ミッドウェイ海戦後の異常な配置転換について質問


日本の某歴史家(名前を忘れました)が著書の中で、先の大戦(大東亜戦争、第二次世界大戦)に関して次のように書いていました。

日本海軍では、一つの作戦が終了すると、作戦に動員された兵隊は帰国して休暇を取るのが通例であった。しかし昭和17(1942)年6月のミッドウェイ作戦においては、そうではなかった。

日本海軍はミッドウェイ海戦において米国海軍に惨敗を喫した。山本五十六連合艦隊司令長官はミッドウェイ作戦の敗北を隠蔽するために、作戦に動員した兵隊を帰国させなかった。帰国すれば敗北の事実がマスコミや国民に伝わるからだ。

で、ミッドウェイ海戦終了後、山本は直ちに、彼らを南方の島々(ガダルカナル島など)に配置転換した。日米戦争が始まって半年しか経過していない時期であり、ミッドウェイ海戦には優秀な海軍パイロットが多く動員されていたのだが、彼らを南洋諸島のジャングルへ追い、飛行場建設などを命じたのである。海軍がガダルカナル島で飛行場建設を始めたことを陸軍は(大本営陸軍部も陸軍省も)知らなかったというから、驚きあきれるではないか。

ご存じのように太平洋戦線では、日本内地からの兵站活動が停滞して武器と食糧が極度に欠乏し、非常に多くの日本兵が餓死したのだが、ミッドウェイから配置転換された日本海軍の優秀なパイロットの大半がジャングルで死んだのである・・



ここで質問です。
(1)ミッドウェイ海戦終了後、作戦に動員した兵隊を帰国させないまま南方の島々に配置転換したというのは事実なのでしょうか。
(2)事実である場合、異常な配置転換を行ったのは連合艦隊(山本長官)だけの考えなのか、それとも大本営海軍部と海軍省も了解した上での配置転換だったのでしょうか。

A 回答 (3件)

撃沈された空母のパイロットの生き残りの多くは、他のパイロットの不足している空母に配属されました。


何人かエースパイロットで例をあげると・・・
空母赤城の生き残りの菊池哲生パイロットは空母翔鶴に配属されています。
空母加賀の生き残りの鈴木清延パイロットは空母隼鷹に配属されています。
空母飛龍の生き残りの重松康弘パイロットは空母隼鷹に配属されています。
空母蒼龍の生き残りの原田要パイロットは空母飛鷹に配属されています。
ですから(1)については事実ではないと思います。

日本海軍では、一つの作戦が終了したからと言って必ず兵士を帰国させて休暇をとらせるというわけではありません。
例えば空母瑞鶴はインド洋作戦でセイロン島沖海戦に参加しますが、作戦後は日本に戻る事なくポートモレスビー攻略作戦に参加し珊瑚海海戦に参加しています。
ですから(2)について「異常な配置転換」という指摘自体が正しくないと思います。
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この回答へのお礼

返事が遅くなって申し訳ありませんでした。

>ですから(1)については事実ではないと思います。
>(2)について「異常な配置転換」という指摘自体が正しくないと思います。

なるほど。どうも、いい加減な歴史家がいるものですね。歴史の本を鵜呑みにしないようにします。有難うございました。

お礼日時:2010/04/29 15:54

回答者がいない所を見ると、素晴らしい識者の集まりだと思います。



事実だと主張すれば事実になります。
ミッドウェー占領隊はほぼガダルカナルへ行きます。
(11設営隊→一木隊)

http://ja.wikipedia.org/wiki/Template:%E3%83%9F% …

ただ、ミッドウェー作戦は「中止」であり、待機状態であった大本営直属の部隊は
命令と行動が速やかに行われるから。

が大きな理由だと思います。

作戦は終了していません。
送られていな部隊もあります。

大本営発表は自沈処理を加味すれば、2隻沈没、2隻大破であり、1隻づつに半分にした。
ここから発表の信頼性が崩れたのだと思います。

ですので、完璧な隠蔽はしていません。

こう言った小説は
サイパン島玉砕などの発表が明らかに矛盾してしまいます。
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa2418679.html

記載内容は鵜呑みにすると危険がある(自分で本当かどうかよくよく調べてみないとならない)
内容のひとつです。
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この回答へのお礼

返事が遅くなって申し訳ありませんでした。

>ミッドウェー占領隊はほぼガダルカナルへ行きます。(11設営隊→一木隊)

ガダルカナル島の飛行場建設計画が、ミッドウェー海戦の前に決まっていたのか、それとも海戦の結果(敗北したので)ミッドウェー占領が不可能となり、急きょガダルカナルでの飛行場建設を決めたのか、をぜひとも知りたいですね。

お礼日時:2010/04/29 15:49

>山本五十六連合艦隊司令長官はミッドウェイ作戦の敗北を隠蔽するために、作戦に動員した兵隊を帰国させなかった。


これを実行するにはMI作戦に参加した全将兵に対して同じ事をしなければなりません。
上陸予定であった陸軍部隊やら多数の艦艇の乗組員、ミッドウェー島に進出予定だった航空隊と結構な人数です。
この人達は内地に帰還させてないということになりますが、どうなんでしょうかね。
なんでパイロットだけがジャングルで飛行場作りをしなければならないのでしょうか。
ミッドウェーで沈没した艦艇で生存した乗組員もジャングルで飛行場作りなんでしょうかね。

ミッドウェー海戦後の母艦搭乗員は5航戦及び基地航空隊へ配置転換したという話は聞いたことありますが、敗戦を隠すためジャングル行かされて飛行場造りという話は聞いたことありません。
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この回答へのお礼

返事が遅くなって申し訳ありませんでした。

>ミッドウェー海戦後の母艦搭乗員は5航戦及び基地航空隊へ配置転換したという話は聞いたことありますが、敗戦を隠すためジャングル行かされて飛行場造りという話は聞いたことありません。

すると某歴史家の説は間違いなのですね。有難うございました。

お礼日時:2010/04/29 15:12

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Qミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい

ミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい。なぜあんなに強かった日本軍が負けてしまったのですか?理由を教えて下さい。ちなみに僕は戦史に関してはド素人ですので、その辺はご了承ください。

余談ですけど、先日新聞を読んでいたら「アベノミクス第三の矢はミッドウェー」とかいう記事が載っていて、要するに第一、第二の矢(経済政策)はうまくいったが問題は第三の矢で、これが日本の今後の経済趨勢を決するという内容でした。

それで僕は、緒戦の快進撃から一転、大敗北を喫したミッドウェー海戦の敗因とやらをどうしても知りたくなった次第です。

Aベストアンサー

○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。
「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6-1971%E5%B9%B4-%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9B%B8-%E9%98%B2%E8%A1%9B%E5%BA%81%E9%98%B2%E8%A1%9B%E7%A0%94%E4%BF%AE%E6%89%80%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%AE%A4/dp/B000J9GX1M

この本によると次の6項目が大きな日本軍の敗因として取り上げられています。

(1)情報戦の大敗。日本海軍の暗号が解読され、米軍は日本軍の計画を察知していたのに、日本軍は敵情がよくわかっていなかった。

(2)心のゆるみ。開戦以来の戦果から心にゆるみが生じ、作戦の計画と実行に慎重さを欠いた。

(3)山本長官の出撃。山本長官が戦艦に座乗して出撃したので、その位置を秘匿するため、無線の使用が制限され、作戦指導に支障を生じた。

(4)航空戦様相の事前研究、訓練の不足。索敵、偵察、報告などの地道な訓練及び、空母の被害局限対策の研究が足りなかった。

(5)5日の航空決戦の指導の誤り。二度の兵装転換によって弱点を作った。

(6)戦艦主兵思想の転換の不十分。戦艦部隊が後方遠く離れて航空決戦に寄与できなかった。


○ちなみに当時、敵であったニミッツ太平洋艦隊司令長官は戦後に出した著書の中で、「勝利は主として情報による。・・・日本軍は奇襲を試みようとして日本軍自体が奇襲された」と述べています。また日本軍が空母戦力を分散してアリューシャン作戦を行った事を批判し、その戦力分散が無ければ米艦隊が敗北していた可能性があると述べています。

○なお、アメリカ海軍公刊戦史を編纂したサミュエル・エリオット・モリソン少将はミッドウェー海戦について、日本の空母が最も脆弱な状態の時に、米爆撃隊が偶然に日本の空母を発見し攻撃できたという、幸運に恵まれた事から「100秒足らずの時間に起こった事実の相違で、日本軍はミッドウェイに勝ち、太平洋戦争にも勝利をおさめたかもしれない」と日本軍にも勝利の可能性が十分あったことを述べています。

○英国の著名な戦史家リデルハートはその著書で日本の敗因について、十分な数の索敵機を出さなかったこと、戦闘機の援護不足、空母の防火対策が不十分、空母での兵装転換時に敵に向かって航行したこと等、他にも色々指摘していますが、最後は「・・・これらの過失は自信過剰から生じたと言っても過言ではない」と述べており、日本軍の「自信過剰」を問題視しています。

○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。
「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6-1971%E5%B9%B4-%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9...続きを読む

Qミッドウェイ海戦での主力部隊(大和以下)の位置

ミッドウェイ海戦で は大和以下の戦艦3隻を主力とする本隊は機動部隊のはるか後方数百キロにおりましたが これは戦術的にはどのような意味があったのでしょうか?いざとなったときには(現実も)離れすぎていますし 殆ど意味の無い間隔を開けている様に思います。
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Aベストアンサー

こんな見方もあります。
『文藝春秋』11月号「帝国海軍 VS 米国海軍」というテーマで、6人が話し合っています。

秦氏(日本大学講師)が
「私がいつも疑問に思うのは、連合艦隊司令部を大和といった旗艦に置いていたことです。開戦当時は柱島海面に浮かんでいるし、後にはトラック島に出て行きますが、いかにも中途半端です。」
いろいろ発言が続いて
半藤氏(昭和史研究家・作家)が「トラック島に出て行くのは仕方ないんですよ。当時、石油はシンガポールから運んでいたのですが、柱島にいたのではシーレーンを脅かされて動きが取れなくなってしまう。」

戸高氏(海軍史研究家・大和ミュージアム館長)「山本自身、ニミッツはハワイにいるのに、なぜ俺はトラックにいなければならないのか、とこぼしています。」

秦氏「総力戦時代になって戦争の形態が変わり、連合艦隊司令長官は常に旗艦に乗るべし、という慣例が無意味になったのですから、さっさと場所変えすればよかったんですよ。」

半藤「でも、それが海軍の伝統なのですよ。」

秦氏「作戦遂行に支障が出ているのに、そういう儀礼的な意味しかない不文律をなぜ変えないのか、不思議だ」

以上は抜書きですが、研究者でも興味をもつ問題であることが分かります。。

ほんとうのことは、山本長官の魂に聞くしかありませんが、「シーレーンの問題」は重要だと思いますのでちょっと調べてみました。
戦史を読む限り、表面上は威勢のよい強硬論や都合のよい楽観論が多いですが、真実はどうでしょうか。
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人と技術が必要です。
ところが、昭和17年5月、太平丸(日本郵船)が蘭印に向かう途中、九州男女群島沖で米国潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没し、乗船の石油開発要員660名が死亡(乗組員を含めた死亡者は817名)しています。
その前には本土空襲も受けています。

海軍は、大量の燃料を必要とします。
ところが、占領した油田施設は、制圧時の実勢に合わせて、海軍15%、陸軍85%です。

真珠湾のときもそうでしたが、そんなに長距離を移動できるように軍艦を造っていないので、ずいぶんと無理をしてドラム缶を満載していました。途中で狙われると一発で炎上するおそれがありますね。
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発言にはないですが、作戦中は無線封鎖ですから、陸地経由で軍令部と連絡が取れる最前線がトラック島ではなかったのでしょうか。

こんな見方もあります。
『文藝春秋』11月号「帝国海軍 VS 米国海軍」というテーマで、6人が話し合っています。

秦氏(日本大学講師)が
「私がいつも疑問に思うのは、連合艦隊司令部を大和といった旗艦に置いていたことです。開戦当時は柱島海面に浮かんでいるし、後にはトラック島に出て行きますが、いかにも中途半端です。」
いろいろ発言が続いて
半藤氏(昭和史研究家・作家)が「トラック島に出て行くのは仕方ないんですよ。当時、石油はシンガポールから運んでいたのですが、柱島にいたのではシー...続きを読む

Q私はミッドウェー海戦などについて深く授業でやりたいと思ってます。 これらを学ぶのは日本史ですか?世界

私はミッドウェー海戦などについて深く授業でやりたいと思ってます。
これらを学ぶのは日本史ですか?世界史ですか??
それともやりませんか?

Aベストアンサー

高校の歴史でしたらどちらでも出てはきますが、最低限のことしかやりません。
一番詳しい日本史教科書でも「1942年6月のミッドウェー海戦の敗北を転機に戦局がしだいに不利になった」くらいしか出てきません。
空母4隻を失っただのなんだのは先生が説明の際に話してくれるくらいでしょうね。
歴史は流れが大事ですので、木を見て森を見ず状態になっては台無しですから仕方ありません。
最近はどこの学校でもあまり聞きませんが地歴研究部という部活動があれば、そういったところで深く掘り下げて研究もできるでしょうが…。

図書館などで文献をあさったり、戦記物を読む程度ではまだ不満で、本当に深くやりたいというなら、
大学の史学科の近現代史のゼミに入るしかないでしょうね。

Qミッドウェイ海戦の兵士は終戦まで転戦していた?

ミッドウェイ海戦で戦った兵士は。戦に負けたことが国民にばれるとまずいので
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転戦というか、しばらくの間は軟禁に近い状態だったようです。

当時の搭乗員の証言記録を見ました。

とは言っても、半年1年もすれば徐々にうわさ話として広まって軟禁の意味が無くなり
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Qミッドウェー海戦

今考えると有利だった日本が何故ミッドウェー海戦で負けたのでしょう
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そもそもミッドウエイ海戦を仕掛けたのは米軍空母を撃滅する目的であったはずです。この空母は本来なら真珠湾で撃沈されているはずが山本長官の海戦時の戦争目的であったのを彼が南雲にその事を伝えていないばかりで、戦艦ばかりの撃沈で目的完了と空母索敵もせず引き上げてきたのがその後の海戦に大きなミスの繰り返しに繋がっていきます。まず最大のミスは人事であります。何故機動部隊の指揮官を航空機の指揮の経験のある人物を起用しなかったのか、勿論機動部隊を概念は出来たばかりで高官には砲術科や水雷科の連中ばかりで航空科には高官がいなかったこともあるだろうが、航空機で戦艦を撃沈する戦法は新しい戦法であったのであるから人事でも旧来の人事に囚われずに新人を抜擢していれば真珠湾攻撃の時に米軍が今後反撃に転じた時に再建に多くの時間をついやさなければならないぐらいに軍事施設や燃料タンクを破壊し、近海で訓練しているだろう空母の探査して空母同士の海戦が行われ、当時太平洋で保有していたアメリカの空母は壊滅していた可能性があります。この機会を逃したことを後悔して立案されたミッドウエイ海戦では
敵も警戒して準備している相手に挑むのであるから人事も作戦も思い切った方策を採るべき所を従来道理の考え方で機動部隊の指揮官を前の失敗にもこりず新しい人事にもせず機動部隊の運行も第一線に空母部隊を
配置して戦艦群を第二線に配置したばかりに空母部隊が航空攻撃の標的になり空母が壊滅的な損害を蒙ってしまう。もしこの配置を逆の戦艦群
を第一線に配置しておれば航空攻撃を戦艦群が受けたなら撃沈される前
に第二線の空母群からの援軍により対等の海戦になっていただろう。山本長官は世界を正確に観察いていたようではあるが、海軍内部では力が
発揮できず周りの従来の仕来りに飲み込まれてしまい自分の考えを部下にも充分伝達出来ずに戦死してしまった将軍であるようです。日本人の
欠点は非常時に従来の方式を大きく変える事が出来ない民族らしいがこのような時には独裁者でもでないかぎり思い切ったことが出来ないものです。

そもそもミッドウエイ海戦を仕掛けたのは米軍空母を撃滅する目的であったはずです。この空母は本来なら真珠湾で撃沈されているはずが山本長官の海戦時の戦争目的であったのを彼が南雲にその事を伝えていないばかりで、戦艦ばかりの撃沈で目的完了と空母索敵もせず引き上げてきたのがその後の海戦に大きなミスの繰り返しに繋がっていきます。まず最大のミスは人事であります。何故機動部隊の指揮官を航空機の指揮の経験のある人物を起用しなかったのか、勿論機動部隊を概念は出来たばかりで高官には砲術科や水雷科...続きを読む

QSBDドーントレス、ミッドウェイでのエピソード

ミッドウェイ海戦で大活躍したドーントレス爆撃機ですが、出撃途中誤って(何かの誤作動?)殆どの機が爆弾を海に投下してしまった隊があったように記憶しているのですが、詳細をご存知の方いらっしゃいますか。
確か映画「ミッドウェイ」でもそんなシーンがあったように記憶していますので有名なエピソードなのでしょうか。

Aベストアンサー

 NO 1 です。私も、映画「ミッドウェー」は「トラトラトラ」と並んで大好きな映画で、録画したビデオを所有してまして、映画をじっくりと観てみました。

 仰るシーンは確かに有りました。それが史実か、創作かは別としまして、劇中では、ヨークタウンを発進した、第三爆撃隊が、そのハプニングに見舞われたことが描かれてました。マックスウェル・レスリー少佐率いる SBD 隊が、目標到達15分前になり、少佐は、攻撃準備のため、電動の安全装置解除の指示を全部隊に下令し、スイッチレバーを押し上げるのですが、装置の不具合で、自分の機は爆弾を投下してしまい、慌てて、大声で、「安全装置解除は、電動では無く手動でやれ、手動だ」と無線で叫びますが、二番機も同様の不具合で、爆弾を投下してしまう、というくだりです。そのハプニングの際の会話が滑稽で、「誰がこんな装置を発明したんだ」と部下の一人が叫ぶと、少佐が「山本に決まってるだろ」と返してました。

 以上、映画の中での描写については、今回は間違いありません。

Qミッドウェー海戦

父は海軍の職業軍人でした。水雷兵で敗戦時は9年在籍で曹長という下士官だったそうですが敗戦後公職追放にあいまともな仕事に付くことも出来ずに苦労したらしいです。わたしが高校生の時に亡くなりましたがもっと話しを聞いておけばと悔やまれます。ミッドウェー海戦の時に乗っていた駆逐艦が沈められて海上に10時間ぐらい漂って助かったと聞きましたがそのときの艦名までは聞いてません。ミッドウェーで沈められた駆逐艦は何隻あるのでしょうか?もし、艦名までご存知の方おられましたら

Aベストアンサー

ミッドウェー海戦では、駆逐艦は沈没してませんよ(^^ゞ。

この海戦で沈没した日本側の艦艇は、
空母=赤城・加賀・飛龍・蒼龍--4隻と、重巡洋艦=三隅

--の5隻です。

Q「海軍善玉説」「陸軍悪玉説」

皆さんこんにちは。

先の大戦で、「海軍善玉説」「陸軍悪玉説」
と言うのをよく耳にしますが、どういった理由で
善玉、悪玉と評価されているのでしょうか?

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

この場合善玉も悪玉もありません。
大体参謀本部が陸軍と海軍に分かれていて事有るごとに対立してました。普通は陸主海従が基本であり海軍国のイギリスだってそんなアホな事はしてません。この辺りは日露戦争での活躍した海軍の増徴が原因なんですけどね。

それに開戦にしたって確かに陸軍は満州抑えるだけで良しとしてれば良かったのに支那本土まで出張ってますから愚かの極みなんですが海軍にしたって山本五十六提督からして「1~2年は暴れ回って見せますがそれ以上は・・・」と言ってる側から真珠湾へ出張ですからこれ以上の猪突猛進は無いでしょう。しかもこれはアメリカ留学経験者が率先しての話ですよ?
陸軍は玉音放送盤を奪おうと叛乱寸前までいってますが海軍は海軍で食料その他物資を運ぶ輸送船団護衛部隊の燃料使ってまで何やったかご存知ですか?戦艦大和の特攻ですよ!燃料無くてまともに船も動かせないし食料は底を尽いて国民の大量餓死及び叛乱一歩手前までいってる状態で「水上部隊の誇りを示す!!」とか言ってるわけです。これには流石に同じ海軍で輸送船団の護衛部隊の参謀は電話口で「大バカヤロー!!」と絶叫するほどにイカレていたんです。まぁ陸軍は陸軍で竹やりでB-29を本気で打ち落とすつもりだったらしいのでどっちもどっちもですけどね。

笑えないジョークとして
ドイツ軍はソ連軍とアメリカ軍とイギリス軍と戦争した。
イタリア軍はイギリス軍と戦争してからドイツ軍と戦争した。
日本軍は陸軍と海軍がそれぞれ互いに戦争しながら暇を見つけて米・英・中・ソと戦争した。
なんて事も一部で言われています。

海軍善玉説は戦後に海上自衛隊を創設するときに専門性が高く旧海軍士官をリクルートするのに悪玉だと余計な邪魔が入るからと後付けした話というのが私の見解です。

この場合善玉も悪玉もありません。
大体参謀本部が陸軍と海軍に分かれていて事有るごとに対立してました。普通は陸主海従が基本であり海軍国のイギリスだってそんなアホな事はしてません。この辺りは日露戦争での活躍した海軍の増徴が原因なんですけどね。

それに開戦にしたって確かに陸軍は満州抑えるだけで良しとしてれば良かったのに支那本土まで出張ってますから愚かの極みなんですが海軍にしたって山本五十六提督からして「1~2年は暴れ回って見せますがそれ以上は・・・」と言ってる側から真珠湾へ出...続きを読む

Q日本がミッドウェー海戦で敗北した原因はレーダー探知機無かったから? http://gendai.is

日本がミッドウェー海戦で敗北した原因はレーダー探知機無かったから?


http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52091

ミッドウェー海戦は、日本人が生んだ技術に日本が敗けた戦いだった 現役防衛技官が語る「75年目の教訓」
藤田 元信

今年6月、太平洋戦争の転機となった「ミッドウェー海戦」から75年を迎えた。日本の敗戦へのきっかけとなったこの近代史上最大の海戦に、「現代日本に通じる大切な教訓が隠されている」と指摘するのは、防衛装備庁技術戦略部の藤田元信氏だ。

最近、新著『戦略は技術をくつがえす』(クロスメディア・パブリッシング)を発表した藤田氏は、75年前の海戦における日本の失敗を分析した上で、技術と戦略の関係を学ぶことの重要性を説く。

日本で無視され、米国が評価した技術
ミッドウェー海戦は、お互いの艦艇を視界に入れずに戦った、史上初の海戦であったと言われています。そして、アメリカ軍の勝利に決定的な役割を果たしたのは、電波の反射を使って目標を探知する兵器である「レーダ」でした。

レーダには、発振器とアンテナが欠かせません。じつは、アメリカをはじめとした諸外国のレーダ開発には、日本人の発明が利用されているのです。ご存知でしたか?

その代表的なものが、「八木・宇田アンテナ」と「分割陽極型マグネトロン」です。

八木・宇田アンテナの発明者の一人 八木秀次教授(出典:随筆集[1953])
八木・宇田アンテナは、その名前のとおり、八木秀次と宇田新太郎という日本人研究者の研究成果でした。魚の骨のような簡単な構造で、優れた性能(鋭い指向性と高い利得)が得られることが利点です。いまでもテレビの受信アンテナとして広く使われているので、皆さんも見たことがあるのではないかと思います。

このアンテナは、日本では誰にも注目されなかったものの、1926年に英語で論文を発表したところ、米国で大いに賞賛されたと言われています。


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分割陽極型マグネトロンもまた、日本人研究者である岡部金治郎が、1927年に発表したものでした。

岡部金治郎らの発明をきっかけとして、小規模ながら、日本国内でもマグネトロンの研究が行われていた。写真は、のちに戦艦「大和」にも搭載された二号二型電探(対水上用)に使われたマグネトロンの陽極と同等のもの。(public domain)
分割陽極型マグネトロンは、それまでにアメリカで開発されていた単陽極マグネトロンでは不可能だった、高い周波数の発振(マイクロ波を発生)を可能としたうえ、高効率でした。レーダの実用化に向けて、性能を飛躍的に高める研究成果でした。

早くも1920年代に、日本人研究者により八木・宇田アンテナと分割陽極型マグネトロンという、画期的な新技術が生み出されていたにも関わらず、日本陸海軍はその研究成果をレーダの開発につなげることはできませんでした。

たとえば海軍では、「これからの海戦にレーダが必要かどうか」という議論が盛んになされた一方、事業化に進むための具体的な検討はずっと低調だったようです。一方、アメリカとイギリスをはじめとする諸外国では、これらの研究成果を早期に事業化し、通信機器やレーダの開発に応用していました。

シンガポールの戦利品から発見
1942年5月中旬、「シンガポールの戦利品で、現地で理解できないものがある。電波兵器のようなので、調査に来てほしい」との依頼を第5陸軍技術研究所から受け、日本電気と東芝の社員からなる民間の調査団が組織されました。

調査団が現地で調査したところ、件の電波兵器は、日本人が発明した八木・宇田アンテナであったことが判明しました。日本では誰も顧みなかった八木・宇田アンテナを、イギリスがみごとに兵器に応用していたことは、関係者にとって衝撃だったと言われています。

同じころ、日本陸軍は、押収した文書(通称「ニューマン文書」と呼ばれる)の中に、YAGIという単語が出てくることを発見しました。そこで捕虜に質問したところ、「それはそのアンテナを発明した日本人の名前だ」と教えられ、そのとき初めて八木・宇田アンテナの存在を知ったとも伝えられています。

じつは、日本の海軍技術研究所や陸軍技術研究所でも、小規模ながら、レーダ技術の研究は行われていました。ところが、軍上層部には、レーダの研究開発に対する理解者が少なく、レーダの研究開発は遅々として進まなかったと言われています。そのため、大東亜戦争の開始時点でも、日本のレーダは実用化にほど遠い段階にありました。

ようやく、海軍で初めて実用レベルのレーダが作られたのは、開戦から数か月が過ぎた、1942年3月のことでした。このときは波長の異なる2種類のレーダが試作され、戦艦「伊勢」「日向」に搭載されました。それぞれに長所・短所があるものの、どちらも一定の機能・性能を有することが確認されました。


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ミッドウェーで払った高い代償
1942年6月、ミッドウェー島に向かった日本海軍の空母機動部隊には、レーダを装備した艦艇は1隻もありませんでした。実験艦として、レーダを搭載していた戦艦「伊勢」「日向」は、ミッドウェー島から遠く離れたアリューシャン方面に派遣されていました。

一方、ミッドウェー島付近で、日本海軍の空母機動部隊を待ち受けるアメリカ海軍の主要艦艇には、対空捜索レーダCXAMが装備されていました。さらに、ミッドウェー島に設置された固定式のレーダも稼動状態にありました。

アメリカ海軍は、主要艦艇にレーダを搭載していた。空母エンタープライズ(CV-6)の艦橋に、対空捜索レーダCXAMが装着されていることが分かる。ミッドウェー海戦直前の、1942年5月の撮影。(public domain)
そのため、ミッドウェー島付近で日本軍の攻撃を待ち受けていたアメリカ軍は、日本軍の艦載機の接近をレーダでいち早く察知し、奇襲を避けることができたのです。

レーダの実用化により、日本海軍の戦略の前提となっていた、空母と艦載機を中心とした奇襲攻撃は、もはや成立しなくなっていました。

そのことに気がつかない日本海軍は、ミッドウェー島に有効な打撃を加えられなかったばかりか、反撃してくるアメリカ海軍の艦載機を直前まで発見できず、主力の空母4隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)と約300機の艦載機、そして多数の熟練兵を失いました。

こうして、日本軍は、自らのレーダの技術開発の深刻な遅れを、高い代償により知ることとなったのです。

ミッドウェー海戦において、レーダを持たない日本艦隊は、艦載機を飛ばして敵を探さなければならず、レーダを駆使したアメリカ軍に対して苦戦を強いられた。写真は、アメリカ軍機の攻撃を受け、炎上中の空母「飛龍」。(public domain)
日本の戦略家が技術を学ぶ意義
ミッドウェー海戦における日本の敗北は、一般に、機械故障による索敵機の発進の遅れや、現場の混乱を誘引した指揮官の判断に原因があると論じられています。確かに、偶然や現場での判断により左右された部分もあったでしょう。

しかし、ミッドウェー海戦を、「技術」という観点で捉え直すとすれば、ミッドウェー海戦は、レーダ技術が、日本軍の戦略を破壊した戦いだったと総括できるでしょう。

戦いの様相を一変させるレーダをいち早く取り入れ、使いこなしたアメリカ軍と、要素技術の研究において国内にアドバンテージを有しつつも、レーダの必要性の議論に終始し、事業化を推進しなかった日本軍の能力には、大きな差が生まれていたのです。

日本でも、ミッドウェー海戦の後、それまで低調だったレーダの研究開発は、おおいに奨励されました。しかし、長年の蓄積を必要とする研究開発の遅れは、ついに取り戻すことができませんでした。

「技術」という観点から、ミッドウェー海戦の敗北へとつながったレーダの研究開発の問題点を考えると、以下の2点に集約されると考えられます。

(1)未知の要素が多いレーダの研究開発に関し、上層部の理解が得られなかったこと
(2)国内の科学技術イノベーションを国防に生かす仕組みが未成熟であったこと

1930年代において、レーダの研究開発は未知の要素が多く、きわめてリスクの高いテーマの1つでした。技術的な内容を理解できる人間も、レーダが戦いにどのような効果をもたらすのか、という部分を論じることができる人間も、国内にわずかしかいなかったうえ、双方が対話をする機会も、ほとんどありませんでした。

国内にどのような技術があり、どう育成し、どう活かすのか、といった長期的な視野で技術マネジメントを行うことができる、組織や人材が欠けていたと言ってもいいかもしれません。

これらの問題点から、現代日本にも通じる教訓を得るとすれば、長期的な技術マネジメントの視点の欠如が、致命的な結果をもたらすことがあるということでしょう。

様々な新技術が、市場や社会のあり方を支配するようになった現状を鑑みると、組織運営を担うリーダ、戦略家が技術を学ぶ意義はますます高まっているものと思われます。技術者もまた、自らの職責の範囲を超えて、技術が戦略に与えるインパクトについて、もっと意識すべきかもしれません。

日本がミッドウェー海戦で敗北した原因はレーダー探知機無かったから?


http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52091

ミッドウェー海戦は、日本人が生んだ技術に日本が敗けた戦いだった 現役防衛技官が語る「75年目の教訓」
藤田 元信

今年6月、太平洋戦争の転機となった「ミッドウェー海戦」から75年を迎えた。日本の敗戦へのきっかけとなったこの近代史上最大の海戦に、「現代日本に通じる大切な教訓が隠されている」と指摘するのは、防衛装備庁技術戦略部の藤田元信氏だ。

最近、新著『戦略は技術をくつが...続きを読む

Aベストアンサー

いや、レーダー以前に日本側の情報が全て筒抜けだったからです。レーダーはあくまでも現状の把握にしか使えません。予測して必要数を配備するには情報の入手が必要です。
偵察だけなら射程外からでもおおよそ把握することはできます。まともな指揮官がいればその時点で把握できるでしょう。しかし日本は上に行けば行くほど無能だった。それは今の政府や企業も同じ。否、江戸時代から変わってはいない。一人や二人の有能な人材がいてもダメなんですよ。だから負けたと言えます。

Q戦闘機や航空基地 : どうして陸軍と海軍でバラバラだった?

先の大戦における歴史書を読んで気がついたのですが、当時の陸軍と海軍では、それぞれ独自の戦闘機を保有したり、各地に専用の航空基地を構えていましたよね?

調べると、たとえば有名なゼロ戦や紫電改は海軍、隼や飛燕は陸軍の所属になっていました。

シロウトなので教えて頂きたいのですが、もし海軍所属の戦闘機が空母艦載を目的とするなら、折畳み式主翼にするとかの特徴があるかなと思うのですが、海軍所属の全ての戦闘機はそうなっていますか?

それと海軍が各地に航空基地を構えたのにはどんな理由があったのでしょうか? 陸軍がまとめて防空の構えをすれば事足りるように感じたのですが ・・・

それと、海軍と陸軍でどうして戦闘機の機種を統一しなかったのでしょうか? 

もちろん、戦闘内容が違うので両軍が求める性能を統一するのは難しいのは理解できるのですが、すごく不経済だし合理的ではないように思いました。

たとえばゼロ戦を陸軍も使用するとか、逆に隼を海軍も使用するとか出来なかったのでしょうか?

歴史書を読んでいて、ふと感じたので質問させて頂きました。

先の大戦における歴史書を読んで気がついたのですが、当時の陸軍と海軍では、それぞれ独自の戦闘機を保有したり、各地に専用の航空基地を構えていましたよね?

調べると、たとえば有名なゼロ戦や紫電改は海軍、隼や飛燕は陸軍の所属になっていました。

シロウトなので教えて頂きたいのですが、もし海軍所属の戦闘機が空母艦載を目的とするなら、折畳み式主翼にするとかの特徴があるかなと思うのですが、海軍所属の全ての戦闘機はそうなっていますか?

それと海軍が各地に航空基地を構えたのにはどんな理...続きを読む

Aベストアンサー

そもそも航空部隊の設立の経緯を考えればよろしいかと思います。第一次世界大戦のときに「空の戦い」が始まります。このときは、航空部隊は陸軍所属でした。そもそも、航空部隊は陸軍の偵察隊として生まれました。
やがて海軍でも偵察機があると便利だなとなります。そのとき陸軍の飛行機を借りるより、自前で航空部隊を作ったほうが手っ取り早いし便利です。かくして「海軍航空隊」が誕生します。

日本に限らず、世界中で海軍と陸軍というのは対抗意識を持っています。例えば、アメリカとイギリスの陸軍では「イエス・サー」といいますが、海軍では「アイ・アイ・サー」といいます。かように「はい」という答えひとつでも違う言い方をしたがるほど陸軍と海軍はときに対抗します。いわんや航空機の仕様については他の方も回答されているように陸軍と海軍では要求するスペックが違いますから自ずと機種が違ってきます。
それは現在でもそうで、例えばアメリカ空軍が使うF-16と海軍/海兵隊が使うF-18は大きさといい性能といいよく似ています。大きな違いは、F-16が単発エンジン、F-18が双発エンジンという点です。一時期、海軍でもF-16を採用してはどうか、という声も上がったのですが、海上で活動することが多い海軍機はエンジンがひとつ故障(あるいは損害)を受けてももうひとつのエンジンで基地や空母までたどり着ける可能性がある双発機のほうがふさわしいとのことで海軍/海兵隊はF-18を採用しました。しかし実際は長年米海軍とお付き合いのあるノースロップ社の「ロビー活動」のたまものです。

合理的精神の塊であるアメリカ人でさえ空軍(陸軍)機と海軍機の統一ができません。ロバート・マクナマラが機種を統一しようとしてF-111という戦闘爆撃機を作りましたが、これは海軍と空軍の猛反対を押し切って強引に進められたものでした。海軍はよっぽど気に食わなかったのか、何かと理由をつけてちゃっちゃとF-111を退役させました。

今でも、ゼロ戦と隼とどっちが優れているか議論させたら答えは出ませんよ。カタログスペックではゼロ戦が優れていますが、ゼロ戦はかなりクセの強い戦闘機だったようです。じゃじゃ馬だったんですね。それに比べると隼のほうがはるかにマイルドで乗りこなしやすかったそうです。ゼロ戦はホンダ車、隼はトヨタ車みたいなもんだったのかもしれません。

そもそも航空部隊の設立の経緯を考えればよろしいかと思います。第一次世界大戦のときに「空の戦い」が始まります。このときは、航空部隊は陸軍所属でした。そもそも、航空部隊は陸軍の偵察隊として生まれました。
やがて海軍でも偵察機があると便利だなとなります。そのとき陸軍の飛行機を借りるより、自前で航空部隊を作ったほうが手っ取り早いし便利です。かくして「海軍航空隊」が誕生します。

日本に限らず、世界中で海軍と陸軍というのは対抗意識を持っています。例えば、アメリカとイギリスの陸軍では...続きを読む


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