プロが教えるわが家の防犯対策術!

この映画、実は期待したよりも乱雑で、どんどんぐちゃぐちゃな展開で終止してそのまま終わってしまうと言う印象が強かったのですが、その中でもどうしても納得できないところがありまして、こんなことでよかったのでしょうか?

それは、憲兵隊新入兵が上官とパトロールしていて、国旗が掲げられていない家の犬を撃つ(実際は撃たないで温情する)くだりなのですが、あれ、上官と帰りはじめた所で、犬が鳴く(オイそりゃあまりにもお粗末だろ!)と感じたわけです。

あそこは、犬は最後まで鳴かない。そして、実はこの上官結構如才ない人間観察眼があって、しばらく歩いてから
「おい、上官の問には正直に答えるか?」
と問うて確認してから
「お前、空に向かってぶっ放しただろう?」
と問わない手はないのじゃないか?
で、もちろん、この新兵は長い無言の後
「実は…」
と言う告白をしてその後めちゃくちゃに殴られて硫黄島送りになる…

そうしないと、あまりにずさんじゃないですかね?あまりにも観る者を馬鹿にしたようなとってつけた展開じゃありませんか?

おそらく、この場面にそう印象を残した人はいないとは思うのですが、どうでしょうか?私の考え方は異端でしょうかね?

A 回答 (4件)

んん、上官の人間味を出すという手も無きにしも非ずですが、お書きになった設定には無理があります。



まず、太平洋戦争下において、憲兵隊の上官に向かって、バレてもいない嘘を自らバラすバカはいません。憲兵といえば(もちろん中には加瀬亮扮する清水のような柔軟な善人もいたでしょうけれど)頭の固い鬼の代名詞。その上官といえば鬼中の鬼。その人に向かって「嘘をついたであります。犬は生きております」なんて言うのは、戦時中に一兵卒が「天皇は間違っています。日本は降伏すべきです」と言うようなもの。牢屋にぶち込まれ、拷問にかけられ、獄中死するのがオチ、とその人が考えるのが自然です。

反面、清水は「頭は良いけれど気は弱いお坊ちゃん」という設定なのだと思います。つまり、戦争さえなければ、さまざまなところで品格と能力を発揮して、結構、偉くなったりしていたのかもしれないわけで、それが民家の裏庭で見せた機転と人間味に表れています。もちろん、生き物を殺すほどの度胸がなかったとも言えます。それにしても、上官に逆らって犬を生かしただけでも、案外と気骨があります、この清水。

一方で、太平洋戦争突入後、動物園の動物たちが「万が一、園が爆撃でも食らって動物たちが逃げ出したら大変」というだけの理由で撃ち殺されたのは有名な事実です。そして犬といえばアメリカでは「man's best friend(人間にとって一番の親友)」というほど大事にされています。その犬に代表される愛らしい動物たちが、にべもなく殺される時代であり、国であったこと、そして国民がそれに逆らえなかったことを、アメリカの観客に知っていただかないといけません。もちろん、戦争を知らない世代の日本の観客にもです。

上官にしても、「戦争というものは、ああも、人(上官)を機械のようにしてしまうのだな」という描写だったのだと思います。たしかに、「良い人」だった頃の、戦前の彼か何かを映しておけば深みは増したのかもしれません。ただ、イーストウッド作品というものは、あまり説明しないんですよね。「そこを言っちゃ野暮だから、わかる人だけ想像してよ」という感じなのではないのでしょうか。わからない人は、ステレオタイプのエンタメとして楽しめる。その人がやがて成長し、この映画を再度観た時には、知識や想像力が増した分、違った見方ができる。それがイーストウッド作品の優れた点ではないかと思います。

私はむしろ、裕木奈江とニノのあまりにもアンバランスな年齢が、日米の観客の見方にギャップを生じさせている点が気になりましたけどね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
憲兵の上官は恐ろしいんですね。「実は…」と言うのは確かに無理があります。犬を生かしただけでも機転と優しさとそして気骨がありますね。まったく残念なことです。

アメリカ的感覚としては、動物が無残に殺されると言うことはよくわからないのかもしれません。またイーストウッド節見たいのがちょっとわかる気がします。

お礼日時:2009/12/26 10:10

成る程。

ステレオタイプなお約束じゃつまらないという事ですね。
しかし左遷された経緯の説明という、限られたシーンのちょい役(上官)に深い人間性を詰め込むのはやはり演出の目的から脱線してるような気がしますし、作品全体のバランス配分としても無理がある気がします。
仮に上官の人間性を立て、上官には上官なりのスジを通してしまうと、観
察眼のある人が何故優しい性格の部下に撃たせる命令をしたのか?部下に適正テストをしたのか?何故テストをする必要があったのか?そもそもそんな人間性の深い人が、何故犬を射殺しようと思うのか?など、追加の説明の要素を加えないと演出が消化不良になってしまうので、経緯の説明をコンパクトにまとめる為にそこはステレオタイプなお約束で…という事なんだと思います。

質問者さんの演出意図は、心優しい憲兵隊新入兵は必然的に、左遷されるべくして左遷されましたという演出にしたいという事でしょうか?
そうであれば分からなくも無いですが、少なくともオリジナル以上の尺を裂かないと、人間性の深さを描き伝えるのは難しいでしょう。
個人的には憲兵の上官のようなちょい役よりも、もっと登場機会の多い中村獅童が演じた役の方がどうにかならなかったのかと思います。
徹底的に嫌な人間として描かれているので、人間味がこれっぽっちも…。

質問とは関係ないですが、それよりも終盤でスコップで米兵に襲い掛かる主人公に何故発砲しないのかと思いました。
米軍側の方が死傷者が出ているので、戦意のある敵兵に温情をかけるような精神状態ではないと思いますし…。^^;
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
おっしゃるとおりですね。あのステレオタイプにあまりにも失望したものでこういうことを考えました。
ステレオタイプ。観客のレヴェルを考慮しないですむという安全策でもあります。ここを短時間で「お、くせのある上官だ、複雑だ」という演出ではあまりうまくないと言うことでしょうね。
スコップ振り回しで発砲しないのはいかにも不自然だと思います。

お礼日時:2009/12/26 10:13

何故上官を如才なく観察眼が優れてる設定にする必要があるのか分かりません。


あそこの描き方は上官の愚かさと、運命のいたずらを描く演出だったのでは?

質問者さんの如才なく観察眼のある上官というシチュエーションにして、一体何を演出したいのか分かりません…。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
確かにそうですね。ステレオタイプ的な暴君的上官と言う設定でいいんですけどね。ただ、もうちょっと人間的に深いというか、シナリオ的にうならせる設定をしてもいいんではないかと感じたわけです。

それにしても、あの家族、犬の口を無理やり押さえて鳴かせないという気配りができないのはなんともなぁ・・と思いますよ。

お礼日時:2009/12/20 12:43

犬を射殺するシーンを写せば、それがCGであろうとクレームの嵐が来ること必死の現代ではしょうがないんじゃないでしょうか・・・


いろんな規制が作品を台無しにしていきますね。

自分もあのシーンを見ていた時に犬は殺されるだろうけど、殺すシーンは写さないだろうな~と思って見てました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
結構規制で縛られていますね。

お礼日時:2009/12/20 09:28

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