、
それは哲学本来の姿ではありません。
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この回答へのお礼

丁寧なご回答ありがとうございます。
こうやって聞くと『倫理』と『哲学』は
全く違うもののように思いますね。

お礼日時:2003/05/14 11:41

学校で習うような哲学と倫理として答えさせていただきます。



元の意味の哲学は『考えること」で
すべての学問の源だと思います。
倫理は『人間(自分)はどうあるべきか』と
言うものを考えるものだからです。

学校で学ぶような哲学と倫理はどちらも人の意見です。
学校で言われるような哲学とは
主に真理を求めるようなものだと思います。
人によってだいぶ言うことが違ったりするので
賛同できたりできなかったりすると思います。
学校で言われる倫理の方は
上に書いた倫理と同じ意味ですが
あくまで人の意見ですので
気に入らなくても倫理自体を嫌いにならないでください。><、
学校じゃないほうの倫理は大切だと思うので。

哲学は倫理の延長と思うのはおそらく
哲学を説いてる人によっては
倫理的な部分を書く人もいるので
そこが混ざっているのではないかと思います。
そういうふうに倫理的に説いてるところは
はっきり哲学とも倫理とも分けられないと思います。
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この回答へのお礼

丁寧なご回答ありがとうございます。
高校で倫理演習なるものを
半年間だけ勉強したのですが、
それが全てではないんですね。

お礼日時:2003/05/14 11:10

何を哲学したいのかによるのではないでしょうか?



たとえば科学の正しさなどについて興味があったら、科学哲学とかでしょうし、政治思想に興味があったら政治哲学、経済思想に興味があったら経済思想などでしょうし。認識そのものに興味があるなら認識論などもありますね。法の原理に興味があったら法哲学でしょう。

しかしながら人間が存在している長い間に永遠にあり続ける哲学のテーマは倫理学なんでしょうね。
経済学の父と呼ばれるアダムスミスもグラスゴー大学では、倫理学なども教えてました。
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この回答へのお礼

丁寧なご回答ありがとうございます。
哲学にも色々な種類があるんですね。

お礼日時:2003/05/14 11:05

論理= これは、こういう風にこうなっている為、こうなんだ



哲学=こうするべき、これが良い、理由はこれがこうなっている為だ


こんな感じかな

論理=仕組みの説明

哲学=論理を知り、これは、こうするべきだ!って考えた提案、考え方。まー、理由を論理的に考えた提案かな


簡単に例えると
木は水を必要としていると実験をして知った古代人がいました


で、その人が、他の人にこれこれこういう理由で木は水が必要なんだ
つまり、「オレは木を100本水から離した所に置いていた、そしたら木は100本とも死んでしまった。だから木には水が必要なんだ」と言うのは論理であり論理的説明。


そして、「木には水を上げよう!理由は木は水が無ければ生きていけないから」
これが哲学。
理由により構成された提案。もしくは考え方


だと思います
あれっ、でも哲学は考え方に限定した物かな
ま、それでも仕組みは変わらないです
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この回答へのお礼

丁寧なご回答ありがとうございます。
でも『論理』じゃなくて『倫理』ですよ。

お礼日時:2003/05/14 11:03

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