「お刺身」と「お造り」の由来を教えて!江戸時代の名残ですか?

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A 回答 (3件)

私が、学生時代に使っていた『コツと科学の調理事典』によると・・・



「鮮度の良い魚介類を生のまま食べる料理で、“つくり”とか“うちみ”ともいう。日本特有の料理。」

とあります。
事典にも書いているように同じ調理法であって、
私が思うには、刺身とお造りは人や地方、家庭によって呼び名が違うんじゃないかと思います。

ちなみに、その事典によると あらいや皮作りたたき作りなどは、さしみを簡単に加工したもので、
盛りつけにより花作り、山水盛りと名付けたり、2~3種を盛り合わせたものは二色作り、三色作りというそうです。
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「お造り」は関西での呼び方らしい・・・


自信ありませんが、関東の方、いかがでしょうか?
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「刺身」「お造り」ついでに「盛り込み」の違い


盛る魚が1種で姿がつかない物(刺身)
盛る魚が1種で姿がつく物(お造り)
盛る魚が複数種の物(盛り込み)と区別する、とする説があるようです。
なお「刺身」という言い方の由来は、身を小さく切ると元の魚の形がわからなくなるので
魚の本体を明らかにし客を安心させるため、その魚のヒレを魚肉と魚肉の間に刺して出したところから
きているそうです。

でも線引きは曖昧で難しそうですよね。
その地方地方でも違うだろうし。
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Qなぜ日本では刺身や焼き魚が発達したのですか?

先日、TVでヨーロッパの漁師の特集をやっていたのですが、

タイやマグロ、タコやイカといった日本とそう変わらない魚を捕獲していました。食べ方は、そのまま揚げて食べたり、煮込んでブイヤベースにしたり、といったところが主流のように見えました。

「新鮮なのに、なんで刺身で食べないんだろう」と思いました。

また、東南アジアでは独特の魚醤(発酵)文化がありますが、こちらも生で食べるのはあまり見かけい気がします。焼き魚も乱暴に焦がして焼いたりしていて、日本の炭火で焼く魚のほうが美味しそうに見えました。(一方でバナナの皮の蒸し焼きといった、日本にない料理はありますが)

そこで質問ですが、何故日本では刺身や焼き魚といった、魚の素材をそのまま楽しむような食べ方が発達したのでしょうか?

1.島国で新鮮な魚介が多く、寄生虫の心配も少なめであった点、
2.日本は包丁文化であり、高い刀工技術があり刺身に最適だった点
3.醤油・わさびといった魚介類にあう調味料の発明があった点

など適当に思いつきましたが、実際はどんな感じでしょうか? 私見で結構ですので考えをお聞かせ頂けたら幸いです。

先日、TVでヨーロッパの漁師の特集をやっていたのですが、

タイやマグロ、タコやイカといった日本とそう変わらない魚を捕獲していました。食べ方は、そのまま揚げて食べたり、煮込んでブイヤベースにしたり、といったところが主流のように見えました。

「新鮮なのに、なんで刺身で食べないんだろう」と思いました。

また、東南アジアでは独特の魚醤(発酵)文化がありますが、こちらも生で食べるのはあまり見かけい気がします。焼き魚も乱暴に焦がして焼いたりしていて、日本の炭火で焼く魚のほうが美味しそう...続きを読む

Aベストアンサー

日本で魚食が発達したのは、島国であることと、牧畜が発達しなかったことが関係あります。

そもそも日本では大陸でみられるような牧畜はまったく発達しませんでした。平安時代には仏教の影響で肉食を禁止していますが、逆をいえば法律で肉食を禁止できるぐらい、肉食は一般的ではなかったということでもあります。

大陸の歴史を見てみると、牧畜は農業と同じ時期に発生し、4大文明の地域には農業と牧畜がいずれも発達しています。

つまり人間の文明の最初から人間の食料は「農産物と牧産物」だったわけです。つまり魚は河川に住む少数民か沿岸にすむ少数民(大陸の内側の圧倒的な人数に比べれば少数)しか食べず、内陸へ運搬もできませんから、魚食が広がることはなかったのです。

イギリスは古い時代から大陸からの移民があり、牧畜の発達した国ですので、日本と同様の島国でも漁業はそれほど発達しなかったのでしょう。

バイキングも牧畜をしながら漁業と交易を行い、必要に応じて略奪などを行っていたので、日本のように漁業しかなかったということはないのです。

ですから日本か文明と接しない未開の民族でないかぎり、人類の食料は野菜・穀物・肉であり、穀物については「小麦文化圏」と「米文化圏」に分かれているのがよく知られてます。

さて日本においては、米の文化圏であり、肉食(つまり牧畜)が根付かなかった唯一の地域だといえます。
どれほど牧畜が根付かなかったかというと、中国の制度輸入(仏教や律令制輸入)のときに肉食を禁止できたこと、宦官を受け入れなかったこと、牡馬の去勢が江戸期まで行われなかったことなどがあります。

宦官とは人間の男性を去勢し、子孫を作れなくする制度です。これは現在でも優等なオスしか交尾させず、優秀な子孫を残す牧畜の方法から発案されたものと言われています。

また江戸期に初めて西洋からやってきたヨーロッパ人は日本人が馬の去勢を知らなかったことに驚きます。牡馬は去勢しないと暴れることがあり、馬車などに使えないぐらい荒さが残ってしまうからです。

日本で馬車の歴史がないのは、馬の去勢を知らずよほど練習しないと馬を制御できないし、もし荷車や旅客車をつけた馬車の馬が暴走すれば大きな被害がでるために、去勢を知らない日本では馬車を作ることができなかったのです。

さて、上記のような理由から日本には「牧畜」がまったく根付かず、それがゆえに魚食になって行きます。もちろん、生魚は海岸沿いでしか食べることができませんが、漁をしてからその日のうちに、50キロ程度までは運ぶことができたようで、これなら関東平野と大阪平野を除くほとんどの地域の平野部で魚を食べることができます。
もちろん、生魚は高価ですので一般的には干物や鮨にしたものが食されていたわけです。

そして京都はさすがに沿岸から遠いため、独特の魚食文化が生まれます。ひとつは鯖街道で知られる若狭湾からの鯖をはじめとした日本海の魚を塩漬けにして食べる文化、そして棒鱈などの保存食をおいしく食べる文化です。

また、広島県の山間部ではワニ料理(鮫料理)というものもあり、鮫の肉は他の魚と違って2週間程度腐らずに保存できるため、これらの山間部でも正月などの祝い事のときにワニの刺身を食べてた、という歴史もあります。

これらの魚を食べることによって、日本人は動物性たんぱく質やカルシウムを絶対量としては足りないながら、補給することができたのです。

この際に多くの人々があこがれたのが「新鮮な魚」です。海外では生魚を食べないように言われますが、実際には漁業に従事している人々は船の上で調理した生魚をよく食べています。
昔は、漁船の上で火を使うことが難しかったので、生で食べたということもあるのでしょうが、新鮮な野菜特にセロリなどのハーブ系の野菜をみじん切りにし、オリーブオイルをかけて刺身と一緒にパンにはさんで食べるのが地中海の漁師料理にあるのですが、漁師ではない人々は「生魚」そのものに拒否反応があるので、観光料理としてはまったく出ないのです。

いずれにしても、魚を食べる人々にとっては新鮮な魚はおいしい、という共通認識があります。肉は有る程度熟成されたもののほうがおいしいという常識がありますので、魚とは違います。

日本人にとっては山間部でも海魚を食べれるように干物などにしてから流通されており、彼らにとっても「新鮮で生で食べられる魚」は憧れだったようです。

ただ、江戸時代になると様相が異なるようになります。江戸に幕府が開かれ、大量の人口を膾炙できるだけの新鮮な魚が目の前の海(東京湾)で手に入るようになるからです。

これにより、それまで特別だった刺身も一気に庶民の口に入るものになります。寿司も現在の形は江戸で生まれた「江戸前寿司」が原型ですが、当時は若い独り者の多い江戸の町で、さっと夕食として屋台で食べるものだったようです。大きさも4倍ぐらいでネタもコハダやアジなどの近海ものを、サッと酢〆にして乗せて食べるファーストフードでしたし、鉄火巻きと呼ばれるマグロ巻きも賭博場(鉄火場)で賭け事をしながら手を汚さずに食べられたから、という説もあるぐらいです。

このようにして、江戸前の魚と寿司が庶民の口に上り、生魚を気軽に食べられるようになったことが、のちのち「刺身」を日本食の代名詞として押し上げる原動力になったと思われます。

さて「刺身はおいしいのに・・」というのはたしかにあるのですが、大陸の人々が肉を食べるのには別の理由もあります。
それは「肉を食べる文化を持たない民族は体が小さい」という理由です。


実際に、ローマ時代のイタリア人の主食はパン(小麦粉)と果実とチーズとオリーブオイルで、肉はほとんど食べなかったようです。少なくとも現在のドイツやフランス人の祖先であるゲルマン人やガリア人のようには食べなかったのです。
そのため、組織だった軍隊で勝てた時代のローマは体が小さくても勝てましたが、ガリア人やゲルマン人が戦い方を学んできた後は、苦戦するようになっていくのです。

当時は戦いに敗れれば、民族消滅もあるような時代ですから「戦争に勝てるからだ」は重要な要素だったのです。魚食が中心では残念ながら体は小さいままです。
そういう点でみえば、最近の若者はまだよいものの、40代以上の男性だと日本人はアジアン人としても背か低いほうです。

もちろん、体が小さいから戦争に負ける、ということではありませんが、体大きいほうが有利であることは事実です)

ということで、大陸に住む多くの民族は肉を食べるのが普通である。魚は補助食品である。
それに対して日本人は肉食をするための放牧を知らなかった(伝わらなかった)ために、肉食が一般的にならず、島国であったので魚食が中心となった。

刺身は昔からおいしいことは知られてたが、流通保存技術がない時代は「刺身」は沿岸部に限られていた。江戸時代になると沿岸部に大都市江戸が作られたため、刺身も一般的なものになり、現在の寿司の原型も生まれた。
ということでしょうか。

日本人は刺身の感覚で肉も生で食べたがりますが、結構危険な食べ方であることは事実です。そのため、肉食が中心な地域では生でたべることはしません。
生で肉を食べない以上、魚を生で食べることもほとんどしなくなり、漁民など日常的に魚を扱うごく少数の人々だけが必要に応じて生食をしています。

日本で魚食が発達したのは、島国であることと、牧畜が発達しなかったことが関係あります。

そもそも日本では大陸でみられるような牧畜はまったく発達しませんでした。平安時代には仏教の影響で肉食を禁止していますが、逆をいえば法律で肉食を禁止できるぐらい、肉食は一般的ではなかったということでもあります。

大陸の歴史を見てみると、牧畜は農業と同じ時期に発生し、4大文明の地域には農業と牧畜がいずれも発達しています。

つまり人間の文明の最初から人間の食料は「農産物と牧産物」だったわけです。...続きを読む


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