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日本の第二次大戦中と戦後、食糧難に見舞われたようですが、なぜなのでしょうか?当時も食糧をかなり輸入に頼っていたのでしょうか?

A 回答 (9件)

ほとんど国産でしたが、戦中は、耕作者が徴兵されて戦地に行ったために農家には婦女子、老人しかいなくなり生産量が落ちたため。


戦後は、復員で人口が急激に増えたが、長年使用していなかった農地の再耕作が間に合わなかったから配給制度があった。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
生産量低下ですね。それだけ人手を必要としていたと言うことなのでしょう。

お礼日時:2009/12/26 09:46

古今東西。

戦争となると、イの一番に百姓たちが有無を言わさず、狩り出され第一線に投入され、コロコロ殺されちゃ、また百姓たちは招集されて強制的に戦場に立たなきゃならなくなる。厭だ・・なんて断ったら銃殺さ・・・

農地は一杯あっても、耕作するのは、女や老人じゃ。

コレでお解かりですかな???   生産者がいなけりゃ生産は出来ない道理でしょ。

当時は輸入なんて出来ない。負けた国に食料を輸入するほどの銭なんて、あるわけが無いでしょう。あれば食糧難なって解消してる。。。。。。
アフリカの飢餓に苦しむ国は、食料が出来なかったら輸入しろと言うのと同じだよ。

食糧難は、天災に拠る場合も有るけれど、それ以上に人災が招いてる事なんです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
やはり、男手が農業には必要なのですね。それにしても、それほど農業人口を徴発したら食糧事情がやばくなることはわかっているのに。

お礼日時:2009/12/26 09:47

戦争末期には塩不足になってきたんだそうです。



というのは知っていたのですが、具体的に内容を知りませんでした。
検索してみたら(すみません、検索ごときで)
http://www6.atwiki.jp/army2ch/pages/54.html#id_8 …

海水焚き塩を作るための石油、石炭が不足した。
塩作りのため煙を上げると敵機の標的にされた。
徴兵されて人手不足。
海上輸送も敵に狙われるので、塩を輸入するというのもできず。
もちろん燃料そのものも輸入もできない。

ということだそうです。
戦争中の物資輸入については本を読んだことがありますが、
商船も敵の標的になり、撃沈されるため日本まで物が届かないのでした。

参考URL:http://www6.atwiki.jp/army2ch/pages/54.html
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この回答へのお礼

まだ、焼き塩の製法が多かったようですからね。
原料も人でも工場も稼動しないと言う事態に陥っていたようですね。

お礼日時:2009/12/26 09:48

当時は食糧輸入は今ほど頼っては無かったようです。

戦争中の食糧不足は生産の主体になる男手が戦争に借り出されて、生産が落ちたこと。戦場に食料を供給するために、国内消費を抑えたこと。戦後は兵隊さんが復員し、海外の開拓団が一挙に帰国し、人口が急増したことに加えて、国内の生産地が戦争で荒れて生産量が減少したことによるものと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
生産の主体である男手がなくなるとどうしようもないものですね。戦後の人口増加に食糧生産が追いつかないと言う事情もあったのですね。

お礼日時:2009/12/26 09:49

 戦前でも主食の米の16%は輸入に頼っていたという数字があります。

豆類なんかも半分が輸入だったようですし。これに皆さんご指摘の労働力不足、戦中の労働力不足による田畑の荒廃、肥料原料の入手困難などが重なったのでしょうね。
 また、漁業についても漁船の減少、燃料不足などから、生産量が回復するまでにはそれなりの期間が必要だったようです。
 当時の日本人の主食の米と魚がそういう状態ですから、かなり厳しかったと思います。
 一説によると、日本の国土で養える人口は3000万人程度なのだとか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
やはり、輸入に頼るものはありますよね。
肥料原料など、必要物資も滞ったのでしょう。漁業も然り。

お礼日時:2009/12/26 09:52

http://wwwsoc.nii.ac.jp/jssspn/JSSSPN_AYUMI.PDF

戦前 1930年代においてすでに化学肥料が優先される時代になっており、化学肥料不足は、戦争中深刻な問題であった。

明治以降の反当生産量の増加は、肥料を多量に入れることで成立しています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
化学肥料はもっとも生産に直結しますからね。

お礼日時:2009/12/26 09:59

終戦時の食料自給率は


実に5割程度まで落ち込んだと言われています。

つまり、2人に1人は餓死するか、全員が腹半分で飢えた構図です。

当時は朝鮮半島と台湾島では米の余剰生産があり、
多い時では生産数の半数を日本に移出していました。

それに対し、日本の生産数は上昇せず、移出出来る量は微量でした。

600万トンの日本の輸送能力は壊滅しますので、
武器弾薬を考えなければ、少なくとも数百万トンもの
必需物資が宙に消えた換算になります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E4%B8%8A% …

その食料の多くが海外で賄われ、
軍票で現地で調達されていた事は自明です。

朝鮮府では朝鮮銀行券が発行されていましたが、
中国では日本銀行券と朝鮮銀行券、更に軍票が使用されました。

最終的に、通貨システムはほぼ破綻します。

配給の少なさから、(配給カードが無いとお金があっても買えないシステム)中~末期には既に食料事情は破綻寸前であった事が伺えます。

終戦間際の配給は、ナス半分(2~3日に一回)程度であり、
今採れた物を必死に配っていたたようです。

今まで頼ってきた外地移出が出来なくなった。
食料の需要過多による食料の絶対的な不足+生産量の半減
(作付け面積と労働力の不足)
が大きな理由です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
あまりに生産量が実情に合わなくなってくると、通貨システムが崩壊すると言う事態は容易に起こりえますね。一種のバランスが完全に崩壊して、食糧生産配給消費が機能しなくなったのでしょうね。

お礼日時:2009/12/26 09:58

他の方が書いていない理由を挙げると、「流通システムの破壊」があります。

食料は農家つまり田舎で生産されますが、人口は都市に多いです。都市に住む人々は食料を自給していませんから「輸入」に頼らねばなりません。
その輸送の主力は実は船でした。そして鉄道もあります。自動車は日本ではほとんどモータリゼーションが進んでいなかったので道路も未発達でした。

戦争が進むと前線で輸送船がボカボカ沈められます。でも戦争をするためには前線では船が必要です。生産して補充しなきゃいけないけど追いつかない。だから、それは民生で使っている船を徴用しなきゃいけない。でもその船を前線で使うと生産活動に影響がでます。つまり、それでなくても追いつかない生産が資材不足でさらに遅れます。それでさらに民生の輸送分を前線に回し・・・というデフレスパイラル状態になるわけです。
さらに戦局が悪化すると空襲されるようになって輸送船や鉄道が襲われます。そうやって流通ルートが根底から破壊されるようになります。そのため、仮に農家で食料を生産しても都市に輸送できなくなります。さらに当時は保存技術が今ほどないですから、どんどん食品がダメになる。

戦後は全てのインフラが失われていますから、混乱して右から左への輸送もマトモに行われなくなります。配給でなんとかしなけりゃなりませんが、闇で売ると高値で売れるから農家は配給への供出を出し渋り、高値で売れる闇市のブローカーに売ります。それで配給は滞り、闇市の値段がますます上がるというわけです。
戦争直後、闇米を口にすることを拒否して餓死をした判事さんがいたそうです。法の番人たる判事が法を犯して手に入れた闇米を口にすることを潔しとしなかったのです。当時まだ子供だった父から聞きましたが、当時それは大人たちの間で非常に衝撃的に受け止められたそうです。当時の人はまだウブだったので法を犯して闇米を食べることに後ろめたさがあったそうですよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
輸入品目も結構あったようですから、そこが滞るとやばいのでしょうね。それと、交通手段の被害。輸送が滞ることでだめになるものも多かったのでしょう。

お礼日時:2009/12/26 09:54

昭和24年版通商白書によれば、戦前は穀物など主要食料の20%を輸入に依存していました。


http://www.meti.go.jp/hakusho/tsusyo/soron/S24/0 …
「戦前主食糧は約三百十七万六千トン輸入されており、輸入量の国内生産量と輸入量との合計に対する比率、即ち輸入依存率は約二〇%であった。」

この輸入が途絶したことが、食糧不足の大きな原因の一つです。

これに加え、化学肥料の輸入途絶により農地の生産性が低下したことや、徴兵による農業労働力の減少が追い討ちをかけました。

決定的だったのは、終戦の年が大凶作だったことです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
いろいろな不足品が相乗効果で襲ってきたと言う感じですね。

お礼日時:2009/12/26 09:53

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