痔になりやすい生活習慣とは?

「何で勉強しているかわからない」と言う学生の言葉を耳にします。
それでみなさんの、
国語
数学(算数)
理科(科学)
社会(日本史・世界史)
体育
美術(図工)
家庭科
総合学習
なんのために学校で習うのか言葉を聞かせてください。
個人的な面白い考えでも、真面目な回答でも構いません。
面倒臭いのでしたら、1教科の意見だけでも大丈夫です。多い方が助かりますが・・・
私は特に義務教育に興味があるので、できたら小・中学校の範囲でお願いします。

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A 回答 (10件)

まず義務教育に限らず、教育というものは、人間としての素養を形成するために、有るのです。

その点を、生徒さんに理解してもらうことです。その上で、
1)国語
字の読み書きが出来なければ、文章が書けない。そうすれば、好きな人が出来ても、電子メールで絵文字ばかりになり、相手に「あんた、馬鹿?」とけなされます。それガイアyなら、読解力を身につけて、漢字の読み、書きを身につけるために、国語があります。
2)数学(算数)
まずは、買い物するときに、手持ちの金で、どれだけ買えるか、計算できるようにするためです。
次に、自然現象を解き明かすのに、数学を使います。微分積分や、指数関数、対数関数などがあります。
義務教育程度の数学は、国家試験を受ける際に、入社試験もですが、理解できていないと、確実に落とされます。
3)理科(科学)
自然現象の解明のためです。
4)社会
歴史や、経済を知らなければ、未来は、語れませんので。
5)体育
基礎体力を身につけたり、社会に出てから、娯楽として出来るスポーツを身につけるためにあります。
6)美術
7)家庭
この2つは、数学や理科の応用と捉えてください。ゆで卵や、パインゼリーはどうやって作るか?また、パインゼリを作る時は、なぜパイナップルを加熱するのか?という疑問が出てくるはずです。その答えを、理科を通して解明させるのです。
8)総合学習
その名の通り、全ての教科の知識をフルに用いて、日常生活のあらゆる現象や問題を解明するためにあります。
以上が、私の、見解です。何故、勉強するのか?という問いに対する答えの一つです。しかし、大抵の生徒さんは、なんと言おうとも、試験のためでしょ?と言い返すのではないですか?まあ、これは余談です。悪しからずご了承下さいませ。
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国語



人間の五感を使って言語で表し伝えれるようになる為

数学(算数)

衣食住には御金が必要で御金の使い方や衣食住に関わる物作りに必要になる計算が出来ないといけない為

理科(科学)

生命そのものや理に関わる人や物質の事を知る事で感知に繋げる為

社会(日本史・世界史)

移住の権利もあって日本や海外の事を知っておく為

体育

身体機能も人格形成と共に成長させることや健康維持の為

美術(図工)

色彩感覚の感化や衣食住の住にも繋がる物作りを実践する為

家庭科

衣食住の衣食という個人でも生活維持・生命維持の為に活動出来やすい範囲を実践する為

総合学習

自由も含め人が生きて死ぬまでを様々な観点から学習する為


これは私個人がイメージした義務教育に必要な基礎的な目的です。
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(2)つづき



国語
お互いがとんちんかんな文法とワードで話したりしていては、
社会貢献どころかトラブルの連続です。
社会貢献によって充実感=幸福感を体感するための立派な環境作りのために
あります。



数学(算数)
未開の地では物質が豊富ではないですから、
数の概念が無く「ない。少し。たくさん。」の3つです。
高度な物質文明では、厳密に数を数える機会が生じてきます。
ですから、やはりこれも社会貢献・充実感・幸福感のための環境作りです。


理科(科学)
物質文明そのものの科目です。


社会(日本史・世界史)
物質を独占するために人間が犯してきた過ちを学習します。
歴史は全て人か物質を独占しようとしたときに起きた事件です。
決して戦の仕方を賛美するためのものではありません。
現状はこれらの真逆ですが。


体育
社会貢献の基盤となる肉体の開発です。


美術(図工)
皆が皆社会貢献に成功して充実する訳ではありません。
結構失敗の連続です。
そのとき、ちょっと傷付いた心を癒してあげるのが芸術です。
また、一枚の画や写真で、文章で表現できない事実を伝えることもできます。
美術は社会貢献できるスキルそのものです。


家庭科
社会貢献するには疲れた肉体を再生する必要があります。
健康、栄養、衣服など、肉体再生と快適さを維持するための
知識を修得します。


総合学習
実際に学んだ知識を融合して役に立つことをしてみましょう。
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(1)



人は生まれた瞬間から、自分が幸福になろうといろんな事をします。
それがいいことであろうが犯罪であろうが、
やっている本人は「これさえやれば、自分はこの苦しみから抜け出せる。
すなわち、幸せになる。」と、いたって真面目に思って実行しています。
そのせいでいろんなトラブルが生じるのですが・・・。


つまり、人間が目指しているもの=目的は「幸福感」なのです。
「幸福感」を別の言葉で表現すれば、「充実感」です。


「幸福感=充実感」は心の働きにフォーカスを当てていますが、
「幸福感=充実感」を身体の働きにも含めて表現しますと、
「人格完成と社会貢献」です。


「人格完成と社会貢献」は充実感という幸福感を与えてくれます。


子供が花壇の世話や、ウサギの世話をしているときの眼を見て下さい。
誰にも教わっていないのに、「自分は役に立っているのだ!」
という強く明るいエネルギーに満ち溢れ、目が輝いています。
つまり、充実し幸福感にひたっています。


人間が幸福に生きるためには、「自分は役に立っているんだ!」という
小さな充実感を体感していくことになります。


独りでいるときは、怒らず、貪らず、余計な妄想をしないように気を付けて、
人格の完成に励みます。
そこにもまた、「充実感」が宿ります。


義務教育というのは、「充実感=幸福感」を与えてくれる
「社会貢献」のために必要な最低限の知識を学ぶものです。


未開の地では、早く一人前の身体になって田畑を耕したり、
農業のノウハウを勉強します。
これも、立派な社会貢献のための義務教育です。


しかし、先進国のように物質文明が高度化すると、
ウサギの世話だけではなかなか社会貢献できません。
みんながウサギの世話しか出来なかったら、社会貢献しようと思っても
ウサギの世話をするために、人は順番待ちをしなくちゃいけません。
すると、みんなが平等に「充実感=幸福感」を感じることができなくなります。


そして、高度な物質文明で社会貢献して充実するためには、
高度な知識が必要になってくるのです。
その最低ラインが義務教育です。


決して、日本だけが、先進国だけが義務教育があるわけではないのです。
未開の地のように、作物を上手に育てる知識も義務教育です。
そして、未開の地での義務教育は知識の量こそ少ないですが、
それを修得出来なかったらとたんに厄介者扱いされるのです。


作物についての知識を修得出来なかったら、その他に貢献できる物質分野が
ありませんから(家の修理とかあるでしょうが)、作物の知識習得は
実は我々が思っている以上に死に物狂いなはずです。


逆に、日本のような先進国では、これが良いか悪いかは別にして、
物質文明が発達していますから、いろんな分野で社会貢献できます。
どんなに不器用な人でも、どこかに社会貢献できる分野があり、
平等に充実感を感じることができる分野が残されています。


それと、その物質文明を維持していくためには、みなが最低限の知識を
習得しておく必要があります。


結局、日本の義務教育というものは、物質文明において社会貢献をし、
「充実感=幸福感」を感じるために必要な最低限の知識体系です。
そして、それが発達した物質文明を維持していく働きもしています。


ですから、なぜ勉強するのか?の疑問には
「高度な物質文明で社会貢献して、充実感=幸福感を体感するためだ」という
答えになります。


一人一人が真剣に義務教育を学習することで
自分が社会貢献できるし、他人が社会貢献できる環境をも作ってしまうのです。


自分の好きなことばっかりやって、他人のお世話になるという生き方は、
一見自由な感じがしますが、実は充実感=幸福感から最も遠い所にいます。
とても情けない生き方です。
人格完成も社会貢献の延長線にあったりします。


つづく
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■一人では生きていけないから学習するのです。


あなたが大人になったときの事を想像してみてください。お父さんやお母さん、そして君達は、どのような生活を送ってますか。普段の生活では、友人知人と連絡を取り合い、時間をみて計画的に行動し、家事育児のための人生設計をし、趣味に興じ、仕事を通して社会に貢献し、ときには難しい事(あらゆる勉学やスポーツ等)にも挑戦します。このような人生を送るために必要な知識と経験を積むのが目的です。

・国語
国語は、日本で生活して行く上で、必要な連絡(コミュニケーション)を取れるようになるために勉強します。また、文学等にも親しんで、他の人達の思いや考えていることを勉強します。
そうすることで、表現豊かな思いやりのある人となり、他の人達とも仲良くなって、友達が沢山できるようになります。

・数学(算数)
買い物でお釣りが合っているか分かるようになります。(損をしないようになります)
待ち合わせに遅れないように、時間が読めるようにします。(約束が守れるようになります)
料理を作るときに、重量を測ったり、均等に切り分けたりします。(いつも同じ味で美味しく作れます)
家計の割合を知ることで、計画的な人生設計ができます。(お小遣いを計画的に使いましょう)

・理科(科学)
物事がどのように作られていて、どのようにすれば、どんな風になるのかを学びます。
人間や動植物が、どんな風に作られているか分かれば、自分を含めて他者を理解できる様になります。
また、自分が興味の沸いた事から、医者や科学者、あるいは宇宙飛行士とかにもなりたいと思うかもしれません。
君達の将来のために、理科(科学)が必要なのです。

・社会(日本史・世界史)
歴史を学んで、将来のためにします。
人間の発展の歴史、文明の変遷、科学の進歩等、これら様々な歴史の中の悪い所や良い所を学び、そして失敗をしないよう、また、素晴らしい成功をするために歴史を学びます。
歴史を、君達のいままで送ってきた生活と置き換えてみましょう。例えば、友達やお父さんお母さんと喧嘩して仲が悪くなったときはありませんか。こんなときは、何が良くなかったか振り返ってみましょう。もし、君がイタズラとかをして喧嘩したのなら、その様なイタズラはやめるようにしましょう。そして、将来、同じような状況になったとき、友達やお父さんお母さんと仲良くするために、そのイタズラは我慢しておきましょう。

・体育
もし、君の好きなことが水泳やかけっこやサッカーや野球だったら、体育をがんばってオリンピック選手になったり、サッカーや野球の選手になれますよね。
例えスポーツが苦手でも、スポーツから学び、君のこれからの人生に役立つものは沢山あると思います。
苦手なものでも勇気を出して頑張ってやってみることが、得意になる第一歩かもしれません。

・美術(図工)
君が美しいと感じたり思ったりすることは何ですか。
もし、それを作れたら、なんて素晴らしいことかと思いませんか。
折り紙や粘土、空箱とかを使って色々な物を作り出す。また、絵の具とかを使って好きな絵を描いてみる。
もしかしたら、大人になったらアニメを作ったり、映画を製作したりするかもしれません。
また、車や飛行機の整備をする仕事や家を作る仕事に関わるかもしれません。
こういった将来のために、得意な部分を伸ばしてください。

・家庭科
君は物を大事にしていますか。少しくらい洋服が破けたからといって、すぐに捨てていませんか。
君は、お母さんがつくった料理を好き嫌い無く全て食べていますか。嫌いな物を残していませんか。
切れたり、ボタンが取れた洋服は縫って使いましょう。元のものよりも強く頑丈になって長持ちしますよ。
嫌いな料理を美味しく食べれるように、お母さんと一緒になって考えて作ってみましょう。
また、好きな料理はもっと好きになるように工夫してみましょう。
将来は、パティシエ?洋服のデザイナー?ファッションモデル?何になるか楽しみですね。

・総合学習
物事のつながりを知ることで、人は一人では生きられない事を知り、
意見や思い等が違う色々な人達がいることを知って、他人への思いやりが大事なのを知り、
そして君が成長するのです。そのために必要な学習です。
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 学問はどれが不要でどれが必要かという分けることが出来ない物なのです。


 
 今、なんでと思うのは、周りの便利な機械などがあるから、それを使えば良いと考えるからです。
 国語は言葉、文字などにわたるものです。これが無いと人とコミュニケーションは難しいですね。
 数学は実は、身近にありすぎるほどなんですね。家の設計など物作りには欠かせぬ知識です。経済もそうです。人が沢山いれば、物がどれだけいるのか考えますね。
 理科は身近な現象について知ることです。知ることで物を作ることにも必要です。火は熱い物ですね。なぜでしょうか?科学の法則など考えると難しいけど、どういった事で、どのようなことがあるのか知ることで事故も防げます。
 歴史や社会は周辺の事を知ります。なぜこの会社があるのでしょうか?生活に結びつく事ですね。歴史は過去に何があったのか、そこで何を学んできたのかを知ることで未来を予想できます。
 美術や図工、家庭科は一人になったときに必要な技術ですね。また絵などは人に言葉で伝えきれない事を伝える手段でもありますね。家庭科は料理など家庭での事も必要です。お手伝いすれば分かることですが。
 総合学習は教科単体でみるより全体として見ることが必要ですね。

 このネットを説明するにのコンピュータの中身だけ説明しても分かりませんね。電気も要りますね。ネットに書き込むのは国語力ですね。あの時はどうだったと自分の過去を振り返ることもありますね。歴史です。ずっと座っていたら体がなまるので運動が必要ですね。体育での知識は欠かせませんね。

 ありとあらゆる事を総合的に私たちは行っているのです。それを学問とすると難しく考えるのです。

 勉強は自分がしたい事が分かっていないからです。必要な知識はなにか理解していないからです。

 学校で習ったことを使わないで過ごしてみれば必要性は感じるかもしれませんね。
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塾講師・大学院生(数学)をしています。

大学は文学科を出たので,広い分野に触れる機会に恵まれたほうだと自分では思っています。

国語
私たちは言語を使って考え,言語を使って相手とのやり取りをします。
近年,後者のみが重視されています。その裏返しが「空気読め」で,それで伝わるなら言語は不要となります。
しかし,前者の役割,考える道具としての言語のはたらきも重要です。誰に伝えるでもなく,自分のためだけにメモを残すのも,思いつきを書き留めておくのも,言語と頭脳の協調作業です。たとえば最近ですと,ツイッターやブログなどを書いているうちに,モヤモヤしていた思いが固定化することがあります。これは誰か特定の人に伝えるのではない言語の働きです。
国語は,母語を用いて言語を扱うための教科です。
ごく個人的な見解をいえば,この点から考えて,義務教育段階での「物語」「小説」は現状重視されすぎで,なくても良いとさえ思えます。

数学(算数)
物事を論理的に考える思考法を養うための科目です。
日本人が数学を嫌うのは,性質的に論理的な思考法を嫌うためだとさえ私は考えています。
(例:理屈っぽいのは嫌われる,「言うことはごもっともだが現実問題不可能だ」など)
数を使うことで,人間の特性である抽象的思考法にも慣れてゆきます。
「リンゴが3個とミカンが2個,あわせて何個?」というのは,実生活上は「リンゴ3個とミカン2個です」と反復するだけのことです。しかし「足して5個」というときは,「種類」をそぎ落として考えています。
同時に,法則性を見出すこと,問題の切り分けなど,本来「社会人」に必要な考え方も養います。後者はORが典型です。いま「」をつけたのは,日本人の多くが欠如したまま社会に出ているからです。数学を重視しなければ国は滅びます。

理科/社会
理科と社会は似た目的を持っています。乱暴な言い方をすれば「カタログ」です。
人間が経験したこと,世界に何があるのかをまとめたのが社会であり,自然現象についてまとめたのが理科です。
ただし,理科には法則性を見出すという,社会にはない特性があり,こちらは数学に近づいてゆきます。
歴史は人類が経験したできごとのデータベースです。その学習を通じて,法則性や事の善悪について考える習慣を身につけることも大事……なはずですが,そこまで意識して教えられているかどうかはきわめて疑問です。最悪の例が「社会(歴史)は暗記科目」という教師。
日本史に関しては,私は日本人の最低限度持っていてほしい知識は江戸以降で十分で,鎌倉時代などはなくてもいいと考えます。ペリー来航以降に重点を置く必要があると思います。
市民として生きる上でもっと重要なのは「公民」です。最低限の知識がないまま社会に出ている人を多く見ます。文化国家として情けない限りです。

体育
健康な心身を養う云々といいますが,私は苦痛の科目でした。思うように体が動かないからこそ,どうやればいいのか教わるはずなのに,頑張れとか努力だとか,まったく意味をなさなかった記憶しかありません。
後年経験したフィットネスクラブや,病院のリハビリ科などは,重点的にどこをどう動かしてどこに力を入れるのか,きちんと説明してくれて,なるほど,と思いました。しかし学校教育で一度たりともそういう科学的・理知的な体育教師には出会っていません。
教師の能力のせいで,かえって運動嫌いにするぐらいなら,いっそ完全になくしてしまったほうがよい科目だと思います。

美術(図工)
これも,存在意義のよく分からない科目です。

家庭科
私の世代は男女で家庭科のコマ数が違いました。ひどい話です。
ただ,小学校の家庭科の記憶として,約20年前の当時でさえ一般にはなくなっていた「足踏み式ミシン」をやらされたのには,当時も今も憤りしかありません。家庭で使う電化製品が年々進歩しているのに,乏しい予算で追いつけるのか疑問です。NHKのように時代にあわせた実用的内容なら意味がありますが,そうでないならなくしたほうが良い科目でしょう。

総合学習
もっとも存在意義の与えられていない科目ですね。
本来は,疑問をもち・調べ・まとめ・発表する,という字義通りの科目横断型の目的をもって設置されたものだと思います。
それで郷土史などを取り上げることが多いと思いますが,まず日本は文化的インフラがなく,図書館はほとんど役に立ちません。「分からないことをどう調べるのか」を体験するはずなのに,「図書館に行ったけどなかった・探せなかった」では逆効果です。
大学なら図書館には専門の司書がいて,何を見てよいのか分からないことさえ調べてくれます。子どもたちがこうした体験をするなら意味がありますが,結局「ググれ」に陥りつつある,なくすべき科目と思います。
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じゃあ、遠い中学時代のことを今思い起こして・・・



国語:正直役に立たなかった。先生より読書量多かったし。
   定期試験の採点についても未だに納得してない。
   ×にされたけど今でも自分の解答が正しかったと思っている。
数学:授業の記憶が全くない。でも一番できた科目。
理科:これも記憶がない。でも二番目にできた科目。
社会:大人になって人と話すときに未だに社会科の知識が役に立ってる。
   もっとちゃんと勉強してもよかったかも。
体育:今にして思えば体育の授業は重要。体育が無いと私は運動しなくて不健康。
美術:自尊心を傷つけるためだけの科目だった。
   美術史/実技が80点/20点の試験で78点/6点だった・・・
家庭科:料理も裁縫も家庭科以外で習ってないけどちゃんとできる。
    多分家庭科のおかげ。ちゃんとやった方がいい。
総合学習:私の時代はそんなの無かった。どういう科目?
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義務教育は社会に出るための下地を作る、そういった意味があります。


読み書き足し引き算ができれば、確かに日常生活をするには困りません。
しかし、「相手に伝わりやすいように説明する」、「相手の言っている内容を理解する」、「与えられた仕事をきちんと終わらせる」、「自分自身で考えて仕事の効率を上げる」、といった社会で必要とされる能力は、最低限の教育を受けなければなかなか身につきません。
義務教育の各科目がすぐに社会生活に役立つ、ということはありません。
勉強する中で「テストの長い文章から簡潔な答えを選び出す」「先生の話をよく聞き、内容を理解する」、「宿題を期限内に提出する」、「長期休みの宿題を効率的に終わらせる」といった行為を繰り返し、上に述べたような能力を向上させていくのです。

そもそも社会に出れば学校の校則以上に理不尽なルールがたくさんあり、何のために働いているのか悩むことはしょっちゅうです。
子供のような自由気ままな大人が定職に就かないのはこういったしがらみを嫌うからであり、社会経験のない子供は1年も我慢できないでしょう。
すなわち、義務教育は自由気ままな子供が社会に出れるよう、ルールに縛られた生活に子供を慣れさせる場ととらえることもできます。


以上、私の意見です。
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すべての教科においての答えです。


私は、自分の好きなこと、得意のことを見つけるためにたくさんの種類の科目があると思います。
狭い視野で周りを見るよりも、広い視野で見た方がよく見えますよね?
小、中学校で自分の好きなことを見つけ、高校、大学で好きなことを極める。という風に思っています。
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