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織田信長の行った、「楽市楽座」についてお聞きします。
この場合の表記は「楽市楽座」が正しいのでしょうか、
それとも、「楽市・楽座」と中に、点を打つのがただしいのでしょうか。
中学校の教科書には、「楽市・楽座」と表記されていました。
あるいは、どちらでもいいのでしょうか。
お教えください。

A 回答 (3件)

 こんばんは。


 回答番号1の者です。
 <ですので、「・」を入れないほうが正式と思います。>は間違っていました。正しくは、
 「・」を入れるのが正式です。
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楽市と楽座は別な言葉です。

   4字熟語ではないので、点を入れるのが正しいでしょう。
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 こんにちは。


 「楽市・楽座」でしょう。
 「楽市・楽座」(引用:日本●B用語集」
 「楽市・楽座令」(引用:詳説日本●研究)
 「楽市・楽座の制」(引用:これでわか●日本史B」
 「楽市・楽座」(引用:ブリタニ●)
 「楽市楽座」(引用:大辞●)
 「楽市楽座」(引用:広辞●)
 「原則として市座などを設けない楽市として」(引用:詳説日本●研究)とあるので、「楽市」とは「場所」などの「名前」と考えてよいでしょう。
 補足 楽市と楽座は別の「概念」のはずです。ですので、「・」を入れないほうが正式と思います。ちなみに、広辞●では「楽市」と「楽座」の間に「-」印が入っていました。
 参考にして下さい。
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Q楽市楽座って何がいいのですか?

楽市楽座というのは税金がいらないから商人が
たくさん集まって国がはってんするということですか?
そうしたら信長などはどこからお金を手に入れるのでしょうか?
また秀吉は家康と違い米穀に依存する度合いが低い代わりに
博多、堺などを重視したようですが、やはり楽市楽座
にした場合、どうやって現金収入をえるのでしょうか
昔から、名前はよく知っているのですが、いまいち
なにがそんなにお得なのかぴんときません。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

信長が安土山下町中に定めた、いわゆる「楽市楽座」令は信長政権の首都に足る町作りが主眼であったと思います。

元亀元年に六角氏が逃げ、天正四年から信長が住み始めた安土は、丸六年間は閑散とした、寂れた場所に陥っていたことと思います。その間、配下の者を配したことはありますが、日本の中心とはほど遠い場所であったでしょう。

信長が住み始めた翌年に発令された安土山下町中への掟の例を挙げると…
・すべての税金は免除。
・商人が通行するときにはは必ず町に宿泊すること。
・普請工事の義務を免除する。
・伝馬のための馬の拠出する義務は免除する。
・自家を出火させたら追放する。
・信長の領地内に徳政令を布いても、この町だけは免除する。
・ほかの土地から来た者も前から住んでいた者と同じ扱いとする。
・喧嘩・口論・押し売り・押し買いは禁止する。
などがあります。

いずれも商人・居住者の天国です。これだけやれば人は自然と集まります。過去の楽市楽座令は商売をする上だけのことしか規定していなかったのに対して、この楽市楽座令は都市としての秩序のある町を作ろうとする信長の意図を感じます。

信長が安土山下町中に定めた、いわゆる「楽市楽座」令は信長政権の首都に足る町作りが主眼であったと思います。

元亀元年に六角氏が逃げ、天正四年から信長が住み始めた安土は、丸六年間は閑散とした、寂れた場所に陥っていたことと思います。その間、配下の者を配したことはありますが、日本の中心とはほど遠い場所であったでしょう。

信長が住み始めた翌年に発令された安土山下町中への掟の例を挙げると…
・すべての税金は免除。
・商人が通行するときにはは必ず町に宿泊すること。
・普請工事の義務を...続きを読む

Qこれって・・・? 織田信長の楽市楽座

こんにちは。

先日模試を受けました。その際、社会で「楽市楽座(織田信長の政策)を行った目的」を問われ、「城下町を繁栄させるため」
と解答したところ、誤答になってしまいました。正答は、「商工業を活発にするため」です。
楽市楽座の目的を教えてください。また、自分の解答のどこがだめだったのかも指摘していただけると嬉しいです。
ウェブで調べてみても、いまいちはっきりしなかったので、質問させていただきました。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

楽市楽座とは、今で言う「独占禁止法」だと思っています。
ちょっとオーバーかもしれませんが。

例えば日本に、シャープペンシルを扱う会社が主には1社しかないとします。
なのに、その唯一の会社がシャープペンシルを1本10000円にしたら困ります。
それを禁止し、市場のなかで自由に競争できるように定めたものです。

先生は「城下町」を「商工業」というものに変えて欲しかったのではないでしょうか。「城下町」では範囲が広すぎるからです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%BD%E5%B8%82%E3%83%BB%E6%A5%BD%E5%BA%A7

Q楽市楽座の目的

どんな参考書にも、うすぼんやりとしか書いてない信長の楽市楽座の目的とは、なんなんでしょうか?

Aベストアンサー

こちらに、楽市楽座令(安土山下町中掟書)の原文が有ります。安土の隣の近江八幡市が所蔵している物です。
http://novice-sj.com/newpage795.html

これを見ると、信長は自分の領国の軍事力を高めるだけでなく、日本全体の経済システムを根本から変えたかったのではないかと思われます。
原文だけを読むと、安土の城下町を日本の経済首都にしたかったとも読めますが、いずれ秀吉より先に全国を平定していたら、各地の主要都市にも同じような布令を出していたでしょう。

第1項に挙げているのは、No.2の方も言っている「座」という独占的同業組合の無力化です。
第2項で、近くを通る「中山道」を往来する商人は、必ず安土に泊まれ、とあります。
第3項と第4項は、公共工事や公用の輸送という労役を、農民や町人の義務にしないことが書いてあります。
第5項は、室町時代の後期によく行なわれた「徳政令」は、安土では適用しないとの条項です。これにより、安土で商売する商人は、安心して貸し売りや金融ができます。
第6項は、安土の住民はヨソ者を排除したり嫌ったりしないこと。
第7項は、安土では、喧嘩などのトラブルを熾さないこと。また、押売りや強引な買収を行なわないこと。
第8項は、馬の取引は安土で行なうこと、と決められています。

このように具体的な条文を見ると、楽市楽座の目的も想像できるのではないでしょうか。

なお、同ページの解説にも書いてありますが、楽市楽座は信長がオリジナルではありません。
信長が安土で始める20年前に、安土城と同じく現在の滋賀県安土町内にある、「観音寺城」の城下町「石寺」で、近江の大名「六角定頼」(源氏の末裔で、足利将軍家とも関係が深かった)が「楽市」を始めたのが最初です。
ちなみに、地理的には安土の城下町より上記の石寺の方が、中山道の本筋に直接面しているのです。

なお、紹介した「安土探求の旅」というサイトは、信長と安土の町が好きな設計事務所さんが、町興しに情熱を込めて作ったサイトのようで、かなり見ごたえのある内容になっています。

参考URL:http://novice-sj.com/index2.html

こちらに、楽市楽座令(安土山下町中掟書)の原文が有ります。安土の隣の近江八幡市が所蔵している物です。
http://novice-sj.com/newpage795.html

これを見ると、信長は自分の領国の軍事力を高めるだけでなく、日本全体の経済システムを根本から変えたかったのではないかと思われます。
原文だけを読むと、安土の城下町を日本の経済首都にしたかったとも読めますが、いずれ秀吉より先に全国を平定していたら、各地の主要都市にも同じような布令を出していたでしょう。

第1項に挙げているのは、No.2の方も...続きを読む

Q長篠の戦いについて。

長篠の戦いについて、簡単かつ詳しく、中学生にもわかるように説明してください!!

 お願いします

Aベストアンサー

長篠の戦いとは・・・
1575年5月21日、三河の設楽原(したらがはら)で行われた「織田信長・徳川家康」連合軍と「武田勝頼」軍の戦いのことです。
織田側の『鉄砲隊』が、めざましく活躍したことでも有名です。

戦いは、織田・徳川の連合軍が、設楽原へと進出。「馬防柵」を設け「鉄砲
3000挺」を配備しました。それに対し、武田軍は、無敵といわれた騎馬隊に
よる波状攻撃を繰り返しましたが、馬防柵にはばまれて敵陣に突入できず、
そこへ鉄砲隊の一斉射撃をあび、壊滅的な打撃をうけました。

この戦いで、武田方は信玄以来の有力部将をほとんど失い、勝頼も敗走し、
織田・徳川・武田3氏の勢力関係は一変しました。また、この戦いを機に戦
闘の形態も、騎馬による個人戦から鉄砲隊を組織した集団戦法へと移行して
いくことになります。


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