フジテレビで
大奥第一章のあらすじを

第1回から順に読んでいったのがちょっと
分からない点がありました。

第2回のあらすじなのですが

竹千代が歩み始めおふく(松下由樹)は喜んだ。
そこにお江与(高島礼子)が現れたので、おふくはそのことを報告した
だがお江与は「世継ぎは竹千代とか限らぬ」と言い放つ。
そしてお江与は笑みを浮かべ「わらわは身ごもったのじゃ」と
勝ち誇ったように続けた。

とありますが。

よく分からず
まず竹千代が誰なのかということで
調べてみたところ
幼名が竹千代というのが何人もいてよく分からなかったのですが

ここでは後の徳川家光ということでいいのでしょうか?
(一応、調べたところ家光の母はお江与でした)

後、「世継ぎは竹千代とは限らぬ」というのは
まぁ他のものが世継ぎとなる可能性もあるということで
意味は分かるのですが

その後に「わらわは身ごもったのじゃ」と笑みを浮かべて
勝ち誇ったように言うとあるのですが

ここが一番意味が分かりません。
世継ぎは竹千代とは限らぬとわらわは身ごもったのじゃは
つじつまが合ってませんよね???

竹千代の次にまた男児を身ごもったので
2人も身ごもったから世継ぎになる可能性が高くなった
とかそういう意味なのでしょうか????????

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A 回答 (1件)

このドラマでの竹千代はおっしゃる通りのちの家光です。



再放送もあまり見なかったので当時の記憶になってしまのですが、お江与はせっかく産んだ竹千代を抱くことも出来ずにお福に預けられてしまい、彼女になつく竹千代共々憎らしくなっていきました。
竹千代を自分の子として愛せなくなっていたので、次に出来た子供の国松こそ自分の子、次の将軍だとこの後お福と争う。

こういった流れが最初の頃の話だったと思います。
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Q大奥おすすめ

フジテレビドラマの
大奥面白いなと思って
DVDBOXを買いたいと思うんですが
『大奥』
『大奥~第1章~』
『大奥~華の乱~』
で迷っています!

どれも全話は見たことありません(・ω・`)

どれが一番オススメですか?

Aベストアンサー

はじめまして。

「大奥」
これは13代家定~15代慶喜までの話ですね。
天璋院篤姫を、菅野美穂さんが演じています。
あと皇女和宮を安達祐美さん、実成院を野際陽子さん、大奥総取締役瀧山を浅野ゆう子さんが演じています。
本当はこの時期ではなかった「江島生島事件」が登場します。

「大奥~第1章~」
2代秀忠・3代家光の頃です。
春日の局を松下由紀さん、江を高島礼子さん、お万の方を瀬戸朝香さんが演じています。
秀忠の頃からというか、春日の局が家光の乳母になる少し前から話は始まります。
第一ラウンド春日の局VS江、第二ラウンド春日の局VSお万の方といった感じですか。

「大奥~華の乱~」
5代綱吉の時代の話です。
多分、ドロドロ度まっくすかも。やけくそ?(^^;)
大奥の女君全面戦争の感があります。
御台所を藤原紀香、側室達には内山理名さん、小池栄子さん、中山忍さんが演じています。

NHKの「篤姫」を見ていらっしゃった方には、「大奥」は違和感があります。
私の姉がそうでした。
第1章が、一番違和感なく話を受け入れられるかもしれません。
基本的に大奥は女性の世界なので、ドロドロバトルありきですが、無責任に女のバトルを見たいなら、華の乱がありかもしれません。

参考になりましたでしょうか・・・(^^;)

はじめまして。

「大奥」
これは13代家定~15代慶喜までの話ですね。
天璋院篤姫を、菅野美穂さんが演じています。
あと皇女和宮を安達祐美さん、実成院を野際陽子さん、大奥総取締役瀧山を浅野ゆう子さんが演じています。
本当はこの時期ではなかった「江島生島事件」が登場します。

「大奥~第1章~」
2代秀忠・3代家光の頃です。
春日の局を松下由紀さん、江を高島礼子さん、お万の方を瀬戸朝香さんが演じています。
秀忠の頃からというか、春日の局が家光の乳母になる少し前から話は始まります。
第...続きを読む

Q今日「江、姫たちの戦国」に出た江の娘役の女優の名

今日「江、姫たちの戦国」に出た江の娘役の女優の名前はだれでしょう?
「ぜん」と聞こえましたが、
豊臣に置いていった子「珠」か「勝」だと思いますが、
女優さんの名前をお願いします。

Aベストアンサー

珠と勝ではないとおもいますが。

今日の出演は 千で芦田愛菜。

豊臣に置いていったのは完、(サダと呼んでいた、ゼンではないと思いますが)
で、山本舞香さん。

Q下らない質問です。大奥に関するアンケート。

(1)男性へ質問。
あなたは「将軍になって大奥へ入りびたりになれたら幸せだな」と考えたことはありますか。
(2)女性へ質問。
あなたは大奥の女になりたいと考えたことはありますか。あるいは、大奥に憬れる男をどう思いますか。

(参考)大奥の女は働かなくてもいい、楽な生活が出来たみたいですよ。なお、私は男です。大奥に憬れてま~す。

Aベストアンサー

(2)女性へ質問。
あなたは大奥の女になりたいと考えたことはありますか。あるいは、大奥に憬れる男をどう思いますか。

考えたことないけど、今考えてみました。
殿が私好みのイケメンなら大奥の女になってもいいけど、殿様がバカ殿でおまけにチビデブハゲなら拷問ですね(>_<)
大奥に憧れる男ですか?ハーレムみたいですね。権力をカサに・・・アリだと思います。

Q探偵学園Q 第2話のあらすじ

いつもドラマには全番組表共通のあらすじが書かれていますよね?これまで当方でも毎回確認していましたが、昨日放送された探偵学園Qの第2話の分を見逃してしまいました。(番組は録画済み)今だとどこも昨日の番組表がもう見られないようですが、どうしても知りたいのです。個人のサイトで編集された物は必要ありません。教えてください。

違うドラマですが、この場合、以下のURLの「20代で~女だった。」までの部分を探しています。
http://tv.yahoo.co.jp/bin/search?id=84647040&area=tokyo

あと、昨日流れていた番宣で「今夜10時スタート」と言っていました。探偵学園Qは先週火曜日スタートですよね?どうして「スタート」という言葉が入っていたか分かる人はいますか?

Aベストアンサー

今晩は
Yahoo!のキャッシュではだめでしょうか?↓

http://72.14.235.104/search?q=cache:qWtJgPLByOkJ:tv.yahoo.co.jp/bin/search%3Fid%3D84026811%26area%3Dtokyo+Yahoo!%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%80%80%E6%8E%A2%E5%81%B5%E5%AD%A6%E5%9C%92Q%E3%80%80%E3%80%807%E6%9C%8810%E6%97%A5&hl=ja&ct=clnk&cd=2&lr=lang_ja&inlang=ja

どうして「スタート」という言葉が入っていたかについてはちょっと分からないです。

Q大奥で御台所が大老と対面する場面

NHKの大河ドラマ「篤姫」で、御台所の篤姫が大老 井伊直弼と広間で会見する場面や茶室で二人だけで話し合う場面がありました。

大奥と言えば、上様以外の男子禁制の場所だと思いますが、大老と会見する広間や茶室は大奥の中ですか。それとも、御台所が侍のいる表に出かけるのですか。どちらも、従来の大奥の常識から見れば、不自然な感じがするのですが、会見場所や茶室が大奥の中なら表から大奥へ、会見場所や茶室が表なら大奥から表まで、どうやって行くのですか。上様が表から大奥へ渡るのは御錠口かと思うのですが、同じところを通るのですか。

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

まずは、大奥の区画についてですが、大別して以下の3つになります。
(1)御殿向(ごてんむき)
将軍(公方さま)の大奥での寝所である御小座敷、御台所の居室である新御殿や御切手の間、側室や御世継以外の子女の居室、奥女中の詰所などからなっています。
※将軍のことを江戸時代は「将軍さま」とは呼ばず「公方(くぼう)さま」または「大樹(たいじゅ)さま」と呼びました。良くTVで「将軍さまのお成り~」などと叫びますが、これは、単なる視聴率を上げるための所業。
※公方さまは、通常は、中奥の「蔦の間」で寝起きをし、子作りに励まれるのですが、時には、大奥で寝起きをすることもありました。
※御切手の間とは、老中などから「許可」を受けた者が大奥へ入る時に、「通行手形(通行許可書)」を改める者の詰所です。
※奥女中の詰所に詰めるのは、「お目見え(公方さまに顔を見せられる位の役職者)」以上の者で、多くは、公方さまが大奥へ入られた時に「身の回りの世話」をする者とか御台所の「身の回りの世話」をする者たちの詰所でした。
(2)広敷向(ひろしきむき)
大奥の事務や警備等を担当する男性役人の詰所。唯一、男性の入ることのできた区画ではあるが、御殿向や長局向(ながつぼねむき)などには入れませんでした。広敷用人、御用達、広敷番、広敷伊賀者などの詰所からなる。
※広敷用人・・・大奥の御台所や上臈(じょうろう)御年寄など、大奥の上級お女中から頼まれた仕事をする。
※御用達・・・・用人の指示により、出入りの商人から買い物を調達する掛り。
※広敷番・・・・大奥女中が城外への出入りとして使う「平川門」の警護や御錠口(御殿向と広敷向との境にある扉)の警護や七つ口(長局と広敷との境の扉(朝五つ<午前8時>に開き、夕七つ<午後4時>に閉めたことから「七つ口」と呼ばれるようになった。ここは、鑑札を持った出入りの商人が商品を売りに来た場所の警護。
※広敷伊賀者・・・大奥の上級者たちがお寺参りなどに出掛ける時の「警護役」。
(3)長局向(ながつぼねむき)
大奥の御台所や上級者以外の居住区画。2階建になっており、下級お女中たちの寝所などがあった。

>>大奥と言えば、上様以外の男子禁制の場所だと思いますが、

確かに、おっしゃる通りが定説となっていますが、大老、老中、若年寄りなどの役職者は、御用がある時には、大奥に入りました。
意外と思われるかもしれませんが、前文でも述べたとおり、男性の区画もあったのです。
また、警備上の理由で月に一回は「老中見回り」、三ヶ月に一回は「御留守居見回り」があり、男子が「女の園」に入ることができました。男に飢えたお女中たちが、この時ばかりと、特別に着飾って色目をつかったが、見て見ぬ振りをすることが義務付けられていました。 

>>大老と会見する広間や茶室は大奥の中ですか。それとも、御台所が侍のいる表に出かけるのですか。

大奥にも「対面所(たいめんしょ)」という部屋があり、御台所や大奥の上級御年寄りたちが、許可された者と会見する場所がありました。これも、3つ位あり、約20畳の部屋、約10畳の部屋、約8畳の部屋とあり、用途や会見する人数などにより、部屋を決めました。
また、通常は、たとえ御台所さまでも「表向」へ行くことは「禁止」されていましたが、篤姫は、夫である家定が死んだ時、表にある「安置所」に出向いています。まあ、幕府も衰退する頃でしたので、そうした「暴挙」も許されたのでしょう。
公方さまが死んだ時は、誰かを次期将軍として「指名」していなかったような場合、幕府政治の「空白期間」ができるため、幕府は、死亡の発表を遅らせて、諸大名たちが「謀反」を起こさないようにしたりしました。

>>会見場所や茶室が大奥の中なら表から大奥へ、会見場所や茶室が表なら大奥から表まで、どうやって行くのですか。上様が表から大奥へ渡るのは御錠口かと思うのですが、同じところを通るのですか。

まず、大奥にも「茶室」はあり、御台所や上級御年寄たちの「たしなみ」の場とされました。井伊直弼は、この大奥の茶室で篤姫と会見しました。
「対面所」では、御台所などにしても、必ず、付添い人がいますので、「秘密の話」ができない。そこで、どうしても「密談」をしたい時には「茶室」を利用しました。
「表向」からは、「御錠口」を入り、「御鈴廊下」を通り、公方さまが大奥に入る時は、「上御鈴廊下」またの名を「上ノ錠口」から入りました。また、公方さまの生母へ出向く際は「下御鈴廊下」から入りました。しかし、時代により違いがあり、特に、篤姫の頃のように幕府の秩序が乱れてきた時代では、公方さま以外でも許可された者が「上ノ錠口」から入った者もいます。

(よもやま話)
大奥御女中の階級
※上臈御年寄(じょうろうおとしより)・・・御台所さまに次いで大奥での最高位で、儀式や典礼をつかさどり、京都の公家出身者が多かった。
※御年寄(おとしより)・・・大奥の事実上の権力者。奥向きの万事を差配し、表向きの老中に匹敵する。
※中年寄(ちゅうどしより)・・・勤め向きはすべて御年寄の指図に従い、代理も兼ねる。御台所さまだけに付き添った。
※御中臈(おちゅうろう)・・・公方さまや御台所さまの身の回りの世話。公方さま付きの中から側室が選ばれた。ちなみに、公方さまと一夜を共にすると、翌日からは「お手付き中臈(おてつきちゅうろう)」と呼ばれ、部屋も20畳位の個室や化粧室などが与えられ、世話をする女中もあてがわれた。ちなみに、それ以外は「お清の中臈(おきよのちゅうろう)」と呼ばれた。
※御小姓(おこしょう)・・・御台所さまのお側に給仕し、煙草やお手水の世話をした。
※御錠口(おじょうぐち)・・・表と中奥の境の「御錠口」や中奥と大奥との「上ノ錠口」に詰めて、連絡掛り。
※御坊主(おぼうず)・・・公方さま付きの雑用掛り。50歳前後の剃髪した者。
※表使(おもてつかい)・・・御年寄の指図を受けて、広敷役人と応接し大奥の一切の買い物をつかさどった。
※御次(おつぎ)・・・仏間や御膳部、御道具などをつかさどり、催事には遊芸なども披露した。
※御右筆(おゆうひつ)・・・日記や諸向きへの通達などの書状を書く者。他家への進物などの選定にもあたった。
※御切手(おきって)・・・七つ口よりの出入りの人々を改める役目。また、女中の親または親戚などが面会に来た時や御用達商人(女性に限られていた)に切手(許可書)を渡して、その用向きの部屋へ案内した。
※呉服の間詰(ごふくのまつめ)・・・公方さまや御台所さまの服装や裁縫をつかさどった。
※御三の間詰(おさんのまつめ)・・・御台所さまの居間の掃除や湯水、火鉢、煙草盆の管理をつかさどった。

ここまでが、「御目見得(おめみえ)」。
つまり、公方さまと顔を合わせても許される者たち。

※御仲居(おなかい)・・・御膳所に詰めて献立の一切の煮焼を担当。
※御火の番(おひのばん)・・・昼夜を通して各部屋を幾度となく巡回し火の元の注意をする者。
※御使番(おつかいばん)・・・御年寄などの御代参のお供や文書、進物などを受け取って御広敷に渡す役目。
※御末(おすえ)・・・もっぱらの雑用掛り、風呂や御膳所の水汲みや御三家および御三卿の御廉中(正室)の大奥登城の際には御広敷から御三の間(控え室)まで乗り物を担いだりした。「御端下(おはした)」とも呼ばれた。

以上、「上臈御年寄」から「御末」までを「直の奉公人」。その他としては、

※お犬子供(おいぬこども)・・・各部屋に5~6人配置された、まったくの雑用掛り。

などの階級制度となっていました。

あなたのお役に立てたでしょうか。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

まずは、大奥の区画についてですが、大別して以下の3つになります。
(1)御殿向(ごてんむき)
将軍(公方さま)の大奥での寝所である御小座敷、御台所の居室である新御殿や御切手の間、側室や御世継以外の子女の居室、奥女中の詰所などからなっています。
※将軍のことを江戸時代は「将軍さま」とは呼ばず「公方(くぼう)さま」または「大樹(たいじゅ)さま」と呼びました。良くTVで「将軍さまのお成り~」などと叫びますが、これは、単なる視聴率を上げ...続きを読む

QNHK「十九歳」(織田裕二)の第一回のあらすじ

先日放送されたNHKアーカイブスドラマ「十九歳」(織田裕二出演)の第一回目を見逃したので、あらすじが載ってるHP(NHKのは更新されてしまったのかな?)か、あらすじを教えて下さい。よろしくお願いします。(翌日の第二~三回は見たのでわかります。)

Aベストアンサー

再補足します。

>女生徒がバイクの高校生を罵るのは見てませんが、その姿に元不良の名残があったのでしょうか。

ありました。

>橋爪が三浦を説得したのは何か裏の理由があったのかな。(利益を上げる為?)

その通りで利益のことを再優先に考えていたと思います。
その後はご存知のように橋爪が大介のことを煙たがっていたんですが。

Qドラマ大奥の第3話?の内容

大奥で高岡早紀さんがお城に来る回を見逃してしまいました。
簡単な展開でいいので覚えている方教えてください。

(1)高岡早紀さんはなぜ大奥に行く決心をしたのか?
(2)その後の放送を見ていると高岡早紀さんは大奥ではどういう立場なのでしょうか?
側室とは違う立場に見えるのですが?

Aベストアンサー

こんばんわ、とりあえず覚えている限りで解答させてもらいます。

(1) 右衛門佐は大奥の中は女性が唯一社会を動かせると
   ころだ的な理由で大奥の中で出世するためにきまし
   た。ただこれはそういっているだけなので本当は違
   う理由もあるのかもしれません。

(2) 初め綱吉は右衛門佐の美貌と素養が気に入り、側室
   に迎えようとします。そこで、右衛門佐が気転をきか
   せ。逆に、桂昌院の許可が無いとなれない大奥総締
   と言う役職につくことを綱由に認めさせ、大奥総取
   締に就任しました。

私の覚えてるのはこんな感じです。
検索すればもっと詳しく解説してるサイトがあると思います

Q葵徳川三代で家康・竹千代、国松の饅頭の話

葵徳川三代で家康・竹千代、国松(国千代)の饅頭の話ってあったでしょうか?
ネットではあったと書かれていたのですが、改めて録画しておいたものを確認したのですが、
(第31回 忠輝勘当)の最後で春日局が家康に竹千代が冷遇されていることを直談判し、(第32回 家康の死)の冒頭で、家康が秀忠に「竹千代を駿府に連れて行き養育する」と言ったら「お江によく言って聞かせますからご容赦ください」と言って、その後家康は江戸を後にしておりました。
饅頭の話があるとすればこのタイミングぐらいしか思いつかないのですが、 ほかの回であったのでしょうか?

Aベストアンサー

ありますね。
第25話「秀頼上洛」の最後の方であります。

京の二条城で成長した秀頼と対面した家康が江戸城に戻って来ます。
そして秀忠や重臣との話し合いの場でその事が話し合われます。

家康は、秀頼の事を・・・
「あれは人物じゃ。18にして落ち着きがある・・・」と褒めます。
藤堂高虎も「あの賢さは太閤殿下のお血筋でございましょうな」と褒めます。
そして家康が秀忠に「竹千代はどうじゃ?」と聞きます。
秀忠は「竹千代はまだ8歳にございますれば、木に登ったり、池の鯉に石を投げたり」と答えたところ・・・
家康が「できが悪いのか?」とズバツと聞きます。
それに答えのが竹千代の守役、青山忠俊で「めっそうにない事にございます。若君は文武両道に優れ、既に名君の片鱗をお見せあそばします」と答えたのですが・・・
家康は「偽りを申すな!竹千代は学問嫌いのがさつ者。国千代は両親の庇護に頼り気性極めてひ弱と聞く」と、竹千代どころか国千代まで一刀両断。
もう一人の守役、酒井忠世が「恐れながら不心得者の讒言かと」と弁解しますが・・・
家康は「讒言かどうかは、これからわしがこの目で確かめる!」と言い出します。
それに土井利勝に「利勝!その方どもは竹千代の指南役じゃ。もし養育に落ち度あらば徳川家の滅亡と心得よ!」と雷を落とします。
秀忠にも「竹千代は将来、徳川家を背負って立つ身ぞ!万民がひれ伏す器量なくば秀頼にたちうちできぬ!よいか!竹千代に見込みなくば、廃嫡も致し方なし!控えには義利もおる。義将もおる!」とお怒りなります。
そして竹千代、国千代と面談となり饅頭のシーンとなります。

葵・徳川三代での饅頭のシーンは、お福(春日局)、お江との話の絡みではなく、秀頼が遠因となった話と言えると思います。

ありますね。
第25話「秀頼上洛」の最後の方であります。

京の二条城で成長した秀頼と対面した家康が江戸城に戻って来ます。
そして秀忠や重臣との話し合いの場でその事が話し合われます。

家康は、秀頼の事を・・・
「あれは人物じゃ。18にして落ち着きがある・・・」と褒めます。
藤堂高虎も「あの賢さは太閤殿下のお血筋でございましょうな」と褒めます。
そして家康が秀忠に「竹千代はどうじゃ?」と聞きます。
秀忠は「竹千代はまだ8歳にございますれば、木に登ったり、池の鯉に石を投げたり」と答えたとこ...続きを読む

Q大奥の衣装。。。

「大奥の衣装」とは、「大奥の女性の衣服」とか何とか示すのですか?

文脈は:
「大奥の衣装からゴマの成分まで、依頼があれば何でも調べる!」

Aベストアンサー

大奥には女性しか過ごしていないので、
女性の衣服と捉えて宜しいかと思いますよ。

Q今日10/27の大奥で........次の世継ぎ.は..........??

こんばんは。

世継ぎは、どの方の子でしょうか?

安子
お伝の方
そのほか

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

史実から言いますと、次の(6代)将軍は、4代将軍家綱の弟綱重(=3代将軍家光の三男)の子供家宣です。1704年に家宣が5代将軍綱吉の養子となり、1709年に6代将軍となります。
「どの方の子」となりますとわかりませんが、大奥には出ていません。
お伝の方の子、徳松がなぜ世継ぎになれなかったのかはわかりません。

参考URL:http://homepage1.nifty.com/gyouseinet/tokugawa/


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