プロが教えるわが家の防犯対策術!

その実体は、真面目で平和的で、
常識を逸脱することなど何もない新興宗教団体であるのに、
極めて多くの人が、一部のデマに惑わされて、
その団体に偏見を持つようになってしまい、
世間一般的には、実情と全く違う悪しきイメージが出来上がってしまっている・・・・
そのようなことは、やはりあるのでしょうか。
あるとすれば、その原因は、
一部のデマを無批判に信じてしまう無知さ加減や、
世界規模で発展する団体に対する嫉妬心などでしょうか。
どのように思われますか?

A 回答 (14件中1~10件)

確かに、単純に新興宗教というだけで怪しむような


空気は社会に一般的にあると思います。
が、ただそれだけのことで、確固とした悪しきイメー
ジが形成されてしまうことは有り得ないでしょう。
それは、新興宗教といっても、イメージは千差万別
なことを見れば明らかです。

確固とした悪しきイメージが形成される背景には、
やはり、実体がまともでないという事実がある場合
が殆どだと思います。
オウム真理教であれ法の華であれ、犯罪が立証さ
れる前から、世間一般のイメージは最悪でした。
同じ新興宗教であっても天理教や立正佼成会など
と比べれば、そのイメージは天と地ほどの差があ
りました。

世間の目というのは、決して節穴ではありません。
デマと信憑性のある噂を見極める眼力は十分持ち
合わせているのです。デマだけで、確固とした悪し
きイメージが形成されることは有り得ません。

>その実体は、真面目で平和的で、

悪しきイメージが強い団体は、その前提自体が間違
った認識である場合が殆どと言っていいでしょう。
よって、現在大方の人が忌み嫌っているような団体
は、オウム真理教や法の華と同様の結末に至る可
能性が極めて高いと言えるでしょう。

得てしてそんな団体は、豪壮な会館を建てまくったり
して、権勢を誇示したがるものです。信者にはひとつ
で足りるものを3つも4つも買わせたりしてあくどく金
集めをし、あるいは不当な低賃金で労働に就かせた
りもしているものです。
布施は強制でないと言ってきたりしますが、布施を施
すことは信仰心の深さの表れで殆どの信者が行って
いる、などということをそれとなく伝えて、布施をしない
と気まずいという雰囲気を巧妙にかもし出してくるの
で、事実上強制しているのと同じなのです。

また、そんなまともでない団体は、団体を批判する者
を怖気がするくらい汚い言葉で罵るものです。
そうやって批判する者を、「正しいことを妨害しようと
する悪いやつら」「戦うべき相手」と位置づけることで、
信者の目を内部の腐敗した構造に向けさせないよう
に企図しているのです。
それはまさに、北朝鮮が、「米帝の山犬、狐のような
日本野郎」などと罵声を浴びせることで、国民の関心
を外部に向けさせようとしているの全く同じ構図です。

一つ違うことは、そんなまともでない宗教団体の批判
者に対する罵りは、北朝鮮など足元にも及ばないくら
い口汚いものです。正常な神経の持ち主であるなら、
そのヘドロのような罵り羅列を、一行たりとも読み通
すことは不可能でしょう。
そんなヘドロのような罵りの羅列を毎日嬉々として受
け止めている信者達は、正常な精神状態でないこと
は、精神病理学上からも証明できそうです。

そんな宗教団体に家族や友達が入っているとしたら、
全力で脱会を説得するべきなのです。脱会をさせる
ことこそこが、お釈迦様が説いている正しい行いなの
です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>それは、新興宗教といっても、イメージは千差万別
>なことを見れば明らかです。

そういえば、新興宗教の全てが嫌われているわけでもないですしね。

>世間の目というのは、決して節穴ではありません。
>デマと信憑性のある噂を見極める眼力は十分持ち
合わせているのです。

変な宗教やっている人より、世間一般の人の方が眼力は上かも知れないですね。

>現在大方の人が忌み嫌っているような団体は、
>オウム真理教や法の華と同様の結末に至る可
>能性が極めて高いと言えるでしょう。

なるほど。

>得てしてそんな団体は、豪壮な会館を建てまくったりして、
>権勢を誇示したがるものです。

なるほど。

>北朝鮮が、「米帝の山犬、狐のような日本野郎」など
>と罵声を浴びせることで、国民の関心を外部に向けさ
>せようとしているの全く同じ構図です。

いや、確かに似てますね。

お礼日時:2003/05/25 23:32

>そのようなことは、やはりあるのでしょうか。



そのようなことはありません。
認知度が高く、かつ貴方が仰るような
誰もが納得する真面目で平和的で常識を逸脱するようなこと何もない集団であるが、
デマで悪しきイメージが出来上がっている宗教団体など、
見渡す限り存在しませんから。


>一部のデマを無批判に信じてしまう無知さ加減や、
>世界規模で発展する団体に対する嫉妬心などでしょうか。

このような言葉で批判を受け止めないのは、世界が閉じている証拠です。
仮にそのような平和的宗教団体があるとして、徹底的に組織内調査、討論、第三者的判断を仰ぐなどしない限り、
戦いは平行線ではないですか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>デマで悪しきイメージが出来上がっている宗教団体など、
>見渡す限り存在しませんから。

やはりそうですかね。

>徹底的に組織内調査、
>第三者的判断を仰ぐなど

やましいことが何もないのなら、第三者に内部を調査させればいいんでしょうけどね。
それができないということは、やはり、相当やばいことをしているんでしょうかね。

お礼日時:2003/05/25 23:18

 どこの団体を指しておられるのか分かりませんが、機関紙が参考URLのような調子の団体は「平和的」とは呼びたくありません。



 「コソ泥坊主の首を斬れ!」だなんて。otosoさんは、これを読んでどう思われますか。

参考URL:http://www5d.biglobe.ne.jp/~maruto/sunntetu/sunt …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>「コソ泥坊主の首を斬れ!」だなんて。otosoさんは、これを読んでどう思われますか。

気分が悪くなりました。
ここの信者の人は、「いい表現だ。気分が良くなる!」と思っているのでしょうかね?

お礼日時:2003/05/25 23:14

その宗教に寛容さはありますか?



ほかの宗教を信じているor無宗教の人に「それではあなたは成功しない。幸せになれない」と言っていませんか?
その人が幸せにやっていたとしても、「そんなのは本当の幸せじゃない」といったりしていませんか?

自分たちの教えが至上だと考えるのは勝手ですが、ほかの宗教を信じている人も自分の宗教が至上だと思っているでしょうし、無宗教でも自分は幸せだと感じているかもしれない。
それを認められる寛容さはありますか?

それがなく、相手の考えを否定して歩けば、偏見や排斥があっても当たり前です。
あなたが信じる宗教が、そのような心の狭い宗教じゃないことを祈ります。

僕は無宗教ですけどね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>それがなく、相手の考えを否定して歩けば、偏見や排斥があっても当たり前です。

そうですね。

お礼日時:2003/05/25 23:10

なんという団体のことかこの質問ではわかりませんが、「平和的」「世界的規模で発展」「新興宗教」をキーワードにするとおよその見当はつきます。

見当をつけた団体だとすると、その構成員の方々はおおむね真面目で、個人的には「いい人」で、中流以下の階層に属する方で「社会的弱者」の方が多いような気がいたします。その方々の一部がしつこい勧誘や脱退者に対する嫌がらせ、選挙時における違法行為(公営ポスターの破損、発行所を隠した事実無根内容のビラ配布、演説の妨害、相手候補を口汚くののしる等々)があったりします。宗教(特に新興宗教)は排他的なところがありますが、それが政治に対する影響力を持つとなると一種の「危険な匂い」を感じる人々が日本では多いと思います。こういったことがあなたの言われる「偏見」をよぶことになっていると思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>一種の「危険な匂い」を感じる人々が日本では多いと思います。

ようするに、本能的に危険なものをかぎ分けているってことですかね。
そういうのって、意外に的を得ていることが多そうですね。

お礼日時:2003/05/25 23:34

2000年前,キリスト教もイスラム教も仏教も新興宗教でした。


そして,時の支配者に弾圧されてきたのですネ。
宗教団体という限られた組織の中でのみ成立する「常識」も沢山あるわけで,その「常識」が社会常識と相反することは珍しくありませんからネ。
それでも生き残る団体は生き残り,消滅するものは消滅するということなんですネ。
また,現実に新興宗教団体の中には霊感商法をはじめとする不法行為を重要な資金源としているところもありますし,批判の対象となるのも当然という場合もありますネ。
以上kawakawaでした
    • good
    • 0

なんらかの常識逸脱があるからこそ、そのような報道や解釈をされてしまうのではないでしょうか?

    • good
    • 0
この回答へのお礼

やはり、そう考えるのが妥当ですかね。

お礼日時:2003/05/25 23:08

本質的なことを忘れていませんか。

宗教というのは理想や戒律を持つ一つの文化社会そして規範社会なのです。

それが真面目であろうが、平和的であろうが、その規範はその集団の中でしか成り立たないのであって、他の規範を持つ人々から見れば、それは異質なものです。

たとえば真面目とか平和的という二つの属性を上げられていますが、これだって人によって捉え方は違うのです。偏見が生まれないわけがありません。

もし規範の異なる、二つの集団が接触すれば、そこに摩擦が生じるでしょう。それを解消するには共通の規範を作らざるを得ないわけです。ここに人類は主権をもつ国家という存在を発明したわけです。

もしウエストファリア条約が成立していなければ、領域というものを持たない宗教社会どうしが、未だに入り乱れつつ対立していたことでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>本質的なことを忘れていませんか。

本質的なことを問題にする前に、新興宗教の中には、少数の欲望を満たすために半私物化されている団体もあるということです。
そのような団体に対しては、本質的なことを論議しても意味を持たないでしょう。
新興宗教を見ていく時には、そういった私物化された団体であるかないかを見極める視点が必要でしょう。
貴方のおっしゃるように、「異質なのは当然」という視点では、あらゆるカルトが正当化されてしまわないですか?

お礼日時:2003/05/26 00:17

 特に日本の文化では・・っていう条件もつくと思います。

    • good
    • 0

いったいどの宗教団体のことですか???


それによって答えが変わってくると思うのですが・・・
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!