痔になりやすい生活習慣とは?

在家の身で、悟りをひらくことは、できますか。また、自力で、悟りをひらいた聖者は、現在おられますか。

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A 回答 (10件)

創価学会の者です。



日蓮大聖人は仰せです。
「此の世の中の男女僧尼は嫌うべからず法華経を持たせ給う人は一切衆生のしう(主)とこそ仏は御らん候らめ」(四条金吾殿女房御返事)
「僧も俗も尼も女も(法華経の)一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり」(椎地四郎殿御書)
「聖人の唱えさせ給う題目の功徳と我れ等が唱へ申す題目の功徳と何程の多少候べきやと云云、更に勝劣あるべからず候、其の故は愚者の持ちたる金も智者の持ちたる金も・愚者の然せる火も智者の然せる火も其の差別なきなり」(松野殿御返事)

僧侶であろうと在家(俗)であろうと、法華経(南無妙法蓮華経)の実践の功徳には、何ら変わりがないとの仰せです。だいたい僧侶だから偉いし、特別な力があるというものではありません。すべての僧侶がそうだとは言いませんが、なかには、僧侶の特権や貯め込んだ金のために堕落して、在家以上に信心のない者もいます。

信心においては、僧も俗もありません。ただ、その熱心さが問われるのです。少なくとも、日蓮仏法においては、僧俗平等です。

法華経(南無妙法蓮華経)を真面目に実践する人は、在家であろうと悟りをひらく、すなわち成仏の境地に至ることができるのです。そういう意味では、在家集団である創価学会の会員は、池田名誉会長をはじめ、全会員(一部の不真面目な者は除きますが)が悟りをひらいた聖者であると言うことができます。
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在家って普通に生活しているって事ですよね。



悟りって何でしょうか?
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自分では、悟りを開いたつもりになっている者ですが、『聖者』になる事は出来ませんでした。

つまらない男がつまらないままで生きているというだけのものです。ですが『心の裏側が分かるという事になります』

その裏側から書いてみたいと思います。人間は大抵の人は『自分は自分が分かっている』と思っています。是は大いなる誤りといえます。何故なら、科学的に証明されている事実から云うならばこうなるからです。

自分の事は『自我意識』という風に認識していると思いますが、アメリカの在る機関が調査をしたものに出会った事がありますが、それによると、人間が起きている間に自我意識で行動する時間は20パーセントを切っているということです。

残りの80パーセント以上は『自我意識』は関与していないというデータです。人間は自我意識で行動していて、自我意識で全てが出来ていると、思う事は『大いなる誤り』という事です。今言ったことが体で分かる事が『悟り』です。

人間の体には『心が二つ在る』という意味です。それは左右の脳です。左脳に一人の人格が存在しています。是は自我意識です。処が意識でき難くなっていますが、右脳にも一つの人格が存在しています。これは、アメリカの脳生理学者のスペリー博士の『分離脳』に付いての研究成果の一つです。もう約30年も前になされた研究です。

テンカン治療の一環として左右の脳を繋いでいる脳梁を切断するということが一般的に行われていた時代の事です。左右の脳が分離された人達を、いろいろな実験をしたその研究成果のことです。

その二つの人格は『全く別な人格で、又その機能が違っている』という報告が成されています。ご自分でも学んでみて下さい。

簡単に言うならば自我意識は左脳に存在する『自我意識』という事になります。その機能は、物事を論理的に割り切ってゆく機能という事になります。その特徴が『言葉』という事になります。言葉は限られた事しか伝える事は出来ません。そうして限界が在ります。すなわち自我意識の機能は『有限』という機能しか付いていない、という事になります。自我意識には、どう逆立ちしても『有限の壁は越えられない』という限界が在るという意味になります。

右脳の機能は如何かというと、割り切れないものが理解できるという機能です、空間や無限や、感情や、感動や、もっと言うなら自分の体と心を自由に変えるという機能が付いています。目の前の事実を『言葉ではない情報で』自我意識に伝えています。

右脳の意識は『封印された形で』心の中に閉じ込められています。閉じ込められているという言い方は、適切では有りません。本当を云うならば、『自我意識』とは交代制となっています。自我意識が働いている時には『引っ込んでいる』という形です。或いは自我意識が出ていないときには働いているということになります。

言葉で言うならば『無意識界や潜在意識界』を働かせているという事になります。起きている人間の体や心を80パーセント以上働かせているということです。この事を、自我意識が自分が判っていると思っている事は『大いなる誤り』という風に書いた訳です。

人間の障害は自我意識しか認識できていない事による場合が多いと言う事です。精神疾患は自我意識が意識をしていて『無意識の働きに』出番を譲らない事から起きている現象です。無意識の意識が『出番を要求している事が』自我意識の心が、罪悪感や、漠然とした不安という形で心に圧迫を加えられたと勘違いをしている現象です。

神経症は症状は違っていますが、同じ事になっています。自我意識には出来ない事を『出来ると思って』やるように試みている現象です。機能が違っているのですから『自我意識のみでは』不可能という事になります。この事が分からない事によって、精神疾患や神経症が『完治』ではなくて、寛快止まりになっています。

自律神経失調症や、難事性の病態に付いても云えます。自我意識には交感神経や、副交感神経や、ホルモンの働きを調節したり、腸の働きを正常に保つということは出来ません。この出来ない方の脳の機能で、しようとすることから、『治り難い』という現象になっています。

在家の身で、悟りをひらくことは、できますか。という事ですのでお答えします。出来るのか出来ないのかという事は。本人の問題ですから、答えかねます、というしか有りません。

只『悟りを開く』と言うことを説明してみますので、自分で学んで下さい。或いは良い師匠様から学ぶという事も、有りかと思います。悟りを開く条件があります、それは『心に悩みや、苦悩や、行き難い想いや、罪悪感や、漠然とした不安』が存在している人がその条件を持っていると言う事になります。

生死の問題が解決する事が『悟りを開いた』結果となっています。先に書いたものの全てが、『心の矛盾』の産物です。二つの心に矛盾や戒律や、極端な言い方をするなら、心の分裂というものまでも含まれます。この矛盾や、対立や、分裂を『自我意識』は苦しみとして感じています。

意識をしている間中『苦しい』という気持ちになっています。この世界が『精神疾患』です。『一切皆苦』という世界となってしまいます。此処を超えないともう一つの意識には『出会い難い』かも知れません。

自我意識は有限で出来ています。右脳の意識は『永遠』で出来ています。自我意識は有限の世界で自分の肉体や『我』が無くなってゆく事に不安や恐怖を感じます。ですがこの恐怖は右脳の意識からの『助け舟』です。この事が分かり難いために、人間は苦しむ事になります。

とうとう自我意識には『どうする事も出来ない』と心から諦めます。是が『大死一番』という事になります。自我意識はとうとう全てをあきらめるということになります。全てを諦めた時に、もう一つの意識が『永遠の命として』自我意識に手を差し伸べます。是が救いの手となっています。

今までの苦しみとは、その救いの手を遮っていただけと知ります。救いを、苦しみとして、勘違いをして受け取っていた事が分かります。今度は救いの手を、受け入れる事が出来ます。

今までは『死』を受け入れられない事で『恐怖』として感じています。今度は素直な気持ちで受け入れられます。受け入れられる事から、不安が安心に変わります。是が生死の問題が解決した瞬間です。

他の言い方をするなら、意識が在るのか無いのか、或いは意識的なのか、無意識的なのか、完全な『無』の中から心が自我意識と無意識が別れる瞬間が在ります。交代制なのに、交代する間際の事ですが、二つの意識が共に在る瞬間の事です。そこで二つの意識が出合うという事になります。その瞬間が『見性』自分自身を知るという事になります。

今までの苦しみからの完全解放という事になります。受け入れられない事を恐怖と感じています。処が自分の中には既に受け入れている者が存在していました。この存在と手を携えて行くようになります、その者とはもう二度と矛盾や対立を起こさなくなるという意味です。二つの人格の間にいつでも会話出来るシステムが構築されます。

言い方を替えるなら『脳細胞の回路構成が出来た』という事になります。この経験以後『心に矛盾がなくなります』この心境をお釈迦様は、涅槃、と言っています。キリスト者の場合に『神に会って和解した』という表現になります。どちらにしても同じ現象の事です。人間を働かせ居ているその人間の命の働きに出会うと言う意味になると思います
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2010/03/27 21:38

質問者さんの環境はどの様なものなのでしょう。


いわゆる在家・・
そして、師匠はいる・・のでしょうか。
あるいは、全く師匠などいない?状態なのでしょうか?

それらによっても、回答の程度が変わる様に思うのですが。

質問者さんが悟りを求めている・・
あるいは単なる興味??での質問なのでしょうか?

などなど。

この回答への補足

在家の身で、師事しておりません。私は人としての究極の目標は、悟りを得ることだと思います。

補足日時:2010/03/27 08:43
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2010/03/27 11:55

悟りはもう検定試験があります。



明は暗 暗は明   昼は夜 夜は昼

太いは細い 細いは太い 生は死  死は生  など100問強

これらはほんの一部ですが、きちんと説明できなければ合格ではありません。

悟りたいとは覚りを知らない人の憧れでもあるのですが、仏法と宗教の違いもわからない現代人ですから、いきなり悟りについて勉強するより、普通に使う言葉の点検から悟りもありますのでそれを勉強してください。

例えば
身体障害者 命 正義 ウソ 処女 正直 忠義 霊 礼儀 根性 点検 お金 貧乏 金(きん) 黒 人情 親孝行  女らしさ 男らしさ 悪口 などです。

身近な人とこれらの意味が同じか話し合ってみてください。それが悟りにつながります。セミナーで知ることもできます。
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この回答へのお礼

禅問答のようなものでしょうか… 回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/03/26 15:35

在家でも出家でも、仏陀以降に悟りを開いた人物はいません。



仏陀の悟りとは、今で言うところの「食物連鎖の法則」です。
科学的考察方法が全く無かった時代に得た真実なので凄いことですが、
現代では小学生も知ってます。

これからの悟りであれば、理論物理学が一番近いように感じます。

精進して研究を続ければ悟れるかもしれません。
仏陀後継を自称する各宗派など、頼るべきではありません。


ですがそもそも、悟ったと自覚できなければ悟りは存在しません。
悟った人を悟って無い人が評価できないのだから、
理論的には「誰も悟れない」か「誰でも悟れる」か、というパラドックスです。

現代宗教なんてそんなレベルなんですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2010/03/26 15:37

ネットに常時接続してもう閲覧しまくってください


我論の基盤を固めるまでなら~情報量からして

秘境なんぞ篭るよりはるかに有益て気がします

瞑想はアレ外界を断つためじゃなくて多量思考による
ビジー状態を避けるため他アプリを停止してる姿です

考えまくるための情報集めから始めるべきかと
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2010/03/26 15:38

在家の身で、悟りを開くことができます。


(自分で、瞑想をするといいでしょう。)
具体的には、鈴木大拙氏などが、そうでしょう。

http://www.jinseimondainokaiketsu.com/
の方も、悟りを得たような、ことを言っています。
色々、質問されたら、いかがでしょうか?
 
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2010/03/26 15:39

仏教の観点で厳密にいえば、できません。



そもそも俗世に「こだわり」があって、出家ができないと
いうこと自体が悟りから遠ざけているのではないでしょうか?

しかし出家できる人ばかりで当然ないので、
釈尊は出家者と在家とでは異なる戒を示すことにより
仏教の間口を広げているのです。

在家には在家の仏教との関わり方がありますし、
私自身はそれで満足しています。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2010/03/25 21:30

故人ですが中村天風の


「盛大な人生」
「成功の実現」
をお勧めします。
何を持って悟りをひらくは人によって違うかも。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2010/03/25 21:31

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もしいたらすみませんが、あまりブッダ以外で悟りを開いたという人の話を聞いたこと上がりません(訳の分からない新興宗教の教祖連中は除外してください)
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いないという前提で話させていただきますが、ブッダはすべての人間が悟りを開けると教えているのに、もしブッダ以降今に至るまで第二のブッダがいないのなら、この事自体がブッダの教えは間違っていたという反証になりませんか?
この辺の事情についてお詳しい方お願いします。

Aベストアンサー

悟りを開くと云う事が、如何いうものかを書いてそれから、説明してみます。悟りを開く事を他の言葉で言うなら『見性』です。自分の性を見るという意味ですが、その意味を科学的な文献から解き明かしたいと思います。

人間には二つの人格が備わっていますので、科学的な文献を載せてから説明します。


”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”


この研究はその後余り進んでいないように見えますので、残念と思います。

右脳の人格は左脳に存在する『自我意識』にはかなり分かり難くなっています。全く判らない場合に『健常者』と言う風に呼んでいます。

右脳の人格は『命そのものを働かせている者』です。人間の命の働きは、ある程度細分化出来ますので、もし細分化をするなら、概略三つに区分けする事が出来ます。

それは人間の、『身体に対する命の働きと、行動に対する命の働きと、心に対する命の働き』と言う風にですが、本当の意味ではそれらの三つには境目が在りませんから、全ての大元では共通点が在ります。

その共通点とは『心の矛盾』です、心が騒がしく争っていると言う意味です。具体的な言い方をするなら『生き難い想い』或は『一切皆苦』或は『漠然とした不安や、何処から押し寄せているのか分らない正体不明の心的な圧迫感』です。

人間の命は命として芽生えた瞬間から『働き始めています。』初めての働き始めが細胞分裂ですが、この働きを働き始める事を知っている働きが『命そのものの働き』です。

生まれてからは、誰も教えなくとも、安心する事も、不安になる事も、更に云うならば恐怖する事さえ知っている働きです。心臓の打つ数も、呼吸する数もホルモンや消化系等や排便する事も全て承知している働きです。

暑い時には汗が出る仕組みそのものや、心的には涼しい所や、水の在りかを探すように『自我意識に』指示さえ出している働きです。ですが健常者の場合では、今書いたシステムに何の疑いも持つ事が在りません、この疑いがない姿を聖書では『天国に住んでいる』と形容しています。

人間の脳の機能が大人になる頃から『人間は全てを疑う場合があります。』この現象を『失楽園』と形容しています。

二つの脳の機能が上手く同調出来ている場合の事です。天国に一番近い存在は『幼子』と言われる由縁は、脳の機能分化が進んでいないために、未だ一つのものとして働いているからです。

脳の機能分化の完成を待って始めて『人間は天国から追放される事』を意味します。この意味は『心が二つの機能になることで、争いがはじまるという意味です。』

つまり知恵が付いたために天国から追放されると言う意味は、『心が分裂をしたり矛盾を起したり、対立する事』を意味します。おもに思春期頃の事です。

人生がなんであるのか?や、自分は何者か?と言う疑問が湧き始めるころの事です。この疑問を抱き始める事によって『失楽園』と言う表現方法を取っています。

この疑問の解消方法が『悟り』を意味します。それは自分自身に疑問を抱かせていた者の正体を知る、と言う意味になります。つまり自分自身の感情を湧きあがらせていた者の正体が『自分自身であった事を知る』と言う意味です。

もっと具体的な表現方法を取るなら『死に対する恐怖感』と言う書き方をすると分かり易いと思いますので、この線で書いてみます。

普通の状態で『死』を意識した場合に、恐怖感が湧き上がります。この恐怖感の正体が何であったかを知る事が『見性』と言う意味です。

人間の心に不安や恐怖感が湧き上がる場合では『二つの意識が戦っていたり、矛盾を起しています』この意味は、『意識の根底で二つの意識は、脳梁を介して情報交換をしています』この情報交換に、ある場面で『自我意識が、感情が湧き上がる情報の受取りを拒否する場合です。』

もっと平たく言うなら『死に対する不安や恐怖心が芽生える場合では』人間の心は『永遠の命を希求しています』この事実が、心の矛盾です。

自我意識は有限の身ですが、右脳の人格は永遠の存在だからです。有限の身である自我意識は『永遠の存在である右脳の意識=仏性や神としての存在によって、』永遠を希求させられています。

右脳の働きは分り難いので、実際に右脳の人格を体感している動画が在りますので、載せてみます、その後でもう一度説明します。


URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM


この動画から汲取っていただきたい事は、『自我意識が全てではない事』です。もう一つの意識によって、自我意識は支えられている事です。

貴方が質問している事にお答えしたいと思います。


『いないという前提で話させていただきますが、ブッダはすべての人間が悟りを開けると教えているのに、もしブッダ以降今に至るまで第二のブッダがいないのなら、この事自体がブッダの教えは間違っていたという反証になりませんか?
この辺の事情についてお詳しい方お願いします。』


禅宗の記録を読んでください、禅宗では、悟りを開く事がその修行の全てに近い事を示しているからです。死の恐怖に怯える事からの開放を示しているからです。

禅宗では、見性した場合では『生死の問題が解決した』と言う表現方法を取っています。その意味は『死に怯えていた自我意識は、永遠の存在である右脳の働き、命そのものの働きに出会う事によって、有限のこの身の存在が、朽ち果てたとしても、自分は元々永遠の存在であった事を身を持って知る事を意味します。』

この永遠の存在との出会いを見性=悟りを開くと表現しています。そうして自我意識が二度と、右脳の人格の前にでしゃばらなくなると言う意味です。

キリスト教であっても同じ事を違う表現で言っています。『神と和解して、神の僕となる』と言う表現です。

釈迦の悟りは禅宗では、連綿と伝えられています。そのテキストの価値を書いて終わりにします。

右脳の意識は『言葉を持っていない事が特徴です。』右脳の意識を引き出す事が出来れば『見性』出来ることを意味します。

そのためのテキストとは『禅問答』です。禅問答は左脳の自我意識では、歯が立ちません、これは脳の機能的な問題です。

その理由は禅問答は右脳の人格としての機能が出て来ないと解けないように仕組まれているからです。

鬱と言う場合でも、神経症としての強迫行為も恐怖症も、自律神経失調症としての症状も、『心の矛盾』を症状として感じています。正に意識地獄の状態です。一切皆苦になっていますので、その症状を起こしている意識との出会いで『完治する事』を意味します。


それは『意識が発生する丁度、正にその時の事です。』その体験以後では『心の矛盾が解消しますので』もう二度と心同士が争う事がなくなりますので、寛解ではなくて、完治した事を意味します。

言葉にするなら、右脳と左脳の間にホットラインが開通する事によって、いつも心が静まり返っている事を意味します。仏教的な表現方法では『涅槃』です。

悟りを開くと云う事が、如何いうものかを書いてそれから、説明してみます。悟りを開く事を他の言葉で言うなら『見性』です。自分の性を見るという意味ですが、その意味を科学的な文献から解き明かしたいと思います。

人間には二つの人格が備わっていますので、科学的な文献を載せてから説明します。


”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん...続きを読む


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