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日本書紀にある神武天皇即位日(辛酉年春正月庚辰朔⇒辛酉年1月1日)の「辛酉年」を紀元前660年と割り出した(解釈した?)最初の人(学者?)は誰でしょうか。どのように計算したら紀元前660年になったのかを調べたいので。

辛酉年なら紀元前600年でも、紀元前360年でも、紀元前60年でも良いのです。つまり、候補が沢山あって決められないはずだと思うのです。

A 回答 (2件)

日本書紀では、各記事の日付をそのときの天皇の在位年数で表示し、崩御の年月日の記述もあり、また即位の年にはその年の干支を記述しているようです(ちゃんと読んだわけではないのですが)。


だとすれば、単純に逆算できるのではないかと思います。

wikipediaの「神武天皇即位紀元」の記事によれば、1840~1860年代(江戸時代後期)に藤田東湖など国学者が神武天皇即位紀元を用いはじめたようです。
遅くともそのころには、神武天皇即位年が算出されていたのでしょう。
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この回答へのお礼

>天皇の在位年数で表示し、崩御の年月日の記述もあり、また即位の年にはその年の干支を記述し・・
>だとすれば、単純に逆算できるのではないかと思います。

分かりました。逆算すれば神武即位の辛酉年が紀元前660年になるのかどうか、自分が検算してみます。有難うございました。

お礼日時:2010/03/13 16:38

 


 天孫降臨と皇紀紀元 ~ 辛酉革命論に言及した人々 ~
 
<PRE>
 伴  信友   国学  17730317 京都 18461202 73 /安永 2.0225~弘化 3.1014
 那珂 通世 東洋史学  18510206 盛岡 19080302 57 /嘉永 4.0106/藤村 操の叔父
 飯島 忠夫 中国古代史 18750203 長野 19540927 79 /学習院教授~《支那古代史と天文学》
 有坂 隆道   日本史 1921‥‥ 高槻 20040618 83 /関西大名誉教授
</PRE>
 
── 福沢諭吉門下の那珂通世は、中国の讖緯(干支六〇×二十一元=
千二百六〇年)をもとに「辛酉革命説」を定説にみちびき、有坂隆道は
総法(儀鳳暦の共通分母)を周期年数にあてた「千三百四〇年説」、と
もに皇紀(神武天皇即位元年)の算出を断じたが、“天孫降臨”には沈
黙している。両説を、いかに演算しても、辛酉58皇紀元年の歳には結び
つかないからである。
 書紀の整合性からみるに、天孫降臨と神武天皇即位のあつかいに軽重
はなく、後世の皇紀偏重は編集意図にそぐわない。降臨から即位までの
年数が、干支などの周期で割りきれないのは何故か。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19920211 天孫降臨余歳の元旦
 
 基礎文献 ~ 日本書紀と暦日対照表 ~
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/4061 …
── 宇治谷 孟・現代語訳《日本書紀(上)19880610 講談社学術文庫》
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/4003 …
── 坂本 太郎・他訳注《日本書紀(一)19940916 岩波文庫》
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/B000 …
── 内務省地理局・編《三正綜覧 1932‥‥ 帝都出版社》
── 内務省地理局・編《三正綜覧 188001‥-19650630 地人書館》
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/B000 …
── 内田 正男《日本書紀暦日原典 19780110 雄山閣出版》
 
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。勉強になります。

お礼日時:2010/03/12 22:42

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