神武天皇は、架空の天皇だ。~代までの天皇は、架空だ。と、言われますが、確実に実在したと言える天皇は、どの天皇からなのでしょうか。

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A 回答 (6件)

はっきりとは謎ですが、第10代の崇神(すじん)天皇からではと云われています。

神武も崇神も共にハツクニシラススメラミコトで生存年数や即位年数が、この頃より、常識的な年数になります。
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「不確実の理由」というのはなにについても難しい(旧石器人が「いた」証明は旧石器を見つければいいけれど、「いない」証明はどうする・・)ものです。

署名された木簡がのこっているとか、そういう物証がなければ、理系の人間は納得しませんね。
記紀(に限らず)にしか登場していない場合は(リアルタイムで書かれたもので、複数の裏付けがあるもの以外の記録は、記録者・編集者の意図と思ったほうがいい)、眉唾で考えるほうが正しい。(マルコポーロの「ジパング」は記紀より新しいけれど、どこに黄金の国がある!)

確実なのはどこからか、といわれると、私も調べたことがないですが、そもそも「天皇」がどういう存在か、という定義にかかわりますね。聖徳太子以前は、支配地域として他の豪族とたいしてちがわない力しか持っていなかったのではないでしょうか。
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1.崇神天皇は「確実に実在した」という命題。


 これは記紀を内在的に批判することによって得られる結論です。すなわち、まさかイザナギ・イザナミは実在していないだろう。だとしたら、人代の天皇も最初のほうは怪しいのでないだろうか。そこで、記紀の記述を詳細に検討することにより、名前、在位年、事跡の記述量などの観点から、崇神天皇が大和朝廷の始祖であろう、という結論に至るわけです。。
 しかし、崇神以降が実在したからといって、それ以降の記紀の記述が全て真実であるわけではないように、崇神以前の記述も寿命や事跡に虚飾を交えながらも何らかの真実を反映している可能性は否定できません。実際、崇神天皇も「人の子」である以上、親父がいたはずであり、それを開化天皇と呼ぶか否かは、現在のところ、趣味の問題でしょう。
 そもそも、欠史八代説は、戦前の皇国史観に対する反動として喧伝された面があり、言葉遊び的なテクスト分析以上に考古学的な確証を得ているわけではありません。その仮説としてのエレガントさはともかく、むしろ記紀のここの記述について、ほぼ真実なのか、いかなる虚飾が施された真実なのか、いかなる真実を反映した虚偽なのか、いかなる事情で作られた虚偽なのか、といったことを実証的に検証することが重要だと思われます。

2.応神天皇は「確実に実在した」という命題。
 それに対し、これは記紀の外在的な批判により得られる結論です。すなわち、『宋書』によれば当時の日本には「倭の五王」による中央権力が存在したことになる、そして、記紀によれば当時の日本には、応神・仁徳という天皇が存在した。だとすると、応神・仁徳あたりの天皇が「倭の五王」として実在した蓋然性は高い。さらに、それを支持するその他の考古学的な状況証拠も多い。ということです。
 したがって、この説は、前記、崇神天皇始祖説とはことなり新史料の発見によりそれ以前の天皇にさかのぼる余地を残しています。

3.仲哀天皇は「確実に実在」していないという命題。
 ここら辺になると「天皇」の定義の問題になるでしょう。神功皇后は天皇か?中天皇は天皇か?践祚が天皇の必要条件?・・・など手におえません。
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この回答へのお礼

 崇神と応神は、実在性がかなり高いのですね。崇神と応神。語呂合わせのようですが神がつく天皇には何か意味がありそうに思われます。と、すると神武、神功にも意味深な感じが・・・。
 

お礼日時:2001/03/30 00:14

どのくらいの資料があると「実在した」と納得するものなのでしょう?


「自分が見たものしか信じない」とするなら(私の場合)「昭和天皇から」です。
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一般に「欠史八代」と言われ、二代のスイゼイ天皇から九代の


開化天皇までは存在しなかったと言われています。
また、14代の仲哀天皇も存在に疑問が残ります。
さてnozomi500さんの回答は正しいと思います。満点です。
しかし、ロマンを求めるなら初代の神武天皇と十五代の応神天皇も
(十代の崇神天皇も)日本を建国した天皇がいたと思いたい。
回答になっていませんが..。
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「仁徳天皇」から前は不確実でしょう。

大阪にある「仁徳陵」も、何の物証もなく、「ここ」ときめたもののようです。それ以後は・・・

この回答への補足

 nozomi500さんが「仁徳天皇」から前は不確実とされる理由を教えてください。
 単に、(そんな理由では、ないですよね)「記紀に登場するから」というだけなら、神武もそうですし・・・。

補足日時:2001/03/26 02:44
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Q女系天皇と女性天皇の違い

天皇制について議論されていますが、女系天皇と女性天皇の違いについて何方か分かりやすく説明して頂けませんか。

Aベストアンサー

同じようなご質問は度々出ていますので、検索すれば見つかるはずですので、簡単に書きます。

【女性天皇】文字どおり女性の天皇。
【女系天皇】母方を天皇の血筋に持つ天皇。

女性天皇は、さらに「男系」と「女系」に分けられます。
歴史上、8代10人の女性天皇が実在しましたが、いずれも「男系の女性天皇」です。これを「万世一系」といいます。

もし、近い将来、愛子さまが即位されることがあるとすると、「男系の女性天皇」ですから、過去の事例に反するわけではありません。
しかし問題はその次で、愛子さまが平民と結婚されてその子供が即位すれば、男子であろうが女子であろうが、「女系の天皇」ということになります。これは神武天皇以来、2千数百年の歴史に一度もありません。

今年の大きな政治課題になることが確実な、皇室典範の改正に関する有識者会議の結論は、まさに皇室伝統の破壊、天皇制の崩壊をめざしているとも言えるのです。

Q神武天皇の東征の理由は?

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ここでは何者かによって九州から大和への東征が行われたと仮定します。
東征の理由は何だったと想像できますか?
九州から大和へは長い遠征です。
何故一気に遠い大和の地をめざしたのでしょうか?
記紀にはさしたる理由も書いていなかったと記憶しています。
戦国時代の大名は天下統一をめざしていました。
それと同じような野心が動機でしょうか?

また東征が行われたとしたら、いつの時代でしょうか?
弥生時代でしょうか?古墳時代でしょうか?
想像をめぐらしていただけるとありがたいです。

Aベストアンサー

大和政権を打ち立てた人々が、地方の豪族を納得させるために自分たちのルーツに権威を持たせるため、又征伐した地方豪族を服従させるために国家統一のシンボルとして建国神話を必要としたのでしょう。大和政権のルーツは渡来人の可能性が強いので、非征服民(原住民)や敵対する(した)同族への優位性を示すために神話を作ったのではないでしょうか。日本に限らず古代の征服王朝は非征服民の神話を採用して懐柔策を講じています。それを繰り返した結果、神話に矛盾が生じたり、ひとつの神が多くの神性を持つことがあります。

神武天皇東征がいつ行われたか、その神話の場所がどこだったかは謎で、残された文献を信じるしかないと思います。しかし、恐らく大和政権が経験したことではなく、九州あたりの豪族が周辺諸国を征服する過程で生まれた既存の神話を自らの神話に採用し地名、時代、等の辻褄を合わせたとも考えられます。もしそうであれば
元の神話の成立は縄文時代から弥生時代の移行期あたりかも知れません。つまり、大和政権が神話として採用した元の神話は相当古い時代の話だったということになります。

日本が大陸の影響を受ける前は、シュメール王国の影響を受けたという説を唱える人々もいます。古語にシュメール語の痕跡が認められ、航海術に長けたシュメール人はインド、中国南部を経て日本列島に到着し、その末裔が大和政権にも参画しているという説です。仮にそのような人物が大和朝廷に影響力を持っていたとすれば、日向から関西への航海などは日常茶飯事のこととなります。

日本は戦後神話を否定し、考古学一辺倒の物証主義の国となったので、神話は神話としてロマンを語り、想像を広げる、シュリマンのような自由な発想は殺され、発掘で遺物が発見されるまでは、すべては存在しなかったことになっています。

大和政権を打ち立てた人々が、地方の豪族を納得させるために自分たちのルーツに権威を持たせるため、又征伐した地方豪族を服従させるために国家統一のシンボルとして建国神話を必要としたのでしょう。大和政権のルーツは渡来人の可能性が強いので、非征服民(原住民)や敵対する(した)同族への優位性を示すために神話を作ったのではないでしょうか。日本に限らず古代の征服王朝は非征服民の神話を採用して懐柔策を講じています。それを繰り返した結果、神話に矛盾が生じたり、ひとつの神が多くの神性を持つこと...続きを読む

Q天皇制の違い

大日本国憲法・日本国憲法における天皇制の違いを、天皇の地位・天皇の地位の根拠・天皇の機能に着目して説明すると

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をもう少し詳しく説明するとしたら文章的にどう言った所でしょうか??

Aベストアンサー

もう少し詳しく説明?

多分、憲法の比較というか、国の主権がどのように変化したのか。合理的な回答をお求めだと思います。
ただ、合理的な説明は無理だと思います。

近代に入り、列強の外圧が強まり、江戸幕府は権力を維持できず投出した。そこで大政奉還です。大名諸侯は内戦(戊辰戦争)までかまして、その後に、日本列島に天皇を主権者とする中央集権国家が成立しました。封建的な社会制度が近代国家に移行しました。
その法的な取りまとめが大日本国憲法(明治憲法)です。

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なんか、まとまりがない「回答」でごめんなさい。

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多分、憲法の比較というか、国の主権がどのように変化したのか。合理的な回答をお求めだと思います。
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Q神武天皇って・・?

架空の人物とあります・・9代天皇まで。
なぜこのような架空の天皇を位置づける必要があったのでしょうか?
どなたかご教授ください。

Aベストアンサー

支配者・天皇家を「天照大御神の血を引く天津神の子孫」とするためには、神様から人の子になった血統を示す必要があったからです。

古代日本各地でその土地の有力者が「王」として国を築いていた頃、天皇家の祖先を中心とした大きな一族(後の大和朝廷)が現れて彼らを制圧し始めました。
しかし広い地域を一つの勢力だけで制御するのは難し上、戦ばかりではこちらの体力も落ちるし、力で押さえつけた者はいつ寝返るか判りません。
そこで、出雲に侵攻した時期からはどうしても従わない王以外は滅ぼしてしまわず、各地で民に影響力のある王をそのまま傘下に従える方向に転換しました。

まだ神の見えない力が食料や物にすら影響していると信じられていた時代のこと。
自分たち朝廷がこの国を支配する「正当性」を示すため、「お前達の土地神(つまり彼らの先祖)より我々は偉い神の子孫なのだ、このように神から直系の血を引くことが家系として伝わっている」と推し立てれば、反逆は土地神の親に刃を向けるのも同然となり、従わざるを得ません。
また、征服される側でも人死にを出すくらいなら自治権を得て傘下に入る方がマシです。
それには民を納得させる「従う正当な理由」があった方が都合が良かったというのもあります。
(大国主を王とする出雲族がその典型です)

そのために、様々な国津神天津神を組み込み、土地々々で少しづつ違っているような複雑な日本神話が成立し、本来は存在しない空白を埋める9代の天皇が生まれた、というわけです。

支配者・天皇家を「天照大御神の血を引く天津神の子孫」とするためには、神様から人の子になった血統を示す必要があったからです。

古代日本各地でその土地の有力者が「王」として国を築いていた頃、天皇家の祖先を中心とした大きな一族(後の大和朝廷)が現れて彼らを制圧し始めました。
しかし広い地域を一つの勢力だけで制御するのは難し上、戦ばかりではこちらの体力も落ちるし、力で押さえつけた者はいつ寝返るか判りません。
そこで、出雲に侵攻した時期からはどうしても従わない王以外は滅ぼしてしまわ...続きを読む

Q天皇と首相の違い

天皇と首相の違いを子供でも分かるような
簡単な文面で教えてください。
それぞれの役割となぜ日本だけ両人存在するのか。
おねがいします!

Aベストアンサー

No4です。
「国事行為」と呼ばれる仕事をしています。
・国会の指名に基づき内閣総理大臣を任命すること(日本国憲法第6条第1項)
・内閣の指名に基づき最高裁判所長官を任命すること(第6条第2項)
・憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること(日本国憲法第7条第1号)
・国会を召集すること(第7条第2号)
・衆議院を解散すること(第7条第3号)
・国会議員の総選挙の施行を公示すること(第7条第4号)
・国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること(第7条第5号)
・大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること(第7条第6号)
・栄典を授与すること(第7条第7号)
・批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること(第7条第8号)
・外国の大使及び公使を接受すること(第7条第9号)
・儀式を行うこと(第7条第10号)

だそうです。
ほかにもいろいろと書いてあったので、WikipediaのURLを貼っておきますね。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E4%BA%8B%E8%A1%8C%E7%82%BA

No4です。
「国事行為」と呼ばれる仕事をしています。
・国会の指名に基づき内閣総理大臣を任命すること(日本国憲法第6条第1項)
・内閣の指名に基づき最高裁判所長官を任命すること(第6条第2項)
・憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること(日本国憲法第7条第1号)
・国会を召集すること(第7条第2号)
・衆議院を解散すること(第7条第3号)
・国会議員の総選挙の施行を公示すること(第7条第4号)
・国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状...続きを読む

Q誰が神武天皇即位年「辛酉年」を紀元前660年と特定したのか?

日本書紀にある神武天皇即位日(辛酉年春正月庚辰朔⇒辛酉年1月1日)の「辛酉年」を紀元前660年と割り出した(解釈した?)最初の人(学者?)は誰でしょうか。どのように計算したら紀元前660年になったのかを調べたいので。

辛酉年なら紀元前600年でも、紀元前360年でも、紀元前60年でも良いのです。つまり、候補が沢山あって決められないはずだと思うのです。

Aベストアンサー

日本書紀では、各記事の日付をそのときの天皇の在位年数で表示し、崩御の年月日の記述もあり、また即位の年にはその年の干支を記述しているようです(ちゃんと読んだわけではないのですが)。
だとすれば、単純に逆算できるのではないかと思います。

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遅くともそのころには、神武天皇即位年が算出されていたのでしょう。

Q「後」の字が諡(おくりな)に付く歴代天皇の「後醍醐」「後奈良」の違いは?

■「後」の字が諡(おくりな)に付く天皇がいらっしゃいます。有名な「後醍醐天皇」もそうですね。歴代天皇一覧をぼんやりと眺めていたら結構たくさんいらっしゃいました。
■ところで「後醍醐天皇」「後鳥羽天皇」にあって「後深草天皇」「後奈良天皇」などにないものは何でしょう?
■...といっても、歴史的に有名、無名ということではありません。後者には皇統を辿っても先代に「後」のつかない「深草天皇」や「奈良天皇」が出てこないのです。
■これはいったいどうしてなのでしょうか?
■今まで天皇の諡に「後」の一字を入れるのはその天皇にとって敬うべき対象となる先代があった場合なのかと思っていましたが、ちょっと考えが違うんでしょうか?史学に強い皆様、どうぞお導きくださいまし。

Aベストアンサー

天皇の称号には「謚号(しごう)」や「追号(ついごう)」などがあります。
「謚号」は、天皇の生前の業績を称えておくられ、
「追号」は、天皇と縁のある地名などに因んでおくられます。

「追号」と「謚号」がある場合は「謚号」が用いられます。
第58代の光孝天皇までは「追号」の他に「謚号」もおくられていました。
(その後もいくつか例外的に「謚号」をおくられた場合もあります)
つまり、天皇にはいくつかの別名がある場合があるのです。

「深草天皇」(追号)=第54代「仁明天皇」(謚号)です。
「奈良天皇」(追号)=第51代「平城天皇」(謚号)です。

他にも第100代「後小松天皇」、第104代「後柏原天皇」、第108代「後水尾天皇」も
同様に「後」のつかない天皇が見当たりませんが、それぞれ
「小松天皇」=第58代「光孝天皇」
「柏原天皇」=第50代「桓武天皇」
「水尾天皇」=第56代「清和天皇」
なのです。

Q神武天皇の両親

いま、日本の古代史を勉強しています。

A.神武天皇の両親の名前を教えて下さい。
B.神武天皇の正室の名前を教えて下さい。
C.神武天皇の側室がいたのであれば、側室の名前を教えて下さい。

Aベストアンサー

父親:彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)
母親:玉依姫命(たまよりひめのみこと)
正妃=皇后:媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)
妃:吾平津姫(あひらつひめ)、手研耳命(たぎしみみのみこと)、岐須美美命(きすみみのみこと)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87

Q韓国時代劇での王様への呼び方「殿下」「主上」の違い

よろしくお願いします。自力で調べたのですがわからず、こちらで質問させていただきました。

韓国時代劇を見ていると、王様に向かって「殿下(チューナー」と呼びかけるときと、「主上(チュサン)」と呼びかけているときがあるように思います。この2語の使い分けはどういう基準なのでしょうか?

個人的な感想では、臣下からは「殿下」、王様のお母さん(王妃)など王様とはいっても尊重すべき相手からは「主上」と呼ばれている印象があります。

どなたかご教示くだされば幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

 イングンニム(王様)・テーハ(陛下)・ジョーナ(殿下)・チュサン(主上)

 これらはすべていわゆる「王」を表す言葉といってもいいのですが、その使い分けを明確に説明した資料は残念ながら探せませんでした。ただ個人的な意見でというお断りを入れれば、「イングンニム」は公私いずれの文書や、一般的な場所での会話などで使われる言葉で、「テーハ」は一般的な家臣からの呼び名、「ジョーナ」はそれ以上の近臣の者たちからの、そして「チュサン」はあなたのお考えどおりでいいのではないかと思います。

 また殿下はハングルではジョン・ハと書きますので、ジョーナと呼ぶほうが正確かと思われます。たいして参考にもならない回答のくせに、重箱の隅を…、みたなことをしてすみません(^_^;)

Q天照大神と神武天皇の関係

天照大神は神武天皇の六代前の祖先ということでよろしいでしょうか?

Aベストアンサー

そのとおりです。下記に詳しい系譜が掲載されています。

参考URL:http://www2s.biglobe.ne.jp/~t-sato/index14.html


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