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差別心を捨てたいです。
差別心を捨てる方法ってありますか。
自分は普段、優等生のように振る舞っていますが、在日外国人、出身者に対し、軽蔑観を持っています。人と知り合い、住所や名前がそれっぽいと、身構えます。色々お話ししていい人だと分かったとしても、つねに邪念に捕らわれながら接しています。

そういう自分が嫌でたまらないです。いっそ、差別する自分を受容してしまおうと思うことも有りますが、結局、自分への嫌気がますだけになってしまいます。

何か、状況をよくする方法はありませんか。

A 回答 (11件中1~10件)

心理学の素人からの意見で、これから書く事は学問としてどうと言われている事ではありませんが、考えの一助となるかと思い、記載させて頂きます。



これは私の考えなのですが、人というのは比較優位に安心する生き物なのだと思っています。つまりは社会全般において自分のいる位置が平均より上だと安心する性質があるのではないかと。自分が平均より下にいる、と分かっている場合は努力して行こうと言う動きが社会と同期しているので社会が発展する、あるいはそうした動きができなければ「あいつは金持ちだけれども性格は悪い」とやっかんだり、「どうせ生まれが悪いから努力しても仕方が無い」とひがんだりする。平均より下の人間の行動はこうした行動を取ると思います。
その一方で平均より上の人間はその立場を心理的に維持しようとする事もあるでしょう。例えばそうした被差別側の人間と付き合いがあると周囲にバレたら、自分自身も差別されてしまい、平均より下になってしまう。そうした保身の考えから付き合いを遠ざける。それが差別なのではないかと思います。

但し、自分が被差別の中に入ろうとも社会を生き抜けるだけの自信があるならば、そうした差別はしないでしょう。
差別しないでも、社会的な相対優位を保って生きていけるくらい、自分が偉くなってしまえばいいのです。
そうすればひとまずは何を言われても生きていけます。

そうした上で初めて平等に見る事ができ、「お前んとこは財布事情がピーピー言っている日本政府から補助金ばかりふんだくってなんだ、自立もせんで情けなくないのか」だとか「めぐんでもらうは乞食のすること、学校で習わんかったか」と正面から文句を垂れられるんじゃないかと思うのです。

人間はそもそも弱いもんです。私の考えに沿って言えば、平均より上という立場を保とうとする。それを脅かすものは排除する。当然の行動です。
それに怯えない自分を創る事が第一歩なんじゃないでしょうか? 
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この回答へのお礼

素人の意見などとは、とんでもない。
色々な意見を聞きたかったので、お付き合い下さっただけでありがたいです。

差別心は仕方ない論+αのところを示してくださり、なるほどと思いました。
「怯えない自分を創ること」の線で、解決できそうな予感がしています。
ただ、そこへたどり着くためのプロセスについていまいち納得がいかないのです。

仰るとおりなら、自分の中に別の差別心を作り上げることで、前にあった差別心を
乗り越えるだけになってしまいませんでしょうか。

もっと良い方法は、ないものでしょうか・・・

お礼日時:2010/04/22 23:45

差別心というのは大なり小なり誰の心にもあるものだと思います。


だから仕方ないと言おうとしているわけではなく、あるにはあるなりの理由がある、とまず考えるところから始めるのが解決の近道でしょう。
自らのアイデンティティを確立するために、つまり、自己の存在を確信するために、他者との比較をツールとして用いる。
これが差別の本質ではないかという気がします。

アイデンティティと言わずとも、たとえば自らの生命の確立というか維持のためには、他の生命を当然の如く抹殺するのが人間のというより生命の本質なわけですが、その精神版、というわけです。
つまり、フィジカルには他者の犠牲の上に自らの生命が成り立っているように、メンタル面においても他者を下位に位置づけるという即物的方法論によってしか人生を歩むことができない人にとって、差別は不可欠のものとなるはずです。

言ってみれば、差別の本質とは、本能的な生からの超越を図ろうとした人類の当初の指向に逆行するものということが言えるでしょう。
猿が人類へと進化したように、未来の人間から見ると現在の人間は、おそらく我々の現在の猿に対する評価と大差ない可能性が大いにあります。

差別の本質とは、生命維持本能から派生した現象と言えるでしょう。
可否は別にして、差別という行為によって自らの(精神的)優位性が証明されることになります。
ここにアイデンティティが確立され、一時的にせよ安堵がその人の精神には訪れることでしょう。
精神の安定です。
ただ、これは一時的に精神の昂揚を可能にする麻薬みたいなもので、本質的な安定とはほど遠い。
なぜならば、自己の存在に関して、他者の存在がまず前提にならざるを得ないという究極の矛盾が付き纏わざるを得ないからです。
前置きが長くなりましたが、以上が差別の構造と呼んでよいものではないかと思われます。
回答に移ります。

以上のような理由によって、他者と比較せずに、あくまで絶対的個としての自らのアイデンティティを確立しようとすることが、結果的に差別の心理との根本的な別離をもたらすような気がします。
うまく言えませんが、
「自らの内なる差別の兆し」を抑えつけようとするのではなく、「それが兆してくる理由」について深慮されてみるとよろしいのではないでしょうか。
納得できたことしか人は継続できませんから。
    
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この回答へのお礼

「差別の構造」について、かなりよく分かりました。ありがとうございます。あと、
>「それが兆してくる理由」について深慮
という点について、おっしゃる通りだと思います。が、その理由こそが「私の求めている回答の全体」なので、そこを是非つっこんで欲しいと思いました。ただ、こう言うのは、差別してしまう対象について個別具体的に、また長い時間を掛けて希求してゆかなければならないのではないかと考えさせられた点、良かったと思います。


--
今までたくさんの方にお答えいただいた事から、「差別する心を持つのは、人間の性質だ」ということが分かりました。この点が、最大の収穫だと感じています。

また、「差別心を持たぬように」と抑えつけるのではない、別な方法によって解決を図ってゆくべきだと言うことが分かりました。ただ、その具体的な方法がよく分かりませんで、どう実践してゆけば良いのか、分かりかねております。皆さんには丁寧に教えていただいたのですが、申し訳ありません。

一段落付いた感じがしますので、そろそろ締め切ろうと思います。
皆さん、貴重な意見を下さいまして、どうもありがとうございました。

お礼日時:2010/04/25 17:08

友達として付き合うことができるが、差別感があるというのは根が深いですね。

差別が直接的なものですのでひとまずおいておいて、韓国とか中国にはどうでしょう。

旅行できますか?韓国独立記念館や南京大虐殺記念館などを訪れてみることをしてください。
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この回答へのお礼

根が深いとは、全くその通りです。「深くつきあえる=差別していない」と思っていたんですが、そうでは無いことを、身をもって実感しました。

旅行は出来そうに有りません。韓国・中国に行って、それらの国々や、日本に関する視点が変わったという話はよく聞きます。是非行ってみたいものです。

お礼日時:2010/04/24 10:50

守っているんだと思います。


周囲から自分を守っている 周囲に怯えている。

障害者に対して、差別する心がわかないのは、障害者はあなたにとって脅威の対象ではないから。

自分が差別されることを恐れているから、その心が在日の人や地区出身者に対して過剰反応をする。


どうしてかというと、あなたはいつか回りから期待されず捨てられる日が来るのではないかと恐れているから。


ある人が周囲から尊敬されていたとする。
周りから頼りにされていたとする。
周りから信頼されていたとする。
そのような人は幸せな生活ができる。

だけど その人が在日だった 地区出身だったとわかった途端、周囲は手の平をかえす。
今までの功績が無かったかのように、関係を絶とうとする。
何も悪いことはしていないのに。

あなたが 彼らがそうだと知った途端 態度を変えたように、回りも自分が周囲の期待に添えなくなったとき、彼らのように手のひらを返されてしまうに違いない、だって自分がそうしているから と思っている。

そのような恐怖心が根源にあるのだと思います。


あなたが恐れているのは、在日の人や、地区出身の人じゃない。
周りの人を恐れている。

だから 周りから捨てられることを恐れて優等生の演技をしている。
自分を守るために自分も周囲も欺いている。
自分を愛しているから。

だけど その欺きが自分を傷つけている。

自分を守るためにやっているのだと気づくだけでも進歩じゃないかと。

そうしないと、つぶれちゃいますよ。
周りの人の顔色を気にして、周りの人の気分をよくするためにエネルギーを消費しつづけていくと、いつかエネルギーは枯渇します。
そして エネルギーが枯渇してもう周りの人の期待にどうしても添えない事態になったとき、あなたは自分の今までの人生を否定すると思います。
自分の存在は価値が無いと思うようになると思う。
何故ならあなたは周りの人に役に立つ人、まわりから褒められる人であることに価値を置いているから。

周りの人の価値はコロコロ変わる。
あなたが何もできなくなったとき、周りはあなたを利用できないとわかり、頼らなくなる 褒めなくなる。
周りの価値観を頼りに立っていたあなたは 崩れ落ちる。

絶望を感じるでしょう。

自分は周りの人のために生まれてきたわけではないととわかったとき、やっと一回限りしかないあなたの人生を歩みだせると思います。
自分の人生を歩みだしたとき、もう周りの顔色を伺いその期待に沿うように行動をしようとは思わなくなり、また期待されなくても平気になると思います。
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この回答へのお礼

「自分 対 被差別者」の構図を「周囲 対 自分」に平行移動する視点がとても面白く感じました。
そういう自分の保守的な考え方が、差別視の根源になっているのかもしれませんね。
もし仮に、これが原因の全体だったとして、それを乗り越えるために、私はどうすべきでしょうか。
それが分からないと、私の差別視は全く解消されません。

--
ちなみに・・・
「優等生」ということばにそれほど深い意味を持たせていたつもりは有りませんでした。
「差別など決してしない人間のように振る舞ってる」くらいに読み取って欲しいです。

お礼日時:2010/04/24 10:46

そう思うのも無理はないでしょう。

現に在日朝鮮人、韓国人、中国人の行動は目に余る物がありますから。この三国は犯罪大国と思われても仕方ないのです。現にそうですから。彼等は密入国者の子孫、犯罪者予備軍と心の中では思っています。しかし、あからさまに態度に出すと、恨みや怒りを買う可能性もあります。事件に巻き込まれでもしたら堪りません。眼中に入れないようにしたらどうでしょう?今の日本の状況を見て、在日問題を眼中に入れないようにするのは難しいですが、どうしてもそんな自分に嫌悪感があるなら、眼中に入れず、我が道を行くのがいいのでは。
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この回答へのお礼

回答者様の仰るような意見が有ることを知っています。
過去に、多少の影響を受けましたし、それを否定しません。
ただ、今の私は別な見方をしています。

--
さて、ご回答の内容は
「在日外国人の方」に対する偏見の原因に対する分析になっているに過ぎず、
私の求めているものとは少し違う気がします。

「未解放の方々」に関する偏見についてはどうでしょうか。
このことについては同じような意見が出てきそうな気がしますが、
「障碍者」に関する偏見についてはどうでしょうか。
ちなみに私は「障碍者」に関する差別心は持っておりません。

お礼日時:2010/04/23 01:33

No.1です。



だとしたら、それは動物がもつ「本能」です。
部外のものの存在に自然と恐怖や不安を感じるのです。

そういうわけで、あなたがただの動物、けだものではない人間なのなら、人間はそんな愚かな感覚は持たないと強く願いましょう。
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この回答へのお礼

回答者様の「人間とはかくあるもの」を教えていただきありがとうございます。
この件に関して、私は別な意見を持っておりますが、
反論するとテーマからずれますのでこの辺で。

--
さて、「持たないでおこう」と意識すると、
かえってその感覚にとらわれてしまうのです。

私が今置かれている状況を乗り越えようとするには
もっと別な方法が必要のようです。

お礼日時:2010/04/22 23:27

おそらく、あなたは「世間体」「人目」を非常に気にするタイプでは無いでしょうか?


その部分が、

>普段、優等生のように振る舞っています

の様な態度になっているのだと思います。

自分が人から、こう見られたく(思われたく)無いと思っている(意識的、無意識問わず)ことの裏返しになっているのではないでしょうか?

そして、そのような人たちを無意識に見下しているところがあるのでしょう。
そのため、そういった人たちをそう思うことで、精神的な安心感を得ようとしているのではないでしょうか?

考えすぎないことです。
あまりそのことばかりに意識がいってしまうと、精神的に病んでしまいます。
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この回答へのお礼

>自分が人から、こう見られたく(思われたく)無いと思っている(意識的、無意識問わず)ことの裏返しになっているのではないでしょうか?

そうなのかもしれません。ありがとうございます。

お礼日時:2010/04/22 17:10

これは弱い立場を守るという姿勢に欠けるものとして恋人がいれば軽蔑されるものでもありますから無くさないと良い結婚は望めません。

そういう自分に気づいたのはえらいと思います。

治す方法はいきなり外国との友好サークルで活躍するっていうのはできませんので徐々に慣らしていくことです。老人や子供には差別心は起きないか、何らかのサークルで自分で自分の心をみてください。

趣味を持ってないなら心の成長セミナーや心理セミナーがいいでしょう。そこではいきなり差別心をなくしたいということは公表しないでください。参加理由は成長したいくらい言っていればいいです。

でないと差別心は参加拒否されるくらいの思想的なものですので。思想的なものは逆にいやがられるのが日本社会ですから。

そして、その中サークルの中に差別される側の人、外国人やの人が必ずいますのでその人と平気で話せるようになれば第一段階クリアです。友達になれれば普通人レベルでしょうし、外国にいけることができればまず問題ないでしょう。
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この回答へのお礼

過去の友人に、未解放の出身者が何人かいました。気が合うので、今もつきあいがある人が居ます。ただ、「彼は出身者」という偏見を持ちながらつきあい続けています。

お礼日時:2010/04/22 17:05

それは多分、自分より下、とみているのもあるかもしれませんが


今まで会ったことの無い人、ということで少し緊張しているだけかもしれませんよ

私も最初は外国に行く前、白人は日本人のことを
白人コンプレックスってバカにしてると思いこんでいました
そのせいで、白人を軽蔑視していました
でも実際はフランクで良い人ばかり
むしろ白人を総括して軽蔑視していた過去の自分を軽蔑視しました

でも全く誰も軽蔑しない人間なんて、そうそういませんよ
自分が気付いていなくても、気付いていても
自分より下と決め込んでしまうことはあります

あんまり、深く悩まない方がいいです
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この回答へのお礼

願わずして悩み、ここにこうして、書いてみています。

お礼日時:2010/04/22 17:02

私も同じです。



ただそういう自分を嫌とは思わない点だけ違いますね。

差別という見下す感覚ではないつもりですが、身構える事が必要な相手としています。
見聞きした経験上、自己防衛としてですので何ら問題と感じません。

勿論、あからさまにはしませんが...

あまり回答になりませんでしたが。。。
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この回答へのお礼

そういうのって、何かやましいことをしている気がして辛いです。また、それを相手が察しているのではないか、察してしまったときのことを考えると、悲しい気分になります。

お礼日時:2010/04/22 16:57

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