『L・DK』上白石萌音&杉野遥亮インタビュー!

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 神はヨブが試されることを悪魔に許した。
 ヨブは試された。
 悪魔は困惑させられた。

 ヨブが神を自由に(神のために)礼拝すること 神を自由に(神のために)愛することを見出したからです。

 神がヨブに何か〔力〕を与えたもうからではなく 神ご自身がヨブから去りたまわなかったからであります。

 ヨブは言っております。

   主は与え 主は奪う。主はみこころの通りになされる。
   主の御名はほむべきかな。(1:21)

 と。試練の火はかれに迫った。しかし その火はヨブがわらではなく金であることを発見した。その火はそのものから不純物を取り除き 灰には変えなかった。
 (アウグスティヌス:Sermones 共観福音書説教 マタイ 説教91 茂泉昭男訳 )
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 これを哲学のことばで表わして欲しい。
 いまわたしに思い浮かんだのは 
 ○ 能天気
 ○ 聖なる甘え
 ☆ このふたつです。
 ヨブやアウグスティヌスへの批判をも含めて ご見解を明らかにしてご投稿ください。

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A 回答 (51件中1~10件)

 ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。

Hidocchiです。

> でも 生まれつきの病いについてはどうかと思います。つまり なかなか分からないところがあります。神の栄光が現われるためですとか説明があるかも知れませんが その合理性としての理解には 困難をきわめるように思います。Hidocchi さんもすべて分かっておられて この主題を出されたのだとも思います。
 はい、確かに愚生もそうでござます。
 もしかしますと、例えば、野口英世(彼の左手のやけどは先天的ではございませんでしたが)の医学の進歩へのある種のエネルギー、また憲法学者小林節慶大教授(左手は先天的奇形があるようでございます)の将来に向けた憲法論議、さらには、子供・兄弟が先天的病を持ったが故に、科学・医学の前進にエネルギーを注いだ方達もおられるかと思っております。
 「神は、彼らのある種のエネルギーを、見たい、見守りたい」 とそう思っているのではないか? と考えたことがございます。もちろん、正解は神のみぞ知るといったところかと思われますが………….
 
> ☆ この試練は ヨブと同じようにだとわたしも思います。
《もっと大きな業を行うようになる》にも希望を持ちたいと思います。

 愚生もかような希望を抱いている一人でございます。

>  ☆ 録画しまして いまの時点で半分ほどを見ました。《コンプライアンス》は出て来ました。
 これを《アマテラス語》の問題と受けとめました。
 ほかの人の質問で このアマテラス規範語は 枡にあふれる米を掻き棒でそぎ落とすかのように 四角四面の枠に人を嵌め込むと捉えて投稿しました。

 アマテラス規範語は、似非アマテラスが大きくし、さらに拡大解釈をもしていると思っております。
 さらなる、ご意見賜れば、幸いでございます。

> そして この”神へのコンプライアンス”は われわれ人間にとってむつかしいと来ています。甘えてもいけないでしょうし もはや甘えるくらいに――エポケーをも経つつ――甘えきったかたちになるほかないようにも思えますし。
 ▲ わたしは世間に対して 世間はわたしに対して はりつけになっています。

 これは、ひとはひとえに誰もが最も知りたいところかと存じます。ですが、超難問ですし、その回答が正しいかどうかは、その時点ではわからい という難しさもあろうかと考えております

 ご意見賜りまして、厚くお礼申しあげます。

この回答への補足

 Hidocchi さん 今回は 依然としてお互い分かりあぐねていると思いますが 今回は それにもかかわらず 微笑みがこぼれます。のぞみがあります。
 こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 ★  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 〔生まれつきの病いについてはどうか〕――「神は、彼らのある種のエネルギーを、見たい、見守りたい」 とそう思っているのではないか? と考えたことがございます。もちろん、正解は神のみぞ知るといったところかと思われますが………….
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 ☆ なるほどですね。通俗的に言うとすると 切り替えが出来るかどうかでしょうか。――正直に申せば この場合わたしは 人間の志向性や努力をも 要因の一つに容れて考えていたかも知れません。今回は 思いつかなかったです。以前に そういうふうに捉えたことがあったかという記憶です。
 でも おっしゃるように・そしてわたしもずっと考えていましたが まづ《自由》という答えがあるのがふつうだと思いますから。

 ★ アマテラス規範語は、似非アマテラスが大きくし、さらに拡大解釈をもしていると思っております。
 ☆ その通りですよね。似非アマテラス――アマテラスもどき。
 アマテラス予備軍。
 アマアガリ症候群に罹った人たち。
 アマテラス語方言へと単独分立して行った場合。
 そして 超アマテラス=スーパーアマテラス(すなわち 神のようにいかなるものの下にも立つまいと誓って ガリ勉資本主義もしくはガリ勉国家主義に走る人びと)。

 話は逸れますが ユダヤ人の考え方として面白い解説を得ました。ちょっと 紹介してみます。
 ▲ (内田樹:私家版・ユダヤ文化論) ~~~~~~~~~~
 ユダヤ人は行動する自分を、見つめ 思考する自分をみつめるように呪われているとサルトルは書く。しかし この呪いは本来すべての人間にかけられたものではなかっただろうか。人間は端的に人間であるのではなく 他人からの承認を迂回してはじめて人間になる(《自己意識はただ承認されたものとしてのみ存在する》)と書いたのはヘーゲルではなかったか?

  ◆ (サルトル:ユダヤ人問題) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  ユダヤ人はあらゆる種類の知識をむさぼるように吸収するが それを中立的な向学心と混同してはならない。というのは ユダヤ人は人間に関するあらゆる知識をかき集め 宇宙に対する人間的視座を獲得することによって 《人間》に 純粋な人間 普遍的な人間になろうとしてそうしているからだ。ユダヤ人が教養を身につけるのは 彼らのうちなるユダヤ人を破壊するためなのである。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 個別的・歴史的なエスニシティやナショナリティを脱ぎ捨てて 《端的に人間的であること》を目指すのは 諸国民のうちただユダヤ人だけである。だから ユダヤ人は《端的に人間的であろうとする》まさにそのみぶりによって 彼がユダヤ人であることを満天下に明らかにしてしまうのである。
  (pp.196-197)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ コスモポリタンという言葉もありましたが 面白い見方だと思います。でも 《日本人および人間》といったように或る種の仕方で 重層的であってよいでしょうか?

補足日時:2010/02/28 22:58
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補足の補足は蛇足を承知の上でで再度。


絶対帰依は哲学でも使用されうる言葉かと言われると「う~ん」と唸るしかないのですが、「絶対服従」と言う言葉を避けました。
何故なら、「絶対服従」には「私」がありません。「滅私」です。
しかし、「絶対帰依」には希望、不安、歓喜などの「私」が存在します。その意味で使いました。仏教、イスラム等の宗教的観念は は一寸置いて下さい。
もし、余りに仏教的な言葉であるとのことならば
    ○ナウマク YHWH
でも良いかと思います。(此処にも仏教用語と思しきものが出ますが)
ヨブは確か嵐の中からの声に対して、頭をうな垂れ、言葉を発しなかったと思いますが(違っていたら御免なさい。)、これを
    “「沈黙」の帰依”
と捉えたと思っていました。
この不条理の読み物には若い頃から興味を持っていました。
神の懐の中に悪魔がいる?俺が天地創造の時にお前は立ち会ったのか?
等などです。
それで、このカテには目を通してはいましたが、投稿はしないと決めていたのですが、ついついbragelonneさんに乗せられてしまいました。
大変失礼致しました。

この回答への補足

 1000827313 さん お早うございます。ご回答をありがとうございます。

 ★ 絶対帰依は哲学でも使用されうる言葉かと言われると「う~ん」と唸るしかないのですが、「絶対服従」と言う言葉を避けました。
 ☆ あぁ そうですか。そうですね。信仰のことだとわたしも言っていますが これは 信仰のことを哲学として分析した場合にも使うだろうという意味でした。あいまいでしたかも知れません。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 何故なら、「絶対服従」には「私」がありません。「滅私」です。しかし、「絶対帰依」には希望、不安、歓喜などの「私」が存在します。その意味で使いました。仏教、イスラム等の宗教的観念は は一寸置いて下さい。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ そうですね。用語を使い分けられたのですね。これでしたら よろしいのではないでしょうか。というのも いづれにしましてもまづ
 ★ 絶対
 ☆ が問題になると思うのです。その概念じたいの定義は 想定として もう泣いても笑っても相対を超えているのですから 人間の能力や努力の及ぶ余地はありません。ありませんがそれでも 人間が絶対〔の服従なり帰依なり〕をおこなうというのですから その場合には 実際問題として《想定としての概念そのままの絶対》ではないですね。《絶対的》というふうな言い方をして 曖昧さを添えておかねばならない用い方になるはずだと思うのです。
 すなわち指摘されているように
 ★ しかし、「絶対帰依」には希望、不安、歓喜などの「私」が存在します。その意味で使いました。
 ☆ と事割っておられるところです。ここで できましたらさらにその《わたし》という存在の介在にかんして《希望・不安・歓喜などの心的な要素》のほかに 《あいまいさ》をもつけ添えてもらえれば分かりやすくなるとも思いました。 

 ★ 仏教、イスラム等の宗教的観念は は一寸置いて下さい。
 ☆ これはそれでよいと思いますが その場合にも 《帰依》は 自分から人間の意志行為としておこなうのか それとも或る意味で向こうから(つまり絶対のほうから)さそいが来るのか という問いは残ると思います。

 そして
 ★  ○ ナウマク YHWH
 ☆ が来ますが どうなんでしょう? ヤハヱーについてはヨブの問題ですから 考えてまいりますが 《ナウマク》については《帰依》という意味のほかに 真言密教でしょうか 深い意味があるのでしたら それについてはわたしはまだ聞いていませんので なんともお応えのしようがありません。つまり 残念ながら分かりません。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ヨブは確か嵐の中からの声に対して、頭をうな垂れ、言葉を発しなかったと思いますが(違っていたら御免なさい。)、これを
    “「沈黙」の帰依”
 と捉えたと思っていました。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ そうですね。わたしの理解では――いきなりですが―― おっしゃるところの《“「沈黙」の帰依”》をヨブは その初めから持っていたのではないか。つまり 物ごころがついたときから すでに与えられていたのではないか? こう採っていますが どうでしょう?
 ◆ (ヨブ記 40:3-5) ~~~~~~~~~~~~~~~
 ヨブは主に答えて言った。
  ――わたしは軽々しくものを申しました。どうしてあなたに反論などで
   きましょう。わたしはこの口に手を置きます。
    ひと言語りましたが、もう主張いたしません。ふた言申しましたが、
   もう繰り返しません。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ 試練に遭って その信仰がぐらついたのか どうだったのか。これについては いづれにしても――つまり どれだけぐらついたとしても――
 ▲ (α) 神ご自身がヨブから去りたまわなかった。
 ☆ と解釈しうるのだと思います。それどころか
 ▲ (β) 試練の火はかれに迫った。しかし その火はヨブがわらではなく金であることを発見した。その火はそのものから不純物を取り除き 灰には変えなかった。
 ☆ という結果さえついて来ました。どうなんでしょう? おっしゃるところを咀嚼しますと つまり

補足日時:2010/03/06 12:41
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この回答へのお礼

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 この不条理の読み物には若い頃から興味を持っていました。

 神の懐の中に悪魔がいる? 俺が天地創造の時にお前は立ち会ったのか?
 等などです。

 それで、このカテには目を通してはいましたが、投稿はしないと決めていたのですが、ついついbragelonneさんに乗せられてしまいました。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ などなどを拝読しますと およそ(α)や(β)の基本線で了解されているのかなぁと思うとともに どこか 1000827313 さんは独自に むつかしい側面のほうをくわしく読み解こうとされているのではないか? 

 つまり 試練の中身やら あるいは同じことで神と人間との絶対的な格差やら あるいはおっしゃるように《神の懐の中に悪魔がいる?》といった一見したところ矛盾する内容やら さらにはたぶん友人たちの議論もやはり一見するとさもありなんと思われる中身であるのにけっきょく通らなかった(ヨブに負けた)ことやら これらの《不条理》をむつかしく解釈される方面も見受けられる。このように感じました。

 そういう能天気のわたしの文章でも 1000827313 さんをお誘いできたのならばよかったと思いますが たぶん単純と複雑との違いではないかと考えます。はてさて どんなものでしょう?

お礼日時:2010/03/06 12:48

 こんばんは、どうも私的なものごとにまで、お聞きする次第となってしまい、申し訳ない限りでございます。



 ですが、bragelonne様も回復されたとお聞きしましたので、何よりでございます。もし、このOKWaveがなければ、そしてbragelonne様とお会いしなければ、愚生はどうなっているやら と思っている次第でございます。
 経験世界と非経験世界(非思考世界)との両世界に対するご考察につきまして、愚生をはるかに上回る鋭い洞察力をお持ち合わせた方はお目にかかったことがないものですから.......

 そして、愚生に対する励ましのお言葉、どうもありがとうございます。
 このご恩は、ゆきやま様にお返しできればと思っております。

 実を申しまして、眠狂四郎は、テレビの再放送で小学生の頃、印象深く見ただけでございます。従いまして、そのニヒリズムを漂わせた感覚というのは、愚生には理解できないでおりました。ただ、”円月殺法”だけはなぜか記憶に残っていた次第でございます。

> 質問も考えてまいります。

 期待させていただいている次第です。ゆきやま様も徐々にご回復され、質疑応答しあえる日を祈りつつ、今回のご返答へのお礼を申し上げたいと思います。
 どうもありがとうございました。
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この回答へのお礼

 ご返答をありがとうございます。

 円月殺法から竪琴に切り替えまして 例によって 詩歌をお贈りしたいと思います。

【Q: 「自分を閉じ」た事の有る方、集合!! 】その回答No.5です。
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4731792.html

 ☆ アポロンの生誕 ☆


 砂の海に
 立ち込めた
 陽炎が
 しなやかな身体を
 くゆらせ
 ボレロを舞い
 魔法使いの鏡の中で
 か細い腰を
 さらに細めながら
 昇天してゆき
 なおも激しく
 また登り始めたかと思うと
 異教の寺院で祈る娼婦のように
 長々と寝そべり
 半透明の捩じれを
 駄々をこねながらも
 あたり一面に散らして
 晴れ上げるとき

 虹色の南の風が立つとき

 一群れの鳥が
 はばたき始め
 次からその次へと
 一気に翔けのぼり
 うず高く浮かび上がり
 さらに翔けのぼり
 瀕死の陽炎を追いかけ
 ふたたび急降下し
 みたび舞い上がり
 チョコレート色の翼一杯に
 そよぐ風を浴びて
 砂の海を
 去ってゆく

 ひと群れの
 うずら
 初夏

 ・・・
 (つづく)

 * 季節も合わず かなり異教的ですが。

お礼日時:2010/03/03 23:06

 こんばんは、Hidocchiです。

ご返答賜り、厚くお礼申しあげます。

> 日露戦争のときに日本国債を買ってくれたのは ユダヤ人資産家だったのだそうですね。

 かのロスチャイルドかと記憶しております。米国のロックフェラーと比較され、
”ロックフェラー 対 ロスチャイルド” の図式の陰謀論がもてはやされているうようでございます。

 確かに、かの戦争におきまして、最も利益を上げたのは、ロスチャイルドだったと言われております。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B9% … からでございます)。

> あたらしい質問がなかなか思い浮かびません。

 今まで、これだけのご質問をなさって来られたのには、むしろ感嘆の念を禁じえません。全く驚かされるばかりでございます。

> ゆきやまくんは クリスチアニズム・ブディズムはもちろんですが グノーシス主義やカバラーなどなど相当詳しく世界の宗教について研究しているようです。対人関係で難儀しているようでもあります。

 愚生も、ゆきやま様のことが気になり、回答なるものを寄せさせていただいております。

 因みに、愚生も最近質問させていただいたことがございます(笑)。
 http://dell-support.okwave.jp/qa5687306.html

 おそらく、自分では、現実逃避のような気がしております(不思議がるのは、愚生だけでなく、親戚の者もそのようでございますが)。

 もし、ゆきやま様に対し、愚生におかしな発言が見られた場合、”注意”してくださいませ。何卒、よろしくお願い申し上げます。

この回答への補足

 Hidocchi さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 ○ ジェイコブ・シフ
 ☆ この名前です。思い出しました。アメリカ人として記憶していましたが ロンドンのロスチャイルドとの縁があるのですね。
 ▲ (ヰキぺ:ロスチャイルド家) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 日本が日露戦争を行う際、膨大な戦費をまかなうため外貨建て国債を発行したが、日本の国力に疑問を持つ向きが多かった。そうした中で、ニューヨークの銀行家でユダヤ人のジェイコブ・シフが支援を申し出たため、外債募集に成功した。シフの働きはロンドンのロスチャイルド家の意向を受けてのものであった。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ ちなみに ワ゛チカンとつながりましたね。
 ▲ (ヰキぺ:同上) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 パリのロスチャイルドは、1870年に資金難にあえぐヴァティカンに資金援助を行うなどして取り入り、その後ロスチャイルド銀行は、ロスチャイルドの肝いりで設立されたヴァティカン銀行(正式名称は「宗教活動協会」、Instituto per le Opere di Religioni/IOR)の投資業務と資金管理を行う主力行となっている。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 このあとご質問を拝見しました。
 知らないこととは言いながら――ちらっと お母様のことでご苦労されているとうかがったと思っていたのですが―― たいへんのんきに言葉をやり取りしていたものだなぁと我れながら はづかしいやらあきれるやら。・・・でもでも Hidocchi さんは しっかりと受け答えしていただいていましたので その点では じゅうぶん堂々と振る舞われているとお受けとめします。まづは 少しづつにでも もとの元気なおすがたになられることをこころに思います。

 思えばわたしもちょうど二千年とその前の年に母親と父親とを亡くしました。その前までは 小腸がんと脳内出血で闘病しておりましたので 突然ということはなかったのでした。そのあたりで それまで家に引きこもっていた妹が 統失ということで入院することになりました。家で介護も出来ないものですから。いまは 洗濯をやってやりお菓子を持って見舞いに行く程度で済んでいます。
 このOKWaveに参加した少し前までは 体調を崩して――全般に以前より弱ったというような格好です―― ほとんど本を読まず新聞もざっと読む程度で 日中だけは仕事の態勢でいました。この休養とそして納豆療法がよかったのでしょうか おかげさまで或る程度回復したという格好で推移してきています。
 妹は 極楽とんぼのようで あっけらかんとして おやつを食べています。特に不都合もないといった状態です。薬についてわたしも勉強しようと思って少しはしましたが だから医師に替えてくれとか減らしてくれと言えないのがつらいです。おとなしい状態は 薬のせいかも知れず 全然副作用がないというわけでもないようです。

 ゆきやま氏は わたしに就きすぎるといった状態がありましたので 少し話を控えている部分があります。Hidocchi さんなら よき話し相手になってくださると思っております。

 思えばまだ二十代のころ そしてまだアウグスティヌスにも出会っていなかったとき わたしがふと口に出してその後 Hidocchi さんにも触れていただいている眠狂四郎ですが この小説にも どこか避けどころを得たような感じを持ったことがありました。世の中が壁のように感じられたころです。たしかに 外国人宣教師と日本人とのあいだに生まれてきたということですから 生きるのにそれなりの苦悩があったということでしょう。柴錬は けっこうあったかいニヒリズムに仕上げたようです。

 Hidocchi さんもそうなのかも知れないのですが わたしは自分のことを話すのが あまり気が向きませんで この質疑応答もほんとは それこそゆきやまくんのように 堂々と私的・公的なことを書いてもわるいわけではないとも思っていますが どうなりますやら。

 質問も考えてまいります。

補足日時:2010/03/03 21:27
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 こんばんは。

ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。Hidocchiです。

> ☆ ということは 《A 市市民 / A′地域民 / 日本人 / アジア人 /・・・ 地球人》の重層的な文化や価値観をできるだけ身につけたような人物像でしょうか。

 またもや愚生の拙い文章で誤解を招いてしまい、誠に申し訳ございませんでした。
 別段、理想像を挙げている訳ではございません。ご記憶にあろうかとは存じますが、日本の稲作が、寒冷減少により不作となり、東南アジア等からコメを輸入したことがあったかと存じます。その際、”臭い”だのいろいろと言う人たちも多かったかと記憶してございます(減反政策の失策もあったのは、事実だったかとも考えております)。

 そこで、愚生が思うのですが、当地の人たちに対する偏見みたいなものがあったのかな とも考えております。こうした”お米”も当地の人たちにはかけがえのない食物であり、当地の人たちの味付け(料理方法)等では、おそらく美味しかったのではないかとも思っております。つまり、多少の文化は違えど、同じ人間であるという確信、そして互助の精神なるものがかような偏見を乗り越えて行ってほしいとの希望念からの発言でございます。

> ユダヤ人論については 追い追いうかがわせていただきます。

 今、ネットで発注してしまいました(笑)。ご参考になるご意見を申し上げることができればと願っております。

 ご一読いただきまして、厚くお礼申しあげます。
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この回答へのお礼

 Hidocchi さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 早合点だったようですね。
 ★ つまり、多少の文化は違えど、同じ人間であるという確信、そして互助の精神なるものがかような偏見を乗り越えて行ってほしいとの希望念からの発言でございます。
 ☆ つまり 互いに差異の受容をこころがけること。になりましょうか。

 内田樹の本は 自分の考えとして問い求めている姿勢がよかったと思います。
 日露戦争のときに日本国債を買ってくれたのは ユダヤ人資産家だったのだそうですね。帝政ロシアでユダヤ人の粛清があったことより 日露戦争では 日本の側に援助をしたのだと。(アメリカの援助があったことは聞いていましたが)。

 ○ 木田元:なにもかも小林秀雄に教わった 2008
 ☆ によりますと ハイデガーは ナチス党員となったわけですが これは自分の思想で国家社会主義を引っ張って行ってやろうと思ってそうしたようだと言います。だから 戦後 言い訳も反省もしなかったのだと。その野望は ほどなくくじかれてしまったということで。

 あたらしい質問がなかなか思い浮かびません。

 ゆきやまくんは クリスチアニズム・ブディズムはもちろんですが グノーシス主義やカバラーなどなど相当詳しく世界の宗教について研究しているようです。対人関係で難儀しているようでもあります。

お礼日時:2010/03/02 20:48

 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。

Hidocchiです。

> 通俗的に言うとすると 切り替えが出来るかどうかでしょうか。――正直に申せば この場合わたしは 人間の志向性や努力をも 要因の一つに容れて考えていたかも知れません。今回は 思いつかなかったです。以前に そういうふうに捉えたことがあったかという記憶です。
 でも おっしゃるように・そしてわたしもずっと考えていましたが まづ《自由》という答えがあるのがふつうだと思いますから。

仰いますように、ひとの”自由(意思)”はその根底にあるものと解してございます。

> そして 超アマテラス=スーパーアマテラス(すなわち 神のようにいかなるものの下にも立つまいと誓って ガリ勉資本主義もしくはガリ勉国家主義に走る人びと)。

 もはやどうしようもない方たちなのでしょうが、もしかしますと、国民が第一次・二次護憲運動のような勇気をもてば、違った国にもなろうかと考えております。

(第一次・第二次護憲運動:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%AD%A3% …  からでございます。) 

> 話は逸れますが ユダヤ人の考え方として面白い解説を得ました。ちょっと 紹介してみます。
 ▲ (内田樹:私家版・ユダヤ文化論) ~~~~~~~~~~
 ユダヤ人は行動する自分を、見つめ 思考する自分をみつめるように呪われているとサルトルは書く。しかし この呪いは本来すべての人間にかけられたものではなかっただろうか。人間は端的に人間であるのではなく 他人からの承認を迂回してはじめて人間になる(《自己意識はただ承認されたものとしてのみ存在する》)と書いたのはヘーゲルではなかったか?

 独特な(固有な)発想形式をもっているのですね。ナチス時代にユダヤ人が迫害されたのは事実でございますが、ヒトラーはじめNo.2のヒムラーも大虐殺には賛同しなかったとされています(下記ウェブをご参照くださいませ)。おそらく、ひととの関係の取り方が(もちろんビジネスでの商売のうまさも含まれると思われますが)、ユダヤ人に対するルサンチマンのため、当時のドイツ人には、存在が許されなかったのかもしれません。

(アイヒマンの実績は注目され、1944年には計画の捗らないハンガリーに派遣される。彼は直ちにユダヤ人の移送に着手し、40万人ものユダヤ系ハンガリー人を列車輸送してアウシュヴィッツのガス室に送った。1945年にドイツの敗色が濃くなると、親衛隊全国指導者であるハインリヒ・ヒムラーはユダヤ人虐殺の停止を命令したが、アイヒマンはそれに従わずハンガリーで任務を続けた。彼は更に武装親衛隊の予備役として委任させられていたため、戦闘命令を回避するために自らの任務を継続していた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89% …  からでございます)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 実に面白い推察かと思われます(買って、読んでみたいと思います。)。

> ☆ コスモポリタンという言葉もありましたが 面白い見方だと思います。でも 《日本人および人間》といったように或る種の仕方で 重層的であってよいでしょうか?
 均一化・グローバリズムには賛同致しかねます。ですが、各”国”、各”市(or 地域) ”との連絡、交通網を普及させ、しかし、お互いの価値観(発展途上とみなされている国々もあろうかと考えられますが、かれらの文化等からも、日本は学ぶべきことが多いと考えております)を尊重し、EUがある程度日の目を見たように、(例えば、アジア内等)のような大きな枠組みで、歩み寄っていく必要があろうかと考えてはおります。
 市民が選んだ政治家(当然、選ばれた以上は権利と責任を担うことになります)と、一般市民との間の”階層化”という点につきましては、幾分議論があろうかと察せられますが(国家の予算等を決める権限を国民自信が付与しているからでございます)、これ以外(国民と政治家との階層以外)は必要性はみられないかと考えております。現在必要なのは、真に有能な(ガリベン君とは異なります)リーダーを選び、そして、そのリーダーが、優秀なテクノクラートに対して、方向性を示しつつ、指導力を発揮していくことが望まれているのではないかと そう考えている次第でございます。

 駄文、ご一読いただきまして、厚くお礼申しあげます。

この回答への補足

 Hidocchi さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 ★ (第一次・第二次護憲運動:
 ▲ (ヰキぺ:大正デモクラシー) ~~~~~~~~~~~
 ・後世の評価
 大正デモクラシーは戦後民主主義を形成する遺産として大きな意味を持ったと指摘する論者もライシャワーをはじめ数多い。また、石橋湛山は自著『大正時代の真評価』において大正時代を「デモクラシーの発展史上特筆大書すべき新時期」と評価している。

 一方で、この思想を基本とする保守派知識人達は戦後世代から「オールドリベラリスト」と呼ばれる。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 戦後になって 民主主義の世の中であるのに 必ずしもこの第一次・第二次の護憲運動のような民主政要求がどこか弱かったのは 治安維持法の後遺症のようなものがはたらいたのでしょうか? 
 というのも 天皇制と資本主義体制に対して批判めいたことを言おうものなら まるで条件反射のごとく大方の周りの人びとは 眉をしかめにらみつけるという振る舞いに及んだように思います。
 それといわゆる学生運動ですが――見聞きしたのは六十年代後半でしたが―― どうも現実味がなかったのでした。理論追究に徹するのならそれはそれでよいのですが どうも目の前の問題に対して反対を叫ぶだけであるように感じていました。二次にわたる護憲運動をいま聞くにつけ どうも足が地についていない感じを受けていたことを思い出しました。
 ま これからとまいりましょうか。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ですが、各”国”、各”市(or 地域) ”との連絡、交通網を普及させ、しかし、お互いの価値観(発展途上とみなされている国々もあろうかと考えられますが、かれらの文化等からも、日本は学ぶべきことが多いと考えております)を尊重し、EUがある程度日の目を見たように、(例えば、アジア内等)のような大きな枠組みで、歩み寄っていく必要があろうかと考えてはおります。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ということは 《A 市市民 / A′地域民 / 日本人 / アジア人 /・・・ 地球人》の重層的な文化や価値観をできるだけ身につけたような人物像でしょうか。

 共同自治として 指導者と行政補佐(テクノクラート)そして一般市民との協力関係が大事で どのようにうまく働かせるかで決まってくるでしょうね。

 ユダヤ人論については 追い追いうかがわせていただきます。

補足日時:2010/03/01 22:10
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 こんばんは、ご意見いただきまして、どうもありがとうございました。

Hidocchiでございます。

> ☆ この問いを裏返して言えば 《神は何でも出来て 救いを求めている者をすべて救う》ということになるでしょうか? 
端的に言って この問いもしくはその裏が その概念内容として 《神》ではないからだと思います。 
《神が わたしを救った》と言っても それがほんとうに神であるかどうかは分からないからです。
 《神は死の苦しみを味わっているわたしを救わない》も それがほんとうに神について語っているかどうかが わたしたち人間には分からないと思います。

神がいるのであれば、どうして虐待に苦しむ子供たちを神は救わないのか?
→ 「神がいるのであれば、虐待に苦しむ子供たちは救われる。」を言っているものと察せられます。そこで、
命題:「神がいるのであれば、虐待に苦しむ子供たちは救われる。」 の対偶をとりますと、
「虐待に苦しむ子供たちは救われないのならば、神がいない」 となろうかと考えられます。
前者の ”「虐待に苦しむ子供たち」は救われない”という文言の曖昧性を、突いておられるのですね。改めて、ご賛同させていただきます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

>  神にヨブのように文句を言うこと(それは 自由でありゆるされていると思われる:以下のマルコ伝からでしょうか?)と神に願いを言うこととは 別なのだろうか?

 ▲ (ヨハネによる福音書14:16) ▲ (ヨハネによる福音書14:12-14)
 ☆  《もっと大きな業を行うようになる》というのは その人間が出来るようになるという《大きなわざ》も キリスト・イエスつまり神の意志と力によって成すことができるようになるわけです。キリストとは別様にではないわけです。 
そういう意味でも考えてみるかぎりでは 《イエス・キリストの名によってキリスト・イエスに何かを願うならば 神がかなえてくれる》となるはずです。
 これで ひとつの条件が明らかになり イワンの疑いには答えているかも分かりません。神が 何でもせっせと神のほうからやってくれて救ってくれるというものでもないのかも知れません。

 筋のとおった論理展開には、いつもながら驚かされます。
愚性も、ひとには、たとえば、「これも試練だ!」と思い、踏ん張る方もおられるでしょうから。これは全くもって”自由”かと考えております。

参考
マルコによる福音書 3章28から39節
まことに、あなたがたに告げます。人はその犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。
しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
 朝まで生テレビを見ましたが、”コンプライアンス”の問題も含め(以前にご紹介させていただきました 郷原信郎著「思考停止社会」もこのコンプライアンスには反対でした。ちなみに愚生もでございます。コンプライアンス=黄門様の印龍となってしまい、それを守ることだけ:自己目的化されかねないからでございます。)、後の世代の方々にも、喜び・楽しみを分かち合えるような社会を形成する必要性を、考えさせられました。

 ご意見賜りまして、どうもありがとうございました。

この回答への補足

 Hidocchi さん 褒めていただき賛同いただきましたが 何ともお恥づかしいです。
 以前でしたら・つまり少し前でしたら 《えこひいき》で説明していたところです。
 ――まづは ご回答をありがとうございます。こんばんは。

 《虐待》は まだ社会的な問題として対処する余地があるかも知れません。ですから 人間の知恵と努力とで何とかしようとする部分もあると考えます。
 でも 生まれつきの病いについてはどうかと思います。つまり なかなか分からないところがあります。神の栄光が現われるためですとか説明があるかも知れませんが その合理性としての理解には 困難をきわめるように思います。Hidocchi さんもすべて分かっておられて この主題を出されたのだとも思います。

 問い求めを 共有することができる。こういう説明つまりその実践が思い浮かぶにとどまっています。
 ★ 愚性も、ひとには、たとえば、「これも試練だ!」と思い、踏ん張る方もおられるでしょうから。これは全くもって”自由”かと考えております。
 ☆ この試練は ヨブと同じようにだとわたしも思います。
  《もっと大きな業を行うようになる》にも希望を持ちたいと思います。

 ★ 朝まで生テレビを見ましたが、”コンプライアンス”の問題
 ☆ 録画しまして いまの時点で半分ほどを見ました。《コンプライアンス》は出て来ました。
 これを《アマテラス語》の問題と受けとめました。
 ほかの人の質問で このアマテラス規範語は 枡にあふれる米を掻き棒でそぎ落とすかのように 四角四面の枠に人を嵌め込むと捉えて投稿しました。
 ★ コンプライアンス=黄門様の印龍となってしまい、それを守ることだけ:自己目的化されかねないからでございます。
 ☆ 黄門さまの印籠は お墨付きの問題であるでしょうし アマテラス規範語ないしアマテラス公民のやはり《無謬性》の問題にもかかわっているように思います。
 また《文字は殺し 霊は生かす》を薄めた内容として 広く経験事象についても当てはめることができるとも考えます。文字なるアマテラス科学語は 最終の根拠ではなく 最終の根拠は霊なる無根拠であると。なぞであると。
 そして この神へのコンプライアンスは われわれ人間にとってむつかしいと来ています。甘えてもいけないでしょうし もはや甘えるくらいに――エポケーをも経つつ――甘えきったかたちになるほかないようにも思えますし。
 ▲ わたしは世間に対して 世間はわたしに対して はりつけになっています。
 ☆ とパウロは言います。このわび・さびの地点も 大事なように思います。つつしみまして。

補足日時:2010/02/27 21:33
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こんばんは、bragelonneさん。



 いまわたしに思い浮かんだのは 
 ○ 能天気
 ○ 聖なる甘え
 ☆ このふたつです。

もう一つ加えさせて頂きます。
 
 ○絶対帰依

余計な一言だったら申し訳ありません。
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この回答へのお礼

 1000827313 さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 そうですね。
 《余計》ではなく 《直計 あるいは 中核計》でしょうね。

  ○ 絶対帰依

 ☆ ブディズムだけではなく イスラームがそうでしょうし しかも信仰一般は そういうことなのでしょうね。
 どうですかねぇ。というのもわたしは
 ☆☆ これを哲学のことばで表わして欲しい。
 ☆ というのが 今回のねらいだからです。
 ただし 帰依も絶対も 哲学のことばとして通らないわけではないですね。
 たぶんそのときには 《では その帰依は 自分からみづからの意志と努力とで達成するものか?》という問い返しが来るでしょうね。
 《絶対》とついているから その《絶対》のほうから ちからがはたらいて われわれをして帰依せしむると捉えてよいのか?

 この《絶対》からの働きかけ――あるいは こころの窓のノック――は いつ来るのか?
 来るまでは どうするのか?
 来たとき 帰依するとは はたしてどうすればよいのか?

 そういったことも 知りたいところでしょうね。
 どうでしょう? こんなふうに思いました。

お礼日時:2010/02/27 18:55

 こんばんは、ご返答賜りまして、厚くお礼申し上げます。

Hidocchiです。

> 神のみこころに誤って触れると分かったときには そうですね まづむろん《預言=解釈》という姿勢は外します。
さらに もし社会的な施策などとして一応妥当なものであればただちに いくつかある選択肢のひとつとして社会思想の問題に切り替えます。あぁ ずるい!!

 因みに、愚性もそう致します(笑)。

> 軌道修正と言いますか 今頃 開放系に切り替えております。

 承知いたしました。

> いづれにしましても かのなぞのちからが《成長させてくれます》から その下にすすんで行きたいと思います。いろいろ 突っ込んでくださいませ。

 お言葉に甘えまして、以下のご質問をさせていただきました。

質問 http://okwave.jp/qa/q5514795.html からでございます。
(3)との関連なのですが、ドストエフスキーの言う「神がいるのであれば、どうして虐待に苦しむ子供たちを神は救わないのか?」(「カラマーゾフの兄弟」からの無神論者イワンの言葉でございます)

 この「神は救わない」という理由等をお持ちでいらっしゃるでしょうか。

 ご返答のほど、頂戴できれば、幸甚に存じます。

この回答への補足

 Hidocchi さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 ええっと 神義論ですよね。

 ◆ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  (3)ドストエフスキーの言う「神がいなければ全てゆるされる」という言葉の意味が理解できません。「神がいない」という考え方の方が、「神がいるから何でも許してもらえる」と思えてなりません。「何でもあり」という感じに受け取れます。違うのでしょうか?「いなければ」という日本語も少し怪しいですが…「神がいるから許されない」という意味ですか?
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 (3)との関連なのですが、ドストエフスキーの言う「神がいるのであれば、どうして虐待に苦しむ子供たちを神は救わないのか?」(「カラマーゾフの兄弟」からの無神論者イワンの言葉でございます)

 この「神は救わない」という理由等をお持ちでいらっしゃるでしょうか。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ この問いを裏返して言えば 《神は何でも出来て 救いを求めている者をすべて救う》ということになるでしょうか?
 端的に言って この問いもしくはその裏が その概念内容として 《神》ではないからだと思います。
 《神が わたしを救った》と言っても それがほんとうに神であるかどうかは分からないからです。
 《神は死の苦しみを味わっているわたしを救わない》も それがほんとうに神について語っているかどうかが わたしたち人間には分からないと思います。

 でも――つまりそうであるとした場合 そうであるとしても・または そうであるにもかかわらず―― キリスト・イエスは 何でもわたしに願いなさいと言っているではないか? すべてかなえてあげようと。
 つまり:
 ▲ (マタイによる福音書18:19) ~~~~~~~~~~~
 また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。
 ▲ (ヨハネによる福音書15:7) ~~~~~~~~~~~ 
 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ いくらか条件もついているようですが それはそれとして この《願いとそれが叶えられること》は それでは《神》の意志あるいは力と違うのか? つまりこれも ただの喩えなのだろうか?

 神にヨブのように文句を言うこと(それは 自由でありゆるされていると思われる)と神に願いを言うこととは 別なのだろうか?


 ▲ (ヨハネによる福音書14:16) わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者(* すなわち聖霊なる神)を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
 ☆ ということは 信じる者に確実に実現するとは思っています。
 さらにヨハネで:
 ▲ (ヨハネによる福音書14:12-14) ~~~~~~~~
 はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。
 わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。
 わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆  《もっと大きな業を行うようになる》というのは その人間が出来るようになるという《大きなわざ》も キリスト・イエスつまり神の意志と力によって成すことができるようになるわけです。キリストとは別様にではないわけです。
 そういう意味でも考えてみるかぎりでは 《イエス・キリストの名によってキリスト・イエスに何かを願うならば 神がかなえてくれる》となるはずです。
 これで ひとつの条件が明らかになり イワンの疑いには答えているかも分かりません。神が 何でもせっせと神のほうからやってくれて救ってくれるというものでもないのかも知れません。

 そうですね。ここまででしょうか わたしのちからは。

補足日時:2010/02/27 00:18
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 こんばんは、ご返答賜りまして、厚くお礼申し上げます。

Hidocchiです。

> ☆ なるほど。おっしゃるとおりだと納得しました。それでこそ科学ですよね

  ご同意くださり、誠にありがとうございます。

> ★ ナチスとの協力
 ☆ これは やはり映画で『枢機卿』というのを見ました。これは アメリカ人で枢機卿になるという人の話でした。かれは オーストリアの司祭が ナチスに協力的であるので 諫めに行っていました。そういう側面もあったのだと思いますが 微妙ですね。日本の仏教界と言い。

 少し話が変わってしまいますが、 ”宗教法人“ and ”売買“でGoogle検索してみますと、多数ヒットしてきます。確かに「信教の自由」は認められるべきでしょうけれど、日本の”宗教法人法“には、メスを入れる必要があるのでは? と考えさせられます。

> ○ 第二の死
 ☆ 大きな議論になりましたね。黙示録は すいぶん久しぶりな感じがします。
 まづ アウグスティヌスは 《予定説》ではなく《予知説》だと思います。人間がその自由意志で行為すること 一人ひとりの人間がそれぞれ簡単に言って善と善でないことの二つの方面での意志行為をなすこと これを神は予知しているというものだと考えます。

 《予知説》なのですね。ご教示いただきまして、どうもありがとうございます。

> いま敢えてアウグスティヌスらの解説を見ずに考えますと 
1. 第二の死は 第一の死 これが死ななくなると聞いています。
2. だとすると 第二の死に落ち入ったひとは いい加減長く生きていて 死にたくても死ねない状態にあると捉えられます。
3. こころは熱く燃えるが からだは冷えている。もしくは その逆の身と心の状態に落ち入りつづけている。
4. 永遠の火の中にある。と言うのは 想像しがたいので わたしは 《深い谷を まっさかさまに落ちて行きつづける状態。一万年のあいだ。しかも 意識が失われることがないという》と捉えたことがあります。
Hidocchi さんとの違いをわざと出すとしますと まづ《地獄》も第二の死も その当人の問題だと わたしの場合 捉えていることです。地獄の状態にいたいと言うのであれば そのまま放っておきます。

 つまり、「来るものは拒まず、(第二の死へと)去るものは追わず」というところでしょうか。 “確かにそちらの方が快適だ!”と思う人もおられるでしょうから。愚生にも十分頷けるところがございます。この現実世界には“エントロピー増大の法則”なるものが存在します。つまり、全ての事象とは乱雑な方向に進んでいくというものです。この方向性に自然と進んでいくひとも確かに否定はできないように考えられます。
(“レポートエントロピー増大の法則” からでございます)

 一方、以下のような説も立てられました。確かに“負のエントロピー”自体はその存在は否定されておりますが、ひとにはエントロピー増大とは”逆方向の意志”は存在しているものと解しております。(例えば、若いときのように、ハリのある肌でいたい。それには、コラーゲンの入った食事と適度な運動をする 等でございます)

 生物学にけるエントロピー
「シュレーディンガーは、生命をネゲントロピー(負のエントロピー)を取り入れエントロピーの増大を相殺することで定常状態を保持している開放定常系とした。負のエントロピー自体は後に否定されたが、非平衡系の学問の発展に寄与した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3% … からでございます。)
 
> もっとも パウロは あたかも人間が裁定する場合があるということをにおわせてもいます。まづ大前提を述べます。
▲ (コリント前書3:6-7) ~~~~~~~~~~~~~~
わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。
ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ そのあと次のように 自分の務めないし役割について触れています。
▲ (同上4:1-29) ~~~~~~~~~~~~~~~~
こういうわけですから、人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計をゆだねられた管理者と考えるべきです。
この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
確かに、初めて愚生がパウロのこの文章を読んだ際には、ある意味衝撃を受けました。普通は謙虚なのに、ここでは、言ってのけているからでございます。パウロ=神の啓示を受けたもの との考えから、コリント人への自省を促すために敢えてかような発言をしたものと解しておりました。ですが、bragelonne様のような解釈も十分、検討の価値があろうかと思われます。“ひとたるものも、軽視すべきものではない”このことは、断定できようかと考えております(どこに預言者がいるかわかりませんから)。

> 道が広がればいいのですが こればっかりは またまた崖っぷちの議論になった模様です。このわたくしの大胆ぶりは どうしたものでしょう? (この《4:1-2》の内容について 考えがあるという意味ではありません。何もありません。ひとえに 《預言=解釈》が一般的に ありうるのではないか。つまり 明らかにしていただいたように 第二の死についてのそういう意味での預言もありなのではないか。こういう思いです)。

 まさしく、“円月殺法”を受け(!?)ました。bragelonne様の凄まじく深い“思弁的”解釈には、恐れ入ります。“崖っぷちの議論”とのご感想でございますが、いえいえ、案外中道を行っている可能性も否定できなものと解しております。

 駄文、ご一読賜り、厚くお礼申し上げます。

この回答への補足

 Hidocchi さん こんばんは。またわたしが出しゃばってしまったようで もう少しきちんと用意してものごとは言い出すのがよいのかも知れません。ご回答をありがとうございます。

 ただ いまは試行錯誤だと思っております。そうしてわたしの心つもりは 簡単に現代人にとって分かりやすく説明できて 信仰と矛盾しないのならば よいかなという単純なものではあります。またそういった主題や課題を ここでも質問してきているかと思います。
 神のみこころに誤って触れると分かったときには そうですね まづむろん《預言=解釈》という姿勢は外します。さらに もし社会的な施策などとして一応妥当なものであればただちに いくつかある選択肢のひとつとして社会思想の問題に切り替えます。あぁ ずるい!!

 ★ ”宗教法人“ and ”売買“
 ☆ なるほど 税制では優遇されていますからね。もっとも 営利事業とはっきり分かるものであれば 宗教関係の非営利事業とは分けて 税率など一般と同じ条件で課税されますけれど。

 ○ 第二の死
 ☆ けっきょく 《関係の絶対性》に例外は出ないという線も 可能性を残しておきたいとも思います。
 ということは どうも特定の二人なら二人のあいだで どういうコミュニケーションが行なわれて来たのか その内容に即して 相手の態度や思想を 《第二の死》に関係づけて捉えることもありうるとも言えるし いやそれは 或る種の仕方で一過性のことなのかも知れない。――このように いまだに流動的な見方のもとにあります。
 ★(要約) 生物学におけるエントロピー:片やエントロピーの増大の法則の側面と 片や非平衡系の学問の発展の側面と。
 ☆ 散逸構造とか 非線形とかでしょうか? 昔エントロピーという話を聞いたときには あぁ もう未来は呪われているのかと思ってしまったものでした。新しい発見もあるのですね。

 ★ まさしく、“円月殺法”を受け(!?)ました。
 ☆ これについては最初に思いを述べました。けっきょく こういう方面でいろいろ考えていましたので いわゆる哲学史ですとか 思想をめぐってその思想家の生きた時代やその社会情況などなどについての勉強をおろそかにしていました。ただただ そういう事情で来ているというだけのことで 一般から見れば特殊であったかなと いまごろ思っております。
 軌道修正と言いますか 今頃 開放系に切り替えております。

 いづれにしましても かのなぞのちからが《成長させてくれます》から その下にすすんで行きたいと思います。いろいろ 突っ込んでくださいませ。

補足日時:2010/02/25 21:48
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