忙しい現代人の腰&肩のお悩み対策!

心の中でお経を読むことを?
 
最近物忘れが激しくて困ります。
毎晩寝る前に、心の中でお経と感謝を述べてから寝るように心がけています。
ふと3日前に、モヤモヤいろいろ考えていると、お経を唱えている最中に寝てしまいました。

あっ!えらいことをしてしまった!!!
〇〇〇を忘れた・・・・?????
って思ったものの????
〇〇〇ってなんて言うんだっけ???

声を出さずに、心で唱えるお経をなんと言うのか思い出さず、
自分が嫌になります。
どなたか教えてください。
実に情けないです。

また仏教徒がわかりやすい超初心者向けの仏教用語が載っている、本やサイトを教えてください。
あとお薦めサイトなどもお願いします。

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A 回答 (5件)

No.3です。


お礼読みました。

「諳誦」は「あんしょう」です。最近では「暗誦」と書くことが多いようですが、「諳(そら)んじて読む」こと、つまり内容を全部暗記して、何も見ないで読むことです。
そういえば「諳誦」は声に出して読む場合が多いかもしれません。

「運心」という語を見て、「廻心」(えしん/心をめぐらせること)という語を思い出し、さらに「廻向」(えこう/功徳をめぐらせること)という語も思い出したのですが、どちらも「心で経典を唱える」という意味とはちょっと違うような気がします。

早く思い出せたらいいですね。
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この回答へのお礼

再度回答ありがとうございます。

あんしょうと読むのですね。
興味深いです。
経本を手に読経するのが基本ですが、このような時が確かにありますね。

運心も御指摘どうり違うと思います。
菩薩になるよう天運開けるように願うことだったような・・・。

本当に早く思い出したいです。

お礼日時:2010/03/18 21:01

別言語だからじゃないかと。



例えば、、、、子供の頃に歌っていた英語の歌。
音として捉えていただけ。
大きくなって、ふと口づさんだとき、その歌の本当の意味がわかって驚いたことがある。
「こんな内容の歌だったんだ」って。

おもしろい声で歌っていたので、その歌い方を真似て覚えていたの曲。
英語を聞くだけで理解することができるようになったとき、そのままダイレクトに歌の内容がわかり、これって・・・・と、厭世観・絶望の歌だったと知った。
ギンギンのロックとオペラで、おもしろいと思っていたが、とんでもない歌だった。



お経はサンスクリット語をそれに近い音と意味を持つ漢字に置き換えたものですよね。
文字は力を持つとされ、定められたときに定められた音を発すると、文字が実体化するという考えがある。
マントラと呼ばれる呪文みたいなもの。

で、それが本当なら、サンスクリット語そのままの音を定められた時に発しないと。
違う音で違う場面で呪文を唱えても、全く実体化しないわけです。
まるでインディージョーンズみたいですが。
で、どれほどのお坊さんが正しい音で正しい時間に発音できるのかは私は知らない。
もし、できるのなら、呪文を唱えるだけで天変地異を起こせることになり、これまた実在してもらっても困るわけです。


で、まずお経を唱えるにも、こういう意味だ とうっすら理解していたとしても、そのものを理解していないと、いくら唱えても実現しないのではないかと。

ゲド戦記って児童文学があるんですが、魔法学校で植物とかを調べる授業があるんですね。
物の本質を知らないものが、魔法を唱えても魔法は起こらない。
というわけで、魔法使いになるには、そのものの本質をしらなければならない。

真の名 という概念が出てくる。
ゲドは村を荒らす竜を退治する任務につくのですが、どうやっても倒せない。
それは竜の名前がわからないから。 つまり 竜の本質を知らないので、たちうちできないわけです。
しかし調査して、竜の本質がわかって、竜の名前を言った途端、竜は暴れるのをやめた。
ゲドの手の中にはいってしまい、ゲド次第で殺されてしまうとわかったから。


というわけで、お坊さんは呪術師でもあるわけですから、それぞれの本質を深く知らないお坊さんが唱えても、ただの雑音でしかないわけです。

さらにそれより知らない一般人が、真似て発音したとしても、何の動きも起こらないわけです。
英単語を覚えようとCDをかけているうちに眠ってしまうようなもの。
ただの雑音 子守唄にしか聞こえないので、刺激が起こらなくて寝ちゃうわけです。


大乗仏教は顕教で、意味を知らなくても、唱えているだけで幸福になるってことですよね。
密教は本質を知らないものが唱えても何も起こらないというもの。

ネパールの方では、修行をして物の本質を知った人が唱えるお経はありがたーいとされる。

それを一部の人ではなくて、物の本質を知らない人でも、なんだっけ なんとかを回すだけで、1000回文のお経を唱えた効果があると観光地では飾ってあったと思う。

自分は知らなくても1回まわすだけで、1000回分も唱えた効果があるのなら、そりゃ少しはマシだろうと観光地でグルグルまわす観光客もいると思う。

で、本当に知らない歌を1000回歌えば、歌の意味がわかるようになるのか?
なりません。


元のサンスクリット語を理解してものにしないと、経典は理解できないのではないでしょうか。
読むだけでご利益があるというのも真に受けて読むのはあなたの勝手ですけど。

お経は一応意味は知ってますけど、結局「生を受けたことを喜こぼう」って意味じゃないかと。
だからなに? って私は思っているわけですが、、、
別にそれ以上 i got it ってならなくても問題ないので。さらっと知った後はスルーしてます。
呪術で万物の法則を捻じ曲げることはできないので。let it beでございます。
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この回答へのお礼

私には解りませんが、言語の違いではありません。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/03/18 02:38

声に出してお経を唱えるのは「読経」と言いますが、それに対して声に出さずにお経を唱えるのは「看経(かんきん・かんきょう)」と言います。



ただ、この「看経」は、お経を見ながら「黙読」する意味に使われることが多く、質問者さんがおっしゃる布団の中などで実際にお経を見ずに「諳誦(暗誦)」する意味にはほとんど使われないと思うので、きっと違うと思いますが……。

宗派によっては特別な用語があったりしますから、ご自身の宗派のサイトなどをご覧になっては如何でしょう。

初心者の仏教徒向けの仏教用語解説のサイトは「仏教用語」で検索したら、たくさんヒットします。
お寺さんが書かれているサイトはほぼ大丈夫かな、と思いますが、それでも玉石混淆なので、一つのサイトではなく複数のサイトを読み比べて、正しい意味を把握するようにすれば、だいたいのことはサイトで分かるのではないかと思います。

あと、『広辞苑』にも結構、仏教用語が載っていて、分かりやすい説明になているのでわりと重宝します。
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この回答へのお礼

看経とは興味深い言葉です。
黙読のことなんですね。

諳誦とはなんと読むのか教えてください。

今朝、運心だったかな?と思ったのですが、
少し意味が違うような気がします。

もし宜しければご教授ください。

お礼日時:2010/03/18 02:57

念仏に限らず、信条や念願などを心の中で


唱えることを、黙唱といいます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
でも黙唱でもないです。
あぁ~自分がイライラします。
黙唱とも言いますよね・・・。

お礼日時:2010/03/15 15:22

こんにちは



念仏ではないですよね?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99% …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
でも違います。
念仏とも言いますよね。

お礼日時:2010/03/15 15:20

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Q般若心経を唱えてしまった!!

般若心経は一般の方が唱えることはお控えください。というのも、般若心経の霊力は亡くなった霊には無条件で大慈大悲を与える功徳があります。これはこの般若心経の言霊(ことたま=言葉そのものが霊力を持っている)が霊にとっては非常に暖かく明るい光明に見えるのでどんな霊も唱えている人のところへ集まってきます。どんな霊もくるので必ずしもいい霊ばかりとは限りません。般若心経は他の真言と合わせて使わないと無防備で非常に危険なのです

単に般若心経を唱えれば質問者さんにはまったく関係のないその辺にいる霊がどんどんやってきてしまいます。あまりいい死に方をせずに成仏しないで浮遊している霊達が「もっと唱えてくれ~」と次から次へとやってくるのです。唱えるのをやめても霊達はまた般若心経を聞きたくてその場にとどまってしまいます。

ですから一般の方が般若心経を唱えるのは本当は怖いことなのです。防御系に強い菩薩の真言を奏上してその後内観という心の内を澄み切った愛情で満たしたうえでかくなる方法にて般若心経を唱えなくては霊にとってはまったく意味がございません。逆に霊を迷わす原因となります。

上のような文章をみて、どうしたらいいかこまっています。
まったくの素人です。般若心経をとなえてしまいました。しかも実家は浄土真宗なのに。。きいているあいだ、なんだか体がぐらぐらしました。
パソコンから、お坊さんがとなえたものも、聞いました。どうしたらいいでしょうか。こわいです。心を落ち着かせるために、写経をしようとおもっていたのですが、やめたほうがいいでしょうか。。アドバイスください。般若心経は邪を払ってくれると聞いたのですが、悪い霊をよびよせないで、安全な唱え方などはないですか。

般若心経は一般の方が唱えることはお控えください。というのも、般若心経の霊力は亡くなった霊には無条件で大慈大悲を与える功徳があります。これはこの般若心経の言霊(ことたま=言葉そのものが霊力を持っている)が霊にとっては非常に暖かく明るい光明に見えるのでどんな霊も唱えている人のところへ集まってきます。どんな霊もくるので必ずしもいい霊ばかりとは限りません。般若心経は他の真言と合わせて使わないと無防備で非常に危険なのです

単に般若心経を唱えれば質問者さんにはまったく関係のないその...続きを読む

Aベストアンサー

悪い霊は、比較的に午前0時を過ぎて般若心教を唱えると出てくるような気がします。朝、太陽が昇ってから唱えるのが一番効果的に思えます。朝時間がなければ、風呂上りの体をきれいにして直ぐにやれば良いです。それから般若心教に宗派は余り関係ありません。仏教でも神道でも気にするような事はないです。仏教、神道、キリスト教等がどうしてできたとかを考えれば根本は同じです。それぞれの宗派に分かれて多少は、教えが違ってきてますが、根本が同じなので気にする必要はないです。

Q夜中に光明真言をとなえると・・・

最強のマントラとよばれる光明真言です
「おん、あぼぎゃ、べいろしゃなぅ、まかぼだら、まに、はんどま、ぢんばら、はらばりたや、うん」
これを夜中に唱えると、よくないことが起こると聞きました。

どうしてでしょうか?

Aベストアンサー

私の家系は真言宗なので、光明真言は法事やらお葬式やらで普通に唱えています。
夜中にも言ってみたことありますが、一度も何にも起こったことはないです。
むしろ金縛り(霊的なものじゃなくて体の疲れによるもの)などのとき、おまじない代わりに唱えてかえって気休めになります。

唱える人が只の人なら、只の言葉にしかならないんじゃないでしょうか。

Qお経を唱えることについて

実際に霊が見える方だけに質問します。
日課として、父母を祭る仏壇の前で、宗派の「般若心経、観音経」を唱えておりますが、このサイトで、夜などの時間帯はやめたほうがよいと載っておりました。
また、お墓参りで唱えるのはいかがですか。
見えないものとして、実際は、どうなのでしょうか。
また、関わりのない霊を払うには、山伏などがおこなう九字切りの法は効果がありますか。
心得などありましたら教えてください。

Aベストアンサー

門前の小僧が経を読んで不幸になったという話は聞いたことがありません。
世間知らずで申しわけありませんが話に加わられせていただきます。

夜、お唱えしていてなにか怖い思いや嫌な思いをしたご経験はございますか?
何もなければ今まで通りでよろしいかと思います。
お唱えするのでしたら夜の勤行をする分、早起きして行うとより良いかと思います。
朝に晩にということでしたら気になさらずお続けくださいませ。

お墓でお唱えするのも不都合がなければそれでよろしいのではないでしょうか。
なにか気になるような出来事がありましたらここではなくお寺さんで
お聞きになられたらよろしいかと思います。

九字については導師の指導が受けられない場合お勧めできません。
見よう見まねでもできますが力や意味を持ち始めた段階で思わぬ出来事が発生することがあります。
自己を強くし祓う効果もありますが危険を伴う場合もあります。
顔相などの変化に気づき指導できる人がいなければいたずらにしない方がよろしいかと思います。

Q通夜や法事の時って一緒にお経を唱えるものですか?

こんにちは。結婚して主人の家は浄土真宗(お西)です。
結婚前に、私が参加した法事などではお坊さん以外に
お経を唱える人はいませんでしたので、そういうものだと
思ってましたが、先日、親戚の法事の際に主人だけ
行くことになったのですが、数珠とお経の本と首にかけるものを
持って言ったので、「どうしてお経の本持って行くの?」と聞いたところ
「一緒に唱えるやん」とのこと。
 本来、通夜や法事の際にはお坊様と一緒にお経を唱える
ものなのでしょうか?
 

Aベストアンサー

浄土真宗本願寺派(西本願寺)の僧侶です。
それが浄土真宗の本来の姿です。
たあ、通夜と葬儀の際は「葬場勤行」と言って声明もありますし特殊ですので、慣れた方は一処にお勤めしますし、場合によってはみんなでお勤めできるように本来の葬儀用の節ではなく、みんなと勤められる勤行に変えることもあります。
浄土真宗の盛んな九州、山陰、中国、関西、富山北陸、新潟、三重、岐阜、愛知あたりでは多いかもしれません。関東はた宗派の習慣のように導師だけがということが多いですが、お経本お持ちの方がいれば一処に行いますよ。また寺院法要では貸し出しの経本もありますしね。
家でも毎日、月1回以上は寺院法座でといつも一処にお勤めしている檀家さん等に多いですね
良いことです。
合掌

Q素人がお経をあげることについて教えてください。

先日、とても良くしてくださった義母が亡くなりました。今49日前のお逮夜まいりをしているところです。今度の日曜日にもお骨のある実家へ行くのですが、私としては何か義母のために出来ることがあればと思い、本屋さんで「般若心経」というもの(とても簡単なものなのですが)購入しました。本を読みながらではありますが、これを読みたいと思っています。でも、私が良かれと思っても、見当違いのものであると残念だし、他の誰かの気持ちを害するといけないので、伺いたいと思いました。義母は特に信仰していた宗教はないようです。お葬式の時は「真言宗」の方がお経をあげてくださったと聞いています。(特にこちらからの指名ではなかったそうです)お逮夜参りの時は、特に他の親戚などはおらず、孫と義父と主人でやっています。主人は「色々宗教とかあって、それ、違うんじゃないの?」と別に嫌がっていませんが、良く解らない様子です。よろしくお願いいたします。何か義母のために出来ること、教えてください。

Aベストアンサー

真言宗でしたら、観音経、般若心経をあげたりしますよ。
お経の中でも短いお経なので、周りの方々にも迷惑にならないと思います。

あとは形式ばったものより、気持ちが一番大事ですので、お義母さんの生前、好物だったものを持って行ってあげると、きっと喜ばれると思いますよ。

真言宗でしたら、お仏壇から行事事から、きちんとされているので、敢えてこちらから気を利かせてする事、する物はないはずです。

般若心経は短いとはいえ、この世のすべてのお経をまとめたお経と言われています。
とても有り難いお経なのです。
一字一字、お義母さんの事を思い、大切に読んであげて下さいね。

Qお経を唱えることの精神的メリットについてご存知の方、教えてください

お経を唱えることの精神的メリットについてご存知の方、教えてください。
ある呼吸法の本で、お経を唱えるお坊さんは自然に腹式呼吸をマスターしていて、腹式呼吸のおかげで、お坊さんは、世の中を悟ることが出来ているのだとか、書かれていました。その本で初めて私は般若心経の存在を知りました。



難しいことはわかりませんが、私は今の環境では、声に出してお経を唱えることができません。しかし、なぜか、頭の中でお経を唱えるだけでも、とても落ち着くような感じがします。それは何故か、知りたいです。

家族の情緒が皆不安定になり、その不安定感が怒りとなって、私のところに回ってきても、目を閉じ、般若心経を頭の中で唱えると、一時間で平常心になれます。コツは指さきで、床を木魚のようにたたくことです。般若心経がお坊さんによって録音されたテープを何度も聞いて覚えたので、そのお坊さんの声をイメージするようにしています。

もし、専門家の方がいらっしゃいましたら、科学的根拠、心理学的根拠を理由にでも、それを説明してくださったらありがたいです。

素人の方のご意見でもかまいません。

よろしくお願いします。

お経を唱えることの精神的メリットについてご存知の方、教えてください。
ある呼吸法の本で、お経を唱えるお坊さんは自然に腹式呼吸をマスターしていて、腹式呼吸のおかげで、お坊さんは、世の中を悟ることが出来ているのだとか、書かれていました。その本で初めて私は般若心経の存在を知りました。



難しいことはわかりませんが、私は今の環境では、声に出してお経を唱えることができません。しかし、なぜか、頭の中でお経を唱えるだけでも、とても落ち着くような感じがします。それは何故か、知りたいで...続きを読む

Aベストアンサー

祖母が創価学会池田派なので、お盆に泊まりに行くと、朝の5時にはお祖母ちゃん、夕方6時にはおばあちゃんと小さな従兄弟がお経を音読するのですが・・・地声を安定して吐く感じなので、体に良いと思います。あと、アリキリの石井さんや中島ミカなど、声質を科学的に調べた際に良い結果を出す人の腹式声は、聴いてる側は癒しかもしれません。
従兄弟は設計士→福祉介護士と、難関と呼ばれる資格と習得したそうです。お経を読んでる時のお祖母ちゃんは、集中力が有って、オーラである空間を作ってる感じがしました。
あのオーラに入ってる時って、体の修復というか、血流や脈拍は良い状態になるんではないでしょうか?
お祖母ちゃんは90代ですが、ボケが未発生です。大病も石が出来た程度です。気力だけで生きてると思ってましたが、瞑想って良いのかもしれませんね。
私はテレビで除霊の団体お経を聞くのが聴き応えあるなあ・・・と思います。低い安定した声質で何重にもお経が重なる音触感は圧巻です。

Qお寺で住職に注意されたのですが

4年ほど前、京都の紅葉で有名なお寺に行った時の事。
お茶を飲みながら庭の紅葉を十分に堪能して帰ろうとした時、どういう流れかは忘れましたが真言の話を同行者とすることになりました。
(おそらく住職の話に出たか、寺の掛け軸にあったか)
で、軽い気持ちで「昔、猿飛佐助のアニメがあって、主人公のサスケが『オン キリキリバサラ ウンハッタ』と唱えて色々な術を使っていたよ」
という話をしました。
また「孔雀王という漫画で『アビラ ウンケン ソワカ』なんても言ってたな」とも。

すると遠くでそれを聞いていたご住職がとんできて
「そういう言葉をみだりに発してはいけない」
という話を15分ほどされました。

そのお寺は紅葉のライトアップなどをしていて、観光地のお金儲けという様相が強かったので、そういう寺の住職が説教するとはよほど重大なあやまちを犯したのかと怖くなってしまいました。

それらの言葉はどんな意味があるのでしょうか。

Aベストアンサー

真言は、正しい時に正しく発音すれば言葉が実体化すると信じられているものです。

で、発音した言葉は正しくは無いのですが、言葉の意味を知らないものがむやみにマントラの類の音を発音するのはよくないと言いたったんじゃないか と。
間違えて発音しちゃって、それが時が合致していたら、その間違えた発音のことが現実化すると信じられているからじゃないかと。


だから、天皇は公の場で、ゆっくり文字を読み上げるんです。
天皇が発する言葉は神が発する言葉とし、「国民の幸福を」のはずが、「国民の不幸を」なんて間違えてしまったら、その通りになってしまう という感じ?



表は観光地化していても、仕事上みんなの幸せを願う呪文を毎日お仕事として唱えてはいるんじゃないかと。



日本人は映画を観て「サノ〇ビッチとか」「アス〇ール」「ファ〇クユー」とかみだりに言いますが、それをもしアメリカ人に言ったら、ただじゃすまされない事態になってしまいます。
そういった禁句を、日本人がみだりに唱えているのを見て、アメリカ人は複雑な気持ちなんじゃないかと。
知らないからみだりに言えるわけで、時があっていたら、床に叩きのめされてしまうでしょう。

これが言葉の力の恐ろしいところ。


良い呪文であっても、厳かな言葉をみだりに使うってのは、価値を認めていないってことになり、、、、
例えば古代バビロニアあたりでは、神の名をみだりに唱えてはならなかったので、エルとかエールって神を代名詞で呼んでいたんですね。
意味は「我が主」。

ユダヤ人もそれにならって、エルと表記していたのですが、大贖罪をするときは大祭司は神を呼び出すために、神の真名を唱えていたらしいです。
7年に一度後継者に神の本当の名前を教えていたのだそうです。

一般人や他の聖職者にどうして教えなかったのかというと、その言葉をみだりに使われないためと、敵に名前を知られると、神が呪術で呪われてしまうから。



日本も昔<諱>というものがあったそうです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B1

<これはある人物の本名はその人物の霊的な人格と強く結びついたものであり、その名を口にするとその霊的人格を支配することができると考えられたためである。>

遠山の金さんは、遠山金四郎景元が本名で、景元が諱。つまり景元が本人の本質を表した文字なので、親とか上司しか知らなかったってわけです。
敵に知られると、呪術で支配されてしまうと信じられていた。


ってことで、この文化の人たちが信じていることを部外者の人がみだりに使うって、よくないんじゃないかと。
例えば、日本人は子供をみて「かわいいなぁ」と左手でなでたりしても問題ないですが、インドでそれやったら、親は烈火のごとく起こる。
文化の違いで、あっちではとんでもないことになるわけです。

真言は、正しい時に正しく発音すれば言葉が実体化すると信じられているものです。

で、発音した言葉は正しくは無いのですが、言葉の意味を知らないものがむやみにマントラの類の音を発音するのはよくないと言いたったんじゃないか と。
間違えて発音しちゃって、それが時が合致していたら、その間違えた発音のことが現実化すると信じられているからじゃないかと。


だから、天皇は公の場で、ゆっくり文字を読み上げるんです。
天皇が発する言葉は神が発する言葉とし、「国民の幸福を」のはずが、「国民...続きを読む

Q人の批判や悪口、不平不満などのネガティブなことしか言わない人は何かの精

人の批判や悪口、不平不満などのネガティブなことしか言わない人は何かの精神障害ですか?このようなひとはどういう心理状態ですか?

周りに、口さえ開けば人の悪口や批判や愚痴に不平不満などばかり言う30代の男性がいます。
とにかく、他人がどうしたこうしたと人のことばかり気にしてあげつらっていてます。
しゃべりだしたらきりがなく、際限なく毒を吐いて、同僚から政治家、芸能人と本人のことを棚に上げて
罵り、馬鹿にし倒しています。とにかく、何に関しても前向きなことを言うことはほとんどなく、ネガティブの度が過ぎます。

自分の分をわきまえず学歴がないのに高学歴な人間のことをたいしたことないアホよばわりしたり
自分がいろはもわからないような分野の話や、医者や弁護士などの専門職や政治や経済の専門家など
のことも上から見下すような言い方であれこれバカにしたりケチをつけています。
世界でその男が一番えらいかのように思いあがっています。(それを裏付ける根拠はないです。例えば、なにかですごく成功しているとか、金持ちとか。うぬぼれに陥りがちなものは全くないです。)

人に批判している内容も、はたから見ればその男性にも当てはまることばかりです。人に対して嫌な
気持ちになることは誰でもありますが、私は、「自分はそんなに人のことを偉そうにいえる立場じゃないな」
と考えると言えなくなることがけっこうあるのですが、この男性の場合、そういう内省のようなものが全くありません。自分のことは完全に棚に上げています。
自分の言ったことや、したことの責任も一切取らず、何かうまくいかないことがあるとすべて周りのせいにします。この人がいい悪いとかいうより、ここまで他人のことばかりに関心を向けてとやかく悪くいう様は異様です。

皆さんはどう思われますか? 心理学の知識などをお持ちの方で、答えてくださる方がおられましたらよろしくおねがいします。

人の批判や悪口、不平不満などのネガティブなことしか言わない人は何かの精神障害ですか?このようなひとはどういう心理状態ですか?

周りに、口さえ開けば人の悪口や批判や愚痴に不平不満などばかり言う30代の男性がいます。
とにかく、他人がどうしたこうしたと人のことばかり気にしてあげつらっていてます。
しゃべりだしたらきりがなく、際限なく毒を吐いて、同僚から政治家、芸能人と本人のことを棚に上げて
罵り、馬鹿にし倒しています。とにかく、何に関しても前向きなことを言うことはほとんどなく、ネ...続きを読む

Aベストアンサー

私の父もそういう感じです。

自己愛傾向が
すごく高いのではないでしょうか。

根拠のない自信に他人批判
しかし自分が批判されると
傷つきやすい、というような。

誰にでも多少はこういう側面がありますが
それがいきすぎて、社会生活に支障があると
人格障害と呼ばれます。
いわゆる精神疾患とは違いますが、
カウンセリングで認識の歪みを
地道に是正するしか
現状では医学的な解決策がないようです。

Q大日如来様とはどんなお方なのですか?

私は浄土真宗ですがご説教の中に大日如来様の話が出て詳しくしりたいと思いました。

もしよければ教えてください。

Aベストアンサー

 我が家も浄土真宗ですが、浄土真宗の説教に大日如来が出るのは珍しいんじゃないでしょうか。

 というのは、浄土真宗などは仏教の中でも「顕教」と呼ばれる一派に分類されますが、もう一派を「密教」と言います。つまり、別派だからです。

 この密教は、この大日如来(理解の仕方にもよりますが、本来は大宇宙そのものであって物言わぬ仏)から、直接意向を聞いたり、加持祈祷を通じてお願いをしたりしようという仏教を言います。

 空海が中国から持ってきたのが真言宗ですが、空海が渡海した時、空海を一目見た中国真言宗の最高僧が、「遅し!我、汝を待つこと久し!」と叫んだという逸話があります。

 勉学に励んだ空海は真言宗のすぐに最高位に就き、奥義や仏典などを全部日本に持って帰ったために、以後、中国では真言宗は廃れました。数年前、中国に空海像が里帰りしたような記事を見た記憶があります。


 密教では当然、大日如来は宇宙(宇宙を描く曼荼羅)の中心であり、諸仏(如来その他)も大日如来から産まれるものとされています。それ故、諸仏の王とされて王冠を被って描かれたり、彫られたりします。場合によっては装身具も身につけます。

 大本の思想は、帝釈天と戦った阿修羅系の神だそうです。ゾロアスター教のアフラ・マズダ(全生命の根源)・・・ そのものではないようですが、思想的には同系だとのこと。

 一神教は、他宗教信徒に対して「受け入れ」を求めるだけ(拒否すれば死)ですが、仏教のように平和的な宗教では、相手の言い分を認めて受け入れなければなりません。

 有名なところでは、阿修羅は帝釈天と何度となく戦った後、仏教に帰依したことになっています。これなどは、阿修羅を信じる者に、「阿修羅でさえ帰依したんだから、おまえたちも」と言うための方便だったものと思います。

 そう説得するためには、まず阿修羅の存在を認め、次に仏教の中に受け入れなければなりません。

 つまり、平和宗教というのは、いろんな宗教からの影響を受けざるを得ないのです。で、その一つが、大日如来。

 大日如来は、万物の根源であり宇宙そのものですので、かくかくしかじかの容姿であった、こう考えた、というようなことはおそらく伝わっていないものと思います。

 その代わり、というわけではないのでしょうが、金剛界や胎蔵界のそれぞれで、さまざまな仏や菩薩、明王などに変身して人々を教え導くとされています。例えば、不動明王も大日如来の変身姿の一つ(教令輪身)です。

 従って、大日如来そのものを直接知るのではなく、それぞれの仏などの教えや特徴を知って積み上げていくしかないのではないかと思います。
  

 我が家も浄土真宗ですが、浄土真宗の説教に大日如来が出るのは珍しいんじゃないでしょうか。

 というのは、浄土真宗などは仏教の中でも「顕教」と呼ばれる一派に分類されますが、もう一派を「密教」と言います。つまり、別派だからです。

 この密教は、この大日如来(理解の仕方にもよりますが、本来は大宇宙そのものであって物言わぬ仏)から、直接意向を聞いたり、加持祈祷を通じてお願いをしたりしようという仏教を言います。

 空海が中国から持ってきたのが真言宗ですが、空海が渡海した時、空海を一...続きを読む


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