1つだけ過去を変えられるとしたら?

GPSに特殊相対論と一般相対論による補正がされているというのは有名ですが、とくに一般相対論はリーマン幾何学をもちいています。

リーマン幾何学は非ユークリッド幾何学を扱うことができ、この際、平行線の公理を選択的にコントロールすることで、空間の歪みを叙述することが可能ということがいえるのではないかと思います。

平行線の公理といえば、ゲーデルの不完全性定理が関与するところですが、このようにアインシュタインのような天才は不完全性定理さえも物理学の道具として使いこなした、という印象を私は持っています。この印象は正しいでしょうか。

#ここでの近くのご質問に刺激を受けました。ちょっと筋が違うので新しく質問を立てました。

A 回答 (17件中1~10件)

 自分も#3さんと同意見なのですが、一番の誤解の原因は、以下の図式ではないかと想像します。



  不完全性定理により、証明できない命題がある.
 →公理は証明できないから、公理と言う(大概そうですが).
 →よって公理は、不完全性定理を体現するものだ(←#1さんへの補足)

 まず証明できる公理もあります。ある理論の公理は、その後の証明のし易さなどが理由で選ばれる時もあります。公理として選ばれた命題の妥当性は、その理論では問わない、と決めるだけです。なので、ある理論の公理系を導く公理系というのは、存在し得ます。後者を、より強い理論と言う場合もあります。

 次に不完全性定理ですが、詳細には知らないので、以下には間違いが含まれる可能性があります。

 そもそも不完全性定理は最初に、公理は証明されたものとして扱います。公理の妥当性は、その理論では問わない、と決めるからです。不完全性定理の内容は、次のような事だと思います。

 公理系を定めれば、公理系が扱える問題領域が決まります。非常に乱暴な話ですが、公理が性質Aについて語るなら、性質Aを持つ命題を全て集めたものが問題領域です。この集合の決まり方は、公理系自体の性質とは無関係です。
 完全性定理の言うところは、問題領域が有限集合なら、その全ての命題は、公理系から演繹できるです。つまり一般解法が存在するです。
 問題領域が無限集合の時が、不完全性定理で、公理系から演繹できない命題が存在する、だと思います。つまり一般解法は存在しないです。ただしそのような命題を、もし直に見る事ができたら(発見は非常に困難ですが)、その命題内容に沿った個別解法(真偽を定める)まで存在しないとは、言っていません。

 アインシュタインは不完全性定理をコントロールしてはいません。アインシュタインは普通にいくつかの公理(物理では原理と言いますが)を立て、普通に論理と数学を展開して一般相対性理論を作りました。逆に一般相対性理論が、不完全性定理のコントロール下にあります。ペンローズによると、実際に証明不可能命題が存在するそうです。

この回答への補足

>まず証明できる公理もあります。

これは、違うと思います。証明できないからこそ、公理なのです。

光速度不変の原理(特殊相対論)は観測事実なので、証明不可能だと思います。また、相対性原理、等価原理も証明不可能だと思います。

同意できない部分はあるにしても、物理は実験事実や仮説を前提に展開されるものですから、「一般相対性理論が、不完全性定理のコントロール下にあります。」はある意味で正しいと思います。しかし、自然を叙述する上で、非ユークリッド幾何学を採用した点で、数学的公理系を切り替える自由な発想をアインシュタインは持っていたともいえ、この点で、アインシュタインは不完全性定理の制限を受けなかったともいえると思います。

“このときにアインシュタインにリーマン幾何学の存在を教えたのが、数学者マルセル・グロスマンであった。ただし、このときグロスマンは、「物理学者が深入りする問題ではない」と助言したとも伝えられている。” (ウィキペディア)

コメントありがとうございました。

補足日時:2009/12/10 09:17
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<<ここの質問欄を閲覧しているすべての方へのお詫び>>



先日来、この欄において、わが身の浅学を顧みず高慢な講釈を垂れていたことをお詫びいたします。
先日来のやり取りを通じて妙な違和感を感じておりましたが、ここに至って自分が解析幾何と初等幾何の区別もつかぬ愚かものであったことに気がつきました。今となってはここでやり取りしたメッセージのかなりの部分が無意味というより、有害な情報であったと認識しております。

叶うことなら、この場における私の発言のすべてを忘却していただきたくお願いいたしたく存じます。
私は今年から哲学を始め、そちらの方から不完全性定理にアプローチしたもので、基本的な知識に欠けておりました。言い訳にもなりませんが、平にご容赦願います。
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この回答へのお礼

お礼の欄には不適切ですが、「真偽決定不可命題を具体的に挙げる」ことが私自身でたぶん下のようにできました。自分自身で自己批判は滑稽かとも思いますが、真実に近いと考えられることを公表することを優先します。公理の言葉の取り扱いもgobo-tetsuさんの方が正しいと今となっては感じます。よって、公理と不完全性定理の理解は現時点では私の間違いと考えております。お詫び申し上げます。gobo-tetsuさんにはより正しいと考えられるご指摘にお礼を申し上げます。

http://en.wikipedia.org/wiki/G%C3%B6del%27s_inco …

In 1973, the Whitehead problem in group theory was shown to be undecidable, in the first sense of the term, in standard set theory.

In 1977, Paris and Harrington proved that the Paris-Harrington principle, a version of the Ramsey theorem, is undecidable in the first-order axiomatization of arithmetic called Peano arithmetic, but can be proven to be true in the larger system of second-order arithmetic. Kirby and Paris later showed Goodstein's theorem, a statement about sequences of natural numbers somewhat simpler than the Paris-Harrington principle, to be undecidable in Peano arithmetic.

お礼日時:2009/12/19 14:22

>gobo-tetsuさんは多くのクリティカルなポイントでお話を逸らす傾向があるようです。



私の方もあまりにも論点がずれすぎるのでもどかしく思っていましたが、前回の回答への補足により、貴方が私が考えている以上に公理系と不完全性定理について理解不足だということがわかりました。

 >他に4つの真偽決定不可な命題がありますが
 >ここでの話の範囲では「第五公理は除外されたのではなく書き換えられたのです」
 >平行線の公理は公理であるがゆえに、証明不可能です(=ゲーデルの不完全

「4つの真偽決定不可な命題」が他の公理を指しているのだ、と気がつくまでかなり時間がかかりました。他の公理は外せばそもそも幾何学として成立しません。そうなれば、貴方のこだわっている「平行線公理」は命題ではなくただの言明でしかありません。もちろん「4つの真偽決定不可な命題」などという言い方はあり得ません。
公理を「真偽決定不可な命題」などとするのは暴挙というものです。「公理は証明不可能」ではなく「証明不要」なのです。
第5公理を「除外」ではなく「書き換えた」のなら、いわゆる「平行線公理」は真偽決定不可命題ではなく、その否定が証明されてしまうことになります。それで話の端緒として、第5公理抜きの「幾何学」から始めました。リーマン幾何学の公理は確認していませんが、おそらくあなたの言うように「書き換えられた」のだと思います。でも、公理系を解かっている人なら、私の書いていることに違和感は感じないと思います。平行線公理を「除外」して別の公理を「追加」しただけでしょうから。こんなことで上げ足を取るのは感心できません。

公理系に対する認識が十分でないまま、不完全性定理を語るのは無意味です。私の投稿も最後といたします。

この回答への補足

私もやっとすっきりしました。もし、ユークリッド幾何学に5つの公理以外に真偽決定不可命題があるとすれば、それは大事件です。ガウスなどの功績により、約2000年にわたる例の5つの公理の存在の正当性の証明が否定的になされたわけですが(最後参照)、それを覆す大事件です。

>「幾何学」にとって平行線公理は真偽決定不可命題でありますが、それを公理に追加したユークリッド幾何学にも依然として、真偽決定不可命題は存在するはずです。

gobo-tetsuさんはここでの真偽決定不可命題を具体的に挙げることは絶対にできないと予言します。その場合、gobo-tetsuさんがとんでもない「暴挙」、「あまりにもひどい」間違いをしているということになります。

ウィキ
>19世紀にガウス、ボヤイ、ロバチェフスキーらによって、最初の4つの公理が成立しかつ平行線公理が成立していないような幾何学の体系(双曲幾何学)が構成された事によって平行線問題は否定的に解決された。もし最初の4つの公理から平行線公理が導けるのであればこのような幾何学は存在するはずがなく、よって平行線公理は他の4つの公理からは導けないのである。

補足日時:2009/12/14 20:57
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この回答へのお礼

回答番号:No.17のお礼欄への追加として、ユークリッド幾何学に5つの公理以外に真偽決定不可命題はないようです。

Limitations of G?del's theorems
The conclusions of G?del's theorems only hold for the formal theories that satisfy the necessary hypotheses. Not all axiom systems satisfy these hypotheses, even when these systems have models that include the natural numbers as a subset. For example, there are first-order axiomatizations of Euclidean geometry and real closed fields that do not meet the hypotheses of G?del's theorems.

お礼日時:2009/12/19 15:00

ユークリッド幾何学から平行線公理を除いても「幾何学」は成立します。

そして、その「幾何学」の中で平行線公理を導き出そうとしても、それはできません、つまり平行線公理は「幾何学」にとっての真偽決定不可命題である。別に異論はありません。

  第一不完全性定理は真偽決定不可命題について言及している。
              ↓
  リーマン幾何学は平行線公理(真偽決定不可命題)を公理から除外した。
              ↓
  アインシュタインはリーマン幾何学を利用した。
              ↓
  アインシュタインは第一不完全性定理を利用した。

あまり論理的な図には見えません。公理の選び方によって数学の個性が変わるのは当たり前のことで、第一不完全性定理とは何の関係もありません。アインシュタインは平行線公理に制約されて窮屈なユークリッド幾何学より柔軟なリーマン幾何学を利用しただけのことです。

平行線公理がそれ抜きの「幾何学」にとって真偽決定不可命題であることはもっと昔から知られていたことです。リーマン幾何学の発表は約150年前です。天才ガウスもそれ以前に第5公理抜きで「幾何学」が成り立つことを知っていたようです。
昔は実空間=ユークリッド空間とされていたので、無限遠にまで言及している平行線公理の真偽性に疑問を持つ人はそれまでにもいたようです。

使い物になる程度の「数学」は大概自然数論を含んでいます。つまり無限を扱うということです。本来永遠の時間を消費しても把握することのできない無限を「数学」は「ハイ、これ」という風に無造作に提示します。いうなればかなり無理をしているわけで、その無理のとがが不完全性定理に表出している、と言ってもよいと思います。
「幾何学」にとって平行線公理は真偽決定不可命題でありますが、それを公理に追加したユークリッド幾何学にも依然として、真偽決定不可命題は存在するはずです。
第一不完全性定理は「数学」にはどのように公理系を選んでも、真偽決定不可命題が存在することを免れない、と主張しているだけです。その新規決定不可命題が使い物になるかならないか、ということには何も触れていません。

あらためて、あなたの持っている解説本で、平行線公理がどのような文脈で扱われているかを意識しながら読むことをお薦めします。

不完全性定理は難しいです。論理学ではカンによるあてずっぽうは絶対当たりません。解説書の説明をひとつずつ丹念に納得しながら理解していくしかありません。インターネット上の不完全性定理についての情報は実に間違ったものが多いです。まさにあきれるばかりです。あまりのひどさについ黙っていられなくなりました。

学問カテなので、間違っていることは間違っていると、率直に指摘させていただきました。当方が間違っている場合も率直に指摘いただいて結構ですが、自分が理解していることとしていないことを明確にして議論することが大事だと思います。

この回答への補足

どうも、gobo-tetsuさんは多くのクリティカルなポイントでお話を逸らす傾向があるようです。

>「幾何学」にとって平行線公理は真偽決定不可命題でありますが、それを公理に追加したユークリッド幾何学にも依然として、真偽決定不可命題は存在するはずです。

これは、平行線の公理がゲーデルの第一不完全性定理でいう「証明も反証もできない命題が存在する。」ところのその命題であることを認めたことに他なりません。もちろん、他に4つの真偽決定不可な命題がありますが、それら存在があるからといって、当たり前ですが 平行線の公理がゲーデルのその命題のうちのひとつであることを否定することにはならないのです。よって、私はあなたの主張である、

>キーワードがたとえ一億件ヒットしてもダメなものはダメです。平行線公理について触れていますが、それは公理系というものを説明するためのものです。

は不適切だと思います。再度明言しますが、あなたはたとえば、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E7%90%86
での平行線公理とゲーデルの命題の関連の不適切さを証明する必要があるのです。

ちなみに、ここでの話の範囲では「第五公理は除外されたのではなく書き換えられたのです。」

私は何度も言うように最初の質問にある意見から態度を変えています。私をクリティサイズするには、長いスレッド全体をよむ必要があります。

補足日時:2009/12/12 18:25
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「幾何学の第五公理である平行線の公理に不完全性定理は適用できないということでしょうか?」というような表現はしません。

不完全性定理は公理系全体を問題にしているのです。
ですから、ユークリッド幾何学も不完全だし、非ユークリッド幾何学も不完全です。独立命題をいくら追加しても公理系は完全にはなりません。それが不完全性定理の主張するところです。

この回答への補足

公理は否定も肯定もできないがゆえに、ゲーデルの不完全性定理の「、、、証明も反証もできない命題が存在する」というところの命題にまぎれもなく相当するのである、というのが私の理解です。なにかあなたが勘違いされていないでしょうか??

もちろん公理系全体が矛盾がないなら、という条件がつきますが、「証明も反証もできない命題が存在する」というのは明らかに(あなたの言うように全体ではなく)いくつかの公理(もしくはそれと等価な命題)が証明も反証もできないということを意味していると考えています。

補足日時:2009/12/12 07:59
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この回答へのお礼

ちなみに、不完全性定理のうちでも、私は第1不完全性定理を念頭においています。どうも、第2を念頭に置くと、言い方に違和感がでますね。たんに言い方の問題なら、それだけのことだと思います。

第1不完全性定理
自然数論を含む帰納的に記述できる公理系が、ω無矛盾であれば、証明も反証もできない命題が存在する。
第2不完全性定理
自然数論を含む帰納的に記述できる公理系が、無矛盾であれば、自身の無矛盾性を証明できない。

お礼日時:2009/12/12 08:29

<<不完全性定理  平行線の公理 のキーワードで検索しますと、たくさんヒットします。

よって、私の例示はおそらく正しく、該当する回答者のかたは何か勘違いされているのだと思っています。>>
論理学について論じているのだから、上述のような情緒的なことは言うべきではありません。キーワードがたとえ一億件ヒットしてもダメなものはダメです。
解説書の多くは確かに平行線公理について触れていますが、それは公理系というものを説明するためのものです。あなたは多分、前説の部分で挫折しているはずです。後半の不完全性定理の証明の解説は全然理解できなかったか、おそらくは読み飛ばしていると思います。それで、前回はとにかく解説書を最後まで読み通して下さい、と申し上げました。
本当のことを言うと、読み通したところでなかなか理解できません。
私は何度も肩透かしを食わされたような感覚を覚えながら繰り返し読んでやっと解説書はクリアできました。証明の道筋は理解できましたが、実際のゲーデルの論文を読むことはあきらめました。
不特定多数の人の目に触れるこうした場では、自分が何がわかって何がわかっていないかをわきまえて、慎重に発言するのがエチケットだと思います。
そういう意味でも、psytexさんには猛省を促したいと思います。
不完全性定理を勝手に『公理系は不完全な場合に無矛盾であり得る』と読み替えることをしてはいけません。
不完全性定理はそんなロマンチックなものではありません。ある意味つまらない無味乾燥のがっかりするような内容と言えなくもありません。
<<このように、完全な系にとって外的要因でありながら、その系が存在する(有限な値をとる=無矛盾)であるためには、その系に加わる必要がある(不完全な系ゆえに無矛盾)要因がある、というのが、論理学における不完全性定理であり、ユークリッド幾何学における平行線公理であり、決定論的な古典物理に対する不確定性原理であり、時空における自我(こころ)なのです。>>
ユークリッド幾何学における平行線公理がどうだというのですか?
平行線公理が加わったから無矛盾だとでも言うのですか?
数学の定理を物理の法則に読み替えてよいかは自明ではありません。
あなたは不確定性原理を「無矛盾ではあり得ない(Aと非Aを同時に導く)」)と言っていますが、自然科学が矛盾を抱えてどうするんですか?
不確定性原理は矛盾ではありません。位置と運動量を同時に確定できないだけのことです。

ddtddtddt さんへ
不完全性定理が問題にしているのは、公理系によって展開される数学理論の完全性なのに対し、完全性定理の方は「論理公理系」と「推論規則」からなる論理体系の完全性を保証しているのです。

この回答への補足

ええと、ユークリッド幾何学の第五公理である平行線の公理に不完全性定理は適用できないということでしょうか?その論拠を示してください。

私は数学のカテゴリーで質問することも検討します。また、他の方への批判は論点がぼけたり、ほぼ話がついていたりするので、最小限にしてください。

補足日時:2009/12/11 21:42
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 #11です。

「不完全性定理 平行線の公理」で検索して、

http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/kouri.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E7%90%86
http://www.geocities.co.jp/HiTeens-Panda/4695/th …

などを読みましたが、やはり意見は変わりません。とは言え自分も、全てを知っているわけではありませんので、これ以上は申し上げません。ただ不完全性定理がヒルベルト・プログラムに止めを刺した件ですが(#11の補足)、質問者様は、ヒルベルト・プログラムが破綻したので、数学者(と物理学者)は、公理系選択の自由度を手に入れたと仰っているような印象を受けました。そしてアインシュタインは、もっと早い時期にそうしていた・・・、と。
 個人的意見ですが、ヒルベルトが形式主義を持ち出した時点で既に、少なくとも数学者は公理系選択の自由度を獲得していたと思います。もっとも前世紀の初頭まで、物理畑の人達は違ったのかも知れませんね。特殊相対性理論が発表された時、ローレンツとミンコフスキーはあくまで絶対時空にこだわり、光速度の不変性をなかなか受け入れなかったと聞いています。絶対時空:ユークリッド幾何学とも読める気がします。
 しかし4次元時空(ミンコフスキー空間)の概念を作ったのは、数学者としてのミンコフスキー自身であり、アインシュタインは後でその価値に気づきそれを取り入れた、というのが歴史的経緯だったはずです。何故ならアインシュタインはミンコフスキー空間を、最初無用の長物とみなしていたからです。そしてローレンツとミンコフスキーは、アインシュタインに先行して、ミンコフスキー空間を利用した結果から、「見かけ上は、光速度不変だ」と言っています。
 物理的ユークリッド空間を信じていたと思えるミンコフスキーが、ミンコフスキー空間を作れたのは、ガウス,リーマン,ヒルベルトが明確化した、公理系選択の自由度のおかげ、というのは言いすぎでしょうか?

この回答への補足

ポイントがずれていないでしょうか?

>言いたかった事は、不完全性定理が関わるのは、文法の問題であって、ある命題が本質的に証明可能かどうかには関わっていないのではないか?、

お答えはノーだと思います。ある命題(例:平行線の公理)は本質的に証明不可能なのです。

この私の指摘に合意できないというなら、ddtddtddtさんは、公理の概念や不完全性定理を理解していないと思います。

また、私はここでリーマン幾何学には触れていますが、ミンコフスキー空間には触れておりません。

>質問者様は、ヒルベルト・プログラムが破綻したので、数学者(と物理学者)は、公理系選択の自由度を手に入れたと仰っているような印象を受けました。そしてアインシュタインは、もっと早い時期にそうしていた・・・、と。

ちょっと、違います。皆さんの指摘にともなって、私は意見を変えていますが、物理学者は数学を道具として使うので、不完全性定理によって制限されたり、脅迫されたりすることはあまりないということです。

補足日時:2009/12/11 21:09
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#3です。

#5さんへの言い訳も含めています。

>数学的公理系を切り替える自由な発想をアインシュタインは持っていたともいえ、この点で、アインシュタインは不完全性定理の制限を受けなかったともいえる・・・(#4への補足より)。

 正直な感想を言えば、少なくともヒルベルト以降、誰もがこういう発想を持っていたのではないか?、という印象はあります(もちろん発想を持つだけでは駄目ですが・・・)。しかしたぶん、この言葉の真意を自分はわかってないんだな、と思いました。

 証明できるものは公理でないという意見が大勢のようですが、「証明できる公理もある」と言った時に念頭にあったのは、理論に対するブルバキの定式化です。ブルバキでは、ふつう言うところの公理を明示公理と言い、明示公理にシェマを適用して得られる結論を非明示公理と言っていたと思います。次に証明手続きを定義した後で、証明の文脈に現れる非明示公理を、定理と呼ぶ。さらに理論の強い,弱いですが、ある理論の明示公理を、全て非明示公理として(定理として)含む理論を、より強いと言う。この定式化があったので、公理かそうでないかは、「決め」の問題だと言いました。
 そして上記のような「手続き型証明」の限界を示すものが、不完全性定理だと自分は思っていました。自分の今の本職はプログラマーなので、どうしてもこういう発想になってしまいますが、言いたかった事は、不完全性定理が関わるのは、文法の問題であって、ある命題が本質的に証明可能かどうかには関わっていないのではないか?、という事です。もちろん光速度不変の原理や等価原理が(現在のところ)証明可能なものとは、自分も思っていませんが、この立場から言うと、

>平行線の公理は公理であるがゆえに、証明不可能です(=ゲーデルの不完全性定理)。(#1さんへの補足)

には、一応?が付きます。しかしながら、質問者様の意図を誤解しているのではないか?、と今は思います。

 ところで#5さん、

>完全性定理と不完全性定理の意味するところの「完全性」は別物です。

なのですか。是非知りたいので、別質問を立てるかも知れません。もしよろしければ、お付き合い下さい。

この回答への補足

>言いたかった事は、不完全性定理が関わるのは、文法の問題であって、ある命題が本質的に証明可能かどうかには関わっていないのではないか?、

お答えはノーだと思います。ある命題(例:平行線の公理)は本質的に証明不可能なのです。不完全性定理  平行線の公理 のキーワードで検索しますと、たくさんヒットします。よって、私の例示はおそらく正しく、該当する回答者のかたは何か勘違いされているのだと思っています。

>ゲーデルの不完全性定理によって「普通の数学」(自然数論)を展開できるような公理系では(体系が無矛盾である限り)その無矛盾性を与えられた公理系だけからは証明できないことがしめされ、ヒルベルトが思い描いた形でのヒルベルト・プログラムは実現しないことがわかった。(公理 提供: フリー百科事典『ウィキペディア)

補足日時:2009/12/10 22:14
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 はじめまして、Hidocchiと申します。



 少し補足させていただきます。
 
> 「人間の能力はときとして余りにも大きく、自然科学分野では不完全性定理に制限されることなく理論が展開され、しかもそれが現実レベルである程度証明され(重力レンズ効果などなど)、実用面で大きな貢献をすることがある(GPSの補正などなど)。」ということになります。

 確かに、自然科学の研究者は、そのように考えてきましたし、現在もそうかもしれません。実際、ゲーデルの不完全性定理は数学科の学生さんにはあまり人気もなく、これをさらに進めていこうとする学生さんはほとんどいないといわれています。この不完全性定理が現代にも(特に哲学を学んでいるひとに)影響を及ぼしているのは、それなりに理由があろうかと思われます。それは以下の2点からだと思われます。
 
・科学的進歩という人間理性を過信し過ぎたための反省: つまり、多くの環境汚染や大量殺戮兵器の開発を人類はしてきましたが(実際、実行もしました)、これらへの反省があろうかと考えられます。

・もう一つは、人間理性を高らかに謳い上げた“マルクス主義”の反省およびそれに対する反論:マルクス主義が実際はどうだったかにつきましては、おそらく説明は不要かと思われます。ソ連軍のチェコへの侵攻、ルーマニアの独裁政権等です。つまり、そもそも人間理性を推し進めていった結果は、惨劇だったのではないか? ということです。

 これらの反省から、ゲーデルの不完全性定理が利用されてきた経緯がございます。さらに申し上げますと、不完全性定理という一種の“懐疑論的思考法”を用いた、理性万能を信じきっているものたちに対する反論でもあるわけです。

 従いまして、むしろ科学万能教に対するアンチテーゼと受け取った方がよろしいかと存じます(ゲーデルが証明した動機のひとつに、「公理系以外の何かプラスα(おそらく神)の助けが必要である」という説もございます。何しろ敬虔なキリスト教徒でしたから)。

 そこで、まことに僭越ながら、以下にお薦めのものを列記させていただきました。

 やはり、1冊ぐらいは読破されることをお薦めいたします。なお、ゲーデルにつきましては、高橋氏の方がやさしいかと思いますし、これを正確に読めば、別段ナーゲル氏の本は省略してもよろしいかと思います。適当に本屋さんで選んでみてくださいませ。もちろん、これらの書籍に限定する必要はございません。

1. 高橋昌一郎著「ゲーデルの哲学―不完全性定理と神の存在論」(講談社現代新書)
2. E. ナーゲル著「ゲーデルは何を証明したか―数学から超数学へ」白揚社

1. 山田克哉著「量子力学のからくり―「幽霊波」の正体」(ブルーバックス)
2. 都筑卓司著「新装版 不確定性原理―運命への挑戦」(ブルーバックス)

 お役に立つところがございましたら、幸いでございます。

この回答への補足

ほかにこれまで指摘にありましたように、不完全性定理と科学の進歩は必ずしも強い関連(共役)はないということだと思います。よって、私は最初の意見を変えています。(皆さんありがとうございました)

最初の指摘の科学者の考え方には私は合意が見出せますが、不完全性定理を科学批判に使えるかどうかはちょっと疑問です。

補足日時:2009/12/11 09:18
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申し訳ありませんが、私は30年間にわたる無数の読書によって習得したので、


ウェブサイトも知らなければ、何か1冊で全て分かるといった虎の巻も知りません。
あしからず。

この回答への補足

そうですか。たとえば不完全性定理と不確定性原理の関連について本質的な関連が示されているのであれば、それはちょうど一般相対論のように、誰がいつ発表したか、クリティカルな文献があり、それはいつでも開示できるべきものであると私は考えます。

補足日時:2009/12/10 22:24
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