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済みません。再掲ですが、知りたいのは、西国諸藩は参勤交代で、京都をどの道筋を通って通過したのかということです。市中を通ったのでしょうか。

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A 回答 (2件)

ウイキの「大津街道」によると、幕府は西国大名が朝廷と接触するのを嫌い、この街道を作ったとあります。

   この道は伏見から京都稲荷山の南をまわり、山科追分へ出る、京都市内を通らず伏見から大津へ抜ける道です。
多くの大名行列はこの道を使い、京都市内は通りませんでした。
ただ公卿と親交のある、薩摩や長州藩は京都に泊まりました。  紀州藩も紀州街道を使う時は、京都に泊まり、京都所司代に挨拶したといわれます。    他の大大名も京都泊まりの可能性があります。
御質問の意味はこちらの事でしょう。

伏見街道は今の京阪本線とほぼ同じルートといわれます。   五条通りが伏見街道の終点なので、京阪五条へ着きます。    
朝鮮通信使が市内を通った道は、宿泊所から推定すると、五条通り→西大路通を北上ですが、諸候はどうか。    出は三条大橋でしょうが。
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落語の『こぶ弁慶』のオチに大名行列が出てきます。


主人公が綾小路麩屋町の自宅から蛸薬師堂にお参り途中で、金紋先箱大取り柄行列凛々しく「控え~控え~」と通る大名行列に遭遇します。今の地図でみれば小綾路麩屋町は藤井大丸のうらあたり、蛸薬師堂は新京極通りの永福寺ですから、その間で行列が通れるような広い道といえば四条通です。落語のことですからあてにはならないですよね。
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