ダヴィンチ・コードは参考文献の薄さや宗教的な間違いを多く指摘されているのですが、イエスとマグダラのマリアの間の子供として出てくるサラについてはどうなのかな?と思いまして、質問させていただいています。
調べてみても中々よくわからなかったので……。
実在したのか、どういった人物だったのか、本当にサラという名前だったのか。
どうかよろしくお願いします。

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A 回答 (4件)

面白い質問をありがとうございます。



質問を読んで興味を持ったので調べてみました。

http://www.jspanish.com/nomura/flamenco.html

上記サイトに南フランス、地中海に面した小さな村、サント・マリー・ドゥ・ラ・メールの教会に祀られる黒い肌をした像「サラ」についての舞台について記されています。

これによれば、
●サント・マリー・ドゥ・ラ・メールの村に「黒いサラ」伝説がある。
●教会の祭壇には聖母マリア像があり、その真下に続く階段を降りるとたくさんの蝋燭の向こうに黒い肌をした像・サラがあった。
●毎年5月24日に、この村で聖女サラのお祭りがある。
祭ではヨーロッパ中のジプシーが集まって海にサラ像を運ぶ。

http://sisyphe.blog90.fc2.com/blog-entry-51.html
こちらにその写真があります。
また
●キリスト処刑にたちあった三人のマリア
(マグダラのマリア・小ヤコブとヨセの母のマリア・マリアサロメ)の1人、マグダラのマリアの召使。
●ユダヤ人に迫害され小舟に乗せられてサント・マリー・ドゥ・ラ・メールにたどりついた。

とあります。
このサラはマグダラのマリアの召使だということですが
実はイエスとマグダラのマリアの子だという伝説でもあるのかな、
と思いました。

文献にはなくても、伝説として残っていたりする可能性があるかもしれません。

本当に大事なことは、文献には記さないということも考えられます。

例えば日本では平安時代の人物・紀貫之が古今伝授を伝えたとされます。

古今伝授とは「古今集」の解釈の秘伝を伝えるもので、
口伝・切紙・抄物によって、師から弟子へ秘説相承の形で伝授されたものだそうです。

ですから文献にないからといって、間違いであるとは言えないと思います。

回答になっていなくて申しわけありませんが
文献にはない伝説なども含めて調べてみてはどうでしょうか。
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この回答へのお礼

写真の象は少し怖かったですが、ちょっと調べただけで色んな情報があって、とても面白かったです。
文献としてではなく、寓話の様にして残っているものもある……ですか。
納得出来るまで沢山調べてみようと思います。
詳しく回答してくださってありがとうございます。

お礼日時:2009/12/10 16:41

ダヴィンチ・コードは見てないので劇中のことについて言及はできませんが、


聖書中にはイエスの妻や子について言及した個所は一切ありません。
私としては「この物語はフィクションであり(以下略)」ということだろうと思います。

ちなみに、マグダラのマリアと結婚関係外で性関係を持ったのならば、
イエスは自分自身の教えに反した行動を取っていることになります。
(「『姦淫(結婚関係外の性関係)を犯してはならない』という掟があるが、
女を見続けてこれに情欲を抱くのならば、心の中でその女と姦淫を犯したのである」、
という言葉がどっかにあったはず。)
まあ本当だったら大変なスキャンダルでしょうね。
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この回答へのお礼

私は、実は映画の方は観ていなくて、小説の方を読んだのですが、小説の方に全て事実を基にしていると書かれていたので、色々調べて居ました。
最近になって、実はその事実としているという文章が作者のトリックだったのだと、考察サイトで読んで驚きました。
確かに、事実だとすれば世界中が大混乱してしまうかもしれませんね……。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/12/10 16:36

マリアってのは、新約聖書に何人か登場していまして、まあ日本でいえば真由美ちゃんとか愛ちゃんとかそんな感じのポピュラーな名前なんですね。


で、一番有名なのがお母さんのマリア。新約聖書に疎い日本人の間ではお母さんのマリアくらいですが、次によく知られているのが「マグダラのマリア」と呼ばれる人です。その他にイエスとひょんなことから知り合いになって信者になった姉妹がいて、その確か妹のほうがマリアさんだったと思います。

んで、マグダラのマリアっつう方は娼婦だったんですわ。だから敬虔なクリスチャンにとってイエス様の恋人が娼婦っつうのはいくらんでも受け入れがたいんですね。事実はどうだか知りません。あの世にいってイエス様にお会いする機会があったら直接聞いてみてください。たぶん、何億回と聞かれている質問だと思いますが。一説には、立川でブッダ様とオフ生活をされているともいわれています。ただし、オフの時間なのでプライベートな質問には答えていただけないかもしれませんが。
聖書のどこにもイエス様が「子供をこさえた」とは書かれていないので、公式的にはイエス様の子供はいないということになります。だから、サラという人物についていえば「そんな人物がいたという信じるに足る証拠はどこにもない」ということになります。
最近、初期キリスト教の様子がよくわかるといわれるいわゆる死海文書についての研究が進み、当初は信憑性が低いといわれていましたが、最近は見方が変わってきています。でもそれにもイエス様の子供についての記載はないみたいなので、たぶんお子さんはいなかったんでしょうなあ。

ちなみに、今から20年くらい前に「タクシードライバー」や「ギャング・オブ・ニューヨーク」のマーティン・スコセッシ監督が「最後の誘惑」というイエスの生涯を描いた映画を作りましてね。そこにイエス様がマグダラのマリアとセックスして子供を作るって描写があったんですよ。これがキリスト教右派をいたく刺激しまして(かの映画の問題部分はそれだけじゃなかったのですが)、映画館が放火されたり敬虔な信者が観客を入れようとしなかったり様々な妨害が行われたほどだったんですよ。
まあダヴィンチ・コードってのはノストラダムスの大予言みたいなもんだと考えておいたほうがいいですよ。
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この回答へのお礼

たしかに、事実は本人やあの時代を生きた人にしか分かりませんね……。
映画館が燃やされたりしたんですか、怖いですね。
キリスト教は国によって影響力がとても高いそうですから、だからこそなのかもしれませんね。
死海文書というのがダヴィンチ・コードにも出ていたのですが、書かれてないんですね……、回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/12/10 16:32

ダヴィンチ・コード自体が架空の話ですから、そこに出てくるものに、信憑性はありません。


フィクションと事実を混同しないようにしてください。
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この回答へのお礼

自分でも調べて、小説中のノンフィクションですっていうのが作者のトリックだったそうです。
ただ、すべてがフィクションではないようなので、ノンフィクションかどうかを調べたいと思い、サラについてフィクションなのかノンフィクションなのかを知りたいと思いました。

お礼日時:2009/12/10 16:24

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なんかでもこれらの絵画は罰当たりな感じだな(苦笑)↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%88_(%E8%81%96%E6%9B%B8)
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2007/12/post_fbf4.html
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創始者が生きているうちは教団が無いか、あっても小規模であって、後年に組織が大きくなったり、遠方に伝わるうちに、いろいろ変わってきています。
日本の仏教は初期仏教からは離れている部分があるようですし・・・。

ゴータマさんは托鉢してたんではなかったでしょうか。
出家者は食べ物などを他人からいただいて生活していたようです。
生きるに最低限のものなので、金品の要求という感じではないと思いますが。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%98%E9%89%A2
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B9%A5%B8%A5%E3%A1%BC%A5%BF

イエスは、聴衆が集まったときに魚やパンを集めてきて配った(ちぎって配ったら増えた)とありますので、そういう調達はしていたのでしょう、本人が出向くのでなくて弟子がですが。
新約聖書にもあるし、各種物語本や解説本でも有名な話です。
あとは食事に招かれたり・・・・。
でもこれも、金品という感じではなかったでしょう。
イエスが生きている間はまだ、キリスト教というものがなかったですし。

ムハンマドについては上記2名以上に知らないので分かりません。
現代では喜捨の習慣(?)がありますね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%88


そりゃあカトリックは一時期、ひどいもんでしたよね。教皇に子供がいたり(チェーザレ&ルクレツィア・ボルジアさん)、免罪符を売ったり。
だから宗教改革があったんでしょう。

カトリックは存じませんが、ゴスペル見学でプロテスタントの教会のミサに行ったことがあります。観光で。
箱が回ってきて1ドルぐらい入れるんですね。
そういう寄付ならあります。

現代では、寺を建て直したいとか活動を維持するための「寄付」はあるかもしれませんし、お札を販売するとかはありますが(初詣に行けば神社やお寺で売ってます)、「聖水を大金出して買ったら幸せになれる」みたいなお金集めは、マトモなところではやってないでしょう。

知識や勉強として読む場合は純粋に宗教としてだけでなく、“当時の”社会背景を考慮したほうが良いようです。
ムハンマドの場合、女性の地位とか未亡人の暮らしとか、以前より改善したのだという説がありますし。
私も信者でも研究者でもないので、わかりませんけど。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E6%95%99#.E7.A4.BE.E4.BC.9A.E7.94.9F.E6.B4.BB

出典、というか読んだことのある本。
テーラワーダ仏教の老子スマナサーラ師の対談集。
『希望のしくみ』宝島新書、『仏弟子の世間話』サンガ新書、など。

『ブッダのことば―スッタニパータ』
『ブッダの真理のことば・感興のことば(ダンマパダ)』
いずれも岩波新書、中村元・著。
あんまりよく読んでいませんけど食事を配る場所とか出てきたような。

ムハンマドはクルアーン(コーラン)でいいんでしょうか??
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古い宗教の場合、創始者が行ったこととその後に組織化されて継承者達が行ったことがイコールではありません。
創始者が生きているうちは教団が無いか、あっても小規模であって、後年に組織が大きくなったり、遠方に伝わるうちに、いろいろ変わってきています。
日本の仏教は初期仏教からは離れている部分があるようですし・・・。

ゴータマさんは托鉢してたんではなかったでしょうか。
出家者は食べ物などを他人からいただいて生活していたようです。
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Q中2の娘が重複子宮の疑い

中2の娘が産婦人科の診察を受けたところ、「重複子宮の疑いがあるので、大学病院等でMRIの検査を受けてください。紹介状は書きます」と言われたそうです。これまで病気をしたことがなかっただけに非常に心配です。先生に紹介状を書いてもらったので、明日、自治医大(さいたま市)診察を受けようと思っているのですが、MRI検査には、1~2か月かかるような気がします。ネットで検索したところ、重複子宮の場合、人によっては腎臓が1つしかないとか、尿道が2つあるとか、奇形が考えられるという書き込みがありました。心配なので、できるだけ早くMRIの診察を受けさせたと思っています。できれば、埼玉(なければ東京または近県)で、速やかにMRI検査を受けられる病院があれば、教えてください。
 また、自治医大での診察を待つことに対する意見(「診察までには、時間がかかるが、初診時からきちんとした病院で診察を受けた方が良い」。とか、「とりあえず、MRI検査が早く受けられる近くの病院で診察を受けた後、その結果を踏まえ、大学病院等へ詳細の検査を受けるべき」等)をお待ちしております。
 非常に心配なので、アドバイス宜しくお願い致します。

中2の娘が産婦人科の診察を受けたところ、「重複子宮の疑いがあるので、大学病院等でMRIの検査を受けてください。紹介状は書きます」と言われたそうです。これまで病気をしたことがなかっただけに非常に心配です。先生に紹介状を書いてもらったので、明日、自治医大(さいたま市)診察を受けようと思っているのですが、MRI検査には、1~2か月かかるような気がします。ネットで検索したところ、重複子宮の場合、人によっては腎臓が1つしかないとか、尿道が2つあるとか、奇形が考えられるという書き込み...続きを読む

Aベストアンサー

まずお母さんが落ち着きましょう。
死に至るよう状態では、ないですから慌てる必要は、ありませんよ。
医大でなく、総合病院でもMRIは、置いてますし。
ただし、基本的に予約制の為に上手くキャンセル空きがあればすぐに受けれますが通常一週間程度の待ちがあります。
重複子宮であると診断されてから対策や必要に応じて手術などを考えればいいです。
妊娠しにくい、流産しやすいなどがありますがすぐ死には、至りませんからまず落ち着きましょう。
娘さんに不安が伝染しますよ。
重複子宮でも程度により無事に妊娠出産してる方もいますから。
簡単に言うと胎児期ミューラン管がひとつになり通常の子宮になるはずがこれが上手くいかずにハート形になってるような状態です。
手術を受ける場合、子宮にメスを入れるので出産は、帝王切開になります。
親が正しい知識なく慌ててると不安が娘さんに伝染しますから。
まず落ち着きいて「重複子宮」で検索して正しい知識を持って下さいね。
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Qレポートの参考文献に関して

歴史系のレポートを書こうとインターンネットで情報を集めていたのですが、参考しようとしたWEBページがとある本を参考に書いた記事だったのです。
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本にしたって、いちいちその著者が参考にした文献一覧を書きませんよね?
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Webページであれば、「サイト名・URL・管理人名・最終的にアクセスした日時」を記述するのが基本となりつつあります。
特に忘れがちなのが、「最終的にアクセスした日時」です。
これを記述する意味は、Webページの特性として情報源としては不安定な為です。
本であれば、そのままの形で100年位は保たれますが、Webページはそうはいきません。
作者が細かく改訂したり、URLが変ったり、消滅したり。
故に、アクセスした日時は重要な情報となります。

参考文献の書き方は、以下のページを参考にしてみてください。
もちろん、これが絶対の法則ではありませんが、基本型の一つではあります。
http://www.isc.meiji.ac.jp/~tomura/references_guide.html

Q娘と一緒にお風呂

私の娘は場合は確か小学校5年生の時まで一緒に入りましたがした。それ以降は一切拒否されてます。

会社では20歳の娘と今だにお風呂に一緒に入る同僚もいて皆、ビックリしています。

(1)成長した娘と父親がお風呂に入る父親と娘のそれぞれ心境を聞きたいのです。

(2)みなさんは娘さんとは何歳まで一緒にお風呂に入れましたか?

Aベストアンサー

私は父と小学校5年まで入っていました。
拒否したきっかけは、父が膨らみ始めた私の胸を見て、冷やかすように「おっぱい出てきたな」と言ったからです。
膨らみ始めているのは自分でも意識していて、一緒に入りたくないと密かに思っていたのですが、両親が「お父さんと一緒に入り」と当然のように言うので、そんな自分の感覚がおかしいのかと思って、言うにいえなかったのです。

余談ですが、それから父は時々、私が入浴中とわかっていながら知らないフリをして、扉を開けて覗いてくることがありました。笑いながら「ごめんごめん」と言って、しばらく扉を閉めないのでわざとだとすぐにわかります。やめてと言っても父は意に介さず。母親からも何度も言ってもらって、やっとしなくなったのは私が高校になってからです。本当にイヤでした。今でも入浴中に父の声が外で聞こえればヒヤッとします。

Q桶狭間の戦いについて詳しく述べてある参考文献を教えて下さい。

桶狭間の戦いについて詳しく述べてある参考文献を教えて下さい。


出来るだけ多く教えて頂きたいです。

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もしよろしければ教えて頂く際、それぞれに述べられている桶狭間の戦いの考察の違いについても教えて頂けたら幸いです。


では回答お待ちしております。

Aベストアンサー

藤本正行『【信長の戦い(1)】桶狭間・信長の「奇襲神話」は嘘だった』(洋泉社新書y 2008)

上記の著書が近年ではまとまった桶狭間の戦いの研究書だと思います。
『信長公記』に基づく「正面攻撃説」の論者ですが、「正面攻撃説」批判への反論や他の諸説についても言及されていますので、その中で興味のある説があれば、参考文献から参照されるとよろしいかと。
ただ、信長を天才視する従来の歴史観ではなく、過大評価ではない等身大の信長に迫ろうとする観点で著されていますので、小説などの一般的な信長像から興味を持たれたのであれば、ギャップが大きすぎるかもしれません。
なお、

谷口克広『織田信長合戦全録』(中公新書 2002)
同『信長の天下布武への道』(吉川弘文館 2006)

これらの著書も合戦の経過について詳細に記述されています。

Q6歳の娘のピアノ・・・このままで上達しますか?

年長になる娘がおります。今6歳で3月からピアノを始めました
私自身がピアノの経験がなく子供の頃から習いたいとずっと思っていましたが習えずでした
娘にはピアノを弾ける子になってほしいと思っていて娘も是非やりたいと言ったので習うことにしました

今行っているピアノ教室は30分の時間です
幼稚園児では30分が限界だそうです(確かに途中あくびをしたりしています・・)
まず音階を歌って、先生のピアノの通り弾いて、教材の楽譜を先生が一度弾いてそれを娘が2度ほど弾いてあとはうちで練習してきて下さい
これで終わりです
え?これだけ?毎回そんな感じです
私はピアノをやったことがないのでよくわからないのですが、うちで練習しなければ全く進まないはずです
娘は飲み込みも遅く楽譜がいまいちわかっていないようで記号の意味もわかっていないと思います
たいして弾けてもいないのに上手に弾けました!と言われてシールをもらうのですがシール選びに時間がかかっています・・・
30分しかないのに・・・

先生にこれで本当に弾けるようになるのですか?とは聞けません
なんとなく失礼かと思いまして・・・

当の娘は嫌いではないようでとりあえず練習したら?と言えば練習して1回弾けたらおしまいみたいな感じです
楽譜もいまいち読めてないのでしどろもどろに弾いている感じです
水泳をやりたいと言われピアノやめるならいいよと言えばピアノをやめる!と言う始末です
でも今日はピアノだよと言うとはりきります

そこで、ピアノを習っていた方にお聞きしたいのですが、最初はみんなこんな感じでレッスンするのでしょうか?
レッスンを続けていくと誰でも両手で弾けるようになるのでしょうか?楽譜も自然とわかるようになるのでしょうか
本人のやる気が一番だとは思いますが・・・
娘のピアノ教室について行ってわたしが家で練習したりしていますが私も弾けるようになるといいなと思っていますがそれは無理な話でしょうか
未知すぎるピアノについて教えて下さい

よろしくお願いします

年長になる娘がおります。今6歳で3月からピアノを始めました
私自身がピアノの経験がなく子供の頃から習いたいとずっと思っていましたが習えずでした
娘にはピアノを弾ける子になってほしいと思っていて娘も是非やりたいと言ったので習うことにしました

今行っているピアノ教室は30分の時間です
幼稚園児では30分が限界だそうです(確かに途中あくびをしたりしています・・)
まず音階を歌って、先生のピアノの通り弾いて、教材の楽譜を先生が一度弾いてそれを娘が2度ほど弾いてあとはうちで練習してきて下さい
...続きを読む

Aベストアンサー

ピアノを教えている者です。
6歳と言うことですが、1年生ですか?それとも年長さんですか?
もし1年生だったら他の教室に変えたほうがいいかもしれませんね。
普通ピアノは先生が弾いてあげてはいけません。
なぜなら譜読みの力がつかないからです。
子供は耳が良いので何度か聞けば楽譜が読めなくても弾けてしまいます。
ですからその指導法で楽譜が読めないのは当たり前です。
もしかしたら昔ヤマハに勤めていた先生かもしれませんね。
ヤマハは耳から入りますから。

あとは先生にも考えがあって1年生になったら、もしくは習い始めて半年経ったら譜読みを始めるという指導法なのかもしれません。まあ普通その年の場合、初めから読ませますが。
その様子だと手の形などの指導もなさそうですね。
少し様子を見て他の教室に変えたほうが良いかもしれません。

Qイエス・キリスト誕生の疑問

キリスト教では、イエスの母マリアの夫ヨセフがダビデの家系の者なので、イエスはダビデの血筋となっていますが、マリアが処女懐胎したのならヨセフとの血のつながりはないはずなので、この部分の聖書の記述はとても矛盾していると思います。どのように理解したらいいのでしょうか。

Aベストアンサー

> マリアが処女懐胎したのならヨセフとの血のつながりはないはず…

私個人としては以下のように考えています。
(引用は日本聖書協会新共同訳聖書より)

日本でも養子としてよその家にはいればその家の人間とみなされ、またそのように周囲から呼ばれるので、ヨセフの長男として育てられたイエスは「ヨセフの子」、「ダビデの子(子孫のこと)」と呼ばれても差支えがないように私は感じます。また、旧約聖書「ルツ記」や、新約聖書「ルカによる福音書」の20章27-40節にあるように、ユダヤ人の家系に関する慣習や考え方は独特のものがあることも考慮するべきかと思いました。

いずれにしても、当時イエスは、ヨセフの子、ダビデの子と考えられていたことが、以下のような聖書の箇所からわかります。

「この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。」マタイによる福音書 13章 55節

「彼は、『ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください』と叫んだ。」ルカによる福音書 18章 38節

「他方、祭司長たちや、律法学者たちは、イエスがなさった不思議な業を見、境内で子供たちまで叫んで、『ダビデの子にホサナ』と言うのを聞いて腹を立て、」マタイによる福音書 21章 15節

また、天使ガブリエルがイエスの母になるマリアの前にあらわれたとき、以下にあるように「父ダビデ」と言っているのですが、これは英語では “his father David” (KJV), “his ancestor David” (RSV) とあるので、「彼(=イエス)の父(父祖)のダビデ」と言っていることがわかります。

「あなたは身ごもって男の子を生むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。」ルカによる福音書 1章 31,32節

以上のように、当時の人たちも天使もイエスを「ダビデの子」と呼んでいるので、まあ、それだけの理由があったと考えて問題ないように私は思います。(その理由については、検索すると日本語なり、英語なり、いくつか意見がみつかるのですが、これは、理由を考えれば理由のつけようがある、ということではないかと思います。)

> マリアが処女懐胎したのならヨセフとの血のつながりはないはず…

私個人としては以下のように考えています。
(引用は日本聖書協会新共同訳聖書より)

日本でも養子としてよその家にはいればその家の人間とみなされ、またそのように周囲から呼ばれるので、ヨセフの長男として育てられたイエスは「ヨセフの子」、「ダビデの子(子孫のこと)」と呼ばれても差支えがないように私は感じます。また、旧約聖書「ルツ記」や、新約聖書「ルカによる福音書」の20章27-40節にあるように、ユダヤ人の家系に関する慣...続きを読む


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