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本当に困った時。
神は助けてくれましたか?

A 回答 (9件)

困った時の神頼みでは助けて貰える筈がありません。


天は自ら助ける者を助ける。
人事を尽くして天命を待つ。
というでしょ。

それに助けるといっても
「大難を小難に、小難を無難に」です。
つまり自分で乗り越えられるようにして頂けるということです。

そういう意味では必要な時に必要なだけ助けていただいてます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
存在は肯定されておられますようですね。

お礼日時:2010/03/16 09:27

神から見て「困った状況」じゃなければ、助けは来ない。



神にとっては、人間の「欲求」は問題外である。
問題なのは、人間の「必要」なのだ。


と、友人のキリスト者が言ってました。
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この回答へのお礼

と、他者様が言われていたのですね。
ありがとうございます。

お礼日時:2010/03/16 09:28

ユダヤ教はキリスト教のように「神が助けてくれる」という教えじゃなくて、共同体内における助け合いを説いていたんです。


それが律法という形になったんです。

イエス作家もさかんに「助け合い」を説いている。

イエスはピラトに「お前は真理真理と盛んに言うが、お前が言っているその真理とはなんだ」と聞かれた。
イエス作家は言葉では表現できなかったようで、イエスは答えることができなかった。

助け合いのこと。

助け合いのことをイエス作家は真理だと思っていたので、あんな物語を作ったのだと思うし、物語の内容は旧約聖書の律法の内容ですから。


しかし、実際問題、他力本願を最初から狙っている人が、他人の善意を期待して、自分自らを助けようともしないケースもある。

自分は弱者だからお前ら強者が俺を背負って歩けよ と横暴なことを平気で言う人もいるわけです。
で、そんな人超怠け者に対してイエスは激怒したわけです。

「身分相応な自分の人生を歩め!!!!」

足の萎えた とは、自分の人生をちっとも歩もうとしない人のこと。
このユダヤ的比喩を意訳せずに直訳したために、「信仰していさえすれば歩けるようになるんです 信仰が足りないからいつまでの足が治らないのです」(寄付金が足らないのは信仰が浅いからです もっとくれ)ってことになってしまったわけです。

ああ、、、

で、確かに不当な災いであれば、他人は助けるべきだと思いますが、最初から努力も怠って、くれくれ しか言わない人は、助ける価値は無いと思う。


で、本当に困ったときは回りに「困った 助けて」って言っていいと思う。
最後まで踏ん張ろうとして自滅する人がいるのですが、「助けて」とサインを出してくれないと、他人はわからないもの。


以前、ある相談サイトで、自分の飼っている猫の首を次々絞めて殺す中学生の相談があったんですね。
友人にそのことを話すと「気持ち悪い」と言われたと書いていた。
多くの人が彼の行為を非難し、やっては駄目だって説得するコメントを書いていた。
それに対してその子は一切返信をしていなかった。

たまたま私も通りかかって、遅ればせながらコメントを書いた。

「あなたが友人にその話をしたのは、友人に助けを求めるためだったんじゃないの? サインを出していたのに、友人はそれが助けを求めるサインだと気づかなかった。そして今度はこの掲示板で「助けて」とサインを出している。」と返信をしたら、沈黙を続けていたその子は私には返信してきた。

「自分が友人に話したのは、友人に助けを求めていたからなのか」って。

「うん 私はあなたの助けてのサインをキャッチしたよ」って言って、精神科の受診の仕方を教えてあげた。
そしたら、受診してくれて、医師が言うには「ストレスが原因」だって言われたって。

「うん、後はお医者さんの言うことに従ってね、もしかしてご両親に連絡がいくかもしれない。けど、医者ですから、あなたが家庭にいられなくなるような話し方を両親にはしないはずです。あなたを助けるためにどうすればいいか、考えてくれるから、お医者さんを信じて」って書いた。

1年くらい前からずっと可愛がっている自分の飼い猫を「かわいい」と撫でながら、殺してきた子だったそうです。
1年前からサインを出していたわけですね。
本人も参加者たちも<助けて>のサインだとは気づかなかったみたい。
不幸だぁぁ。


ということで、あなたがもし困っていることがあるとして、あなたは無意識にサインを出していると思うが、周波数が合っている人じゃないと救援信号はキャッチされないと思う。

神(助け合いの心)は、我々の中にある。
しかし、周波数が合わないと、発動しないんです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
意味深げなご意見、後程よく読ませていただきます。

お礼日時:2010/03/16 09:26

神とは貴方自身の中に在る、貴方自身の命の働きをいっています。

貴方に納期が来た時に「せかせか」させる者です。恋人に会うときに貴方に「そわそわ」させている者の事です。

「禅」では”それ”という言い方をしています。ユダヤ教では「在りてある者」という言い方です。その者は「潜在意識或いは無意識を統率している人格」の事です。貴方が心の中で出来ないという事を云う時に、「出来る」という事を言っている者の事です。

心には肯定する心と否定する心が同時に存在しています。或いは心には有限性を認識している心と、同時に永遠にに対する憧れがあります。その永遠性を示唆している者の事です。言い方を替えたなら、というよりも貴方が気付くだけで、もう既に貴方は永遠の存在という事が分かります。

死にゆく人が、幸福に満ちた笑顔で笑って逝く時には、自分の神と会っています。苦悩の後に幸福が訪れるという事にもかかわっています。禅問答が解けて「生死の問題が解決した時」にはその自分の神と会ったという事になります。宗教の究極の答えは「自分自身に神とあって和解が成立するところ」にあります。

キリスト教が「神に会って和解する」という事と、仏教で悟りを開いて自分の苦悩を根本から「消滅」出来るという事は、同じ原理です。

一人の人間の人格が二つ在る事が人間の苦悩の元になっています。つまり「心の矛盾」という事です。二つの人格が出会う事によって「矛盾が解消する」事が人間を、何よりも人間らしくさせています。この事実が人間と動物との境界になっています。つまり自分を超えるという事です。或いは神に近ずくと言う事です。

人間の意識は左脳に存在する人格の事です。右脳にも、もう一人の人格が存在しています。それは分離脳の研究から明らかな事になっています。そうしてその二つの人格は、全く別な機能が備わっています。そうして全く別な存在です。

左右の脳をつないでいる、脳梁をテンカン治療の一環として切断していた時期がありました。その左右の脳の分離された人達の脳を研究した成果の事です。右脳には自我意識には知覚出来難いとは言え、確かに別な人格が存在しています。その二つの意識の出会いが「悟りを開く」という現象です。

もう一つの意識とは「命そのものを司っている、命の働き」という方が正解と思います。お釈迦様が「仏性」と名を付けたものです。精神疾患や神経症や自律神経失調症や心身症というものが、自我意識と対立と矛盾を起こしているその対象物の事です。心の矛盾という場合に自我意識との対象物という事になります。

自我意識とは交代制になっているために普通では出会う事が殆ど在りませんが、深刻な悩みで苦しんで、自我意識が意識の根底にまで折りtれ云った時に、意識の根底で二つの意識が同時に存在する場合が在ります。人間の存在の根底の事です。実存の根底から意識が芽生えるその瞬間です。意識の根底、言い方を替えたなら無意識が出るのか、有意識が出るのかの境目の事です。この経験から自分自身の中には「神」が存在している事が分かります。

自分を不安や、恐怖に駆り立てているものが自分の心であったことを知ります。それ以後心に不安がなくなります。それが「涅槃」という事になります。静まり返った心、という事です。二度と心の矛盾に苦しむ事は無くなるという境涯の事です。それは左脳の人格と右脳の人格にホットラインという直接に会話出来るという回路が出来たためです。この事を人類は宗教という形で伝えようとしてきました。宗教文化の発展にはこの人間の不安や恐怖心からの開放が後押しをしているという事になります。

本当に困った時。神は助けてくれましたか?

という問いに対しては、「貴方が気付く」だけで助けられていた事が分かります。分からないなら、貴方は未だ自分の神に会っていないからです。というしか答える方法がありません。ですが貴方は、助けられています。右脳が働いている時が無いとは云えないからです。そうして確かに右脳は誰にでもあるからです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
難しいご説明でしたので後程、噛読させていただきます。
ありがとうございます。

お礼日時:2010/03/16 09:24

神様に助けてもらったと確信したことは一度もありません。


そもそも確信できないでしょう。
思い込むことならできますが
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
神というのは、もし助けてくれなくても助けてもらってもそれが神の仕業かどうかまでは確認もできない存在なのですね。

お礼日時:2010/03/16 09:22

科学法則や厳密にして秩序整然としたこの宇宙の創造者が神であるなら、助けることにおいても、原則があることでしょう。


たとえばですが、ある何かに困った人間がいたとして、神が愛に於いては究極の慈悲深いお方であったと仮定しても、そのことによって自分が立てた原則を無視する結果となるなるなら、助けたくても助けられない事情があるはずです。神の心が血に染まるのはそんな時でありましょう。
助てもらえなくて困る人間よりも、それを見て助けたくても助けられない立場に立つ神様の方が、何十倍何百倍も苦しいと思います。
我々人間側が、そのことを賢明に悟り、むしろ神が困った人間を働けられる状況を作ってあげられる人間になりたいものです。
私も偉そうなことは言えませんが、神が助けると言っても、人間の責任領域にまで神が干渉することはできないと思います。
人間の自由意志に干渉したら、その瞬間人間はロボットのようなものになってしまいますからね。神から見たら全能の創造力を駆使してたかがロボット作ったって何の刺激にもなりゃしないでしょうからね。
神に願いがあるとしたら、神以上の存在(=人間)を創造すること・・・これしかないでしょうね。
こう考えると、神の裏をかけるはずです。
神が助けざるを得ない状況を作る・・・これまさに掛け値なしの神様的知恵深い生き方!!
神が助けられる条件があるとしたら、人間としてもうこれ以上は責任の果たしようがないというほどまでに至った時でありましょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
助ける基準を神は公表しない不透明な存在なのですね。

お礼日時:2010/03/16 09:21

本当に困らないようにはしてくださっています。

助けてもらってはいるのですが、わかりにくいです。でも助かっていることには変わりないので、それでいいと思っております。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
本当に困った時。
神は助けてくれましたか?

お礼日時:2010/03/16 09:18

こちらの都合のいいようにはしてくれないのが神様でしょう


もしかしたら、そんなに困る事態に陥ったこと自体が「神様からの罰」
だったかもしれません。
自力で解決する手段を講じさせるための「神様からの試練」かもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
どのようにも解釈できるというわけですね。

お礼日時:2010/03/16 09:18

本当に困った時・・・神ではなく母が助けてくれました。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。
母は偉大ですね。

お礼日時:2010/03/16 09:17

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