東京豊島区の自性院という寺に
「大田道灌が道に迷ったときに、黒猫の招きによってこの寺に到着できたので道灌はこの猫を大切にし、猫の死後猫地蔵を奉納したとのこと」
という言い伝えがあり、かつ、世田谷区の豪徳寺に
「江戸で伊井直孝が鷹狩に出た帰りに小さな貧しい寺(弘徳庵)の前を通りかかると、中に入るよう手招きする猫がいたためその寺に入った。すると辺りは突然雷雨となった。雨宿りをしながら寺の和尚と話をしているうちに直孝は和尚と親しくなり、後に寄進を受け立派に改築され井伊家の菩提寺とされ、直孝の法名に因んで豪徳寺と号した」

という、類似した招き猫逸話があるのですが、これは偶然なのでしょうか?

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A 回答 (1件)

「猫が顔を洗う」と呼ばれる行為が、手招きしている様に見えるからでは。



http://homepage1.nifty.com/manekinekoclub/kenkyu …
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Q太田道灌の逸話を教えてください。

道灌が、雨具を借りに立ち寄った家で、娘に山吹の枝を出され、和歌を知らないために恥をかくという逸話がありますが、この逸話をもっと詳しく知りたいです。よろしくおねがいします

Aベストアンサー

江戸期の軍談書『常山紀談(じょうざんきだん)』のエピソードです。

 鷹狩りに出掛けた太田道灌が雨に降られ、百姓家に簑を借りようとしたら、女から山吹の一枝を差し出されました。花をもらいに来たのではないと道灌は怒って帰りましたが、後に『後拾遺和歌集』にある兼明親王の古歌を踏まえた返答であったと知りました。

「七重(ななえ)八重(やえ)花はさけども
 山吹のみのひとつだになきぞかなしき」

山吹の実と簑を掛けて、簑が無いことを伝えた女の意図を理解できなかった己の不明を恥じた道灌は、詩歌を学びます。

 その後、戦で夜半の利根川を渡るため浅瀬を探した時に、

「そこひなき渕やはさわぐ山川の浅き瀬にこそあだ波はたて」

の古歌を思い出して波の荒い場所を見つけて浅瀬を渡ったなど、詩歌に通じた文人になったと伝えられます。

 ただし、『後拾遺和歌集』の兼明親王の歌は正しくは以下の通りです。

「七重八重花はさけども
 山吹のみのひとつだになきぞあやしき」


 植物学的にはヤマブキは5本ある雌しべのすべてが結実することはまれで、1~4個の核果を付けます。ただし八重咲きのヤマブキは結実しません。
 平安期ごろから鑑賞されるヤマブキは一重咲きよりも八重咲きが中心であったので、「ヤマブキは実ができない」と誤解されたのでしょう。

核果…モモやウメの液果のように外果皮は薄く、多肉・多漿質の中果皮と、厚く堅い内果皮とをもつ果実。

江戸期の軍談書『常山紀談(じょうざんきだん)』のエピソードです。

 鷹狩りに出掛けた太田道灌が雨に降られ、百姓家に簑を借りようとしたら、女から山吹の一枝を差し出されました。花をもらいに来たのではないと道灌は怒って帰りましたが、後に『後拾遺和歌集』にある兼明親王の古歌を踏まえた返答であったと知りました。

「七重(ななえ)八重(やえ)花はさけども
 山吹のみのひとつだになきぞかなしき」

山吹の実と簑を掛けて、簑が無いことを伝えた女の意図を理解できなかった己の不明を恥じた...続きを読む

Q陰陽道は神社か寺か?

私には中国人留学生のリンという友人がいます。
先日、自宅で【陰陽師】という映画のDVDを見たらしいのですが「日本では仏教は寺があり、神道には神社があるけど、陰陽道は何が有るの?」と興味津々に聞かれました。陰陽道は最近の学者の考え方では【陰陽思想と五行思想を組み合わせ、仏教や道教や神道などから様々な影響を受け取って日本特異の発展を遂げた結果誕生したもの】らしく、日本の宗教らしのですが、私は陰陽道を信仰する神社なんて聞いたことも見たことありません。根源である道教は海外では寺があるみたいなんですが、正確なところ陰陽道にはそういった専門の建物は存在するのでしょうか?回等をお願いします。

Aベストアンサー

こんばんは
陰陽道は、平安時代には天文道の安倍家と歴道の加茂家によって継承されていきます。
その後両家は盛衰を経ながら、江戸時代(17c)になると安倍氏の宗家土御門家が全国の陰陽師の免状交付権をえて陰陽道(師)を統括します。もちろん、江戸時代にはかつてのような政治力は失い、また明治政府は陰陽道を「迷信」としたため、その後はわずかに暦や風水等としてその残滓が民間に伝わるのみです。
なお、「専門の建物」といえるものとしては、土御門家がひらいた天社土御門神道および天社土御門神道本庁(福井県遠敷郡名田庄村 御神像は安倍晴明座像)がありますね。
また、高知県香美郡物部村には、平安末期の起源とされる「いざなぎ流祈祷法」というものが伝わっているそうです。

ただし、陰陽道そのものは民間信仰であり、仏教など一般的な宗教とは異なると思います。教義・教典・施設(道場?)・指導者など、本来宗教が備えるべきものがない、もしくは非常に多様、曖昧ですから。

天社土御門神道本庁
http://www.eonet.ne.jp/~nunose/009kosya22.htm
いざなぎ流
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/9236/legend/tr3901.html
http://www.inax.co.jp/Culture/1999/09word.html

こんばんは
陰陽道は、平安時代には天文道の安倍家と歴道の加茂家によって継承されていきます。
その後両家は盛衰を経ながら、江戸時代(17c)になると安倍氏の宗家土御門家が全国の陰陽師の免状交付権をえて陰陽道(師)を統括します。もちろん、江戸時代にはかつてのような政治力は失い、また明治政府は陰陽道を「迷信」としたため、その後はわずかに暦や風水等としてその残滓が民間に伝わるのみです。
なお、「専門の建物」といえるものとしては、土御門家がひらいた天社土御門神道および天社土御門神道本...続きを読む

Q井伊直弼について

井伊直弼が殺された事は幕府の寿命を考えた場合大きな痛手になったのではないですか?

Aベストアンサー

まず幕府は譜代大名のみによって運営されてましたが、この原則を破ったのが「阿部正弘」。
第13代徳川家定時代において幕政を指揮しましたが、開国か鎖国かでゆれる国論をまとめるため、薩摩藩の島津斉彬や水戸藩の徳川斉昭など諸大名から幅広く意見を求めました。
これにより従来幕政に参加し得なかった外様、親藩などの大大名が政治に目覚めるきっかけになり、ある意味幕藩体制への矛盾が明らかになりました。
彼自身は大胆な人材登用を行い、幕府の近代化を計りますが、皮肉なことにこれが人々の目を開かせてしまい、藩という小さな単位から「日本国」という国というものを考えるようになり、従来のシステムでは無理ではないかと多くの人間が思うようになった。
つまり、従来は「尾張の人間」「薩摩の人間」と藩の単位で考えていた人々が「日本人」という共通意識をもったわけです。
彼の跡を堀田正睦が継ぎますが、後ろ盾の阿部正弘が亡くなると南紀派の巻き返しにより、井伊直弼が大老になります。
政治は振り子のように左右にゆれますが、改革派に対する保守派の巻き返しです。
井伊直弼は幕政を昔のように譜代大名が行う形にしようと努力しますが、これまで埋もれていた人材が日本人として目覚めて世に出てきてしまい、また諸藩も政治に参加する意欲をもった現実には、それを力で抑えても無理があり、暗殺されます。
もし彼がいなかった場合、徳川慶喜が13代(実質的な)か14代将軍になり、幕府の軍制はフランス式に近代化され、安政の大獄で死んだ有能な人材もいますから、将軍を議長とする共和国に移行した可能性はあります。
井伊直弼が生きていた場合、革命が起こり、それに徹底抗戦しフランスとイギリスの代理戦争となり、アメリカ、ロシアも介入し、分断国家になった可能性もあります。
システムの破綻ですから、どうあがいても幕府は潰れる運命だったと考えます。
事実保守派の新撰組なども、従来の幕藩体制では出なかった組織ですから、ああいったものが出ること自体体制が破綻してる証拠です。

まず幕府は譜代大名のみによって運営されてましたが、この原則を破ったのが「阿部正弘」。
第13代徳川家定時代において幕政を指揮しましたが、開国か鎖国かでゆれる国論をまとめるため、薩摩藩の島津斉彬や水戸藩の徳川斉昭など諸大名から幅広く意見を求めました。
これにより従来幕政に参加し得なかった外様、親藩などの大大名が政治に目覚めるきっかけになり、ある意味幕藩体制への矛盾が明らかになりました。
彼自身は大胆な人材登用を行い、幕府の近代化を計りますが、皮肉なことにこれが人々の目を開かせ...続きを読む

Q九州地方の言い伝え

レポートの課題で九州地方ならでわの言い伝えについて調べているのですが、いいサイトがみつかりません・・・。
どんなことでも良いので、知っている言い伝えなどありましたら教えて頂けたら嬉しいですm(_ _)m

Aベストアンサー

参考URL「怪異・妖怪データベース」>全文検索に、大分と打ち込んでみて下さい。犬神伝説などたくさん出ます。

なお、「言い伝え」とは「ここではそう言い伝えられている」話のことなので、記録に残っている史実とはちょっと違っていても間違いではありません。
ただ、作家が創作した話そのものは「言い伝え」ではなく、面白くするために考えて作った部分が混じっています。よく読まないと見分けがつきにくいので、簡単に引用せず、「元にした言い伝え」を調べてからにしましょう。

同じように、似ている他の地方の言い伝えと比較はした方がいいですが、混ぜて引用すると混乱するだけなのでご注意。

参考URL:http://www.nichibun.ac.jp/youkaidb/kyushuSearch.html

Q寄進地系荘園について

寄進地系荘園は荘官から領家、さらに本家へと寄進されて成り立った荘園というのはわかります。しかし「本家は最高権力者が望ましい」のであれば、田祖が減り、それによって国家財政が苦しくなるのはわかっているのに、なぜ最高権力者は寄進を受けるのでしょうか。

見方が変わりますが、寄進された荘園を保護する代わりに一定の年貢を納めてもらっていたのなら、なぜ国家財政が苦しくなるのでしょうか。

詳しい方ご教授願います。

Aベストアンサー

根本的な部分で誤解されているように感じます。荘園はあくまで「私有地」です。そしてその私有地には本来の政権である朝廷よりの課税を受けず、年貢は貴族が私的に徴収していた(いわば土地使用料として)いたにすぎません。荘園が増加すれば国家の課税対象の土地が相対的に減少することが理解できるでしょう。当時の有力貴族は国家財政は二の次(というよりまったく省みていなかった)で、ひたすら私腹を肥やすことに力を入れていました。
寄進を受けることは有力貴族側にすれば自己の資産の増大であり、寄進する側の地方豪族にしても自分の支配した土地への国家の介入を制限できるということで都合がよかったのです。


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