痔になりやすい生活習慣とは?

日本の動員率が6パーセントであると聞きました。案外低かったものだと思います。
戦場が内地でなく、輸送も補給も限界があったということなのでしょうか。質問は

☆20代から30代までの動員年齢のなかで、どれくらいの割合が実際戦場に送り込まれたと考えればいいでしょうか?

☆内地勤務(高射砲陣地とか)に配属されたのは、全動員部隊の何割くらいなのでしょうか?

☆結局第2次大戦での兵士の被害は、例えば第1次大戦のフランスのそれ(人口5500万人中800万人の動員数、戦死150万戦傷400万)と比べるとどういう感じなのでしょうか?

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A 回答 (1件)

☆20代から30代までの動員年齢のなかで、どれくらいの割合が実際戦場に送り込まれたと考えればいいでしょうか?



日本の場合、敗戦後 陸軍省や海軍省が消滅している上に、空襲の
被害で役所が罹災して資料が乏しいのでしょうか、調べるほどに
数字が変わってしまいます、詳しく調べるなら国立国会図書館とかに
なるのでしょうか、あと動員年齢とありますがこれは準戦時のことで
戦時下は文字通り、根こそぎ動員 50台に手が届くような方にも
赤紙が来たそうです、在郷軍人(予備役)は言うに及ばず その反面
徴兵逃れと称する事もあり、また甲乙種以下の方(兵役に向かない)も
おられたので、動員年齢>動員数では数字を出しにくいと思われます。

☆内地勤務(高射砲陣地とか)に配属されたのは、全動員部隊の何割くらいなのでしょうか?

開戦当初こそ、内地から外地もしくは占領地への軍・師団単位での
移動が多かったようですが、半ばからは満州やシナ大陸からの転出が
多かったのでは? 内地の戦力が手薄になったきてるのに、本土決戦が
叫ばれるようになると、根こそぎ動員された多くが内地にとどまっていたのではないでしょうか、輸送の問題ももちろんですが、新設師団を
外地に出そうにも、武器弾薬、資材燃料にも事欠く有様でしたようで。
wikiなどで、日本の陸軍師団で調べると近衛から1~355師団まで
その他専門師団の最終形態までありますが、数多くて断念しました。

☆結局第2次大戦での兵士の被害は、例えば第1次大戦のフランスのそれ(人口5500万人中800万人の動員数、戦死150万戦傷400万)と比べるとどういう感じなのでしょうか

これも、ソースを洗うごとに数字が異なるので、分かりませんでした
戦傷者の数は、生きて内地に復員された方に、昭和28年から
軍人恩給制度が復活して、軍人(仕官)兵卒・軍属の方に
傷痍軍人さんは、また別に恩給制度があったはずです、28年までに
亡くなられた方もご遺族に、当人が受け取る半額が支給されてますので
厚生労働省は、恩給者数という形で数字を把握しているのでは
ないでしょうか?

読み返してみても、あまり答えになっていませんね
長々と失礼いたしました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

大体感じはわかりました。
資料的にはっきりしたものがないという印象ですね。
根こそぎ動員的な段階のものは、ほとんど実際とはあっていないと考えられそうです。

お礼日時:2009/12/23 17:54

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Q第二次世界大戦の日本兵の死亡率

あの戦争で何人の日本兵が戦地に赴き、そのうち何パーセントぐらいが帰還したのでしょうか。ご存知の方、宜しくご教授ください。
(出典も教えて頂ければ幸いです〉

Aベストアンサー

戦死者数は130万人を超えるとされていますが(原朗「戦時統制経済の開始」『岩波講座日本歴史20』近代7)、単なる戦死というより、日本軍は飢餓とも戦っていました。これこそ無謀な戦争といえる現実でした。

NHK取材班編 太平洋戦争 日本の敗因2「ガダルカナル 学ばざる軍隊」(角川文庫)
>アメリカ軍は結局この日本軍の撤退の動きにまったく気がつかず、奇跡的な成功だったといわれる。これは『戦争叢書・南太平洋陸軍作戦2』によれば、1万0665人であった。これはガダルカナルに上陸した総人員3万1358人のおよそ三分の一であった。戦死・行方不明は合わせて2万1138人、そのうち戦闘で死亡した兵士は5000人ほどと推定され、残りの1万5000人以上が飢えと病に倒れたのであった。
 
 精神論だけで勝とうとする日本軍の指導者について以下のように記載してあります。
 >またアルビン・クックス教授は、このノモンハン事件(死傷率70%)の失敗が太平洋戦争でも繰り返されたもう一つの大きな点は、事件の指導者(辻正信、服部卓四郎)が責任も取らずに再び太平洋戦争も指揮したことにあるとしている。

インパール作戦でも半数は補給作戦もなく、飢えと病で死んでいます。NHK取材班「責任なき戦場 インパール」(角川文庫)

 
 

戦死者数は130万人を超えるとされていますが(原朗「戦時統制経済の開始」『岩波講座日本歴史20』近代7)、単なる戦死というより、日本軍は飢餓とも戦っていました。これこそ無謀な戦争といえる現実でした。

NHK取材班編 太平洋戦争 日本の敗因2「ガダルカナル 学ばざる軍隊」(角川文庫)
>アメリカ軍は結局この日本軍の撤退の動きにまったく気がつかず、奇跡的な成功だったといわれる。これは『戦争叢書・南太平洋陸軍作戦2』によれば、1万0665人であった。これはガダルカナルに上陸した総人員3...続きを読む

Q第一次大戦時の日本とヨーロッパ諸国の陸軍師団数

第一次大戦当初、ヨーロッパ諸国に比べて陸軍師団数がかなり少なかったのではないでしょうか。またそうだとしたらなぜなんでしょうか。師団というよりも、兵員数といったほうがいいかもしれません。それが第2次大戦時には、日本は100を超える師団を作れたのはなぜなんでしょうか?

Aベストアンサー

まず日本陸軍の師団数の変遷からお答えします。

明治以後近代的な陸軍が誕生してから最初の近代戦といえる日清戦争当時は7個師団を維持していました。その後日露戦争開戦当時から終戦当時まで師団数は11個から21個に膨れ上がりました。

第1次大戦当時は英国と同盟を結んでいた日本は、戦場がヨーロッパということもあって、若干の海軍が地中海へ派遣されたくらいで、陸軍はかえって17個師団に縮小されています。

あなたの最初の疑問である、ヨーロッパ諸国に比べて日本陸軍の師団数が少なかったという理由がこれに当てはまると思います。
つまり日本はこの戦争を対岸の火事程度にしか見ていなく、逆にヨーロッパへの輸出で国力を蓄えたというおまけまでついていました。

次に第2次世界大戦ですが、日本陸軍の師団数は日中戦争から第2次世界大戦開始当時までに51個師団を編成しています。

結果的に終戦時には日本の陸軍師団数は近衛師団から数えて第355師団まで編成されていました。

といっても実際に350個以上の師団があったわけではないんです。
実際には師団の実数は172個だったはずです。

実はこれにはちょっとしたからくりがあるんです。
日本陸軍の師団はその番号でその編成目的や装備、兵力などが分かるようになっていました。

つまり1から99までの番号を持つ師団は、主に正規の戦闘集団であり、これを常設師団といいます。
100から199までの番号の師団はその常設師団が独自に編成した特設師団といいました。

これはあまり知られていないことなんですが、例えば第1師団が編成した特設師団が第101師団、第5師団が編成した特設師団が105師団というふうに番号を振り分けていたのです。

言い方を変えると、当時の戦略上の最小単位である師団というのはある程度の自己判断的裁量を持っていたということですね。

そこで、またまたちょっとしたからくりがあるんですが、じつはこれら100番台200番台300番台の師団が全部揃っていたかというと、そうじゃないんですね。

100から199までの師団は実質59個で、41個の欠番がありました。
200から299までは実に84個の欠番があり、実質は16個、300から355までは実質11個師団しかありませんでした。

つまり、単に数字合わせというか、員数を合わせていただけなんですね。

100番台の師団が常設師団が特設した師団ということは書きましたが、ちなみに200番台の師団は本土決戦用師団と位置づけられた機動師団で、野砲や山砲、速射砲などの充実が図られましたが、それも全てにというわけではなくかなりのむらがあったようです。

これが300番台の師団になると、沿岸配備師団と名づけられた水際作戦用師団で、兵士一人一人に与える銃もない状態でした。では何のための師団かといえば、装備の充実した師団が応援に来るまで体を張ってでも上陸してくる敵を食い止めろという、もう聞いただけでも泣きたくなるような使われ方をされるところでした。

ちょっと余談が長くなりました。

日本の師団編成上、兵士の数は平時で12000人、戦時で25000人というのが標準でしたので、単純に172×25000とすると、430万の兵を動員したことになり、ご質問のヨーロッパが桁違いに動員をしたというのは当てはまらないことになります。

もっとも戦時編成師団は連隊数を一個減らしたりした、中身をあんこ抜きしているような師団が多く見られ、実数的にこれが絶対に正確だとは言えないところもあります。

ちなみに、その戦時の動員ですが、当時はどの国も徴兵制度があったので、いったん訓練を終えて除隊したものを予備役に入れ、戦時に召集して兵力を増やすという手法が一般的でした。
この予備役というのが、日本では在郷軍人と呼ばれているものです。

現在でも徴兵制をとっている国々では理論上、戦時になれば予備役を動員して通常兵力の最大10倍程度にまで兵力を増やすことが可能です。
もっとも全員に与える武器や装備が揃うはずもないので、ほとんどが消耗した兵員を補充する程度の役割だと考えてもいいと思います。

またまた余談が長くなりました。もうついでだからもうちょっと書かせてくださいね。

通常平時では徴兵検査をパスして訓練を受けさせられるものは全体の15%程度でした。これは厳しい訓練を続けられることの出来るかどうかを判断した結果なので、意外と当時は日本も常識的というか、きちんとしていたんだなぁって思ったりします。

ところが第2次世界大戦に入ると、これが51%の合格率になり、昭和17,8年には60パーセント、そして終戦の年になるとなんと90パーセントの合格率になったんですね。

当然年齢や体力に問題のある人間も無理やり徴兵されていました。
これを見ると、いくら師団数が何百個あろうとも、無駄に血を流すだけの戦いになっていたことは明らかでしょうね。

ほんと長くなりました。申し訳ないです(~_~;)

まず日本陸軍の師団数の変遷からお答えします。

明治以後近代的な陸軍が誕生してから最初の近代戦といえる日清戦争当時は7個師団を維持していました。その後日露戦争開戦当時から終戦当時まで師団数は11個から21個に膨れ上がりました。

第1次大戦当時は英国と同盟を結んでいた日本は、戦場がヨーロッパということもあって、若干の海軍が地中海へ派遣されたくらいで、陸軍はかえって17個師団に縮小されています。

あなたの最初の疑問である、ヨーロッパ諸国に比べて日本陸軍の師団数が少なかった...続きを読む

Q太平洋戦争中に街で見かける男性たち

テレビなどで太平洋戦争前後の映像を見ていて疑問に感じる時があるのですが、当時は日本国男子の全員がある年齢になると徴兵の義務が課せられていたように聞いています。 いわゆる赤紙というものですね。

もし拒否したり逃亡したりすると、非国民として厳罰が待っていたはずです。

ところが戦争末期になっても、当時の映像では普通のサラリーマン風の男性が街中を歩いたり、家族と買物や散歩したりしている光景を見る事があります。 おそらく年齢的には徴兵に取られておかしくないような世代かと思われます。

考えれば、あの戦争中でも男性が必要となる職場が多くあったように思います。 たとえば鉄道関係者、警察官、消防士、医師、自治体の公務員、電気・ガス会社の社員、あるいは建設関係 ・・・ などなど、女性だけでは運営出来ないと思うのですが、これらの男性たちには徴兵義務が免除されていたのでしょうか? 

それとも、形だけ一旦徴兵に取られてどこかの軍部に属し、その後に 「派遣」 という形でまた元の職場で以前同様の仕事を続ける、そして家から通う ・・・ こんな制度だったのでしょうか? たしか軍艦を建造する造船所の技師や職工はそんな身分になっていたと、どこかで聞いた覚えがあるのですが、ハッキリしません。

もしそうなら、そんなラッキーな職業には具体的にどんなものがあったのでしょうか?

健康上の問題で徴兵が免除された人は除くとします。

テレビなどで太平洋戦争前後の映像を見ていて疑問に感じる時があるのですが、当時は日本国男子の全員がある年齢になると徴兵の義務が課せられていたように聞いています。 いわゆる赤紙というものですね。

もし拒否したり逃亡したりすると、非国民として厳罰が待っていたはずです。

ところが戦争末期になっても、当時の映像では普通のサラリーマン風の男性が街中を歩いたり、家族と買物や散歩したりしている光景を見る事があります。 おそらく年齢的には徴兵に取られておかしくないような世代かと思われま...続きを読む

Aベストアンサー

高等文官試験に合格した官僚(今で言うキャリア)は基本的に徴兵免除だったそうです。また、軍といえども、徴兵関係は役所(陸・海軍省)の仕事ですから、本省勤務の人間は、他省庁でも、キャリア組でなくても「余人を持って代え難い」という名目で徴兵免除、或いは徴兵されて即日帰郷などの措置が取られたそうです。この時に、上司や同僚に嫌われているとその措置をしてくれない、なんてこともあったとか。これはコネの方ですね。

金の方ですが、まぁ、人間の世界ですから露骨な袖の下で徴兵名簿の書き換えなどということもあったでしょうが、45年には徴兵検査を受けた者の9割が実際に動員されたということですから、それほど多い事例ではなかったと思います。
むしろ、金持ちの子弟は、高学歴ですし、働く場所も親の力などで選べますから、軍属名目の勤務先に勤めたり軍関係の仕事に従事したり、満州国政府に勤めるとか、ということで結果的に徴兵逃れが出来たケースが多かったのではないでしょうか。

アメリカではこれが結構多くて、大統領選挙の時の経歴で問題になったりしますよね。徴兵逃れのため州兵の、しかも空軍(一番戦場に行かないポジション)に親の力で入隊するとか、カナダに移住しちゃうとか。

高等文官試験に合格した官僚(今で言うキャリア)は基本的に徴兵免除だったそうです。また、軍といえども、徴兵関係は役所(陸・海軍省)の仕事ですから、本省勤務の人間は、他省庁でも、キャリア組でなくても「余人を持って代え難い」という名目で徴兵免除、或いは徴兵されて即日帰郷などの措置が取られたそうです。この時に、上司や同僚に嫌われているとその措置をしてくれない、なんてこともあったとか。これはコネの方ですね。

金の方ですが、まぁ、人間の世界ですから露骨な袖の下で徴兵名簿の書き換えな...続きを読む


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