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深夜の投稿失礼します。こと春大学に進学する者です。

この度は私の友達付き合いの考え方について聞いてもらいたいことがあります。

私は趣味の合わなそうな人や性癖を理解(認めてくれたり、歩み寄り等)してくれなさそうな人に対してはとことん冷たいというか、「どっか行ってくれ」みたいなオーラで接します。
 昔は「人間話し合えば分かり合える」みたいな安っぽいヒューマニズムを信じペラペラと良く話していましたが高校時代にそれはあり得ないと思わせるような出来事多々あったので私は殻に篭るようになりました。

 それに、その場だけの友達ってなんだか本当に時間の無駄な気もするし、本当の自分を理解してもらっていないのでいつまでたっても気を使うし、その人と話しをしていても、それは本当の自分ではない気がします。

 しかし、私は上の人間(具体的に言うと先生)とのコミュニケーションはとれます。(といっても心と言葉が反比例しまくりの会話が大半ですが)成績のため、仕方ないと思っていた部分があります。

だから周りから見ればコミュニケーション能力に長けていると思われるのですが、それは瞬間的なものでしかないのです。

近々、大学が始まります。私は本当の事が言い合える友達がほしいです。やはり異質な者は将来、有名になって見返す事くらいしか出来ないのでしょうか?

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A 回答 (2件)

木曜がたまたま代休だった社会人13年目の者です。



そんなことで悩んでる人もいるんだなぁーと自分の
大学時代を懐かしみながら、ついつい目をとめてしまいました。
せっかくなのでおせっかいさせていただきます。

それなりに受験生を集める大学なら、全国から学生が
来ているし、生徒数も多いですから、嫌いと思った人間に
対しては徹底的に嫌ってもなんら支障のない環境だと思います。

逆に、「本当の事が言い合える友達」をつくるなら、ゼミやサークル、
各講義の隣席など機会はたくさん用意されています。

誰と付き合って、誰と付き合わないかを自分で自由に選べる、というのが
大学時代だったのかなー、と思います。

社会に出たら付き合いの深い浅いに関わらず、知人には時々で助け助けられ
しています。ですが、損得の関係はどうしても少なからずあります。

一方、学生時代は知人・友人を損得なしに、時間の許す限りできるだけ多く
つくることのできる最後にして最大の機会だと思います。
そうやってできた関係は、社会に出たときに「人脈」と言われます。

私の経験でも、本当の親友は2、3人しかできませんでしたが、何かのとき
には連絡のできる知人はたくさんできました。

一期一会の人もたくさんいましたが、それでも色々な考え方や行動に
少なからず影響は受けていたと思います。
だから、無駄な出会いというものは何一つないと思いますよ。
目に見えないいろんなものをくれているはずですから。

さて、今回悩まれている件についてですが、こう考えてみてはどうでしょう。

・100人も親友はいらない、1人か2人居れば丁度いい!
・これだけ学生がいて1人くらい趣味の合う奴が見つからないのがおかしい!
・損得無しでたくさん人脈をつくれるのは本当に学生時代だけ!
・誰と付き合おうと、私の自由だ! 嫌いな奴は嫌いだ!

あと、勉強だけは手を抜かずにしっかりとしましょうね。
受験で燃え尽きて勉強できなくなった学生も多いですから。

今就活で苦労している先輩たちは社会に出たときを想定せずに
大学生活を過ごしたばっかりに苦労していますから。

逆に、内定をもらっている学生はたいてい学生時代に
しっかりとなりたい職業に目標を定めて資格取得などした
学生です。

では、おせっかいを終わります。

春からの大学生活、楽しく有意義に過ごせるといいですね!
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この回答へのお礼

少し前から希望なんてものは一切存在しない大学生活を想像してました。
でも、回答してくださったお二人のおかげで少しだけ希望が見えてきました。冷静に考えてみたら私は高校時代に縛られすぎていたのかもしれません。心機一転、楽しく有意義な学生生活を送りたいと思います。
深夜の回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/04/02 00:29

大人になってもっともよかったと思うことは、「(プライベートでは)自分のほんとうに気に入った相手とだけ付き合うことができる」ことです。


クラス、部活など定められた枠の中で共存することが前提となっている間柄では、「その場だけの友達」を作ることが必要とされます。そのほうが色々と円滑なので。大人になったら会社の中がこれに近いですが、会社は「共通の目標」というものをみんなで共有しているぶんだけ、それを核として気が合わない人でも連携を取ることが容易になります。
質問者さまの「上とコミュニケーションが取れる」ことは、今後の社会生活において非常に重要なことです。コミュニケーションとは、常に自分をさらけ出す必要があるものではなく、気遣い・駆け引きなどの戦略に基づくものでもありますので。

私は、「人間話せば判り合える」とは思っていません。
とはいえ、判り合えない人が敵あるいは自分の人生に無関係な人間であるとも限りません。

どんなにひねくれた人でも、不思議な趣味を持っている人でも、なんでもかんでも言い合える友人ってのに出会える可能性はあります。
自分の中の「譲れない核の部分」「ちょっと妥協してもいい部分」をまず明らかにし、他者に対しても同様に「歩み寄ってあげる部分」「決して共感できない部分」を自分で理解しましょう。
どれだけ親密な友人でも、お互いの歩み寄りや思い遣り、妥協なしで勝手気ままに振舞えるわけではありません。自分が妥協したり諦めたりすることが少なくて済む人というのは、結構いるものです。ですから、「どっかいってくれオーラ」はそういう人の予備軍を見つけるために損なので、間口は大きく広げて構えておくことが寛容。人間の評判は、他人の口を通じて伝達されていくものなので、そこで損な情報伝達がされたら、もしかしたら気が合いそうな人がどこかにいても、うまいこと出会えないかもしれないからです。
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この回答へのお礼

言われてみればそうでした。篭るようになったころから人はどんどん離れていきました。もう一度、出会える可能性を信じてみます。

私は仮面を着けながら話す自分が嫌いでした。でも、それもコミュニケーションの一つと分かったら、何だか気が楽になりました。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/04/02 00:38

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