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日本人はどの時代から自分の国を日本と呼び始めたのでしょうか?また、日本と呼ばれる前はどのような国の名前だったのでしょうか?お願いします。

A 回答 (4件)

このあたりに、日本国の形成と国名の真相が解説されています。



日本国形成の真相
http://home.att.ne.jp/blue/atelier/Inoue-sanNiho …
「日本」国名の真相
http://home.att.ne.jp/blue/atelier/Inoue-sanNiho …
(現存する資料で、「日本」という国名は、いつ出てくるかというと、704年に粟田真人等の遣唐使が、帰国するときに呼んだ和歌の中に「うるわし日本(ヤマト)の国」という言葉で、万葉集の中に出てくる。彼らが唐に行ったときには「倭国」と呼んでいるから、このときはまだ「日本」という言葉は無かったのである。この近辺で「日本」という呼び名が正式に決められた可能性がある。この近辺の出来事としては、大宝律令の成立が701年、翌702年に本律令が発布されているから、大宝律令の成立あたりで、国名が決められたものと思われる)
日本国政府が日本を商標登録しちゃった?
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Hemingway/133 …

ついでに日本国名の読み方
http://www.aa.aeonnet.ne.jp/~yamak/nipponnkokume …
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この回答へのお礼

詳しい回答ありがとうございました。
いつだれが日本と決めたのかがすごく興味深いですね。

お礼日時:2003/06/12 13:59

回答はありますので参考程度に



やはり音で「やまと」が日本の呼び名でしょうね。
「やまと」に対する当て字が「倭」とか「大和」それから聖徳太子以降は「日本」ではと考えます。どの当て字も中国の発音では、「やまと」とは発音しませんから感覚的な当て字ではないだろうかと思います。
「ひみこ」はおそらく「ひむか=日に向かう=日向」が日本人としての当て字にはふさわしいと思いますが、中国側の当て字は、「卑弥呼」でよろしくない感じですね。「邪馬台国」も中国側のよろしくない「やまとのくに」の当て字でしょうね。外交から考えると致し方ないようにも思いますが、いまだによろしくない言葉が歴史に出るのはどうかなとも思います。日本人は古代より文字の輸入と当て字には優れていたのでは。ちょっとそれましたね。ごめん。
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お答えになっているかわかりませんが…


私の記憶によると7世紀後半ごろから「日本」という国号を使うようになってきます。天皇は天武・持統朝くらいです。そのころは国家運動の高揚や天皇中心の国家(皇親政治など)が背景にあると思います。
 それ以前は「倭(やまと・わ)」などだと思います。私の知る限りでは1世紀の史料に以下の文があります
「夫(そ)れ楽浪海中に倭人あり…」
このころに「倭」と記されております

大学生1年の自分でわかるのはこのくらいです~
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この回答へのお礼

7世紀というと飛鳥奈良時代ですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/06/12 13:57

たぶん聖徳太子の隋に送った書状から「日出づる国の天使が~」の部分を使い「日の本(もと)」日本と使うようになったのでしょう。


それ以前は卑弥呼への魏王の言葉からわかるように「倭の国王へ」との言葉から倭国とういう国名だったともいます。
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この回答へのお礼

なるほど聖徳太子が名づけ親みたいですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/06/12 13:55

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Aベストアンサー

「日本」という国号を対外的に表明したのは、702年の遣唐使です。
『旧唐書』などでは、それまで「倭」からきたといっていた使者が、国号が良くないので改めたという説、日本は倭の一種であるという説などが出ています。
この遣唐使は、701年の大宝律令制定を受けて、送られた使者と考えられています。大宝律令の公式令(公文書の書式・扱いなどに関する規定)では、「日本天皇」という表現があったようです。「日本」という国号は、「天皇」という称号と同時期に生まれたものといわれています。
「天皇」という称号は、奈良県の飛鳥池で見つかった木簡の表記などから、天武・持統天皇の頃に成立したと考えられています。ゆえに「日本」号もこの時期に成立したと考えられるのです。

なお遣隋使の国書でも「日本」と言う語を使っていますが、これを含めてでてくる「日本」号は、後世の文飾であろうといわれていますので、聖徳太子の頃に「日本」号はなかったと考えるのが、古代史の研究の世界では支持される見解です。

参考文献としては、吉田孝『日本の誕生』(岩波新書)が、最適だと思います。


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