直江兼続の馬名を教えてください。

直江兼続の愛馬(確か白毛)の名称・呼称をご存知の方がいらっしゃたら教えてください。よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

黒雲(と名があるので白ではなさそう)


戦場で戦うので一匹(一頭)とは限りませんが。

「匹」
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclien …
「頭」
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclien …

参考URL:http://www.geocities.co.jp/Playtown/2647/kanetug …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
フィギュアで兼続が白馬に乗っていたんで・・・。

お礼日時:2010/03/16 17:50

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Q大河ドラマの主人公直江兼続

上杉謙信が死去する頃以前の直江兼続についての詳しい経緯を記している史料があまり無いと聞いたのですが、それでは今回の大河ドラマの直江兼続の幼少期や若年期のストーリーは全くの空想ということになるのでしょうか。

Aベストアンサー

様々な人の様々なエピソードが後世に伝えられていますが
それをどこまで信じるかということになると
それは話を聞いた人次第ということにになります。

例えば、秀吉の城の普請のエピソードや墨俣一夜城の話なんかも
どこまでが本当でどこからがフィクションなのかは
受け取る人次第なところがありますから

Qことわざ、というか教訓のようなもので以下の出典についてご存知でしたらご

ことわざ、というか教訓のようなもので以下の出典についてご存知でしたらご回答いただきたいと思います。

【大きな荷物を背負った老人が道を歩いていた。そこに荷馬車で通りかかった若者が老人を不憫に思い、荷台に乗せてあげた。目的地につき、老人をおろすと、老人はやはりしんどそうだった。荷台の上でも荷物を背負っていたからである】

子供向けのなぞなぞ集にあったものだと思うのですが、解答に出典が書いてあったような気が・・・ただし数十年前のことで思い出せません。旧約聖書なのか、なんなのか、さっぱり検討がつきません。出典があるとすれば、どういった訓示なのかも併せてご回答願えれば嬉しいです。

※哲学カテゴリで相談したところ、回答者さまから【歴史】カテゴリで相談してみては?との誘導でこちらに相談させていただきます。

Aベストアンサー

「若者」ではなく「イエスキリスト」であれば, キリスト教のどこかにあったような気がします.

Q直江兼続の馬名を教えてください。

直江兼続の馬名を教えてください。

直江兼続の愛馬(確か白毛)の名称・呼称をご存知の方がいらっしゃたら教えてください。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

黒雲(と名があるので白ではなさそう)
戦場で戦うので一匹(一頭)とは限りませんが。

「匹」
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GGLL_jaJP334JP336&q=%e9%a6%ac%e3%80%80%e4%b8%80%e5%8c%b9
「頭」
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GGLL_jaJP334JP336&q=%e9%a6%ac%e3%80%80%e4%b8%80%e9%a0%ad

参考URL:http://www.geocities.co.jp/Playtown/2647/kanetugu.html

Qアレキサンダー大王の愛馬の性別

アレキサンダー大王の愛馬ブーケファロスは雄か雌のどちらだったのでしょうか?

Aベストアンサー

ブーケファラス(Bucephalus)は男性名なので
オスでしょう。
暴れ馬もだいたいオスが普通ですし、
子供を生むメスならわずか13タラントで売らないでしょう。
ちなみにアレクサンドロスがこの馬の死後、
紀元前326年に
都市につけた名前はこの女性形である
ブーケファラ(Bucephala)というものです。
ちなみに
都市/国/船などは伝統的に女性名詞となります。

Q豊臣秀吉が直江兼続を引き抜こうとしたが、他にも引き抜きをしていたのですか。

天地人で、豊臣秀吉が直江兼続を直接の家臣にしようと砂金をばらまいたり、刀を振りかざしたシーンがありました。あのシーンはドラマの演出としても、実際、一代の成り上がりで譜代の家臣を持たないので引き抜きはあったのだと思います。

さて、同様な引き抜きは他にどんなのがあったんでしょうか。おしえてください。

・徳川家康の石川数正のそうでしょうか。「出奔」というくらいだから引き抜きというより、ケンカわかれしたのを拾ったという印象ですが。
・毛利は、本家輝元のほか、安国寺えけいや毛利秀包、小早川隆景を別家でとりたてていますが、これも直江兼続同様に引き抜きで成功した例ですか。
 逆に引き抜きできなかったほかに例はありますか。
・伊達政宗の片倉小十郎も引き抜こうとしたのですか。

Aベストアンサー

立花宗茂
引き抜きというか独立の大名になりましたね。

島津兄弟
兄の義久が薩摩、弟の義弘が大隅とそれぞれ所領安堵されている。結果として義弘の息子が兄の義久の養子になったので統一されているが、義久に実子がいれば、別家扱いになっていたかもしれません。

津軽為信
分離志向があったものを、太閤公認で別家

真田
ここも、信長死亡をうけてのどさくさで別家というか独立ですね。

Q前田慶次(花の慶次)について歴史の詳しい方・直江兼継ドラマ見てた方へ

花の慶次という漫画がとても好きで、それがきっかけで原作の本も読みましたし、戦国時代の歴史にとても興味ひかれるようになりました。
そこで前から疑問に思っていてふと今思い出したのでちょっと聞いてみようと思ったのですが、花の慶次の最後の方に関ヶ原の合戦後、上杉家から徳川家との和平交渉で上杉家より前田慶次が使者として徳川家に出向き和平成功させたと描かれているのですが、本当に前田慶次が使者として出向いたのかなと疑問に思っています。

歴史物を見ても大抵和平成立した時の会見の場はよく登場したりしますが、そこにいたるまでの過程はあまり登場する事は少なく当時難しかったであろう上杉・武田の和平の過程なんかもそういや知らないなと少々興味そそられるけどまた今度で良いかと今思ったりもするんですが、前田慶次の場合は大変感動的に描かれており涙した場面でしたので・・・

自分の中の直江兼継像を崩されるのが嫌で大河ドラマ見てなかったんですが、ひょっとしたら大河ドラマでそういう場面あったんじゃないかなと思い宜しければ教えてください。
書いてる途中で楽しくなってきて長文駄文になってしまってすみません(^^;)

花の慶次という漫画がとても好きで、それがきっかけで原作の本も読みましたし、戦国時代の歴史にとても興味ひかれるようになりました。
そこで前から疑問に思っていてふと今思い出したのでちょっと聞いてみようと思ったのですが、花の慶次の最後の方に関ヶ原の合戦後、上杉家から徳川家との和平交渉で上杉家より前田慶次が使者として徳川家に出向き和平成功させたと描かれているのですが、本当に前田慶次が使者として出向いたのかなと疑問に思っています。

歴史物を見ても大抵和平成立した時の会見の場はよく...続きを読む

Aベストアンサー

歴史はなんでもありで歴史読み物 小説 漫画 好きなように書いています 残念ながら創作でしょう 慶次の慶の字もありません やや当時としては グレ者らしく 喧嘩には強かったということでしょう 上杉景勝は関ヶ原の原因となった上杉征伐の張本人でしたから、徳川家康の難詰に対抗するため東北地方で伊達や最上ら奥羽諸大名と激戦を繰り広げました。九州では薩摩も家康を恫喝しているでしょう 兵力は温存してありますから脅かしにはなったようです。 西軍敗北後上杉の重臣千坂景親が本多正信がと親しかったこともあり、千坂を中心に謝罪活動に奔走しています。東軍の対上杉守備部隊総大将であった結城秀康の助けも得て景勝の減刑を画策したようですね。家康は当初上杉氏改易・景勝流罪を検討していましたが、結局 秀康・正信の周旋もあり米沢30万石への減封を勝ち取ったということです 

Q直江兼続と大一大万大吉

石田三成さんの旗印「大一大万大吉」ですが、プレステ2の某戦国ゲームの中では、友人の直江兼続からその言葉と意味を教わるシーンがあるそうです。
直江さんの思想の中にも同じような考えがあったのは何かで読んだことありますが、大一大万大吉という言葉を石田さんに教えたという説が実際にあるのでしょうか?

Aベストアンサー

三銃士のシーンですね。個人的にはゲーム中であの場面が一番好きなシーンです。
ご質問の件ですが、おそらく創作だと思います。wikiからの引用で恐縮ですが、“鎌倉時代の武将、「石田次郎為久」(中略)も使用”していたということですので、彼にちなんで使った(あるいは先祖)のではないでしょうか。
徳川家康との対決において、三成と兼続が共同作戦を取ったという話から二人(+真田幸村)の結びつきを強調するために挿入されたイベントではないでしょうか。
もしかしたら、そういう説話が存在するのかもしれませんが、私は聞いた事がないです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%94%B0%E4%B8%89%E6%88%90

Q直江兼継の頭は総髪でいい?

NHK大河ドラマで「天地人」が始まりましたが、直江兼継を含めて総髪の出演者が多く、あのころは月代にしていた時代ではなかったのか?
鎧兜をまとうときにはちょんまげでないといけないようにおもっていたけど、どうなったいるのでしょう?

Aベストアンサー

いわゆる武士の身分が月代を剃ることを普段もするようになったのは、実は江戸時代になってからのことです。
なぜなら豊臣秀吉の政策以前は武士階級とその他の身分階級の差がはっきりとしておらず、月代を剃ることが武士の身分である。とはっきり決まっていなかったからです。
もともと月代を剃るのは公家の冠装束の見栄えを良くするために始まり、戦国時代も末期(織田信長の時代と考えられている)になって、武士が戦闘で兜を長時間かぶることでの蒸れを防止するために定着したといわれています。
つまり、信長の時代ではまだ戦闘時にしか月代を剃っておらず、しかも習慣として京の周辺から広がっていって地方では普段は総髪と考えられることになります。

今放送中の「天地人」の時代では、まだ総髪と月代が半々特に武士階級でも地方では通常は総髪が多い。という考え方で今までの大河ドラマの時代考証もされています。秀吉が中央に地方の大名を参勤させるようになって広がったという時代考証の流れのようです。

Q直江兼続は恩のある豊臣家を何故滅ぼしたのですか?

関ヶ原の戦いが終わり敗者となった上杉。
その後家康に恭順し恩のある豊臣家を攻撃します。

どうして義の軍団の上杉が豊臣を攻撃したのでしょうか?

Aベストアンサー

そうそう忘れていました。

徳川家康が征夷大将軍になって、幕府開いたのは1603年です。
上杉が米沢に押し込められたのは、1601年です。
関が原以降、徳川家康が大きな権力を握っていたのは確かですが、それは、豊臣政権の五大老筆頭としてです。秀頼の未成年後見人としてです。関が原直後、大阪城に入った家康ですが、すぐに、大阪城を秀頼に明け渡し、自分は伏見城に移っています。
ですから、上杉を故郷の越後を追いだし、米沢に押し込めたのは、家康が大きな力を持っていたとはいえ、豊臣政権です。

家康を五大老の筆頭にしたのは、秀吉ですが、上杉に会津120万石を与え、関東東北の要としたのも、秀吉です。豊臣家が、秀吉の政策を継続するなら、秀頼が「上杉の会津(佐渡、出羽)120万石はそのまま」っていえばよかったんです。
天地人でのせりふの「上杉を潰すな」くらいじゃ、全然だめです。

会社の東北支店長だったのに、解任されて、米沢出張所に飛ばされ、一生出世なしって待遇されたら、恨みますよね。首にしなかったから、恩を感じろなんて、めちゃくちゃじゃないですか?

上杉は、京都との交易による関銭が大きな収入源です。アメリカと貿易して関税でもうけるみたいなものです。北の関が原で、出羽に出兵したのは、直江津港に代わる、もらったばっかりの庄内の港を最上から守りたかったからです。

上杉が越後から出たのは、直江津港(当時は今浜)の代わりに佐渡の港と、庄内の港をもらえるからでした。それを、反故にされし、港の無い米沢に押し込められちゃったんですよ。豊臣家を恨みませんか?

そうそう忘れていました。

徳川家康が征夷大将軍になって、幕府開いたのは1603年です。
上杉が米沢に押し込められたのは、1601年です。
関が原以降、徳川家康が大きな権力を握っていたのは確かですが、それは、豊臣政権の五大老筆頭としてです。秀頼の未成年後見人としてです。関が原直後、大阪城に入った家康ですが、すぐに、大阪城を秀頼に明け渡し、自分は伏見城に移っています。
ですから、上杉を故郷の越後を追いだし、米沢に押し込めたのは、家康が大きな力を持っていたとはいえ、豊臣政権です。

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Q馬(愛馬)と絆が強かった英雄などっていますか?

私は神話や英雄伝とかが好きなんですが、
私が知っている範囲ではなかなか馬(愛馬)と絆が強い英雄などの話が見つからなかったので、
誰かサイトなど、もしくはそのよう話を知っている方がいましたら教えてください。

ネットで検索などもしてみましたが、ほとんどが名馬とかの話ばかりでした。

Aベストアンサー

 馬に人間の絆って極めて身勝手な話のように思えてならない

冷静に考えてみれば、馬の気持ちなどは分かるはずもないし、馬にとって労役を強制する人間に対する信頼の心などがあるとは思えないのだが・・・・・・

 創作小説の部類で人間側の身勝手な伝承を振りかざすのは、人間側のエゴとしか思えないのだが、そういう人間の醜さなどを思慮しないだろうか?
 表現の自由と言えばその通りだが、主観的なものでしかも、根拠ない動物の感情を読み取っていると思える人間の感覚が理解できないし、独善的に気持ちが悪い。
 本当に動物を愛護するなら、人間は感謝するだけが精一杯であって、お互いに意思疎通が出来ているような幻想を抱くのは非科学的だし、迷惑な話だろう。公共性に反するものではないが、アニマルライツ(動物の権利)から思慮しても、危険であろう

 「絆」という美辞麗句が自己満足・一方通行で成立する、と思うのは勝手だが、
字義・原義・語源を踏まえない評論云々で、「馬からすれば迷惑な話」ではないだろうか?

史実無視の歴史小説を鵜呑みにする人間に史実を語られるとイラっとするのだが、そういう問題点を思慮しない人間が多いのは・・・・まぁ言うまい・・勘違いしているのは、それを指摘して恥をかかせればいいだけだろうし
 
 正直、吐き気がする。 

 馬に人間の絆って極めて身勝手な話のように思えてならない

冷静に考えてみれば、馬の気持ちなどは分かるはずもないし、馬にとって労役を強制する人間に対する信頼の心などがあるとは思えないのだが・・・・・・

 創作小説の部類で人間側の身勝手な伝承を振りかざすのは、人間側のエゴとしか思えないのだが、そういう人間の醜さなどを思慮しないだろうか?
 表現の自由と言えばその通りだが、主観的なものでしかも、根拠ない動物の感情を読み取っていると思える人間の感覚が理解できないし、独善的に気持ちが...続きを読む


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