立花隆氏が「捨てる!技術」について去年の「文藝春秋」12月号で
批判していることを「本」のカテゴリーで教えてもらいました。

 もう少しいろいろと調べてみようと検索するのですが、
あまり上手くヒットしません。検索の仕方が悪いのだとは思いますが、
そのことで盛り上がっているサイトなどがあれば教えて下さい。

文藝春秋の記事についてはネット上で見ることができますか。
だめなら図書館で読みます。

 よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

前回答えさせていただきました”gomuahiru”です。


舌足らずの回答だったようで、真に申し訳なく思っています。

もう一度、検索してみました。(件の条件で)
私が前回利用したのは「Google」です。ここで42件の該当があったために、ほかのサイトもそれ位と勝手に判断してしまったのですが、そうではなかったみたいです。「Licos」で24件 「goo」「Yahoo」「インフォシーク」で12件前後でした。見易さもこの件についての情報量も「Google」の右にでるものはなかったように思います。それでも、ご期待されているような「活発なやりとり」といったページはなかったです。強いて挙げれば次のページでしょうか?

http://www2.ttcn.ne.jp/~heikiseikatsu/eishou/dok …

たぶんお調べになったと思うのですが「文藝春秋」はHPはあるものの、そこから過去の記事の中味は読むことが出来ないみたいです。わかるのはタイトルだけですね。(著作権とかの関係?)
詳しくお知りになりたければ、やはり「現物」を読まれたほうがいいみたいです。

舌足らずにも関わらず、ポイントを頂き申し訳ないので、今回はもっと他の方の良い回答につけて下さるか、この私の回答のみでしたら、このまま締め切りにしてください。
下に「Google」を載せておきます。私が過去に検索下手で悩んでいた時、ここのページで名人の方にて頂きました。他に比べて物凄く早く的確にヒットするので重宝しています。

それでは、失礼いたしました。

参考URL:http://www.google.com/
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この回答へのお礼

また、教えていただき、ありがとうございます。
参考にさせてもらいます。

お礼日時:2001/03/23 06:10

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Qこの批判の姿勢についての批判をお願いします。

批判するときには相手の受けていれているドグマ、相手の自己矛盾などなどを基盤として、、、つまり相手の土俵にたって行わなくてはならない。
同意(肯定)するときも同じように相手の土俵にたって行わなくてはならない。
そうでなければお互いが自分の宗教論争と同じく、全くもって何も産まないものとなってしまう。

私ではなくあるところで聞いたのですが、なるほどとは思ったんですね。もしかしたらアタリマエのことかもしれませんが。

これに対して批判があるとすれば問題点の指摘からお願いします。ただ、問題点の指摘の最後にはよりよりと思う批判のあり方について書いていただけると助かります。

Aベストアンサー

No20です。
再回答です

まず確認します。
「相手の土俵に立つ」

このフレーズの意味を一番詳しく述べているのは、No19さんに対する「この回答へのお礼」の欄の中の記載でよろしいのでしょうか。
下にそこの箇所を引用します。

No19さんの回答より
「同じ土俵に立つ、などといわずに、相手の基盤なりを十全に理解する、…(中略)…だめでしょうか」

314hさんの「この回答へのお礼」の欄より。
「(1)いいとは思いますが哲学的批判すべてについて当てはまる姿勢を追及したいと考えています。(2)例えば相手が100個の考えを述べたとしても先ほど上げたように最初の2つがすでに矛盾していて、それと次の3つの考えを元に他の95の考えが構成されていたとします。(3)そういった場合批判するにおいて最初の2つで十分となりませんか? (4)そういった批判においてはあなたが先ほどおっしゃった、十全に理解というのとは少し齟齬が生じる可能性のある言葉となるような気がします」

主に(2)(+(3))で示される内容が「相手と同じ土俵に立つ」ですね。
言い換えると、
「相手の考えのうちのごく一部の問題点をベースにする姿勢を、そしてそれだけを「土俵に立つ」
と表現していたということになり、そしてそれに(1)の内容を加えたのがこのスレッドの質問文になると考えてよいのですね。


だとしたらこのスレッドにおいてこの解釈が314hさんの中でぶれています。
それがいちばん分かりやすいのはNo7さんとの質疑においてです。
以下、説明します。



No7さんは、
>相手の土俵に立つ必要はないと思います。
と仰っていますが、その次の文では
>相手の土俵を一部(もしくは全部)包含していればいいと思います。
と述べています。

No7さんがお書きになった前の文が否定文となってしまったのは、単に314hさんが土俵について明確な定義をしなかったためなので、後の文だけに注目します。するとNo7さんが意味されたであろう「土俵」についての考えは、上述の314hさんの「土俵」の考え方とほとんど変わるところはありませんね。

そしてその説明なのですが、No7さんへの「回答へのお礼」の欄では、「土俵」とは、「世界のうちにあるもの」であり、「世界観」という言葉で表されるものであり、「キリスト教世界、イスラム教世界、ギリシャ神話の世界などといいますがそれを構成している人間の認識方法は不変ですよね」、と述べていますね。さらにもう少し後では、「霊能者(などの特殊能力者)は除外して考える」旨の記載もあります。

この中で「世界」、「世界観」とは多義的な言葉であり、実際はその内容についての説明を要するものです。したがって文脈上はこれらの文の後に続く箇所、すなわち「キリスト教世界、イスラム教世界、ギリシャ神話の世界などといいますがそれを構成している人間の認識方法は不変ですよね」という箇所、つまり「古の多神教世界、あるいは現在の世界宗教である二つの一神教を信奉する人類の中で、霊能者などの特殊能力者以外の人間に共通した世界」、あるいは「それらの人類に共通で、かつ不変の認識方法を有している世界」という意味内容が、「世界観」を限定しかつ説明したものとして読む者には受けとめられます。

この世界観について、314hさんは、「土俵は前の方もおっしゃってくださったように世界観です」とおっしゃっていることになります。

言うまでもありませんが、この「回答へのお礼」の欄で述べられている「土俵」に関する説明は、No19さんの「回答へのお礼」の欄で述べられていたもの(上述)と明らかに異なります。

またNo7さんの回答につづいて述べてられている古典力学、相対論の例ですが、私は適切だと思います。物理学における革新的進歩を、「新たな世界」が開けたと314hさんは表現しましたが、しかしそれらを記述した人物(17世紀イギリスのニュートンや20世紀西欧社会のアインシュタイン)と、それらの成果を享受した人々において、いったい「認識すること」や、その生活していた「社会」について、古代ギリシャ人と現代のキリスト教徒、イスラム教徒ほどの差異はあったでしょうか。十分に「共通した世界観」の範疇に入ると思いますが、それでも314hさんは同じ土俵であるとは認めておられませんね。

これでは、わからない。
同一人物に対する質疑においてすら、「土俵」の概念が首尾一貫しておりませんので。
「ぶれ」という表現を使いましたが、この相違は「ぶれ」以上のものであり、また「齟齬」として片付けられるものではないと思いますよ。

さらに付け加えます。
このNo7さんへの「回答へのお礼」の箇所で314hさんが用いた「土俵」なる概念は、きわめて広大な世界を意味しています。広大すぎて、「同じ土俵に立つ」ということが、古今の全人類(除外・霊能者、シャーマン)とすら思えてくるため、前提自体が無意味のないものに思えてきますし、そのいっぽうで広大過ぎる世界の中の各要素(人種、国籍、宗教などなど)の隅々まで「同じ」であることを要請してしまう非常に厳しい条件だと解釈されてしまう怖れもあります。この後者の解釈の下に回答されたのがNo8、No9の方々といえるでしょう。


さて
No9の方はそれを「100%」という数字で表していますが、そのすぐ後で、
「普通は99%以下の理解で相手を批評する」と述べており、その意味するところはNo19さんとの質疑で示された「土俵」の定義とほぼ同じ内容であると私は解釈します。
同様にしてこのスレッドを通覧すると、No2さんも「土俵」に関する考えはほぼ同様ですし、No5さんも、「「相手のドグマに立つ」のではなく、「相手のドグマを理解して…」」と仰っており、ドグマという語を用いていても基本的には314hさんと同じ理解をしているものと思われます。

したがいまして314hさんが欲していた回答も、それらの方々の回答の一部にすでに記述されているものもあるのでは。


以上が前段です。
後段はシンプルに当初の質問に対してお答えします。
その回答内容はNo20の2行目と変わりありません。

「相手の立場に立つというのは、批判する際に気にかけたらいいひとつの心構え」でしょうね。

説明します。
ある言説Aの正当性に関してし、相手が提示したa(1)からa(n)の証拠や説明が仮にあったとしても、たったひとつの証拠bによって言説Aが否定されれば、それで十分に反論は成立します。よって相手と同じ土俵に立つ必要はありません。つまり質問の文は必要条件とはなりません。

また相手と同じ土俵に立っていれば十分かと言うと、相手の矛盾点、論理思考の飛躍や誤謬などが見出せない場合、同じ土俵に立っていても反論は成功するどころか、その糸口さえ見出せないでしょう。したがって十分条件とも言えません。
要するに御質問の文は必要条件でもないし、十分条件でもない。言わば単なる参考事項にすぎません。というわけです。でもまあ実社会ではたいへん役に立つやり方だと思いますよ。

よりよい方法。
そんな万人、そしてあらゆるケースに共通な魔法のやり方があるんでしょうか。あるならすでに誰かが発表していそうなものです。
ただこのスレッドのように言葉の意味がぶれていては要らぬ混乱の元です。そこはきちんとしなければなりませんね。またお互いが議論しあっているテーマに関して、言葉にはなっていない前提があることにも注意が必要でしょうね。相手を打ち負かすことを目標にし、なおかつ建設的に議論したいのなら、相手が気づきにくいそこにも一応配慮しておくといいと思いますよ。


なお、
私はこのサイトでの質問や解答には慣れていませんが、確か「質問の補足」という機能があったのでは。今後は各回答者の「お礼」の欄に断り書きをするのではなく、この機能を使って分かりやすい位置にしっかりとした補足を書き足すように配慮されたらいいと思います。

No20です。
再回答です

まず確認します。
「相手の土俵に立つ」

このフレーズの意味を一番詳しく述べているのは、No19さんに対する「この回答へのお礼」の欄の中の記載でよろしいのでしょうか。
下にそこの箇所を引用します。

No19さんの回答より
「同じ土俵に立つ、などといわずに、相手の基盤なりを十全に理解する、…(中略)…だめでしょうか」

314hさんの「この回答へのお礼」の欄より。
「(1)いいとは思いますが哲学的批判すべてについて当てはまる姿勢を追及したいと考えています。(2)例えば相手が100個...続きを読む

Aベストアンサー

#3、ぽこぺろぽです。補足要求して失礼しました。

 実は私も質問にケチをつけることがあります。それはその質問自体があまりにもひどかったり、質問にある事柄を質問者自身が好ましいと感じることが彼のためにならないと考える場合のみです。もちろんケチをつけたらポイントももらえないでしょう。私はよく質問もしますから、決して面白半分ではありません。

 私は個人的にはこのサイトで禁じられている、議論や意見表明のための質問は好ましいとすら考えています。あからさまなのはよくありませんが、要は人の意見に耳を傾ける謙虚さや、人を貶めない寛容さがあればいいのです。

 「回答専門家」には両者ともに決定的に欠けています。完全に許容限度を越えています。しかも彼らは自分で疑問を解決できるとうそぶきます。また彼らは知らない者同士が対等の立場で意見交換をする重要性も認めません。何たるゴーマン、彼らにはつけるクスリもありません。「何度も回答しているのに質問は一度もしたことがない」これほど精神の不均衡を示す明確な基準はないではありませんか。

 ただガーコン二千さんにできることは、彼らの弊害を説きながら警戒を呼び掛けることだけです。あなたを応援しています。その前に我々二人の認識を高めなければなりません。これからも意見交換を続けてまいりましょう。

#3、ぽこぺろぽです。補足要求して失礼しました。

 実は私も質問にケチをつけることがあります。それはその質問自体があまりにもひどかったり、質問にある事柄を質問者自身が好ましいと感じることが彼のためにならないと考える場合のみです。もちろんケチをつけたらポイントももらえないでしょう。私はよく質問もしますから、決して面白半分ではありません。

 私は個人的にはこのサイトで禁じられている、議論や意見表明のための質問は好ましいとすら考えています。あからさまなのはよくありませんが、要は...続きを読む

Q村上隆のフィギュアは 天皇へのオマージュか?

 それとも パロディなのか?

 それは 例の16億円で売れた・《自己満足》の象徴のようなフィギュア作品を言います。

 次が そのたたき台です。歴史的な背景の説明を添えた・フィギュアの心の解明です。

    *

 フィギュアをめぐる萌えと燃え。
 そこには負け組と勝ち組と規定したかたちに現われた階級闘争があるかないか?

 たしかに 現代の日本社会としての固有のあるいはそれとして特殊な事情や情況はあるだろうが 問題はやはり通史的に捉えた日本人の社会そして特には 国家の誕生からその展開過程を焦点とする歴史 にその答えを解く鍵があるだろうね。

 展開過程と言っても じつは 何にもない。誕生のあとそこで成立したその国家の仕組みが 内部での組み替えは起きたとしても――征夷大将軍や市民資本家が 実権を握るお上になったとしても―― まったくと言っていいほど その体制は変わっていない。
 この社会の成り立ちとしては 

  スサノヲ( S )市民‐アマテラス( A )公民 

 この連関制である。これは 二階建て構造を有する。そして A 圏における権力と権威の分離をも考慮に入れるなら こうである。

  市民社会圏( S )‐〈政府公民圏 ・ アマテラシテ(象徴)〉( A )

    * アマテラシテ( amatérasité; amaterasity; Amaterasität ):
    アマテラス( amaterasu )公民ないし天皇の抽象名詞化。

 アマテラス圏のアマテラス政府は じつはすでにスサノヲ市民政府である。主権者スサノヲによって権力が構成されている。ただし 国家として成り立った《 A - S 連関制》じたいは いささかも変わっていない。
 そして アマテラス圏なるお二階さんが スサノヲ市民らによって形成されているにもかかわらず 一般的なクウキないし社会通念としては 相変わらずその第二階なるあたまで立っているかのごとく 逆立ちした連関制である。

 けっきょくことは――問題は―― アマテラス圏における象徴アマテラシテを どうするかにある。
 そもそも――神話としての伝承によるとは言え―― スサノヲ市民らが もともと平屋建ての社会にあって生活しており そこから第二階をこしらえて アマテラス族をそこに住まわせたのは そのように《くにゆづり》をしたことからだったからである。
 どうしてもアマテラス族が――かれらは それはそれは品行方正・学力優秀だったからのようだが―― この世の中を 自分たちにまかせて欲しいと頼みに頼んで拝みに拝んで それにとうとう根負けしたスサノヲらは 社会にも やしろを作ってそこにかれらをまつりあげた。これが くにゆづりだったことに起因する。
 
 スサノヲらにしてみれば あまりにも駄々をこねるゆえに しばらくは特別の場所をあたえたという程度に過ぎなかったかも知れない。ところが 一たん第二階ないしあたかも 雲の上のスーパー・ヤシロなる神棚に腰を据えたが早いか あとは そのまれにみる能力をほしいままに使い切るまでに使いこなすほどに 国家経営にはげんだことになる。権力と権威との分離がなされたあとも このお二階さんとしてのまとまりは びくともしなかった。


 結論である。
 要するに 駄々をこねる子供から早く人びとと自由に対等に話し合いができるおとなに成って欲しい。千五百年経ったが どれだけ経ってもまだまだ待っているんだぞというメッセージを送り続けていることになる。これが フィギュアのねらいだという読みである。

 その思いを大枠として――その解決がなされなけれ人間存在の話としては何ごとも始まらないほどの枠組みとして―― あとはその時代時代のなかでさまざまに文化的・経済的な進展に応じて そのメッセージの具体的な中身が変遷して来ている。反抗と言っても せいぜいが 一揆ていどである。
 つまりは現代としては フィギュアもオタクも萌えも――そして 燃えは A-S 連関制におけるむしろ A 圏の側からの応答としてのごとくであるようなのだが―― このメッセージをそれとして体現していると考えられる。


 むすび:
 アマテラス圏は 社会のどう考えても主役であるしかないスサノヲ圏のスサノヲ市民らに その大政を奉還すべきである。はやくおとなにならねばならない。

 権力をただちにスサノヲ圏に返すと 国際関係において チカラの均衡がくづれるおそれがあるとするなら その安全保障のことをも考慮しつつ 大政奉還していけばよい。


 おまけ:
 だから フィギュアに自分の時間を割く人びとは いわゆる階級関係における権力闘争をしようとしているのではない。日本においては それは 筋がちがう。
 逆立してしまった連関制なる二階建ての成り立ちを 風通しのよい・おとなの話し合いができる自由な仕組みに作り直そうと言うのみ。
 だから けっきょく自己満足でしかない世界において自己満足でしかない手段によって 心の内なる心の奥の心にうったえている。もともと くにゆづりをしたからには 返せとか下りて来いとか なかなか直接には言いづらい。まして 引きずりおろそうとは していない。心への呼びかけにおさまる。

   *

 天皇が存在することによって ほかの人びとはすべて平等であって そのぶん社会の風通しがよいから 皇室(その制度)はたとえ自己満足であったとしても(*1) 存続している。それゆえ オマージュをささげている。というのか?
 それとも このようなそれぞれの立ち場でのそれぞれの自己満足は起きていると思われるが これではやはり風通しはわるいのだ いつまで経ってもよくならないのではないかというパロディなのか?


   *1 《皇室(その制度)はたとえ自己満足であったとしても》:これ
   は ほかのすべての人びとが平等であると言っても ひとり(ひと
   つの家系)は 特別な存在とされている。したがって その設定が
   特別視の根拠や理由などについて 社会的な虚構を構成すると
   いうような意味において 民族にとっての自己満足でたといあった
   としても の意です。 

 それとも パロディなのか?

 それは 例の16億円で売れた・《自己満足》の象徴のようなフィギュア作品を言います。

 次が そのたたき台です。歴史的な背景の説明を添えた・フィギュアの心の解明です。

    *

 フィギュアをめぐる萌えと燃え。
 そこには負け組と勝ち組と規定したかたちに現われた階級闘争があるかないか?

 たしかに 現代の日本社会としての固有のあるいはそれとして特殊な事情や情況はあるだろうが 問題はやはり通史的に捉えた日本人の社会そして特には 国家の誕生からそ...続きを読む

Aベストアンサー

かいつまんで読めば、ああ、そうとも言えるなあと所々頷くところがありました。
自問自答するには悪くない材料だと思ったのであげておきます。
ここでも「オリエンタリズム」が出てきますね。
仁科さんでしたっけ、彼が仰っていた「萌え」じゃない「燃え」って、きっとこちらの意味に近いと思う。

大浦信行と村上隆/オリエンタリズムをめぐって(校正2) [アート論]
http://hikosaka.blog.so-net.ne.jp/2009-04-22

Qなぜ大川隆法は自殺者は地獄に行くとシンプルに言わないのでしょうか?

自殺者は地獄に行く者も多いが、自分が自殺したことに気づかず自殺行動を繰り返したり、地縛霊になったりもすると言っています。

自殺者が天国に行けるということになれば、世の艱難辛苦から逃れるために自殺者が増えるため、地獄に行くと宗教者がいうことは理解できます。

ですが、地縛霊うんぬんは理解に苦しみます。
なぜ自殺に関して、そのような複雑な独自の見解を取っているのでしょうか。

ご回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

創価学会の者です。

人間は死ねば、その生命は大宇宙に溶け込みます。その姿は見えなくなりますが、生命そのものは、死後も厳然と存在するのです。そして何らかの縁に触れて、再びこの地上に目に見える形で現れる。そしてまた死を迎え、大宇宙に溶け込む。これを永遠に繰り返す、というのが仏法の生死観です。

自殺であろう何であろうと、同じ死でありますから、上記したような仏法の法則に変わりはありません。ただ、自ら命を絶つほど苦しんだ状況での死ですから、再びこの世に生まれた場合、その生命の状況を引きずって、苦しみの人生を送らざるを得ない。そういった意味で、地獄の境涯に陥るとは言えます。しかし、そういう運命も、「南無妙法蓮華経」の大法により転換はできます。もっともこれはここでの主要テーマではないので、軽く触れるに留めます。

ところで、人は死ねば「地縛霊」とか、霊魂となっていつまでもフワフワことこの地上をさまようといった考えは「常見」といって、仏法では否定します。また、「死ねば人間の生命はおしまい、永遠に続くことはない」という考えは「断見」といい、これまた仏法では否定されます。

「常見」でもなければ「断見」でもない。死を迎えれば人間の生命は、大宇宙の大生命に融合する。そして縁に触れ、再びこの地上に姿を現す。こう捉えるのが、いやしくも仏法を実践する者の務めであるはずです。

創価学会の者です。

人間は死ねば、その生命は大宇宙に溶け込みます。その姿は見えなくなりますが、生命そのものは、死後も厳然と存在するのです。そして何らかの縁に触れて、再びこの地上に目に見える形で現れる。そしてまた死を迎え、大宇宙に溶け込む。これを永遠に繰り返す、というのが仏法の生死観です。

自殺であろう何であろうと、同じ死でありますから、上記したような仏法の法則に変わりはありません。ただ、自ら命を絶つほど苦しんだ状況での死ですから、再びこの世に生まれた場合、その生命の状...続きを読む

Q哲学カテゴリー…

私は大体「アンケートカテゴリー」にいる20代・女性なのですが、


「哲学カテゴリー」って…。


なんか、「知識のひけらかし」の場になってる気がするのは
私だけ!?


もちろん基本的にこういうサイトは、
どのカテゴリーでもそうなのかもしれませんが、

特に「哲学カテゴリー」が、
使ってる言葉が一番やたら難しいし、

「こんなに難しい言葉使ってるオレってすごい。」
みたいな…。

まぁ~もっちろん、
単に私が低レベルなだけなんでしょうけどね!!
え~そうですとも!!

だけど…。
これだけ難しい言葉使って、難しいこと考えて、
結局何がわかりましたか?みたいな…。

“考えることが好きな人達が、いろいろ考えることができて、
いい時間潰しになっただけ?”みたいな…。

私は、どうしてもそう思ってしまうんですけど。


ケンカ売ってるような質問だということは百も承知です。
でも、ずっと前から思ってたことだし、聞かざるを得なかったので…。

でも別に、ケンカ売ってるわけではなく、
ただ単に、純粋な疑問なので、
是非とも冷静にお願いします…。

それで、
特にココ
“これだけ難しい言葉使って、難しいこと考えて、
結局何がわかりましたか?”

これを、
是非教えて下さい…

私は大体「アンケートカテゴリー」にいる20代・女性なのですが、


「哲学カテゴリー」って…。


なんか、「知識のひけらかし」の場になってる気がするのは
私だけ!?


もちろん基本的にこういうサイトは、
どのカテゴリーでもそうなのかもしれませんが、

特に「哲学カテゴリー」が、
使ってる言葉が一番やたら難しいし、

「こんなに難しい言葉使ってるオレってすごい。」
みたいな…。

まぁ~もっちろん、
単に私が低レベルなだけなんでしょうけどね!!
え~そうですとも!!

だ...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。

失礼な、回答かもしれんけど、かるく聞き流してください。

[哲学]って、単なる思想だよ。

質問者様自身にも、あるはずだよ。
例えば、
>結局何がわかりましたか?
ていう疑問は、裏をかえせば
哲学なんて、生きていく上で何の約にも立たない。
と思っているからでてきたんじゃないのかな。

でも、質問者様自身は、自分が生きていく上で、
これはしてはいけない、この場面では、こうしなければいけない、等の
考え(思想)をもっているでしょ。
それが、質問者様自身の哲学だと、おもうよ。

あと、むずかしい言葉つかうとかいうけど、
結局、先人の言葉を、使ってしか説明できないから(先人に対する崇拝の意識が大きいんだな。)、そうなるわけであって、
また、むずかしい言葉つかったほうが、万人に対して、
優れた思想であるかのような錯覚を起こさせる可能性が高いと、
思っている人が多いからじゃないかな。
と、アタイは思っている。

これまで、哲学という学問を勉強したことがない、人の戯言とおもって、聞き流すんだよ。
回答になってない、気がするな。

おじゃましました。

こんにちは。

失礼な、回答かもしれんけど、かるく聞き流してください。

[哲学]って、単なる思想だよ。

質問者様自身にも、あるはずだよ。
例えば、
>結局何がわかりましたか?
ていう疑問は、裏をかえせば
哲学なんて、生きていく上で何の約にも立たない。
と思っているからでてきたんじゃないのかな。

でも、質問者様自身は、自分が生きていく上で、
これはしてはいけない、この場面では、こうしなければいけない、等の
考え(思想)をもっているでしょ。
それが、質問者様自身の哲学だ...続きを読む


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