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江戸幕府の職名について聞きたい事があります。
1・勘定奉行は現在の大蔵大臣ですか?。
2・御金奉行は現在の金融再生委員長ですか?。
3・御薬園奉行は現在の厚生大臣ですか?。
4・大目付は今の内閣内政審議室々長ですか?。
5・軍事奉行は今の防衛大臣ですか?。
6・副将軍は今の副大統領か、副総理ですか?。

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A 回答 (4件)

No.3様のおっしゃるとおりですが、少し補足を。



軍事奉行というのは確かにありませんが、幕末に陸軍奉行、海軍奉行、軍事総裁、政治総裁などの職がつくられました。この時期は職制もころころかわり、なんともいえませんが、まったくないというわけでもありません。
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この回答へのお礼

有り難うございました。

お礼日時:2009/11/24 02:06

こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

NO1.の方でほぼ正しい部分もありますが、私の見解を・・・。

>>1・勘定奉行は現在の大蔵大臣ですか?。

大蔵大臣でほぼ正しいかな。
諸国の代官を管理し、収税や出納、訴訟を担当した。定員4名。

>>2・御金奉行は現在の金融再生委員長ですか?。

日銀総裁かな。
幕府の金庫番。

>>3・御薬園奉行は現在の厚生大臣ですか?。

幕府においては、この「奉行」は存在しません。

ただし、天明の飢饉(天明2年・1782~天明3年・1783)に会津藩で庶民の生活を支援するため、高麗人参(朝鮮人参)の作付けを奨励し、臨時に「人参奉行所」なるものが置かれました。

江戸では:
小石川植物園の前身は徳川幕府直轄の小石川御薬園です徳川幕府は三代将軍家光の時代寛永15年(1638)に薬用の植物を栽培するための場を麻布と大塚に開設しますがこれらが廃置分合をへて、貞享元年(1684)現在地に小石川御薬園となりました。
八代将軍吉宗の時代にほぼ現在と同じ規模に拡大され享保7年(1722)には小石川療養所が付属施設として開設されました。
小石川療養所は貧民のための医療施設として開設されたもので山本周五郎の小説赤ひげ診療譚の舞台となっていますのでご存知の方は多いだろうと思います。
明治十年(1877)東京大学の設置に伴いその付属施設とされ薬用植物の研究施設として今日に至っています。
園内は、都心にあるとは思えぬほど静寂な空気に包まれ変化に富んだ地形の中に 薬用植物の栽培地や珍しい樹木などを眺めることができます。

>>4・大目付は今の内閣内政審議室々長ですか?。

自治大臣。
各地の大名の監視役。定員4~5名。

>>5・軍事奉行は今の防衛大臣ですか?。

この職もありません。
しいて言うならば、
*御鉄砲百人組・・・大手三之門に詰めて江戸の警備を担当した。
甲賀組、根来組、伊賀組、青山組などに分かれていた。
*御持弓頭(おもちゆみがしら)、ならびに、御持筒頭(おもちつつがしら)・・・戦時には弓や鉄砲を持って将軍を守り、平時は城内の各部屋の間仕切り門の警護をする。
*御旗奉行・・・軍旗や馬の飾り衣装などを管理する。定員2名。
*御鑓奉行(おやりぶぎょう)・・・鑓を管理する。また、八王子千人組を率いて甲州口の警備を担当する。

>>6・副将軍は今の副大統領か、副総理ですか?。

この役職もありません。
水戸黄門の見過ぎ??
水戸光圀は「権中納言」という、朝廷での「参議(諸問題の議決ができる)」だったため、将軍よりも「偉い権限」があるという印象を持たれたためですが、やはり、幕府中心の政治体制であったため、将軍に一歩譲って「副将軍」と、戯曲や講談で呼ばれるようになった。

また、一説には、一橋慶喜を将軍職に就けるため、父である水戸斉昭が裏で動いて、水戸徳川家は「天下の副将軍」であるという話を世間に広めようとしたのだという説がある。
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この回答へのお礼

そうですか。軍事奉行と副将軍、御薬園奉行はないんですか。分かりました。どうも。

お礼日時:2009/11/24 02:07

老中が閣僚相当で、諸事やってます。



1・勘定奉行は現在の大蔵大臣ですか?。
→ 日銀総裁兼国税長官くらいかな
2・御金奉行は現在の金融再生委員長ですか?。
3・御薬園奉行は現在の厚生大臣ですか?。
→ 厚生労働省薬事
4・大目付は今の内閣内政審議室々長ですか?。
→ 強いて言えば、総務省自治行政局。大名家を地方公共団体と考えるとこうなる。
5・軍事奉行は今の防衛大臣ですか?。
→ 無かったと思うが。徳川幕府自体がほぼ全部が軍事組織なので。
6・副将軍は今の副大統領か、副総理ですか?。
→ そんなのいない

まぁ江戸幕府ってのは最後は軍事で決着付けるというのが基本的な考えで、軍事は軍役=石高で保証される。
臨時職の大老が井伊家が多く任命され、30万石だったり、だいたい譜代としては大身の10万石以上。
老中が10万石前後というのは、最後の決着である軍事でどれだけ責任があるかということを示します。
なんおで、1-5は旗本が就くという意味で、閣僚級じゃないんだろうなと思う。

まぁ現代の職制に会わすなんてのは、「たとえばさぁ、こんなものかなぁぁぁぁ」というレベル。
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この回答へのお礼

そうなもんですか。有り難うございました。

お礼日時:2009/11/24 02:05

副将軍とは水戸黄門の見過ぎではないでしょうか?


副将軍の存在は聞いた事がありません。
江戸幕府の実権を握っていたのは、大老です。
桜田門外の変で暗殺された、井伊直弼が大老では有名です。将軍が大統領なら、大老は首相に相当します。
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この回答へのお礼

有り難うございました。

お礼日時:2009/11/24 02:05

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Q江戸時代の勘定奉行、寺社奉行

江戸時代に、お奉行様と言った時は、普通に時代劇の警察署のボス兼知事のような方を思い浮かべてしまうのですが、
他の○○奉行、△△奉行というのには、どういうものがありますか?

また、とりあえず思い出せた勘定奉行と寺社奉行の具体的な職務について、
ご存じの方がいらっしゃいましたら、教えてください。

Aベストアンサー

一口に奉行といっても、寺社奉行のような大名が就任する格式の高い役職から、下は牢屋奉行(町奉行配下)や畳奉行など様々だったようです。

重き奉行職としては他に、町奉行・普請奉行・作事奉行・小普請奉行・遠国奉行(伏見奉行・日光奉行・伊勢山田奉行・大坂東町奉行・長崎奉行など)などがあります。
槍奉行・旗奉行といった平時には閑職の奉行職もありました。

勘定奉行は幕府の財務担当で天領の支配・訴訟なども担当していたようです。郡代や代官も勘定奉行支配の職です。
寺社奉行は幕府の寺社の担当で大名が奏者番と兼務して就任。
共に評定所のメンバーです。

参考にならなくてすみません。

参考URL:http://homepage1.nifty.com/kitabatake/edojob.html


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