太平洋戦争について調べていますが、日本を悪く書いている資料が多いです。私としては日本が戦争を始めたのにも理由はあるでしょうし、正義もあったと思うのですが。そのあたりの所を説明できる方、私を納得させてください。

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A 回答 (15件中1~10件)

「正義」が何に対して正義か、ということが問題だと思うのですが、何百万人の命を失った戦争に正義があるとは思えません。


ただ、勝ったものがただしくて負けたものが悪だという「勝てば官軍」理論は根本的に間違いだと思います。

「太平洋戦争」は「真珠湾攻撃」などに始まる米英軍との戦争ですが、日本軍が攻撃したのは基本的に軍事基地(とばっちりで民家に被害が及ぶのは湾岸戦争でも同じ)であって、「奇襲」したこと以外は「まともな戦争」といえるでしょう。むしろ、アメリカ軍は、その情報を知っていながら、自国民に隠して「リメンバー・パールハーバー」で国民に火を付けるために「奇襲」させた責任があると思います。
犠牲者の圧倒的多数が民間人である、広島長崎の原爆投下のことを思えば、日本以上にひどいことをしています。

中国や朝鮮侵略について言えば、中国や朝鮮が日本に攻めてきたわけでもなく、完全に日本側の侵略であって、これは米英などとは別に堂々と非を認めるべきだと思います。(別に子孫があやまることではなく、過去にそういう間違いをしたが、これからの日本人はそういうばかなことはしないで、アジアの仲間として仲良くやろう、ということで。)
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icchiさんがおっしゃっていることに少し言及します。


実は敗戦処理は45年2月14日に行われています。
この時内務大臣木戸孝一が「共産主義革命が起こりそうだから、早く収拾すべきと昭和天皇に上奏しました。それに対して昭和天皇は「国体は護持されるのか」と曰われ、結局流れてしまいました。その後、東京大空襲、広島・長崎への原爆投下が行われました。昭和天皇の国体護持重視については「木戸孝一日記」(東大出版会)に詳しく載っています。
     昭和天皇ことhirohitoでした
                御名御璽
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すべての戦争は「自衛戦争」です。

それが他国や他民族を苦しめることでも、です。なぜなら戦争には大義名分が必要だからです。15年戦争が始められたとき新聞の見出しに「守れ満蒙 帝国の生命線」という字が躍っています。
日本は「満州」や中国を支配することによって、さらには石油を求めてインドシナ地方への侵略を進めていったのです。そうしなければ大日本帝国が崩壊してしまうという、政府首脳の考え方があったわけです。そして「欧米からの解放」を謳った大東亜共栄圏構想が出てきました。それが帝国の「正義」であったわけです。中国や韓国などに比べて、侵略の被害が少なかったインドネシアはそういう意味で親日的だそうです。

以上 責任を逃れられたhirohitoが申し上げました。
                     御名御璽
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私自身、10年近く独学で研究していますが、1つアドバイスをしたいと思います。


太平洋戦争とひとくくりにしてはいけません。
世界がすべて繋がっていることに着目しなくてはいけません。
また、第1次大戦と第2次大戦は列強による植民地の分割戦争であるということを、よく認識していれば、この2つの戦争は2つに分けるべきではなく、1まとめに考えた方が得心がいきます。
日本が悪く言われていますが、他の列強の植民地政策の本も読んではいかがですか。それは悲惨なものですよ。
他の面にも目を向けることも、研究するということには大事なことですよ。
そうすれば、日本の始めた戦争にも、ある一定の理解は得られると思います。

これは、未確認ですが、リットン調査団は列強による満州分割の意図があったといいます。
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 こんばんは^^


 皆さんが書かれているように、欧米列強の植民地支配が日本を飲み込もうとした為、自衛手段としての開戦が主な原因でしたが、国内での共産主義の活動が熱を帯び、天皇を否定する風潮が見られたため、共産主義者を排除・粛清する為に開戦、軍国主義化をしただろうという理由もあったのではと思われます。(間違いがありましたら申し訳ありません)
 太平洋戦争に到る経過・原因を知る為には明治維新、あるいは黒船来航までさかのぼらなければならないでしょう。また、その時代に生きた人々(数え上げたらきりがないのですが、例として坂本竜馬、勝海舟、西郷隆盛・・などなど)が何を感じ、何を為そうとしたのかを知ることによって、太平洋戦争に対する視点・印象が変化するのではないでしょうか。 
 雑文で申し訳ありませんでした。それではお元気で。
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こんばんわ


いくつの方か、わかりませんが、誰もがそう思っているようですね。
映画などはご覧になられるでしょうか?
「軍閥」、「2.26」、「二百三高地」など
戦争がなぜ起こなわれたか、概要がつかめるかも・・・?

日本は鎖国というわがままから世界の遅れを進め、孤立してしまったように感じます。それから進歩する為、代理戦争をせざる得ない環境になったんでしょう。
TV番組でいうと、アジアないでの悪役ってとこでしょうか。
日本国内でも、勝てば官軍、負ければ賊軍で負ければいいことは言われないでしょう。
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直接の答えにはなりませんが、最近物議をかもしている「つくる会」の関係者(西尾幹二、藤岡信勝、小林よしのり等)の著書を読んでみたら如何でしょうか。

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 補足しますと、日本が対米英参戦させられた、させるようにしむけた、というのは、湾岸戦争でフセインに戦争を「させるようにしむけた」というのと同じようなものだから、(アメリカの手口はむかしから変わらないなあ)


 フセインを非難していながら真珠湾攻撃を擁護するのは矛盾だと思います。主観はちがっても、そのへんの合理性はいっかんしているべきでしょう。
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そもそも正しい戦争なんてありません。


戦争も政治手段の一つとして国益を守るために行使されるのです。
未だに軍隊のない国家があらわれないことが、それを証明しています。
ですから、仮に日本が戦争をはじめた理由があったとしても、それは言い訳にすぎません。
日本の戦争行為に正義があったとする研究は虚しいだけです。
むしろ、アメリカが日本を開戦に導いた背景や手口を研究すれば、やってる事は日本と大差がないということが、明らかになると思います。
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以下に書かれている方々、何れも深い見識を持ち、大筋で間違っているとは思えません。

蛇足になっちゃいますが...、

1)「太平洋戦争」(=the Paciffic War)という言い方自体、連合国(=United Nations)側、即ち戦争の勝者の付けた名前であることを自覚してください。この戦争は第2次大戦の中の、太平洋地域の戦争、1941年12月8日(現地時間7日)に日本軍の真珠湾攻撃によって開始されたものです。当時の日本は「大東亜戦争」と称していました。

2)この戦争に限定すれば、「仕掛けられた戦争」、「米国の罠に嵌まった戦争」であることは明白です。戦争をせざるをえないように追い込んで、米国は欧州戦線にも参戦し、遂には枢軸国側を打ち破った訳です。東京裁判というのも勝者が敗者を裁いた偏った裁判です。A級戦犯のみか、多くのB,C級戦犯が裁かれ、処刑されました。

3)しかしながら、「大東亜戦争」を植民地解放のための正義の戦争、などと言うのは間違いであり、orimotoさんが言われるような「八紘一宇」と言うのは日本の国益のためにアジア各国を犠牲にするものに他なりませんでした。既に植民地化していた韓国、清国から割譲を受けた台湾、信託統治領に日本語や、神社への参拝、天皇への絶対服従を強制しました。「創氏改名」に見る如く名前まで奮い、民族衣装すら禁じたのです。「敗」戦後、日本を占領した連合国、特にその中心となった米国も流石にそこまではやりませんでした。巧妙な占領政策だったわけです。

4)英仏を始めとする西欧列強がアジア・アフリカを植民地化し、搾取し尽くしたにも拘わらず、謝罪もないし、旧植民地側からの謝罪要求・補償要求もない。一方、日本に対しては、蒸し返したように、謝罪要求・補償要求が出てくる。それには、3つ原因が考えられるでしょう。

a)日本人が黄色人種であり、英米仏は白色人種だから。
b)日本の占領政策が下手過ぎ、野蛮すぎた。「野蛮」というのは、別に取って食ったとか皆殺しにしたという意味じゃなくて、自国文化を押し付けたという程度の意味です。
c)日本の閣僚や言論人の一部などが過去を正当化するような不注意な発言を繰り返している。

5)日本の植民地支配を受けなかった、インドやアフリカ諸国の間で、日本(軍)の果たした役割を評価する声が少なからずあります。植民地支配を受けた所でも韓国のように反日感情の強いところもあれば、台湾のように、戦後の国民党の圧政を受けた地域では、日本の支配を懐かしむ声すらあります。中国本土に残る反日感情は根強いです。中韓両国にある反日感情は、今日も続く反日教育のせいもおおいにありますが、基本は上記a)b)c)が原因でしょう。
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Q太平洋戦争での沖縄地上戦の戦後

 こんにちは。
GWに初めて沖縄旅行し、ひめゆり記念館へ行きました。当時、激しい地上戦の中で逃げ惑った女学生達や、手榴弾自決した人たちの記録が生々しく残されていました。
 ところで、一つ疑問なのですが、米軍に捕まった人たちは、どうなったのでしょうか?捕虜になったのでしょうか?
 以前、「さとうきび畑の唄」というドラマをやってましたが、あの中ではラストシーンで米兵に助けてもらって親切にされているシーンがありましたが、現実は本当にそうだったのでしょうか?
 沖縄は昭和47年まで占領下にあったと聞いていますが、それまで人々は、戦前のような暮らしは出来たのでしょうか?
 戦争中のことは資料館でよくわかりましたが、それ以降のことが知りたいです。どなたかぜひ、ご教示願います。

Aベストアンサー

米軍は沖縄占領後、軍人および民間人をすべて収容所へと囲い込みました。戦前と同様の生活というわけではありません。収容所では食料が配給されており生活は保障されていましたが、当然いろいろとトラブルはあったようです。

1946年から1947年にかけ、民間人が収容所から帰村することが許可されました。

占領下の時代の沖縄は本土以上に厳しい状況が続いた(そして今も続いている)わけですが、戦前と同じであるかという問いは難しいですね。
ほとんどのインフラと歴史的建造物は破壊され、多くの土地が基地として接収され、農業以外の産業は基地作業しかなく、日本の法律に従う必要のない人間が多数滞在し…

参考URL:http://www.nahashuppan.com/catalog/pages/list/072/072chapter2.html

Q太平洋戦争中、戦争後、日本中飢餓状態だったそうです。

太平洋戦争中、戦争後、日本中飢餓状態だったそうです。
ふと、当時奈良の鹿は大丈夫だったんでしょうか?飢えた人々によって食べられた事はなかったんでしょうか?犬でさえ食べられたらしいのに?

Aベストアンサー

当然食料になっていましたよ。敗戦濃厚となって日本の神々の権威も地に落ちていましたから、春日大社より胃袋ですよ。現在は1200頭近くいますが、敗戦当時は79頭まで減っていたそうです。もっとも春日山とか奈良公園周辺の山へ逃げたものも多数いたと思いますが。鹿を殺すと重罪になったのは江戸時代の話です。
http://www.kasuga-hotel.co.jp/event/shika/shika.htm

参考URL:http://www.kasuga-hotel.co.jp/event/shika/shika.htm

Q対馬丸の悲劇の理由

 レポートで、太平洋戦争中、沖縄の疎開の人々を乗せたまま沈没した『対馬丸』について調べています。
 しかし近隣の図書館には『対馬丸沈没』についての詳しい本がありません。
 特に、何故対馬丸の悲劇が起こったのか、撃沈されない方法は無かったのか、撃沈の理由の影に日本軍が絡んでいないかについて調べたいと思っているのですが、それについて詳しい情報をお持ちの方や、詳しく書いてある本を知っている方がおられましたら、是非教えて下さい。 お願いします。

Aベストアンサー

昨年、琉球新報社が戦後60年の企画として、「沖縄戦新聞」というのを全14回のシリーズで作りました。
新聞紙上の企画であるため、沖縄県内在住でもない限りは図書館などでの閲覧は難しいかもしれませんが、その後同紙が増刷版を発売、↓より入手可能です。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-8759-storytopic-29.html

この全14回中、2回目に対馬丸の内容が入っていますので、参考になるかと。

Q大東亜戦争(太平洋戦争)での日本兵の戦い方について

大東亜戦争(太平洋戦争)での日本兵の戦い方について
戦争映画が好きで、よく第二次世界大戦のものを見ます。
最近wowwowでThe pacific(太平洋戦線)やband of brothers(ヨーロッパ戦線)等、第二次世界大戦のドラマや映画が放送されています。
それで、日本兵の描写について少し気になるのですが・・・
日本兵が大声を上げ、九九式短小銃を構えて私を撃ってくださいといわんばかりに敵めがけて突進していくのですが、アメリカ兵に射撃されてしまいます。
うまく説明できないのですが、戦時中本当に日本兵はこのような戦い方をしていたのでしょうか?
万歳突撃等が有名ですが、あまりにも自殺行為な気がしてなりません。
アメリカ海兵隊のような感じではないですよね
銃撃シーンもありましたが、部隊が全滅後にに上記のような感じです(万歳突撃でしょうか)
お国を守ってくれた英霊についてよく知りたいと思い質問しました。
わかりにくい質問かと思いますが、当時の日本兵の戦い方、戦術、環境などを教えていただければ、と思っています。
そこら辺詳しくお願いします!

Aベストアンサー

現代人の目から見ると狂気の沙汰としか思えないバンザイ突撃ですが、当時の日本軍が置かれた状況から考える必要があります。当時の日本軍は、中国で国民党軍と共産党軍と戦争していたわけですが、これらの相手というのが「突撃すればなんとかなった」相手だったのです。
機動力を重視した共産党軍には重火器はほとんどありませんでしたし、国民党軍も然り。さらに共産党軍は毛戦略により日本軍との正面決戦は避けていたので、日本軍が突撃するとなんだかんだいっても結局相手が共産党軍であれ国民党軍であれ、撤退してくれたのです。だから、知らず知らずのうちに日本軍の中で「突撃すりゃなんとかなる」というノウハウが積み上がってしまったのです。

それが甘い考えだったと思い知ることになったのがノモンハン事変を始めとするソ連軍との国境紛争でした。一般的に、ノモンハンの敗戦は「現場部隊がフヌケだった」ということで総括されてしまったといわれていますが、実は日本軍とてバカじゃないのでちゃんとそれはそれで調査はしました。しかし、その結論というのが絶望的なものだったのです。
どういうことかというと、ソ連軍は日本軍より大砲の性能が優れていて、弾薬量も格段に多かったのです。しかし、これはどうしようもない問題でした。なぜかというと、製鉄技術がソ連に比べて劣る日本では、ソ連軍に対抗しうる性能の大砲はどう頑張っても作れませんでした。さらに、弾薬についても当時の日本ではそんなに湯水の如く使えるほどの大量生産をすることはできなかったのです。なにしろ当時の弾薬の生産といったら関西の町工場でちまちま作っていたのです。ご存知のように、大量生産するためには大規模工場が必要で、それによってコスト圧縮効果が発生するわけです。ソ連やアメリカのような重工業の大規模工場なんてものが当時の日本では作れなかったのです。
だから、それを認めると「もう国として日本はソ連に対抗できない」という絶望的な結論に至ってしまうので、「現場が悪い」と責任を押し付けてしまったのです。

緒戦の勝利による驕りもあり、日本軍は米軍に対しても自信満々で突撃戦術をかましましたが、諸兵連合効果の戦術を得意とする米軍によって叩きのめされてしまいます。どうも米軍相手に突撃じゃ歯が立たないと分かって、The Pacificで再評価されることになったペリュリュー島戦から持久戦術に切り替えることとなります。The Pacificでも原作として使われているユージン・スレッジ氏の回顧録を読むと、ベテランの海兵隊員がペリュリューで「日本軍がバンザイ突撃をしてこない」と戸惑っている姿が描かれています。

この持久戦術は大変に効果的で、ペリュリューのノウハウを積極的に取り入れた硫黄島戦で米軍が大変な犠牲を強いられたことはご存知のとおりです。
しかし、日本人つーのは大変にストレスに弱い民族でございまして、この「押されてもじーと我慢して粘り強く戦う」つーのはなかなか耐えられないんですね。いいや、日本人は粘り強いだろと思うかもしれませんが、日本人てのは自分たちで思っているほど粘り強くありません。てか、逆境にはとても弱いんですね。なぜかっていうと、サッカーで日本代表が相手チームに押されると見てる方がもう耐えられなくなりますよね。大概「負けてもいいからもっと積極的に攻めないとダメだ」と批判されます。これが南米のチームなんかだと相手に攻めさせて、それでいてカウンターの機会を粘り強く待っています。そういうことができない。
だから、沖縄戦では持久戦術を主張する八原参謀に対し長中将が「こんなグダグダやってないで一発突撃でパーッといけ!」と主張して司令部は内部崩壊します。

また、捕虜についてですが、日本兵は捕虜になってはいけないと教えられていたので、基本的に捕虜も取りませんでした。また、味方の兵士を救出しようとする米兵にも容赦なく銃撃を浴びせました。また死体のフリをして近づいた米兵に襲い掛かることもよくやったようです。それを米兵は分かっていたのである意味当然なのですが「相手が捕虜を取らないんだから、こっちも捕虜を取る必要はない」と負傷している日本兵も情け容赦なく殺しました。ユージン・スレッジ氏の回顧録にはそういった「むき出しの獣性と敵意」が戦場に満ちていたことが書かれています。太平洋戦線で日本兵の捕虜が極端に少ないのは、「生きて虜囚の辱めを受けず」という思想が根本にはあったのですが、そういった事情も影響していたようです。

現代人の目から見ると狂気の沙汰としか思えないバンザイ突撃ですが、当時の日本軍が置かれた状況から考える必要があります。当時の日本軍は、中国で国民党軍と共産党軍と戦争していたわけですが、これらの相手というのが「突撃すればなんとかなった」相手だったのです。
機動力を重視した共産党軍には重火器はほとんどありませんでしたし、国民党軍も然り。さらに共産党軍は毛戦略により日本軍との正面決戦は避けていたので、日本軍が突撃するとなんだかんだいっても結局相手が共産党軍であれ国民党軍であれ、撤退...続きを読む

Q対馬丸とボーフィン号

太平洋戦争のドキュメント映像を観ていて疑問に思いました。
アメリカ海軍潜水艦「ボーフィン号」は、対馬丸が学童疎開の学童1000名以上を乗せた船とわかっていて、何故撃沈させたのでしょうか?
海に散った700人以上の子どもたち。
個人的な考えですが、『戦争犯罪』とは、こういうことを云うのではと憤りを感じてしまいます。

Aベストアンサー

対馬丸については、テレビでもドキュメンタリー番組が組まれた事があり、乗組員の証言もありました。
潜水艦では潜望鏡を見る事ができるのは、艦長のみです。
最近の資料公開でボーフィンは浮上していたという事が明らかになりましたが、それでも戦闘態勢のときに艦橋から外の様子を見ることができるのは艦長とほんの僅かな人だけです。
乗組員は艦長が攻撃といえば攻撃するしかなく、ましてや最前線の艦船に暗号解読の結果としての「民間人が乗っている」という情報など伝えられていなかったそうです。
そういう意味では、ボーフィンだっては児童を殺そうとしたわけではないでしょう。
仮に「対馬丸に児童が乗っている」という情報があっても、洋上に浮かぶ船が対馬丸であることを確認できません。
平和なときと違って、当時の船は一切の灯火を消して航行していたのです。
病院船や緑十字船は、敵国に航路とスケジュールを事前通告した上で、赤十字や緑十字マーク、大きく書かれた船名をライトで照らしていたので、航行の安全が保証されていたのです。

それから何故救助しなかったかという事ですが、あなたはこの潜水艦ボーフィンを見た事がありますか?。
私はあります。
ハワイの真珠湾にミズーリとともに係留されていて、見学も可能です。
潜水艦は狭い船内に100人近くの乗組員が乗っており、物理的に救助は不可能です。ベッドが人数分なく一つのベッドを2~3人で交代で使用しているのですよ。
横須賀沖で、潜水艦なだしおと第一富士丸が衝突したとき潜水艦が第一富士丸の乗員のうち海に投げ出された人を救助していますが、沿岸だった事と比較的少人数だったから可能だったのです。

ましてや、対馬丸には船団護衛の艦船が付いており、この艦船から攻撃を受ける可能性がありますから、攻撃後、直ぐに戦場を離脱するのは普通です。潜水艦は機銃の弾丸で一つでも穴があけば、潜航する事ができず、場合によっては沈没してしまうほどデリケートな船です。

あなたはアメリカが救助しなかった事を責めているようですが、
対馬丸が攻撃された事を知っていたのに救助せずに見捨てていった、この船団の他の船、和浦丸、暁空丸、宇治、蓮の4隻の行動をどう感じますか?。
何故、味方なのに助けなかったのでしょうか?。
この心理が人間の正常な思考を変えてしまう戦争の怖さだと思いませんか?。

対馬丸については、テレビでもドキュメンタリー番組が組まれた事があり、乗組員の証言もありました。
潜水艦では潜望鏡を見る事ができるのは、艦長のみです。
最近の資料公開でボーフィンは浮上していたという事が明らかになりましたが、それでも戦闘態勢のときに艦橋から外の様子を見ることができるのは艦長とほんの僅かな人だけです。
乗組員は艦長が攻撃といえば攻撃するしかなく、ましてや最前線の艦船に暗号解読の結果としての「民間人が乗っている」という情報など伝えられていなかったそうです。
そう...続きを読む

Aベストアンサー

参考になるサイト
http://www1.kamakuranet.ne.jp/murudeka/index.html
http://www1.ocn.ne.jp/~knippon/ijin/ijin4.html

ムルデカという作品は、事実を元に作られた
小説で映画化されました。
http://www.7andy.jp/books/search_result/?fromKeywordSearch=true&kword_in=%A5%E0%A5%EB%A5%C7%A5%AB&ctgy=books&oop=on

http://www.nipponkaigi-tokyo.com/merdeka/home.html

Qもしも,太平洋戦争がなければ・・・

もしも,太平洋戦争がなければ・・・
昨日22日は,太平洋戦争において沖縄戦が事実上終了した日だそうです。もし,仮に,ハル・ノートを受け入れて満州から撤兵して米英との戦争を回避したとしたならば,当時の世界情勢,日本の国力(人口,衆情,庶民の生活など)からどうような展開になったと考えられますか。また,戦争を回避した日本に対して,米英はどう対応したでしょうか。

Aベストアンサー

大東亜戦争後期の海運が大打撃を受けた
時期以降には飢餓が発生しています。
地域によっては食人の例も在ったと伝え

れています。食料確保は大問題でした。
本土では人を養えない。長野や東北地方
では大勢が農地を求めて満州へ行きました。

本土で7500万人の食料自給は無理。
全員で農業すれば生きる事は出来るでしょうが。
現代の北朝鮮状態という事になる。

Q太平洋戦争の記録、資料的なビデオについて

主に日本軍等を中心とした太平洋戦争の経過を収めた、DVD等でお勧めのものがありましたらご紹介ください。尚、ご紹介くださる場合はその理由等もつけていただけると助かります。また現在入手しやすいものについてお願い致します。いろいろと難しい注文がございますがよろしくお願い致します。

Aベストアンサー

http://www.amazon.co.jp/NHK%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB-%E3%83%89%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E4%BA%89-BOX-DVD-%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E8%82%87/dp/B001AE6HRU

・NHKドキュメント太平洋戦争

開戦から終戦まで、太平洋戦争での日本の選択と、その誤りを綿密に検証。
1992年の作品ですが、今でも見応えあり、古典的名作。
ただ、BSCSで再放送もされてますし、取材記が角川文庫の古本で安く買えますので
そちらで見る方法もあり。

http://www.amazon.co.jp/Nippon-Materials-%E3%80%8C%E5%AE%9F%E9%8C%B2%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6%E5%8F%B2%EF%BC%88DVD%E5%85%A85%E5%B7%BB%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%9F%E3%82%A2%E3%83%A0%EF%BC%A2%EF%BC%AF%EF%BC%B8%EF%BC%89%E3%80%8D%E3%83%89%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%A7%E7%B6%B4%E3%82%8B%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6%E3%81%AE%E5%A3%AE%E5%A4%A7%E3%81%AA%E3%82%8B%E8%A8%98%E9%8C%B2%EF%BC%81/dp/B007CPU2F4/ref=pd_cp_d_1

・実録第二次世界大戦史(全五巻)

比較的安価で、一日で、ざっと欧州戦線も含め第二次世界大戦概観できます、
(なにしろ、全十巻とか三十五枚とか、よくあるジャンルなので)
主に米軍撮影編集の素材に、解説つけてるので、日本人としては
え?というところも、ありますが、当時の外国から日本が、どう思われたか
よく わかりますよ( ^^) _旦~~


zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz

http://www.amazon.co.jp/NHK%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB-%E3%83%89%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E4%BA%89-BOX-DVD-%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E8%82%87/dp/B001AE6HRU

・NHKドキュメント太平洋戦争

開戦から終戦まで、太平洋戦争での日本の選択と、その誤りを綿密に検証。
1992年の作品ですが、今でも見応えあり、古典的名作。
ただ、BSCSで再放送もされてますし、取材記が角川文庫の古本で安く買えますので
そちらで見る方法もあり...続きを読む

Q沖縄戦(地上戦)について

太平洋戦争の沖縄戦について詳しく載っているサイトをご存知の方いませんか?できれば地上戦について詳しく載っているサイトをお願いします。

Aベストアンサー

こんなのはいかがですか。↓

参考URL:http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/okinawasenn.htm

Q太平洋戦争中の日本軍の武器は日本製?

日本の兵器は、部品、生産する機械などすべて日本製でまかなえましたか? 戦争中は鎖国状態なので部品の輸入なども不可能でしたね? 先日、ゼロ戦のパーツについて解説された書物を読んだのですが、「な~んだ、純日本製と違うのか」と思いました。

Aベストアンサー

工作機械は、米英独のものを使っています。たとえば、なーんだ、と思われた零戦の工作機械には、アメリカ製のものがありました。消耗品(ドリルの刃など)が当然輸入できませんから、大切に使うように現場には指示がでています。

また、海軍の工作艦「明石」は、戦前に英米独の工作機械を輸入して搭載していました。この艦一隻だけで、日本海軍が日本の外で実施した艦船修理の5割をこなしていました。

陸軍は中国大陸で国民党の軍隊が装備していたチェコスロバキア製の機関銃を大量に鹵獲し、正式装備にしています。性能がよかったからです。また、マレー作戦で鹵獲した英米の自動車やトラックは、多いに活用されました。

シンガポールの油脂タンクに貯蔵されていた英国のガソリンですが、日本のものよりオクタン値が高くて優秀だったので、重要な偵察任務につく航空機などに使用しています。

陸軍・海軍が使っていた和文タイプライターの活字部品は、1943年にストックがつきるまで、戦前にストックされていたスウェーデン鋼材で作られていました。

あと、零戦の取り扱い説明書で指定されているエンジンオイルは、テキサコ・エアプレーンです。テキサコは当時の石油メジャーだったので、特に奇異なことでもありません。

意外とさがすとありますよ。鈴木内閣になって終戦工作が始まった時期、海軍省の大臣秘書官たちは、万が一のことにそなえて、使いやすいコルトの拳銃を手近に用意していたといいます。

工作機械は、米英独のものを使っています。たとえば、なーんだ、と思われた零戦の工作機械には、アメリカ製のものがありました。消耗品(ドリルの刃など)が当然輸入できませんから、大切に使うように現場には指示がでています。

また、海軍の工作艦「明石」は、戦前に英米独の工作機械を輸入して搭載していました。この艦一隻だけで、日本海軍が日本の外で実施した艦船修理の5割をこなしていました。

陸軍は中国大陸で国民党の軍隊が装備していたチェコスロバキア製の機関銃を大量に鹵獲し、正式装備にしてい...続きを読む


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