ミッドウェイ海戦後の異常な配置転換について質問


日本の某歴史家(名前を忘れました)が著書の中で、先の大戦(大東亜戦争、第二次世界大戦)に関して次のように書いていました。

日本海軍では、一つの作戦が終了すると、作戦に動員された兵隊は帰国して休暇を取るのが通例であった。しかし昭和17(1942)年6月のミッドウェイ作戦においては、そうではなかった。

日本海軍はミッドウェイ海戦において米国海軍に惨敗を喫した。山本五十六連合艦隊司令長官はミッドウェイ作戦の敗北を隠蔽するために、作戦に動員した兵隊を帰国させなかった。帰国すれば敗北の事実がマスコミや国民に伝わるからだ。

で、ミッドウェイ海戦終了後、山本は直ちに、彼らを南方の島々(ガダルカナル島など)に配置転換した。日米戦争が始まって半年しか経過していない時期であり、ミッドウェイ海戦には優秀な海軍パイロットが多く動員されていたのだが、彼らを南洋諸島のジャングルへ追い、飛行場建設などを命じたのである。海軍がガダルカナル島で飛行場建設を始めたことを陸軍は(大本営陸軍部も陸軍省も)知らなかったというから、驚きあきれるではないか。

ご存じのように太平洋戦線では、日本内地からの兵站活動が停滞して武器と食糧が極度に欠乏し、非常に多くの日本兵が餓死したのだが、ミッドウェイから配置転換された日本海軍の優秀なパイロットの大半がジャングルで死んだのである・・



ここで質問です。
(1)ミッドウェイ海戦終了後、作戦に動員した兵隊を帰国させないまま南方の島々に配置転換したというのは事実なのでしょうか。
(2)事実である場合、異常な配置転換を行ったのは連合艦隊(山本長官)だけの考えなのか、それとも大本営海軍部と海軍省も了解した上での配置転換だったのでしょうか。

A 回答 (3件)

撃沈された空母のパイロットの生き残りの多くは、他のパイロットの不足している空母に配属されました。


何人かエースパイロットで例をあげると・・・
空母赤城の生き残りの菊池哲生パイロットは空母翔鶴に配属されています。
空母加賀の生き残りの鈴木清延パイロットは空母隼鷹に配属されています。
空母飛龍の生き残りの重松康弘パイロットは空母隼鷹に配属されています。
空母蒼龍の生き残りの原田要パイロットは空母飛鷹に配属されています。
ですから(1)については事実ではないと思います。

日本海軍では、一つの作戦が終了したからと言って必ず兵士を帰国させて休暇をとらせるというわけではありません。
例えば空母瑞鶴はインド洋作戦でセイロン島沖海戦に参加しますが、作戦後は日本に戻る事なくポートモレスビー攻略作戦に参加し珊瑚海海戦に参加しています。
ですから(2)について「異常な配置転換」という指摘自体が正しくないと思います。
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この回答へのお礼

返事が遅くなって申し訳ありませんでした。

>ですから(1)については事実ではないと思います。
>(2)について「異常な配置転換」という指摘自体が正しくないと思います。

なるほど。どうも、いい加減な歴史家がいるものですね。歴史の本を鵜呑みにしないようにします。有難うございました。

お礼日時:2010/04/29 15:54

回答者がいない所を見ると、素晴らしい識者の集まりだと思います。



事実だと主張すれば事実になります。
ミッドウェー占領隊はほぼガダルカナルへ行きます。
(11設営隊→一木隊)

http://ja.wikipedia.org/wiki/Template:%E3%83%9F% …

ただ、ミッドウェー作戦は「中止」であり、待機状態であった大本営直属の部隊は
命令と行動が速やかに行われるから。

が大きな理由だと思います。

作戦は終了していません。
送られていな部隊もあります。

大本営発表は自沈処理を加味すれば、2隻沈没、2隻大破であり、1隻づつに半分にした。
ここから発表の信頼性が崩れたのだと思います。

ですので、完璧な隠蔽はしていません。

こう言った小説は
サイパン島玉砕などの発表が明らかに矛盾してしまいます。
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa2418679.html

記載内容は鵜呑みにすると危険がある(自分で本当かどうかよくよく調べてみないとならない)
内容のひとつです。
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この回答へのお礼

返事が遅くなって申し訳ありませんでした。

>ミッドウェー占領隊はほぼガダルカナルへ行きます。(11設営隊→一木隊)

ガダルカナル島の飛行場建設計画が、ミッドウェー海戦の前に決まっていたのか、それとも海戦の結果(敗北したので)ミッドウェー占領が不可能となり、急きょガダルカナルでの飛行場建設を決めたのか、をぜひとも知りたいですね。

お礼日時:2010/04/29 15:49

>山本五十六連合艦隊司令長官はミッドウェイ作戦の敗北を隠蔽するために、作戦に動員した兵隊を帰国させなかった。


これを実行するにはMI作戦に参加した全将兵に対して同じ事をしなければなりません。
上陸予定であった陸軍部隊やら多数の艦艇の乗組員、ミッドウェー島に進出予定だった航空隊と結構な人数です。
この人達は内地に帰還させてないということになりますが、どうなんでしょうかね。
なんでパイロットだけがジャングルで飛行場作りをしなければならないのでしょうか。
ミッドウェーで沈没した艦艇で生存した乗組員もジャングルで飛行場作りなんでしょうかね。

ミッドウェー海戦後の母艦搭乗員は5航戦及び基地航空隊へ配置転換したという話は聞いたことありますが、敗戦を隠すためジャングル行かされて飛行場造りという話は聞いたことありません。
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この回答へのお礼

返事が遅くなって申し訳ありませんでした。

>ミッドウェー海戦後の母艦搭乗員は5航戦及び基地航空隊へ配置転換したという話は聞いたことありますが、敗戦を隠すためジャングル行かされて飛行場造りという話は聞いたことありません。

すると某歴史家の説は間違いなのですね。有難うございました。

お礼日時:2010/04/29 15:12

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Qミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい

ミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい。なぜあんなに強かった日本軍が負けてしまったのですか?理由を教えて下さい。ちなみに僕は戦史に関してはド素人ですので、その辺はご了承ください。

余談ですけど、先日新聞を読んでいたら「アベノミクス第三の矢はミッドウェー」とかいう記事が載っていて、要するに第一、第二の矢(経済政策)はうまくいったが問題は第三の矢で、これが日本の今後の経済趨勢を決するという内容でした。

それで僕は、緒戦の快進撃から一転、大敗北を喫したミッドウェー海戦の敗因とやらをどうしても知りたくなった次第です。

Aベストアンサー

○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。
「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6-1971%E5%B9%B4-%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9B%B8-%E9%98%B2%E8%A1%9B%E5%BA%81%E9%98%B2%E8%A1%9B%E7%A0%94%E4%BF%AE%E6%89%80%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%AE%A4/dp/B000J9GX1M

この本によると次の6項目が大きな日本軍の敗因として取り上げられています。

(1)情報戦の大敗。日本海軍の暗号が解読され、米軍は日本軍の計画を察知していたのに、日本軍は敵情がよくわかっていなかった。

(2)心のゆるみ。開戦以来の戦果から心にゆるみが生じ、作戦の計画と実行に慎重さを欠いた。

(3)山本長官の出撃。山本長官が戦艦に座乗して出撃したので、その位置を秘匿するため、無線の使用が制限され、作戦指導に支障を生じた。

(4)航空戦様相の事前研究、訓練の不足。索敵、偵察、報告などの地道な訓練及び、空母の被害局限対策の研究が足りなかった。

(5)5日の航空決戦の指導の誤り。二度の兵装転換によって弱点を作った。

(6)戦艦主兵思想の転換の不十分。戦艦部隊が後方遠く離れて航空決戦に寄与できなかった。


○ちなみに当時、敵であったニミッツ太平洋艦隊司令長官は戦後に出した著書の中で、「勝利は主として情報による。・・・日本軍は奇襲を試みようとして日本軍自体が奇襲された」と述べています。また日本軍が空母戦力を分散してアリューシャン作戦を行った事を批判し、その戦力分散が無ければ米艦隊が敗北していた可能性があると述べています。

○なお、アメリカ海軍公刊戦史を編纂したサミュエル・エリオット・モリソン少将はミッドウェー海戦について、日本の空母が最も脆弱な状態の時に、米爆撃隊が偶然に日本の空母を発見し攻撃できたという、幸運に恵まれた事から「100秒足らずの時間に起こった事実の相違で、日本軍はミッドウェイに勝ち、太平洋戦争にも勝利をおさめたかもしれない」と日本軍にも勝利の可能性が十分あったことを述べています。

○英国の著名な戦史家リデルハートはその著書で日本の敗因について、十分な数の索敵機を出さなかったこと、戦闘機の援護不足、空母の防火対策が不十分、空母での兵装転換時に敵に向かって航行したこと等、他にも色々指摘していますが、最後は「・・・これらの過失は自信過剰から生じたと言っても過言ではない」と述べており、日本軍の「自信過剰」を問題視しています。

○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。
「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6-1971%E5%B9%B4-%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9...続きを読む

Qなぜ真珠湾に米軍空母がいなかったのですか?

なぜ真珠湾に米軍空母がいなかったのですか?

僕は死ぬほど歴史が苦手で、ろくに勉強してこなかったことを後悔しています。

最近知ったのですが、真珠湾攻撃に参加した零戦パイロットの原田要(はらだかなめ)氏(97)は、真珠湾に米軍空母はいなかったと証言しています。

なぜ真珠湾に米軍空母がいなかったのですか?偶然にしては出来すぎではありませんか?

Aベストアンサー

太平洋には3隻しか航空母艦がいませんでした。これはドイツの海軍が大西洋で活動を激化させたのと、英国への武器援助法などのほうが重要だったので、大西洋に重点的に空母を配置したからです。

太平洋にいた空母ですが、サラトガは、サンディエゴで整備をしていました。攻撃後、あわてて真珠湾に進出しましたが1月12日に真珠湾の近くで日本の潜水艦から魚雷を撃ち込まれて大損害をだし、またもや本土のブレマートンで修理する羽目となりました。

同じ型式のレキシントンは、ミッドウェイに飛行機運んでいました。

エンタープライズは、ウェーク島に飛行機を運んでいた帰りに母港の真珠湾が襲われたので、日本艦隊を1隻で探していましたが空振りであります。6隻もいる空母機動部隊に一隻で立ち向かうのですから、温存どころか無謀に近い勇気があるものだと感心します。

航空母艦は英語でCarrier 単なるキャリアーです。文字通り飛行機運びをしていたわけですね。で、戦艦は大事に要塞地帯である真珠湾に温存されていました。

空母が温存、どころか、飛行機運びと修理していただけでです。運んでいただけですから攻撃能力もありません。

空母しか残らなかったので、空母でしか初期の戦争行動ができなかったのが真相で、珊瑚海ではレキシントンまで沈められてしまうし、ミッドウェイでは1隻が半分こわれた状態で使われています。

情勢はガダルカナルが終わるまでアメリカにとって決して楽ではありません。

陰謀とか空母を温存しておいたというウソがこの時代になっても大手をふって出てくるということこそ、歴史を学ぶ上でひっかかってはいけないホラ、都市伝説でしかないことを、見抜けるようになってください。

その証拠に、陰謀を言い立てる人は、証拠を出すことができません。ネタとしても、もう賞味期限切れでしょう。

太平洋には3隻しか航空母艦がいませんでした。これはドイツの海軍が大西洋で活動を激化させたのと、英国への武器援助法などのほうが重要だったので、大西洋に重点的に空母を配置したからです。

太平洋にいた空母ですが、サラトガは、サンディエゴで整備をしていました。攻撃後、あわてて真珠湾に進出しましたが1月12日に真珠湾の近くで日本の潜水艦から魚雷を撃ち込まれて大損害をだし、またもや本土のブレマートンで修理する羽目となりました。

同じ型式のレキシントンは、ミッドウェイに飛行機運んでいました...続きを読む


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