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かつて特急や急行の停車駅として栄えたのに今では普通列車しか停まらない一般駅に凋落してしまった駅と言えば、どこを思い浮かべますか?
(信)横川や田村など運転停車の要素が強い駅や柳井,宇部等優等列車そのものが廃止されてしまった区間の駅は除きます。

私が真っ先に思い浮かべるのは
 動橋(北陸本線)大聖寺と共に片山津,山代温泉の玄関口としてかつては北陸本線の優等列車の大半が停車。その後の北陸鉄道片山津線の廃止、昭和45年隣の小駅作見駅の加賀温泉駅への改称,統合、そして山代線の廃止により完全にローカル駅に転落。
現在は駅員無配置の時間帯も多く、広い構内や待合室,跨線橋に名残を留める。

 熱田(東海道本線)熱田神宮への玄関口として東海道新幹線開業前は急行一本及び準急全列車が停車。昭和47年まで急行停車、快速設定後も停車駅の一つだったが、平成11年金山総合駅の設置に伴い、快速停車駅の地位も失う。

A 回答 (13件中1~10件)

>凋落した駅



     ↓
「予讃線:堀江駅」
個人的な思い出と感慨で恐縮ですが、良く出かけた貧乏旅行で、広島と四国を結ぶ仁堀航路の四国側の駅であり、鉄道から走って乗った記憶があります。
懐かしさで航路の廃止後に道後温泉に行く際に立ち寄りましたが、見る影も無く寂れたローカル駅でした。
停車の列車も少なく、乗降客は私が一人というチンチン電車よりも利用者の少ない状況に、かっての活況の思い出を懐かしみ隔世の観がひとしおの駅風景でした。
http://ekinavi.jp/s/ehime/JR%E4%BA%88%E8%AE%83%E …

「小松島線:小松島駅」
質問者様のルールに廃線の駅は除くと有りましたが、個人的に縁が深い駅ですので、鎮魂の意味も含め、我侭を申し上げ恐縮ですが、あえて記載させて頂きます。

和歌山から四国に旅行やお見合いに利用した思い出が深い駅です。
連絡線やフェリーの事も思い出に有りますが、やはり徳島県下で徳島と並ぶ賑わいと乗降客を誇っていた往時を知る私としては、現在の駅跡、街並みの衰退には、自身の老化と重ね合わせ、悲しさ寂しさを感じます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9D%BE% …
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この回答へのお礼

思い入れのあるレスをありがとうございます。
胸にグッと来ました。

私の先輩が廃止まえの仁掘航路に乗ったそうですが、乗客もまばらでおおよそ本四連絡ルートと言うには程遠かったようです。

フェリー乗り場がなくなり、小松島はすっかり寂れたと他の掲示板にも書かれていました。
小松島の先に(臨)小松島港と言う駅がが有りましたが、駅員の配置や乗降客の多寡はどうだったのでしょうか?

お礼日時:2010/03/22 08:03

ローカルネタで、かつちょっと条件に合いませんが、小田急線の向ヶ丘遊園。



質問者さんが小田急線のことをどの程度ご存知かわかりませんが、
向ヶ丘遊園駅は、その名の通り、遊園地がありました。特急もそこそこの本数停車し、急行も停車駅が
今より少ない時代も停車していました。
かつては、小田急線を代表する駅の一つでした。

ところが、今は遊園地は閉鎖。特急も1日2~3本程度しか停まらない。
5~6年前の複々線完成時(一部未完成区間あり)の大幅なダイヤ改正で登場した快速急行は通過。その少し前に登場した多摩急行も通過。
急行は今も停車するが、快速急行や多摩急行の登場で減便。

かつて急行は日中も10分間隔で走っていて、全てが停車していましたが、今は快速急行、多摩急行が登場したことにより、急行は1時間に4本かな?それも、等間隔でないため、最大20分急行の間隔が開くことも。

ウィキペディアを参照してください。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%91%E3%83%B6% …
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身延線の市川本町がそうでしょう。



急行「富士川」の頃は全列車停車していて、お隣の市川大門は交換可能
なのに通過していたりしたんですが、今の特急「ふじがわ」は市川大門
の方に止まって市川本町は通過してますね。市川本町は町の中心に近い
んですが、町そのものが寂れたこと、片面一面のホームで駅前が狭く、
車での利用が難しかったことが理由でしょうね。

同じような状態の駅で言えば、昔は新快速、更にさかのぼれば紀勢直通
の特急くろしお(戦前の話ですよ)も止まっていたのに、今は単なる
無人駅の「紀伊中ノ島」ってのもありますよね。富士急行の「下吉田」
もそれに近いかもです。
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千葉県の2駅を紹介します。



外房線 誉田駅
かつては特急も一部止まっていましたが現在では全て通過します。
隣に鎌取、土気という駅があるのですが、昔は快速が通過し誉田には止まっていましたが、今では立場が完全に逆転しています。特に土気は快速も止まらなかったのに、今では一部の特急が止まるようになりました。


常磐線 我孫子駅
昔は特急が一部止まっていましたが、今では特急は全て通過、特別快速も止まりません。
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みなさんの回答に水を差すようですが、多くの回答は質問にある



>柳井,宇部等優等列車そのものが廃止されてしまった区間の駅は除きます

とあるのに触れていませんか?

質問に忠実(まあそれほどこだわることでもないかも知れませんが)に考えると、鹿児島、門司港、両国くらいしか納得できませんねえ。
堀江も一時期、ほんの一部の急行が停車していましたが、もともとそんなに大きな駅ではなかったような。
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備後落合。

急行ちどりがスイッチバックしていた。
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#2追加


紀和は
昔は、県庁所在地の代表駅(中心駅)から無人駅に格下げ、これが一番と思います。
他の回答では、無人駅はないと思います。
北海道はわかりませんが、他は有人駅
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「新幹線と並行する在来線」ネタは多いですね。

但し、これは在来線から優等列車そのものが消えてしまったものばかりです。

それ以外でどうしても外せないものとして、北海道の函館本線のうち通称「山線」区間(長万部・小樽間)を挙げます。かつては特急「北海」や急行「ニセコ」が走り、C62形蒸気機関車の最後の舞台として、SLファンには「聖地」としても知られた路線でした。

特に倶知安駅は、特急停車駅であると同時に胆振線が分岐し機関区もあって、広大な敷地を誇っていましたが、今ではすっかり‥です。スキー列車(ニセコエクスプレス)も、最近はあまり走らないようですし。

厳密には「山線を通る優等列車の廃止」なんでしょうけど、函館と札幌を結ぶ優等列車自体はむしろ増発されており、全ての優等列車を室蘭本線経由の「(スーパー)北斗」に変更(一本化)した、という解釈もできます。
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この回答へのお礼

函館本線の山線も衰退振りが酷いと思いますが、根室本線の滝川新得間の赤平,芦別両駅も炭鉱の閉山も相まって酷いようですね。

お礼日時:2010/03/22 08:15

肥薩おれんじ鉄道の水俣駅、佐敷駅、阿久根駅。


旧鹿児島本線時代は1時間に1本は博多と西鹿児島を結ぶ特急が停車していました。

しなの鉄道の小諸駅。
旧信越本線時代は東京への直通特急が停車して便利でした。

どの駅も広大な駅構内がいっそうの寂しさを感じさせてくれます。
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この回答へのお礼

小諸駅にはかつて「白山」12両編成が発着していた名残で大聖寺や動橋同様ホームも長いですね。

お礼日時:2010/03/22 08:09

京成の千葉中央駅


かつては、繁華街の中に駅があり、国鉄より乗客が多かったそうです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89% …
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この回答へのお礼

昭和47年総武線快速の運転や複々線化によるスピードアップ等により、京成利用者が国鉄(後JR)に大量に流れたと聞いた事が有ります。

お礼日時:2010/03/22 08:07

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