日清、日露戦争当時、大韓帝国は完全な独立を維持するのは難しく、清、日本、ロシアの何れかの勢力下に組み込まれざるをえなかったのだと推測します。
当時の大韓帝国国民は大勢として、どの国の勢力下に入ることが最も苦難が軽く、どの国の勢力下に入ることが最も苦難が重いと考えていましたか。日本人の勝手な考え方だと言われては困るので、国籍は問いませんが韓国、北朝鮮の人々の心情を、ある程度、代表しえる回答を希望します。
よろしくお願いします。

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A 回答 (6件)

> 韓国、北朝鮮の人々の心情を、ある程度、代表しえる回答を希望します。



全くこの条件が分かりません。

> 当時の大韓帝国国民は大勢として、どの国の勢力下に入ることが最も苦難が軽く、どの国の勢力下に入ることが最も苦難が重いと考えていましたか。

国民をどの層と考えているのかは存じません。
日清戦争当時、朝鮮は清の属国です。王を中心とした一派は清にすり寄りますが、失政により、最終的に甲午農民戦争という内乱になります。この時の処理の対立が日清戦争の引き金です。
日清戦争では、国王を中心とした一派は清にすり寄りますが、朝鮮という国自体は日本側に立ちます。これは、朝鮮内部の勢力争いの中で、この当時は親日的な勢力が優勢であったということを示しています。

日露戦争当時も国王を中心とした一派はロシアにすり寄りますが、様々な失政のため、国王は数度の暗殺未遂事件を起こされるほどに権威がなく、知識人階級の大部分は一進会に代表される親日的な路線でした。

この流れは、開化派から独立協会、一進会の系譜の中で一貫しています。
彼らは別に日本の傘下になることを望まないのですが、国王一派は当初中国、その後ロシアの傘下に入ることを望んでいました。日本の後ろ盾で独立と近代化を成し遂げようというのが目的です。
この方針は、日清戦争から1910年の併合まで概ね成功しました。彼らは条件付きとはいえ独立を勝ち取っていたからです。しかし、ハーグ密使事件をはじめとする種々の事件などにより、最終的には一進会の側(例えば宋秉畯や李容九)から日韓併合論が出てきています。国王よりも日本を取った、といえそうです。

したがって、知識人に関していえば、
日本のほうが、国王・清・露よりも苦難が軽いと考えていたといえるでしょう。
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この回答へのお礼

>>全くこの条件が分かりません。
1この条件が分からずに回答を作れる心理が「全く分かりません」。
2日本人側に立つ回答の論調は予想できたので、この立場からのご意見は余り訊きたいとは思っていなかった気持ちの表れです。
3韓国、北朝鮮、並びにそのシンパの方々には答えたくない質問であろうと予想していて、にも係わらずこれらの方々にこそ答えて欲しいという気持ちの表れでした。

ご回答は理解の深さは違っていても私の抱いている印象と変わりがありませんでした。参考にならなかったという意味ではありません。参考にはなりました。
限られた労力、字数、時間を考慮すればクレームの一切つかない回答を求めるのは大人気のないことだと理解できます。

有難うございました。

お礼日時:2010/04/12 08:41

なら追加で書くが、


大体こういうどうでもいいことを語りだす人間は
朝鮮が独立は無理であり、清国の奴隷であり、どうせどこかに占領される運命であった。

以上。

てな感じの前提から、脳みそ切り替えることができないまでに決め付けた結果でしか語らないのが問題ですよ。
と、

また当時の民衆の意識において、王国というものの、民とその国の主との関係にたいしての認識を。こんな質問のような内容言ってる日本人は天皇天皇なんて言ってる奴ほど理解していない。
と、

ごくごく単純に最初の質問文に答えるならば、

ま、もともと清国とは従属関係があったので、可能なら面倒くさくない範囲で現状維持を望んでるが、
無論どこの国にも下僕とされる事無く。
だけど外夷が来ちゃう時代だから、周囲の国の力を微妙に入れつつ相手を牽制し自身を保つ。という考え以外、どの勢力支持の集団であったにしろ、みな考えることの最終的な方向はそれほど違いはない。

ま、施政側の人間にとっては。

もちろん清との従属を完全に断ち切れ一人立てるなら、そりゃ最高だけどね?(´д`)でも無理やん、一番最初のやたらぼこぼこ外国勢力を朝鮮に流したのもそもそも清国の意思圧力でもあったしなぁ

てのは、基本みんなあったけど。権力に居てその状態に旨味を得ていたものは安穏とそれにはりついてしまう。それを打開して維新せねばならんとしたのが金玉とか。

で、これらの上で答えとして言うと彼らの意思が何だったのか?といえば
朝鮮国を誰にも取られることなく、自身の国として治め続ける事。
であることには変わりない。

にもかかわらず、いちいちどこかの勢力にはいらねばならない。という言葉をどこかの植民地にならねばならない。というのとほぼ直結したような考えで話を作る人が多いので、まずそこを捨ててくれないと多分会話は通じない。
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この回答へのお礼

拝見しました。
NO.5の回答とお礼欄を読み直しました。お礼欄にあるのはmohumohu23さんご自身のお言葉ですから、今の時点では些かも改変する必要があるとは認められませんでした。

今回の回答には腑に落ちない点がありますが、初出の質問から逸脱してはいけないので問い合わせはしないことにします。
早くても16日(金)、19時までは締め切らずにおきます。その後のことはその時点で判断します。

お礼日時:2010/04/14 05:57

いまいち何を聞きたいんだかよくわからない上に若干読み違いしてるようだ。



日清戦争が始まる直前の朝鮮は親日親清とか言う以前に外国軍が多数流入しそれぞれが対峙してる状況を続けることに問題があって、どっちにつくなんて考えの問題ではない。
連中お得意のトラと狼の食い合いで均衡を保つという意味不明な危険な謀だw
連中はどこの勢力にも基本的に融合する形で入るような姿勢はない。ここは勘違いしている。
清の俗国とは言え形態は独立国だ。そうした虎の威を使うことで自身を確立しヒラヒラしてることに自身の道を常に見出しているwどこの勢力に入ったとて自国を失くすことが最良にはならない。
ネットの決め付け情報に犯されすぎだ、あなたみたいのは。
清はその後革命おこってグタグタだからどうだかしらんが、ロシアについたとて朝鮮自体はおそらくはそれほどは変わらずヒラヒラと我が道を行くだろう、日露戦争がそうした想像の上で起きていたなら日本は押さえられていたかもしれない。
海峡を封鎖されれば地上部隊を送るのも困難だ。そうした状況も恐れ何としても内陸への道と緩衝領域を確保したい日本は王宮を占拠してでも清とどんぱちがしたかった。当時清とて日本から見れば大国でその上のロシアなんてガクブルだからな。
じゃぁどこの勢力に入ってどうなればよかったか?といえば個人的にはやっぱり日本を中心とした連邦制国際国家間での軍事商業を含んだ勢力圏を確立するのが相互にとってよかっただろう。そのためには各国の高度な近代国家化西洋列強の下僕からの離脱が必要であったために、朝鮮の独立改革近代化に固執した人が日本に多かったのもそのためだ。
であれば併合し国家事業の実験場状態であった実史の朝鮮とちがって、ゆるゆるとした改革発展ではあっただろうが日本自身にも過大な経済的ストレスもなく殖民支配で地球を覆おうとしていた西洋に対しきわめて有効な牽制ができたろう。早い話が大東亜共栄圏は本来実によくできた発想なんだけど、日本が早急に欲張りすぎたのが問題だと思うよ。
独立独歩の道を歩めなかったのは確実に日本のせいでもあるよ。数世紀もの停滞をジャンプして近代化を図るには朝鮮の構造ではもう少しこらえてほしかった。ぐずぐずしてる奴等が悪いのは確かなんだがwしかし、日本にのまれたからこそ朝鮮文化が今も残っているwと、言えるのは、あなたも言うように最悪の中の最良だろう。もしあのまま日本の領土だったなら完全な純化がされるかもしれないが。
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この回答へのお礼

No.3のお礼欄で、お願いしたのは
「日本の支配下に入った事は『最悪の中の最善であった気がする』」、これに対するお考えです。

>>最悪の中の最良だろう。<<
これがお考えであることが分かりました。
これ以外に同感出来た所、真意を確かめたい所、色々ありましたが細部を詰めていては切りが無いので触れないことにします。お互いに「適度に好い加減」であることが、この制約の多いシステムを利用するコツだと心得ます。

早くても16日(金)、19時までは締め切らずにおきます。

お礼日時:2010/04/13 21:35

#3さま、素晴らしいですね。


#3様のように、回答を成立させながら記載するよう、心がけたいと思います。

マナーも守れないからきっとただの馬鹿だな。
こう思われないよう努力しています。

自分で選ぶのが最も良い選択である事は分かるのではないでしょうか?
それは個人の判断すべき事であり、第三者には無関係な事です。

強制されて再質問しても、結果は学べたろうが。
(学校を作ってやった。)

むしろ感謝してほしいな。
仕方がなかったんだよ。

他にも良い方法ならいくらでもあるはずではないでしょうか?

先の続きと認識して良いでしょうか?
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5813252.html

大きく分けると3個になります。

1、日本の思想の変化。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E9%9F%93% …

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%B8%85% …

2、ロシアの南方(極東)政策。
(維新時~日露時まで。)

3、>当時の大韓帝国国民の対日、対清、対露感情は?

特権階級(王族、貴族)
この場合、「自己の利益」と「国益」の双方からです。

ブルジョワジー。(資本家)
地主、裕福な農民、林業、漁業関係者を含みます。

労務者。
小作農などです。

結局は、貴族は優遇され
国会に臨んだりして終戦までもつれ込んでいます。

結局、支配層に上手く乗った人間以下を調べれば良いと考えます。

映画でも本でも良いと思います。
自分で研究すべきだと思います。

ただ、A国は植民地になるしかなかったのである。
結論が先んじていれば、都合の良い部分のスッパ抜きになるだけです。
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この回答へのお礼

NO.3のお礼欄はisa-98さんへのお礼でもあります。NO.3のお礼欄をご覧下さいませ。

お礼日時:2010/04/12 08:48

追加で言えば、一進会の連中が望んでいた韓日合邦は実史の併合とは違い、連邦制という立場で日本と一緒になるつもりだったんですが。

そうした思惑は無視され日本が飲み込んだんです。
ので、彼らが併合を望んだかといえば。ほとんどのものは歴史の中にある併合は望んではいなかった。
ま、併合後ほとんどの主要人物は解散後報奨金をもらってヘラヘラしてるけどねw
一部のものは日本にだまされた!として金を受け取るのを拒み続けた。
前者の内容で確実に直さなければならない点は

国王を中心とした一派は清にすり寄りますが、朝鮮という国自体は日本側に立ちます。これは、朝鮮内部の勢力争いの中で、この当時は親日的な勢力が優勢であったということを示しています。

とある部分では、これは朝鮮の意思とは違ってて、党派勢力としては事大派つまり本来清寄りの勢力のほうが基本的に強かった。
とは言え日清戦争会戦前夜ごろってのは前出してる甲午農民戦争で日清ともに軍隊を朝鮮においていたのだけど、それ以前の壬午事変での清国の干渉に苦い思い出のある朝鮮は、とにかく両方でてってくれ。農民どもとは休戦して話はつけてんだから。というスタンスであった。
朝鮮ほったらかしで日本と清が軍隊置いてにらみ合いしてる中、朝鮮おめぇ独立ちゃんとしないとだめだろがごるぁ、日清共同で内政改革すすめろや、おい。清がやる気ないなら日本だけで改革しちゃるゎ。とっとと清に撤兵するよう言わんかい。撤兵の様子がみえなきゃ日本が清国軍を蹴散らしたるわ。というプレッシャーをかけ。7月末には王宮をちょこっと攻撃し占拠してしまう。で、当時はミン一族が牛耳ってたわけだがそいつらを王宮からほうりだしミン派の政敵だったデウォングンを再び担ぎ出し日本が対面を作れる状況をおったてた。王様は変わらんけど、つっても役立たずな王様なので居ても居なくてもいいようなもんであるw

という日本による強引な流れがある。(´・ω・`)


で朝鮮政府に対し反乱おこしてた農民たちは?というと自分らの頭越しである。
自身の騒乱によって他国の軍事介入を許し休戦したら、自分らの頭の上でそれらの国が戦争だ。


エーーー(;´д`)
てもんだろう。

ま、そんな中でも自主独立を目指す者の中には後に維新会一進会なんてのを漕ぎ出すので、
当時はどうだったかしらんが、日本よりな連中も中にはいただろう。
ので日露においては独立派の連中は懸命に日本を支援したが日清戦争においては彼らあんま関係ない。
無論日本支持の人もいただろうけど。くらいじゃない?

政府はどうかといえば、上記のように入れ替わり立ち代りそれぞれの主張の違うものがめまぐるしく変わってるので何とも。というとこである。
王様は?っていえば、その時々w日清戦争の時は
<´д`>ハワワハワワ、、、ちょっと清さん、日本は独立しろって言ってるけどなんかこう清様とは長年のお付き合いもありますし。なんか日本も怖すな感じもしないでもないけど、あなたもやっぱり怖いのよねwでも日本にいいようにされるのも癪だから情報ながしちゃったりなんかしちゃったりして。ウフ。

な感じ。


で、大体あってると思うw
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この回答へのお礼

>>親日的な勢力が優勢であったということを示しています。<<
だからといって、この親日的な人々の想い描いていた通りの結果にならなかったというご意見はよく分かりました。
対等合併と吸収合併では大違いみたいなものでしょうか。


>>本来清寄りの勢力のほうが基本的に強かった。<<
>>無論日本支持の人もいただろうけど。くらいじゃない?<<
言葉の端々から日本支持派は少数であったというご意見だと読み取りました。ではお訊きします。
独立独歩の道を歩めなかったのは歴史の厳然たる事実だと思います。日本の支配下に入らなかったとすれば「清」または「ロシア」の支配下に入ったことと推測します。この場合、今日のチベット、新疆ウイグル自治区、チェチェン等々の苦難を思うにつけ、韓国、北朝鮮に平穏な道が開かれていたとは思えません。
即ち、事実上領土は切り取り自由で武力で守るしかなかった20世紀前半の世界情勢下では日本の支配下に入った事は「最悪の中の最善」であった気がします(だからといって、この事が日本の免罪符になるとまで言う積もりはありません)。
この「日本の支配下に入った事は『最悪の中の最善であった気がする』」という今日現在の乏しい知識の私の考えに対してmohumohu23さんやNO.4のisa-98さんがどうお答えなるのか是非ともお訊きしたいと思っています。
お答えし難くかったり、お答えしたくない事情があるかもしれませんし、この私の希望は今回の質問からは逸脱するという判断があるかもしれません。よって無理にとは言いません。
歴史は科学であり洞察力であって感情や願望で処理すべき分野ではないので、敢えて私の希望を記しました。

NO.2からNO.4までに対して如何なる感想を記すべきか私なりに苦慮していました。このため、お礼が遅れたことをお詫びします。
速くても15日(金)、18時までは締め切らずにおきます。その後のことはNO.5以降の反応によって決めます。

有難うございました。

お礼日時:2010/04/12 08:46

国籍は問いませんが韓国、北朝鮮の人々の心情を、ある程度、代表しえる回答を希望します。

>>>>私はこの条件には該当しませんが・・・あえて、書きましたが・・・日清戦争の前に、『大韓帝国』は存在しません。さらに述べれば「『帝国』が存在出来なかった」ことは、厳然たる歴史の真実ではないでしょうか。
 なぜならば、大清帝国の属国であった李氏朝鮮は、同格の『大』の文字も『帝国』の字も使用出来なかったですね。1895年(明治28年)に日本が清に勝利し日清戦争の後に、大日本帝国の後押しで、清の冊封体制からの離脱した。この時、清の臣下である国王号(朝鮮王)を使用することは望ましくないということで、初めて1897年(明治30年)に大韓帝国が誕生したのです。
 事実誤認があるようですので、再質問されてはいかがですか??
 

この回答への補足

>>1897年(明治30年)に大韓帝国が誕生したのです。<<
そうすると日露戦争当時には大韓帝国は存在していたことになりませんか。

質問文に事実誤認があるにせよ無いにせよ、表現が端折ってあって横着な日本語であるにせよ無いにせよ、fumiyahama さんにこの質問の意図は正確に伝わっていると認められます。多分、この質問に反応して下さる方々は質問文の不備を補って真意を読み取れるのだと思います。将来はともかく、只今のところ再質問は無用と考えています。

補足日時:2010/04/10 07:37
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http://blog-imgs-26-origin.fc2.com/h/o/n/hontana/20080829214902.jpg

日露号外。
http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/zusetsu/D08/d0821.jpg

当時の新聞もそうですが、戦争が起きたと言う「事実」と
両軍の動きなどの詳細な事実認識が優先されています。

通称はこれ。
http://image.blog.livedoor.jp/hisako9618/imgs/1/6/16d6d28e.jpg

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レーニンは日露戦争が開戦した直後からその戦争期間中はもちろん、終戦後に亘り多くの論文や演説を残しています。その量は相当なものでほとんどはレーニン全集に納められてはいますが、まともに研究するなら独立した一冊の本が出来るほどです。

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ざっくりいって、、
朝鮮半島の奪い合い←日清戦争
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朝鮮半島の奪い合い←日清戦争
 ↑
そうです。
しかし、どうして朝鮮半島を奪い合うことに
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それは朝鮮半島は日本の安全保障の要だ
からです。
朝鮮半島に敵国の軍隊がいたら、日本の
安全は脅かされるからです。

キューバにミサイル基地が出来る、ということで
米国は第三次大戦覚悟で、海上封鎖に出ました。
隣国とは、安全保障にとってそれだけ重要なのです。



満州の奪い合い←日露戦争
   ↑
満州がロシアに取られたら、次は朝鮮です。
ひとたまりもありません。
そして朝鮮がロシアに取られたら、日清戦争と
同じになります。



日露戦争勝利→朝鮮半島いただき、、
   ↑
いただいていません。
満州から追い払い、朝鮮半島を守りました。
それもこれも、安全保障の為です。

元寇は、朝鮮半島経由で日本を侵略しています。
繰り返しますが、半島は日本防衛の要なのです。


結局ざっくりいって、、
  ↑
ロシア脅威から日本を防衛するためです。
事は、明治維新から続いているのです。
上海で、中国人が列強の奴隷になっているのを
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植民地にはさせない、ということで明治維新を
おこし、日清日露となったわけです。

朝鮮半島の奪い合い←日清戦争
 ↑
そうです。
しかし、どうして朝鮮半島を奪い合うことに
なったのか。
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朝鮮半島に敵国の軍隊がいたら、日本の
安全は脅かされるからです。

キューバにミサイル基地が出来る、ということで
米国は第三次大戦覚悟で、海上封鎖に出ました。
隣国とは、安全保障にとってそれだけ重要なのです。



満州の奪い合い←日露戦争
   ↑
満州がロシアに取られたら、次は朝鮮です。
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日清戦争についてはその様な事は全くありません。日露戦争については多少その側面があったと言えます。というのは当時イギリスは清国領土内に多大な権益を有していましたが義和団事件以後のロシアの満州不法占拠等の露骨な極東に対する侵略的行動により、それらの権益を脅かされていたからです。その為に光栄有る孤立政策を捨ててまで日英同盟を締結し日本の後ろ盾となったのです。しかしながら日本の戦争目的は朝鮮の安全、ひいては日本本土の安全を確保するというものでした。結果的にはイギリスの権益を守った...続きを読む

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なお、「第零次世界大戦」という題名の小説がありますが、日露戦争をそのような観点で見ることは一般的ではありませんし、おそらく歴史観としても納得がしがたく射程の小さなものでしかないと思います。

日露戦争が世界史に与えた影響は案外大きいものがあります。

まず、19世紀末から20世紀半ば(第二次大戦終了時)にかけて世界は帝国主義時代となっておりますが、ロシアが負けたことにより、ヨーロッパでの対立軸がイギリス対ロシアからイギリス対ドイツに変わります。英仏露(日)による三国協商側と独墺伊三国同盟側の対立が中心となります。

続いて、勝利した日本は軍事的な強国の一つとして認められ、朝鮮を植民地として獲得して帝国主義に進みます。この流れは第一次大戦にイギリス側として参戦す...続きを読む

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日清戦争と日露戦争には相互に関連はあるのでしょうか?

関連があるのでしたらどの様なことですか?

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それに対して私は、日清・日露戦争の目的はロシアから日本を守るための自衛戦争と認識していましたが、日清・日露戦争の目的は自衛戦争ではないという人が結構います。
その中には、日本が南下政策を食い止めようとした理由は大陸への侵攻を行うにあたって邪魔になるからだという人もいました。

ならば、何故日本は日露戦争を行ったのでしょうか?当時の日本にとってロシアはまともに戦っても勝ち目のない強国だったはずです。ましてやこの戦争で負けたら日本は後がなかったのでは?ほぼ勝ち目がない上に負けた場合のリスクが大き過ぎる戦いまでして大陸を侵略しようとした意味は何でしょうか?

少なくとも日露戦争にて日本は数年分もの国費を使い果たし、ポーツマス条約で賠償金がとれないために国民の不満も高まりました。その埋め合わせをしたいから中国の侵略を企んだというのならまだわかりますが、朝鮮半島を支配する事で日本の命運を賭けるほどの利益を得られるとは思えません。

もし日本が日露戦争の時点で大陸の侵略を目論んでいたとしたら、リスクが大き過ぎる戦いを挑んでまで大陸の侵略をしようとした理由は何でしょうか?

また、南下政策を食い止める事が侵略目的ならば、日英同盟を組んだイギリスも南下政策を食い止めた暁に周辺のどこぞの国を支配しようと企んでいたのですか?

日本が日清・日露戦争を行った理由が南下政策を食い止めるためだというのは理解できます。
それに対して私は、日清・日露戦争の目的はロシアから日本を守るための自衛戦争と認識していましたが、日清・日露戦争の目的は自衛戦争ではないという人が結構います。
その中には、日本が南下政策を食い止めようとした理由は大陸への侵攻を行うにあたって邪魔になるからだという人もいました。

ならば、何故日本は日露戦争を行ったのでしょうか?当時の日本にとってロシアはまともに戦っても勝ち目のない強国だった...続きを読む

Aベストアンサー

日露戦争 太平洋戦争に日本が進んで行った原因は
単に帝国主義思想による領土拡大 自国の防衛という面では
捕らえられないいろいろの考えがあったように思われます

1 明治維新により江戸から明治になり国家としての「ていさい」はで  きましたが世界からかなりリードされていた
2 急激な富国強兵政策によりその差はちじまり、その延長線上に
  日清戦争がありましたが、当時清は日本より強国でしたが清の
  内政 外交の失敗により急速に弱体していたことが原因で偶然勝っ  てしまった
3 明治時代は軍事費が増大していき日本の歴史上もっとも軍事費が
  多い時代であった、このことが帝国主義海外拡張とつながっていく
4 一方産業の発達とともに財閥は肥大したが農村との格差が広がり農  家の次男以下は軍隊に入ることが多くなり生活を軍隊に求める人々  が増え 帝国主義的拡張に反対する民衆はほとんどいなかった  
5 民衆は安い賃金で雇われていたが、権利意識の芽生えとともに明治  末期より労働争議が多発国民の不満はかなり高くなっていった
6 帝国主義 自国防衛の観点からロシアの南下を食い止め無ければ
  ならないという考えが生まれマスコミ知識人たちのキャンペーン
  により開戦派の民衆が増えていった
7 当時のロシアの軍事力 国力からは日本は戦争する状態ではなく、  反対論もあったが、古くは元寇 直近の日清戦争の勝利により
  日本は神の国で負けることはないという不敗神話がうまれつつ
  あり、いざとなれば神風が吹き勝利するという考えが軍隊の中
  にも民衆にもあり桂太郎内閣も開戦派であり明治天皇も承認した
8 当時の民衆 知識人 マスコミは開戦やむなしで一致、ロシアの
  軍事力 国力を詳細に厳密に調査することはほとんど無かった

上記のような大きな歴史の流れが大国ロシアとの開戦となりましたが、
政府 国民のも負けたらどうしようという考えはありませんでした
危なくなったら講和すればいいという考えですでに開戦前より
各国に講和の仲介打診を熱心にすすめていました

ロシア革命まじかというロシア方の事情によりかろうじて講和となりましたが賠償もなく膨大な費用と人命を費やした戦争はなにも残らず終結し
後の太平洋戦争につながる歴史上の最悪の分岐点になってしまったようです
(参考サイト)
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/nitirosennsou.htm
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/study/5nitirosensou.htm
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/data/zaisei.htm
http://www.tabiken.com/history/doc/I/I035C100.HTM

日露戦争 太平洋戦争に日本が進んで行った原因は
単に帝国主義思想による領土拡大 自国の防衛という面では
捕らえられないいろいろの考えがあったように思われます

1 明治維新により江戸から明治になり国家としての「ていさい」はで  きましたが世界からかなりリードされていた
2 急激な富国強兵政策によりその差はちじまり、その延長線上に
  日清戦争がありましたが、当時清は日本より強国でしたが清の
  内政 外交の失敗により急速に弱体していたことが原因で偶然勝っ  てしまった
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Q日清戦争、日露戦争について

日清戦争、日露戦争について詳しく書いてあり、分かりやすく解説されたホームページを教えてください。
また、分かりやすく解説してくださる方、ご回答お願いします!

Aベストアンサー

日清・日露の遼戦争を歴史の流れから理解し、戦争の推移、展開を概観することは必須ですが、私はこれに加えてこの両戦争を個々の日本国民がどう戦ったか、を是非勉強してほしいと思います。
 ひとつの方向として、戦争中の指揮官や一兵卒が残した戦争の一局面やここの兵士の意識などです。これらの一局面から戦争全体を眺め「帰納法的」なアプローチが、次の意味からも面白いと思います。

 日清戦争の「勇敢なる水兵(黄海開戦)」や日本軍が北京を目指して進軍した際の「雪の進軍」、日露戦争では「橘中佐」「広瀬中佐」「水師営の会見(乃木大将)」など、物語風に作られた素晴らしい「文部省唱歌」があり、感動させられます。これらの唱歌からは兵士たちのいじらしいほどの国を思う気持や意識が伺えます。「年表」だけの戦争では、なんともつまらないと思います。
 今に起こる愛国心の議論なども、我々の先人が日清・日露の戦争をどんな思いで戦ったのか、しかっり見据えた上でやってほしいものです。


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