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なぜ日本の金持ちは高福祉高負担を嫌がるの?
税制で富が再配分されれば、みんなが幸せに生きていけるのに、なぜ?
金持ちが高い税金を取られても死なないからいいのになぜ?

A 回答 (22件中1~10件)

貨幣は、社会生命にとっての需給をつなぐ血流であり、


適正な生産を促すものです。
人の生きる目的は「精神的充足量の最大化」であると
いっても、精神は肉体に依存する以上、精神性を核と
しながらも、投入は物質的生産性の向上を指向する
ための再生産につながるものであるべきです。

1個体において、たとえば脳の重さは体の2%ほど
ですが、消費カロリーは20%にもなります。
それは、脳が「指令役だからゼイタクをしている」
わけではなく、その方が全身として最大限に生命力を
発揮できるからです。

体に脂肪をためて病気になるほどのゼイタクはやめる
べきで、徴税>社会保障による富の再配分は必要ですが、
かといって、「高」福祉と掲げるのは危険です。
最高の省エネは、最小限の消費で最大限に働く事であり、
たとえば生産性の低い個体の役目(社会貢献)は、
消費を極限まで抑える事を意味します。
(物質的な「平等」を謳うのは反動に留まる=別の物欲)

真に「平等」にすべきは、精神的充足性においてであり、
そこにおける「幸福」は、お金で測られるものではなく、
努力(=自律的社会行動)に比例するはずのものです。
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日本の金持ちは貧乏人の事なんて考えません。

手取りが減るから反対してんですよ。

この回答への補足

ですよね。それを自己チューと呼びます。

補足日時:2010/02/20 23:28
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。「自己チュー」とは、「他人と自己が、共通の利害を有するという意識(社会生命的自覚)がない」ことを意味します。

お礼日時:2010/02/21 05:47

日頃から問題の根源を探り現実世界を観て行けば眼に映る世界と点対象にイデア界に諸々の問題を総合的かつ複合的に解決に向かわせうる国家像が形成されてくる。



専門家が単独で問題を扱いそれを単独で解決させようとしたものを集積させても根本的な解決になっていかない。
経済においても、人的資源においても間に合わせることはできない。

この回答への補足

「イデア界」てなんでしょう?

補足日時:2010/02/23 06:57
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民主党は日本の抱える問題の本質もとらえてないから


問題は解決に向かって収束しない。
政権交代したという過渡現象としてのその過程のみに意味がある。
利害に絡む腐れ縁が強制的に切れて行くための
そして流動化にあって人の質がよく見極められる。
権力を持った時
権力を失った時
の豹変の質によって
よく見極め篩にかける

ふるべふるべゆらゆらとふるべ

日本再生が本格的に始動する前の準備期間
大悲胎蔵生曼荼羅―金剛界曼荼羅
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NO13の方の意見すごく良い物感じました。


これは回答ではないですし僕の感想であって答えではないですが
僕はNO13のような方がいたことをすごくうれしく思います。
尊敬できる回答でした。共感も持てますし。こういう人が日本の頂点にでてきたら喜んで選挙も行くし喜んで日々を過ごせると思います。
金持ちは悪いなんて思いませんが資本主義の腐った部分が最近問題になっていてこの先ほんとにとんでもないい事態になると思います。
防ぎたいです。日本人として。NO13のような方がもっと人前に出てきてほしいです。
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http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …


平等ってのは、みんなが同じってことじゃない。
努力した人はその努力に報いたものを手にするってのが真の平等な社会。


西洋はキリスト教国が多いから、ノーブル・オブリゲーション精神がある。
恵まれた人は、そうではない人に恵まれた能力を使い助ける義務がある という考え。


実はこれには裏がある。
キリスト教はまず地主をキリスト教徒にした。
地主に特権を与えたわけです。後に貴族と呼ばれることになる人種です。
地主は農奴に土地を貸し、農奴は借りた土地で畑を耕し、農作物で借りた土地代を支払うわけです。
地主はそんなにもらっても食べ切れませんから、その作物をよそにうって利益を得るわけです。
農奴は自分の食べる分はなんとか確保するが、到底土地を買えるほどは貯まらないような納税率みたいなものになっているんです。
支払わなければ土地を貸してもらえず、自分が食べる分も耕すことができない。
農奴の使用人になったら、さらに手に入れられるものは減るわけです。


で、地主はそんな貧しい階級の人たちを哀れに思い、せめて精神的支えだけでもと、教会の建物などを作るわけです。
農奴たちが治めた作物で得た富を使って。

オランダにも大金持ちがおり、日本の金持ちとは桁が違うほど大金持ちらしい。
大金持ちたちは、農奴たち、、違った国民にとって生活必需品を売るわけです。
それが無いと生活できないものをね。
農奴は買わざるを得ず、ますます金持ちは金持ちになっていくので、日本とは桁はずれな大金持ちがわんさかいるわけです。

で、あるオランダの大金持ちは、農奴 ちがった国民に精神的なものとしてオペラハウスだっけ?を建ててあげたそうです。
「なんて素敵な人だ、自分の財産を削ってまで人に尽くすなんて」と思う農奴。
違う、還元ですね。
死ぬまでに使い切れないほど儲けさせてもらったので、次は名誉が欲しいので、名誉を買ったわけです。
その代金が、何億だっけ? まあ 大金持ちにしてみれば、微々たる金額です。

一部の人の生活水準だけ上げると消費数が減り、総合的な消費量が減るじゃないですか。
だからある一定の生活基準は確保し、その状態で消費させる方がもうかる。
だからオランダの大金持ちたちは総合消費量が多くなる高福祉社会が大歓迎なわけです。
騙されてない?
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そして民主党は守るべきものと変えていくべきものの分別がついていない。


そういうところからもしかしたら日本を根底から崩壊させてしまうかも知れないって予感がしてしまうんだよね。。。
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無から有を創造するときの基本的な思考のスタンスおよびプロセスが解ってないからそのテーマに沿って回答を寄せること自体無意味ということです。


今の日本の社会のもつ諸々の問題を総合的に解決に向かわせ住みよい安定した国民生活に至る国家像を結像させるということが必要なんであって。
その設計図に対してこれだけの金が要りますってことで国民の合意のもとに予算が組まれる。
先に高福祉高負担ということから入ったらそれだけで設計の融通性はなくなるだろ?
高負担で金がプールされればそれを使う官僚とそれを貰う生活保護系だけは潤うということが解るだけで
特定の人間のそういう固定観念にこだわるのはより良いものを創ろうとする時の意志に反する。
構想設計段階での邪魔になるだけですね。
それに日頃問題意識を持って社会を観察しその病根を分析できていれば今頃イデアとして具体的な構想図は仕上がっていなければならないくらいのはずだ。
今社会に顕在化している問題群の解決策は制度設計で済むような段階じゃないんじゃないの?
守るべきもの変えていかなければならないものを明確にし
具体的にどうなるかの姿を描いてやりそれに対して国民の合意を得るという一連のプロセスが求められるのだと考えます。
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お礼ありがとうございます。



私は質問者様の意見に反対出来ないなにかを感じている一人です。

例えば、現在年商1000万円の人が150万円税金払っていたとします。仮に、少し累進化を進めたら200万円払わせられることになる訳です。しかし、もしそうしてみて経済が効率化されて、成長したら年商アップして1100万円になるかもしれない訳です。ここを見落としてはいけないですよね。

経済成長というのは、産業のテクノロジーの発展にもつながると思います。中間層の創出により横のつながりが強化されて成長が期待できると思います。

現在は、日本は先進国ながらいろいろな面で発展途上ですよね。
私は、日常で疑問に思うことだらけです。

・あみをすでに独占している企業は、ツタヤの産業に手を出している、だったらもうどうせだったら、プロバイダもやっちゃえばいいのに。
・ゲームメーカーはブラウザをつけても、キーボードなどの文字の入力装置はつけていない。まずは端末のソフト対応で対処してみるのもありだと思うのだけど。ポート新設してソフト間の通信もあるし
・地域のため(地産地消の為)のケーブルがあってもいいのだと思うのだけど。
・新聞という媒体の方向性は。

何らかの利権が原因で後手に回って進化や発展が遅れている訳です。

横のつながりが大切だと思うのです。
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No.7です。


やはり、何かとても大きな見落としをしているような印象を受けます。
「税制で富が再配分されれば、日本人の皆が幸せに生きていける」というのは、やはりどうなのでしょうね。
「お金」が「幸せを運ぶ」というのですか?

「税制、お金」の制度改革以上、まずは、地域社会における交流、参加意欲をどう高めるかという「人間」に目を向けるべきではないでしょうか。
でないと、日本におけるデンマーク型の高福祉高負担の制度導入など、あなたにとって「現代のユートピア」の夢のままで終わってしまう、そんな気がするのです。

これも私の主観で恐縮ですが、北欧の人たちって、往々にして大柄で屈強、一晩寝ずともびくともしないように映ります。
そして基礎体力のみならず、精神的な志向性も同じく異なるように感じます。
もちろんそうでない人も当然いるでしょうね、
それでも仮に、OtamaFJ様がデンマークで農作業体験をなさったとしたら、彼等と同等のハード・ワークは出来ないのではないかしら(少なくとも当初は)。
普段の食事も、栄養豊富ながら、見た目はごく質素なものでしょうね、きっと。

そして何より相応の人口比率のもと、地域社会が相応に機能していて高福祉を支えているのが「税制以上に人的交流、ボランティア精神」ではないでしょうか。

翻ってかつての日本は「隠す文化」、つまり、身内の「恥」を晒さないとか、他人の世話にはならない云々という「大家族、親戚筋」による支え合いが主であり、
さらには「ムラ」の中で相互扶助の精神がそれなりにあったと考えられます。

そしてその精神は、デンマーク型の高福祉高負担を支えるそれとは、ちょっと異質のものだと思うのです。

つまり、「制度」として厳格に表立って定められるものではなく、内々にお互いを思いやって支え合ってきた、そんな感じでしょうか。
で、自分が若い時働いたから、歳をとったら面倒を若い身内や嫁にみてもらえるでしょう、とか。

家のためにやりたいことを犠牲にせざるを得ない若者もたくさんいたはず、でもその生き方をも、ありのまま肯定/容認してきた社会でもありました。

でも、地方ならまだともかく(過疎化の問題もありましょうが)、戦後の家族意識の変質、都市部への人口集中/流入などにより、従前の「算段」が脆くも崩壊してしまい、個の時代、お金で買えるサービスの時代になってしまいました。

同じ日本人と言っても、渋谷のスクランブル交差点ですれ違うお互いの財布やハンカチの落とし物を指摘し合うくらいならまだしも、双方の収入を均一にしましょう、なんて言うのは、ちょっと想像がつかないのですよね。

そのように考えるのであれば、地域ごとにある程度の小規模人員内での相互扶助/再配分といった方が、まだ現実味を帯びるのではないでしょうか。

最後に余談ながら、私は子どもの卒園した幼稚園での自閉症のこどもたちのボランティアに月1ほどで、今も参加させていただいております。
それは、こどもが園にお世話になったから、そして他のママ友も自ずとそのような趣旨で参加しているという、ごく他愛も無い動機からです。

あっちこっち動いて、こどもというのは、みな追っかけるのが大変なわけですが、
彼等はすごくマイペースだし、なにより可愛い。
あまり他の子がどうのという不平不満を言わない、いつもひたむきな印象を受けるのです。
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