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1945年12月8日の日本軍の真珠湾攻撃に際し、日本の宣戦布告は攻撃開始後にアメリカに伝えられました。宣戦布告の全文書を日本語で読みたいと探しましたが、見つかりませんでした。このようなサイトはあるのでしょうか?

A 回答 (3件)

 ちょっと意地悪な言い方をすると、


   >日本の宣戦布告は攻撃開始後にアメリカに伝えられました。

 これは、おそらく真珠湾前に米国政府に渡そうとした「帝国政府ノ対米通牒覚書」の事を指しているのだと思いますが、これは宣戦布告では有りません。

 下記のリンク先の資料(資料9)をダウンロードしてみていただければ分るとは思いますが、簡単に言うと「アメリカとは話し合いで解決しようと頑張ってきたけど、解決しそうに無いので交渉はやめます」とだけ書いてあります。
 (最後の辺り)
   http://www.jacar.go.jp/nichibei/reference/index0 …
 
 TOPページ( http://www.jacar.go.jp/nichibei/index2.html )から閲覧プラグインがダウンロード出来ます。

 なお、本当の宣戦布告「開戦の詔書(米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書)」はそもそも、真珠湾攻撃後に御前会議を開催し、発せられています。
 (宣戦を布告する事は、明治憲法下では天皇のみが行う事の出来る大権である為、昭和天皇の裁可が無い、先の「帝国政府ノ対米通牒覚書」は宣戦布告文とは言えません。)
  http://ja.wikisource.org/wiki/%E7%B1%B3%E5%9C%8B …

 なお、日清・日露戦争でも宣戦の布告は開戦後に行われましたが諸外国からは特に非難は有りませんでした。
 (宣戦布告とは当該国との戦闘になった事を諸外国及び国内に通知し、交戦国と成った国以外は、中立国として当該戦争に関与しない事を要求する行為です。日本の場合は国内向けアピールの要素が強いのですが…。)

 その為、宣戦布告無く戦闘が開始される事は、珍しくなく(というか宣戦布告してから戦いを開始する方が稀)アメリカなどは、第二次大戦後に行った戦闘行為は宣戦布告無く突然攻撃を開始する事が殆どでした。
 (例 イラクなど)

 まあ交渉打ち切り通知が遅れた事が失態であるのは事実ですが…。

 日清戦争の時も同様に遅れたのですが、小村寿太郎(日露戦争の時の日本側の全権)が独断で公使館の国旗を降ろして北京を退去する事によって、交渉中止・国交断絶を清国に対して示しました。
 (明治と昭和の外交官の差でしょうか…。)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。勉強します。

お礼日時:2009/12/16 22:46

佐々木譲「ワシントン封印工作」という小説に、このへんの事情がでていました。

歴史の空白部分を、想像力で補うもので、学術的なものではありません。
興味があれば、「エトロフ発緊急電」、「ストックホルムの密使」、
「ベルリン飛行指令」と合わせて読んでみて下さい。
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質問への回答はNo.1さんのリンクにありますので、補足を。



戦闘前に宣戦布告することが国際的な約束となったのは、ハーグ条約以降で日本は1911年にこれを批准しています。日清・日露の戦争はこれ以前ですから、戦闘後に宣戦布告しても問題にはなりません。また、現実に多くの国もこれを破っていますが、だからといって破っていいという論はなりたちません。

なにせ、実際の戦争に大きな悪影響を及ぼし(敵の戦意を高揚させるという形で)、戦後50年以上もたっても映画になんかされて卑怯な日本人というイメージを定着させたあの手落ちは、少なくとも日本ではもっと徹底的に究明されるべき問題と考えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。宣戦布告が遅れたのは非常に残念です。原因は外交官の怠慢だったということになっていますがこの辺が謎ですね。

お礼日時:2009/12/16 22:55

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