冬至を契機に、瑞兆があるとの伝説もあります。
 イエスの誕生も冬至の近辺とされています。
 そしてイエスの誕生も瑞兆だとする信仰も無論あります。
 私もそういう信仰の団体に入っています。

1. そのほかに冬至を契機としての瑞兆にはどういうものがあるのでしょうか?
2. 冬至の近辺にはどうして瑞兆があるとされるのでしょうか?あるいは瑞兆があるのでしょうか?
  太陽がまた近寄り、春に向かうからなのでしょうか?

A 回答 (7件)

何度もすいません。


リンク先が違ってた ><;

http://nvc.halsnet.com/jhattori/Zeitgeist/

この映像の中で、<作物が終結向かうことは死を死の過程を象徴したものである>って訳がどーんと出ている映像をクリックして、スライドさせて4分20秒あたりから観てみてください。
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この回答へのお礼

 木胡桃さん、何度もありがとう。
 そうですか。占星術、古代天文学。
 面白いですね。
 ナザレのイエスは一応ご存在されたにしても、いろいろ付着や脚色で編集され、信仰と解釈とともに伝承されてきているのですね。
 天体やアストラル界の運行に関る、当為はわれわれ地上のものに多大の影響があるにしても、すこしつぎはぎが目立ちますね。
 
 真にありがとう御座いました。
 おじいさんですので、昔のことばしかいえませんが、木胡桃さんの謦咳に久方に接して欣快のいたりです。

お礼日時:2009/12/21 14:59

こっちの方が字幕が大きくていいかも。



http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20091018/p1

上から4番の映像を再生させて、バーをスライドさせて4分20秒のあたりに移動してみてください。
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>太陽がまた近寄り、春に向かうからなのでしょうか?



そんな感じです。


http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20091018/p1

この映像のうち上から2番目の映像の12:40分くらい以降をみてみてください。

映像の下に右矢印があり、それをクリックすると映像が流れます。
その右横のバーをスライドさせ、12:44分くらいに移動すると、どうして12月25日が太陽の復活の復活になり、どうしてその日に復活を祝わないで春に祝うのかの説明がされています。
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 人々の行動基準になるということでしかない



 というのは...

 まあ、それは違うかな。

 落ちきれば後は上がるしかないわけで。

「寒くなれば後は暖かくなるしかないわけで。」

 一陽来復もそういった意味で使われているはずですね。

 また、キリスト教が出来たことと 苦しむ人との間に因果関係を見出そうとすることは出来ますが、本当に関係があるかどうかということを、確証を以って示すことが出来る人はいないでしょう。

 無責任に、適当に「信じる」ことが苦しみを生んだのであれば、自業自得であるとも言えます。

 真理を追究している人であれば 簡単に 信じたり・疑ったり することは出来ません。

 そのせいで苦しんだ人がいるのは事実です と言うのは真実ではないようです。嘘です。
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この回答へのお礼

 ENERGEIAさん。ありがとう。以下一言。
 「信じる」って認識ですよ。そうでない「信じる」は「信じる」ではない。
 「信じる」に無責任と、適当はありません。
 「信じる」とは同一になることですね。
 真理しか真理を追究しません。
 真理を追究するのは真理です。真理は森羅万象を信じます。
 疑う事はありません。
 真理は信ずるが故に真理です。
 真理は裏切られる事もなく、裏切る事もありません。

お礼日時:2009/12/21 14:06

このウィキは冬至がよくわかりますね。

http://en.wikipedia.org/wiki/Winter_solstice

イエスの誕生日というのはイエス以前の風習の名残りですが、
遠ざかった太陽が近づくことを救済や復活になぞらえた古代神話に、ミトラ神の再生があります。
マイトレーヤの源流とする説がよく知られています。

中国思想の陰陽で「復」掛にあたるのが冬至です。一陽来復ですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8%E6%98%93% …

北半球の文明では、やはり暦法のひとつの目安で新年となることが多かったようですが、
エジプトのシリウス暦は、ナイルの氾濫期を知らせる夏至が始点ですから、
暦というのは、おしなべて天文図をどう読んで農耕と牧畜と狩猟と暮らしと旅に生かすかのことで、
手段であり、良い兆しというのとは少々ちがって、人々の行動基準になるということでしかないと思います。
しかし、まさに、山羊座に冬至点があるさまを、ひとびとが叡智を絞って伝えようとしたのが、
エジプトやバビロニアの、王墓の壁画であったり古代神話の物語であったりするのです。
そのいにしえの心のまわりには、さまざまな煌めきがあり、各地に世界的宗教を生み出すほどの力強い感受性が宿り、
わかりやすくおぼえやすい伝説や風習を今の時代に伝えてきたのでしょう。

この回答への補足

 宗教、聖者、その教え。
 民俗、宇宙的天の行。
 一致してもおかしくもありませんね。
 極く自然の事かもしれません。
 冬至がどういう宇宙的意味があり、人間界とはどんな関わりか。
 民俗、生活。そこでお話を後付け編纂しても、排撃する必要もなさそうに思えてきます。
 ありがとう御座いました。

補足日時:2009/12/21 16:49
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。
 民俗、生活、天行。
 これらは思想と宗教にも大きく契機となり、力ともなっている。
 そういうものかもしれません。
 無論だからといって、冬至の時期にイエスが生まれた事を嘘だというつもりもないし、復活祭の前にイエスの処刑があったということを否定する必要はないのは当たり前ですね。

お礼日時:2009/12/21 11:20

「陰が極まり陽に向かう日」だからでしょうね。


でも陰陽の陰は悪い意味ではなく陽はいい意味だけでは有りません。
要は見方の問題だけです。

例えばキリストが生まれてキリスト教ができ救われた人も多いでしょうが
そのせいで苦しんだ人もまた多いのは事実です。

この回答への補足

 陰のきわまり。陽が善悪という意味とは異なる、というお話は大変面白いと存じました。
 納得できるお話です。

補足日時:2009/12/21 16:46
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この回答へのお礼

 陰(いん)陽(よう)でのご説明はよく判り、納得できます。
 ありがとう御座います。

お礼日時:2009/12/21 11:15

 12月25日はイエスが磔になって死んだ日だと思い込んでいました。



 生まれた日であるとされている ということを知ったのは、私にとっては瑞兆です。

 私の肉親の誕生日でもあります。
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この回答へのお礼

 何かキリスト教には復活祭ってあるそうすよ。
 それも巧い具合に何か天地が芽吹く春先のようですね。
 どうも季節の変化にあわした民俗のような感じもしますが。

お礼日時:2009/12/21 11:14

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Q「伝説の勇者の伝説」の小説なんですが

「伝説の勇者の伝説」の小説なんですが

伝説の勇者の伝説
大伝説の勇者の伝説
とりあえず伝説の勇者の伝説
堕ちた黒い勇者の伝説

はどんな順番で読むか教えてください!!

Aベストアンサー

「伝説の勇者の伝説」の続きとなるのが「大伝説の勇者の伝説」
「堕ちた黒い勇者の伝説」は、タイトル通り革命編です。

「革命編」の方は「伝勇伝」1巻の、はしょられた2年間が描かれています。ですが既に刊行されているからといって「伝勇伝」を読みきる前に読んでしまってはその後の展開が面白くなくなってしまうでしょう。
なので取り敢えず「伝勇伝」を読みきる前に「革命編」を読むのはオススメできません。

「大伝勇伝」は「伝勇伝」の続編、「伝勇伝」シリーズで一番盛り上がる(?)編です。
「伝勇伝」に比べて世界がどーとかこーとか、かなり話がややこしくなってきて、シリアス部分が多めになります。
色々と難しいお話ですので、「よく分からん!」という部分が多いでしょう。
なので、

「伝勇伝」→「革命編」→「大伝勇伝」

の順に読むと、「大伝勇伝」の内容がかなり分かりやすくなってくると思います。
しかし「革命編」は推理ものでいうと「解答編」と同じような立場なので、「大伝勇伝」を頭を悩ませながら(笑)楽しみたいなら「大伝勇伝」→「革命編」でもいいと思います。

「とり伝」においては基本ギャグなので、どこで読んでも問題はありません。
ですが「大伝勇伝」で、「とり伝」のみ登場のキャラクターなどが出てくるので、「大伝勇伝」の前に読むことをオススメします。
基本内容が「伝勇伝」11巻以前のお話なので、スムーズに読みたいなら「伝勇伝」と平行させて読むのがいいでしょう。

11巻を読んだあとに「とり伝」を読むのもいいかもしれません。
11巻の内容が内容ですので、笑えるギャグ部分にホロリ、とくる事もありますし^^

個人的オススメは、

伝勇伝(とり伝)→革命編→大伝勇伝

ですね。大伝勇伝はまだ完結していませんし。(堕ち伝は5巻で大体区切りがついてます。)
今はアニメも放送されていますので、そちらを見てみるのもいいかもです。

「伝説の勇者の伝説」の続きとなるのが「大伝説の勇者の伝説」
「堕ちた黒い勇者の伝説」は、タイトル通り革命編です。

「革命編」の方は「伝勇伝」1巻の、はしょられた2年間が描かれています。ですが既に刊行されているからといって「伝勇伝」を読みきる前に読んでしまってはその後の展開が面白くなくなってしまうでしょう。
なので取り敢えず「伝勇伝」を読みきる前に「革命編」を読むのはオススメできません。

「大伝勇伝」は「伝勇伝」の続編、「伝勇伝」シリーズで一番盛り上がる(?)編です。
「伝勇伝...続きを読む

Qイエス信仰とマリア信仰

高校の倫理のテストで、イエス信仰とマリア信仰の違いを書けという問題が出るのですが、さっぱりわかりません。

マリア信仰は経済が発展していない、比較的貧しい所の信仰が多いのが重要らしいんですが・・・

お分りの方、どうかよろしくお願いします。

Aベストアンサー

No.3です。

ここなんかどうでしょう。
  ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%81%AE%E5%87%BA%E7%8F%BE

『比較宗教学的見地からは、世界各地での聖母の出現は、土着の女神信仰とキリスト教のシンクレティズムの産物であり、それぞれの地域の人々は聖母マリアの形を借りて、自分たちが古くから受け継いできた女神を信仰しているという見方もある。これは特にキリスト教国家によって植民地化され、キリスト教への改宗を強制された地域に見られる特異なマリア崇拝を説明する(古くはローマに支配されたガリアの黒マリア、新しくはスペイン、ポルトガルに支配された中南米や東南アジアの聖母崇拝)。』

ローマ帝国は肥えた土地や、地下資源の豊富な土地を征服して、征服した先の作物や資源を都市部に供給したので、ローマ帝国の支配地域は広大になっていったんですね。

現在はキリスト教は、石油埋蔵量世界第二位のイラクを侵略しましたよね。

で、キリスト教は都市の人にとって経済的な豊かさをもたらし、征服先の都市部の人たちの吸い取られる側は、吸い取られるので、どれだけ働いても楽にならない というシステムになっているんです。


で、豊穣という概念があり、春になると何も無い大地に緑が芽生えるのを見て、豊穣の女神のせいだと思ったわけです。

秋になると女神は去っていき大地は死んだようになるが、春になると緑に大地は覆われるのので、視覚的にこれを女神の復活だとして、春になると女神の復活を祝っていた。

キリスト教の復活祭は春ですが、もともとはキリスト教がやってくる前からあった豊穣の女神の力の復活を祝う行事だったわけです。

キリスト教はもともとあった女神の復活を祝うお祭りを、イエスの復活を祝うお祭りに塗り替えたんです。


で、都市型キリスト教は、侵略した土地の作物やら地下資源をちゅーちゅー吸い上げる側ですが、そうやってチューチュー吸われることで、支配されている地域がとうとう作物が取れず枯渇するかというと、永遠に存在し続ける女神という概念があり、どれだけチューチュー吸われても、永遠に存在する女神は春になると力を復活させ、土地の人々を養う という考えがある。

だから豊穣をもたらす女神信仰はキリスト教だとイエスじゃなくてマリアなのでちゅーちゅー吸われる側の信者はマリアの方を信仰するわけです。

イエスには豊穣をもたらすという概念が無い。
男神なので、何も産まない。何も与えることができない。

裁判でいけば、検事の役割。
人の罪を重くする役割。

マリアは人の罪を軽くする役割。

だから、人々は厳しいイエスではなく、罪をおかさざるを得ない悲しい性の人間を見捨てず、イエスのように逃げ出さず、死の際までつきそって見守るマリアに、心を捧げるようになったわけです。


で、テストに書くときは、支配する側と支配される側があり、支配し搾取する立場の人はイエス信仰、支配され搾取される側はマリアを信仰するって風なことを書けばいいんじゃないかなぁ と思います。

No.3です。

ここなんかどうでしょう。
  ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%81%AE%E5%87%BA%E7%8F%BE

『比較宗教学的見地からは、世界各地での聖母の出現は、土着の女神信仰とキリスト教のシンクレティズムの産物であり、それぞれの地域の人々は聖母マリアの形を借りて、自分たちが古くから受け継いできた女神を信仰しているという見方もある。これは特にキリスト教国家によって植民地化され、キリスト教への改宗を強制された地域に見られる特異なマリア崇拝を説明する(古くはロー...続きを読む

Q伝説の勇者の伝説コミックについて

伝説の勇者の伝説は原作の他にコミック化が以前から始まっていますよね。
でもコミックにも何種類かありますよね。
今さらですがその中でも原作っぽい、「伝説の勇者の伝説 Revision」と「伝説の勇者の伝説」
では何が違うんでしょうか?
絵的には「伝説の勇者の伝説 Revision」の方が好きなので大差無いならそっちを買い続けようと思うのですが・・(ちなみに1巻は持ってます。)

ご回答お願いします。

Aベストアンサー

富士見書房で連載されている「伝説の勇者の伝説」は、原作本編を元にコミック化したもので、
スクエニから出た「Revision」は、原作の番外編「とりあえず伝説の勇者の伝説」を
元にコミック化したものです。

原作でも本編と「とりあえず」の方は時間軸がかぶっているエピソードがあるため、
どちらのコミック版も出だしの部分や、一部エピソードが同じになっています。

ストーリー本編を追うなら富士見版を、サイドストーリーを読みたいなら「Revision」を
おすすめします。

ただ「Revision」は本編の途中をややアレンジして完結したため、全2巻で終わっていて、
結局どうなったのか?などの謎は描かれていません。

Qイエスを信仰すれば救われる?

パウロの主張では
「イエスがキリスト(救世主)であり、神の子であって、罪のないまま十字架上で死んで復活した、これを信仰せよ。その事実を信仰することが救済の条件だ。」
と言っています。

では、何故イエスを信仰すれば救われることにつながるのでしょうか?
そのメカニズムを教えてください。

Aベストアンサー

私も補足ということで書きますが、まずパウロのキリスト論から。調べてみると、何と
新共同訳では、パウロがキリスト=神と認める(ように読める)訳がなされてました
(ローマ書 9:5、ピリピ書 2:6)。改めて、この訳の「すごさ」がわかったというか・・

>キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。

上がローマ書 9:5 の新共同訳です。一方、口語訳はどうなっているかというと、

>万物の上にいます神は、永遠にほむべきかな、アァメン。

口語訳聖書というのは、RSV という英訳聖書を参考にしていまして、この RSV は
英訳聖書史上、学問的に最も正確な訳と言われています。(一方、新共同訳が
参考にしている、NEB とか AVS とかいった聖書は、かなり自分たちに都合良く
訳す聖書と言われていて、少なくとも学問的にはあまりあてにならないんです)。
で、一応、RSV と AVS。

RSV: ......to them belong the patriarchs, and of their race, according to the flesh,
is the Christ. God who is over all be blessed for ever. Amen
AVS: ......whose are the fathers, and of whom is Christ as concerning the flesh,
who is over all, God blessed for ever. Amen.

こうやって見ると、新共同訳は AVS よりさらに一歩進んで、キリスト=神としてる
のがわかります。これをやってる英訳聖書は NIV という原理主義者の聖書なん
です。ここを読んでいただければ分かると思いますが、こういう読みは、
「無理に捻じ曲げれば、何とかそう読める」ということであって、学問的には
かなり怪しい解釈であることが分かります。
http://www.dtl.org/trinity/article/rom-9-5/pt-1.htm

次にピリピ書 2:6。

口語訳:キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事
とは思わず・・・
新共同訳:キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しよう
とは思わず・・・

RSV: .....who, though he was in the form of God, did not count equality with God a
thing to be grasped,
AVS: ......who, existing in the form of God, counted not the being on an equality
with God a thing to be grasped,

口語訳の「かたち」、両英訳の form は、原語では morphe で、これは少なくとも
私の知る限り「身分」という意味はありません。ここでも新共同訳は、「超訳」を
やってのけています。morphe は eidos に対して、「外観」というような語感だそうです。

面倒くさいので一々引用しませんが、パウロは様々な個所で、キリストを神に従属
する存在として書いてます。だから、この二つに限って、(わざわざ無理に)神=キリスト
と読んでも、あまり意味がないかと思います。

パウロの言う「主」について。パウロだけでなく、福音書記者も書いてますが、
これは神のみをさす呼称でなく、「神の子」「人の子」と共に、キリスト論的尊称と
呼ばれるもので、当時のユダヤ社会ではメシアを指す呼称として用いられていた
ました。

三位一体について。新約聖書に三位一体が明言されていないのは、明らかな
事実です。三位一体論者が無理に読めば、そう読めなくもない、ということで。
確かにマタイにもパウロ書簡にも、父・子・聖霊を並べている個所がありますが、
これらが一体である、ということはどこにも書かれていません。だからこそ、
三位一体を信じない「異端」が出てきて、古カトリックが手を焼いたのです。

最後に、何故パウロ神学が問題に成るか。第一に質問者の方が、パウロの名を
挙げ、その思想を問題されています。第二に、信仰によって義とさせる(救われる)
なんて、ある意味とんでもないことを言い出したのはパウロが始めであって、
その後の2世紀以降の教会の解釈は、みなパウロを根拠にしているからです。
新約聖書内で、「信仰義認」を説いてるのはパウロとパウロ派によって書かれた
文書のみで、例えばマタイやヤコブ書を見れば、正反対のことが書かれてあります。

それゆえ、質問者の方が「信仰」という言葉を出された以上、パウロの神学が
「問題の核心ではない」なんての論外で、これを語らなければ、意味がないんです。

私も補足ということで書きますが、まずパウロのキリスト論から。調べてみると、何と
新共同訳では、パウロがキリスト=神と認める(ように読める)訳がなされてました
(ローマ書 9:5、ピリピ書 2:6)。改めて、この訳の「すごさ」がわかったというか・・

>キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。

上がローマ書 9:5 の新共同訳です。一方、口語訳はどうなっているかというと、

>万物の上にいます神は、永遠にほむべきかな、アァメン。

口語訳聖書というのは、RSV と...続きを読む

Qアニメ『伝説の勇者の伝説』と似ている作品。

アニメ『伝説の勇者の伝説』と似ている作品。


最近やってる『伝説の勇者の伝説』というアニメを観てて思ったんですが、


何年か前に全く同じような作品ってありませんでしたか?

今のところ1.2話だけしか観てないんですが、(あれ?これどっかで観たな)って思ったのが気になって仕方がありません。

たぶんですがここ2.3年に観たモノでは無さそうです。ひょっとしたら10年位前まで遡ってしまうかもです><

ただ、主人公が『伝説の勇者の伝説』の主人公と同じような能力だった気がします。
1話の始まり方もすごく似ていた気がします。


すごくあやふやな記憶なので確かでは無いんですが、何か心当たりのある方、いましたら宜しくお願いします。

Aベストアンサー

「レンタルマギカ」(2007)でしょうね...
主人公の能力は、呪力を見ることが可能な魔眼「妖精眼(グラムサイト)」。

伝説の勇者の伝説の主人公の能力は「複写眼(アルファ・スティグマ)」、
能力は説明するにはややこしいのでパスですが。

Qイエスはアブラハムの信仰を回復した?

こんにちは、

以前ここで、質問した時に、イエスは、

『モーセの律法の下での信仰から脱皮し 元のアブラハムの信仰を回復し さらに 真理を指し示した』 質問番号4758947より

というご回答を頂いたのですが、

このご回答を裏付けする聖句等をご存知の方教えていただけますか?

よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

 こんにちは。

 ヘブル書を いま問い求められている 裏づけのための聖句にしうるかどうか 議論はあろうかと思いますが そこに引用されたエレミヤ書の聖句を 証拠としてください。
 
 ▲ (ヘブル書8:7-13)~~~~~~~~~~~~~~~~~
 もし、あの最初の契約(* むろん モーセの)が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかったでしょう。
 事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。

   「見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、
    新しい契約を結ぶ時が来る」と、主は言われる。

   「それは、わたしが彼らの先祖の手を取って、
    エジプトの地から導き出した日に、
    彼らと結んだ契約のようなものではない。
    彼らはわたしの契約に忠実でなかったので、
    わたしも彼らを顧みなかった」と、主は言われる。

   「それらの日の後、わたしが
    イスラエルの家と結ぶ契約はこれである」と、主は言われる。

   「すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、
    彼らの心にそれを書きつけよう。
    わたしは彼らの神となり、
    彼らはわたしの民となる。
    彼らはそれぞれ自分の同胞に、
    それぞれ自分の兄弟に、
    『主を知れ』と言って教える必要はなくなる。
    小さな者から大きな者に至るまで
    彼らはすべて、わたしを知るようになり、
    わたしは、彼らの不義を赦し、
    もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。」
     (エレミア書 31:31-34)

 神は「新しいもの」と言われることによって、最初の契約は古びてしまったと宣言されたのです。年を経て古びたものは、間もなく消えうせます。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 こうして いわば律法本位が あらたにされるとき むろん そこに現われる信仰は アブラハムのものです。たとえば こうです。
 ▲ (ローマ書4:9-12) ~~~~~~~~~~~~~~~~
 実は すでに述べたように 

   アブラハムは信仰によって正しい人と見なされた。
   (cf.創世記15:6)

 のです。では どのようにしてそう見なされたのでしょうか。割礼を受けてからでしょうか。それとも 割礼を受ける前でしょうか。割礼を受けてからではなく 割礼以前のことなのです。
 かれは 割礼を受ける前に信仰によって正しい者とされた証しとして 割礼のしるしを受けたのです。
 こうしてかれは 割礼のないままに信じるすべての人の父となって かれらも正しい者と見なされるのです。さらにまた 割礼を受けた者の父 すなわち 単に割礼を受けているだけでなく わたしたちの父アブラハムが割礼以前に持っていた信仰の模範に従う人びとの父ともなったのです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 新約聖書のすべてが 直接・間接に 証言していると思われますが どうでしょう?

 こんにちは。

 ヘブル書を いま問い求められている 裏づけのための聖句にしうるかどうか 議論はあろうかと思いますが そこに引用されたエレミヤ書の聖句を 証拠としてください。
 
 ▲ (ヘブル書8:7-13)~~~~~~~~~~~~~~~~~
 もし、あの最初の契約(* むろん モーセの)が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかったでしょう。
 事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。

   「見よ、わたしがイスラエルの家、ま...続きを読む

Q【勇者アベル伝説】すぎやまこういちの音楽について

1989年から1991年まで放送されていたアニメ「ドラゴンクエスト~勇者アベル伝説~」の
作品中の音楽について質問させてください。

このアニメには、ドラクエ3のお城の音楽などのアレンジ曲がたくさん使われています。
先日、このアニメのサントラを購入したのですが、それらの曲は入っていませんでした。
あのアニメで使われていた曲が欲しいのですが、そういったものはあるのでしょうか?
ドラクエ3のサントラは何種類かあるようですが、はたしてそれがそうなのかどうかが分かりません。
ご存知の方回答よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

私は全く、何の話をされているのかわからないのですが、知人にすぎやまこういちが好きな人がいまして、貴方の質問を見せたところ「手に入らない。みんながまんしている。」との答えでした。
役立たずですみません。スクエア・エニックスに問い合わせてみてはどうでしょうか?

Qイエスのユダヤ教観とユダヤ教徒のイエス観は?

1
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%81%A8%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E7%9A%84%E5%8F%97%E5%AE%B9 
ここに
>>イエスは自身をユダヤ教徒であると認識しており、真正のユダヤ教徒として当時の保守化・教条化したユダヤ教を批判していたのであって新たな宗教を起こす意図はなかったとされている。<<
との記述があります。素人の直感とよく合いますが、「保守化・教条化したユダヤ教」を具体的に幾つか例示することができますか。

2
また、
>>神の子を自称したとされ、最高法院の裁判にかけられた後、ローマ帝国側に引き渡されて、反逆者として磔刑に処せられた<<
との記述もあります。
ユダヤ教徒の立場で見るとき、イエスの罪状は「神の子の自称」だけでしたか、他にもありましたか。

3
「最高法院」の構成員は分かっていますか。ユダヤ教徒に議決権があったのですか。

よろしくお願いします。

1
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%81%A8%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E7%9A%84%E5%8F%97%E5%AE%B9 
ここに
>>イエスは自身をユダヤ教徒であると認識しており、真正のユダヤ教徒として当時の保守化・教条化したユダヤ教を批判していたのであって新たな宗教を起こす意図はなかったとされている。<<
との記述があります。素人の直感とよく合いますが、「保守化・教条化したユダヤ教」を具体的に幾つか例示することができますか。

2
ま...続きを読む

Aベストアンサー

>>1
ユダヤ律法は、公正、忠実、憐れみ、神に対する愛といった原則の下に制定されていますが、当時の独善的なユダヤの宗教指導者(以下、宗教指導者)たちはそうした原則を忘れ、律法の内容を細分化し、膨大な数の規則で民を縛る事で、その価値を損なっていました。

例えば、宗教指導者たちは「清さ」に関わる律法を拡大解釈し、食事の前に手を肘まで洗う事を義務付けていました。それを守らない者は違反者であり、汚れた者だと主張したのです。
言うまでも無く、律法にはそのような項目はありません。
(マタイ15章1-2節;マルコ7章1-5節)

安息日とは、神への崇拝をささげるために取り分けられた日であり、安息日に仕事をする事を律法は非としています。
ある安息日に、イエスの弟子が歩きながら穀物の穂をむしって食べるのを見た宗教指導者は、その行為が収穫の業、つまり仕事に相当するとして、イエスと弟子たちを非難しました。
(ルカ6章1-2節;マタイ2章1-2節)

宗教指導者は立場の低い人々を蔑む一方で、そうした人々に救いと慰めを差し伸べるイエスを、目の上のたんこぶのように思っていました。それゆえ、彼らはあらゆる手段を講じてイエスを攻撃したのです。

>>2
厳密に言うならば、イエスの罪状は「神の子を自称する事で、神を冒涜した」というものです。旧約聖書の約束のメシアに関する預言の中には、イエスと合致するものが数多くありますが、宗教指導者たちは最後までそれを認めませんでした。
しかし、自分たちがイエスを殺せば、イエスを尊敬する大勢のユダヤ人の反感を買う事になると考え、「ローマ帝国の政治的理由による処刑」という形をとる事によって、自分たちの責任を逃れようと考えたのです。それゆえローマ帝国側には、
[1]ユダヤ国民を撹乱し
[2]ローマに税を払う事を禁じ
[3]自分は王キリストだと主張した
という濡れ衣を着せて告訴したのです。

>>3
ユダヤ教最高法廷は「サンヘドリン」と呼ばれています。サンヘドリンは71名の成員から構成されており、パリサイ派、サドカイ派という二つの派閥に分かれていました。成員すべての名前は聖書には記されていませんが、カヤファ、アンナス、後にはアナニアといった著名な人物の名前は記されています。
当時ユダヤ地方はローマ帝国の属州であり、本国から派遣された総督が監督の任に就いていました。サンヘドリンには、当時の総督であるポンテオ・ピラトの管理下の下で一定の自治権を認められていましたが、飽くまでローマ帝国の支配下における限定的なものでした。
ちなみに、イエスに直接死刑宣告を下したのはポンテオ・ピラトですが、彼自身はイエスを無実だと考えていたようです。しかし、宗教指導者に扇動された大勢の群集が、イエスを殺せといきり立っていたため、恐れのあまり、彼はイエスを死に処しました。

>>1
ユダヤ律法は、公正、忠実、憐れみ、神に対する愛といった原則の下に制定されていますが、当時の独善的なユダヤの宗教指導者(以下、宗教指導者)たちはそうした原則を忘れ、律法の内容を細分化し、膨大な数の規則で民を縛る事で、その価値を損なっていました。

例えば、宗教指導者たちは「清さ」に関わる律法を拡大解釈し、食事の前に手を肘まで洗う事を義務付けていました。それを守らない者は違反者であり、汚れた者だと主張したのです。
言うまでも無く、律法にはそのような項目はありません。
(マ...続きを読む

Qドラゴンクエスト7の「伝説の勇者」のいる搭は?

はじめまして。
ちょっと時代遅れでもうしわけないです。

タイトルどおりなんですが、どなたかわかるかたお願いします。
一応攻略本あります。
そのページをご紹介いただけるとなおいいです。
攻略の関連サイトもあるとよりいいです。

攻略本を見てもわからないのが情けないですが、
詳しい方、なにとぞ宜しくお願いいたします。

Aベストアンサー

世界一高い塔のことですね。
現在のメダル城の西にあります。
下は私の答えた過去の質問と攻略サイトです。

参考URL:http://odn.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=387751,http://village.infoweb.ne.jp/~fwke6742/dq7/dq7kourya.htm

Q<いつ教会に行っても男性は私だけです>は、たまたまある宗教だけの話ですか? あるいは多くの宗教もで同

昨日、このカテで、気になった発言にぶつかりました。
ある宗教の集会に、参列された方からです。
<いつ教会に行っても男性は私だけです>
だそうです。今時の宗教の実態について、教えて下さい。
質問は、”男性だけ”というのは、たまたまある宗教だけの話なのですか? あるいは多くの宗教も同様な状態なのですか?

男性は私だけです>は、たまたまある宗教だけの場合ですか? あるいは多くの宗教も同様なのですか?

だそうです。

Aベストアンサー

カトリック信徒で、ほぼ毎週教会に行きますが、確かに絶対数は女性の方が多いです。でも男性も相応にいますので、一人と言うことはありません。

一方、私は、仏教特に禅に親しみを感じており、坐禅や読経のために、度々寺に出入りしていますが、こちらは明らかに男性が多数派だと思います。

一般に、男女の宗教に対する感性を比較すると、確かに女性上位だとは思います。
女性の方が積極的に関与するようですし、下働きもいといません。
一方、男性は、一般社会でもそうですが、どうしても上に立って仕切りたがるような気がします。

カトリックでは、夫婦の内、妻だけが信者の例が多く、夫は中々腰を上げないようですね。生育してから信者になるケースは、男性では非常に少なく、臨終に際してようやく妻の希望を聞き入れ、信者になるケースも多いようです。

しかし、それでは、禅宗で、坐禅や読経をするのが男性が多い理由がわかりません。最近は、女性も急速に増えて来たようですが・・・。


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