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京都の嵯峨野に安堵橋という橋があります。この名の由来については、
比叡山の最澄が清涼寺近くの火事の折、「清涼寺の釈迦像が焼けては一大事」と
使者を駆けつけさせたが、橋のあたりで「火事は清涼寺ではない」と聞いて
安堵したという伝説によるものとあります。

なんとも不思議な伝承だと思います。それは・・・
・清涼寺の成立は最澄の没後で時代があわない。
・清涼寺は、比叡山の権威主義に対抗して建立された筈。
 何故、比叡山が清涼寺付近の火事を気遣うのか?

どうして安堵橋にこのように矛盾した伝承が成立したのか、
推測でも結構ですのでお聞かせください。

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A 回答 (1件)

こんにちは。


面白い質問ですね!

寺や神社に伝わる伝説には辻褄の合わないものが結構ありますね。

例えば、奈良の談山神社の縁起では

鎌足公の没後、長男の定慧和尚が父の由縁深い多武峰に墓を移し、十三重塔を建立した。

とあるのですが

中臣鎌足の生没年・・・614年 - 669年
定慧の生没年・・・643年- 666年

なので鎌足の長男・定慧は鎌足よりも3年早く死亡していることになって辻褄があいません。

また、古今和歌集仮名序には
平城天皇と柿本人麻呂が身をあわせたとありますが

平城天皇の生没年・・・774年- 824年
柿本人麻呂の生没年・・・660年頃~720年頃

と全く時代があいません。

梅原猛氏は、平城天皇と柿本人麻呂は精神的に身をあわせたのではないかとしておられます。

同様に考えると、談山神社の縁起では
【死んだ)定慧の霊が父・鎌足のために十三重塔をつくった】
ということを伝えようとする文章なのではないか、と思えます。

古の人は生死の境を現代人のようにきっちり分けておらず
死んだ人の霊のことをあたかも生きているかのように表現したのかもしれません。

※霊、と書きましたがオカルトを語るつもりはないです。
当時の人々が死後の霊を信じていた、という意味です。

とすれば、清涼寺の火災を心配したのは(死んだ)最澄の霊だということになるかと思います。

>何故、比叡山が清涼寺付近の火事を気遣うのか?
についてはわかりません。(すいません)

ただ、安堵橋の伝説をふまえると
清涼寺では最澄に対する信仰があったのではないか、と
私には思えます。

清涼寺が「比叡山の権威主義に対抗して建立された」という
常識を洗いなおしてみる必要があると思います。
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この回答へのお礼

清涼寺が最澄と相容れないと思ったのは、
奝然が生身のお釈迦さまをもって清涼寺を建立しようとして延暦寺に
妨害されたり、また延暦寺の退廃を嫌った法然が清涼寺に篭ったこと
等が挙げられます。

 >清涼寺が「比叡山の権威主義に対抗して建立された」という
 >常識を洗いなおしてみる必要があると思います。

そうですね。
建立当初の経緯はともかく、長年の民間信仰の中で色々な変化があった
のかも知れませんね。
何度も火災にあってますが、釈迦像は助け出されていますし・・・

談山神社の縁起も面白いですね。
私は鎌足の意に反して仏教に没頭した定慧和尚との父子のあり方を納まり
良くするために中臣氏があえて流布した伝承のように思えるのですが、
ちょっと意地悪な見方でしょうか?
縁起や伝承を勝手に解釈してすみません。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/12/25 17:09

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